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(12) 裏切りの報酬

「ジェスジアああああぁ! 止めろおおおおぉ!」



 傷の回復を待たずに立ちあがり、僕は駆けた。

 そしてこの身を呈してカラアゲ君の楯となった。

 いつもカラアゲ君がそうやって僕を守ってくれたように、僕もこの身を楯にしてカラアゲ君を守ろうとした。

 しかし僕の肉体はカラアゲ君のように強固なものではなかった。


 カラアゲ君の悲鳴!


 ジェスジアさんの非情の剣は僕の腹に刺さると同時に背中に抜けて、背後のカラアゲ君の心臓に精確に突き刺さったのだ。

 串刺しの僕の腹にはすぐ剣の柄があり、それを握るジェスジアさんがいた。


「ジェスジアさん……、なぜなんだ?」


 僕はその手をジェスジアさんの手に重ねた。

 僕がはじめて触れたジェスジアさんの白い指。

 互いの息がかかるすぐその距離にジェスジアさんのあの美しい顔があった。

 まるで恋人どうしが見つめあい、愛を囁きあうような距離だった。


「私を妻にできると思ったのか? 残念だったな。私は身の程知らずの馬鹿は嫌いなんだ」


「そうじゃない、そんなんじゃないよ」


 ジェスジアさんの鋼鉄の声に、情けなく震える僕の声が重なった。


「スキルが欲しいなら魔王から奪えばいいじゃないか」


「勇者のみが持つ破格のスキル、成長百倍。それがどうしても欲しかったのだ」


「最初からそのつもりで……。あなたたちは最初からそのつもりでカラアゲ君を召喚して、最初からそのつもりでカラアゲ君に同行していたんだね」


「ああそうだ。勇者をいつでも殺せるようにな」


「でも今までそうしなかった。きっと、確信が持てなかったんだ」


「そのとおりだよ。勇者が偉業を得るまでは手が出せなかった。未業の英雄にこれを突き刺した前例がなくてな。それをすれば果たしてどうなるか、我々にも分からなかった」


「そんなにしてまで強くならなきゃ駄目なのかよ。こんなに弱虫で、ビビりで、人見知りで、こんなに優しいカラアゲ君を殺してまで強くならなきゃ駄目なのかよ」


「そなたには分かるまい。私には、この世界には、まだまだ強さが必要なのだ」


「分かっていないのはジェスジアさん、あなたの方だ!」


 僕の背後のカラアゲ君が、シュウシュウ湯気を立てて小さくなっていく。

 身体強化のスキルを失ったためにその巨体を維持できず、元の室内犬サイズまで縮んでいっているのだ。


「こんなゴブリンみたいな奪い合いを変えるんじゃなかったのかよ、それがあなたの偉業になるんじゃなかったのかよ……」


「正直に言おう。勇者はともかく、そなたの存在こそはまったくの誤算であった。その広き見識、その深き智略、その堅き心胆。そなたこそはまさに史上最強の英霊であった。その気高き心を、この上なく美しいとも思った。それを失うのは誠に惜しい、心からそう思った。だが……」


 ほんの一瞬。

 鋼鉄のジェスジアさんが、ほんの一瞬だけ、まるで泣きそうな子どものような顔を見せた。


「そなたのくれた人族の未来。あの未来は私の一代では果たせぬ。だから私は子を生みたい。私は子を生んで、必ずや帝王の母となる。私の生んだ子が帝王として人族を束ね、人族を栄光の時代へと導く。私の血脈が永遠にその頂点に立ち続けるのだ。だが英霊であるそなたとは子を成せぬ。そなたではそれは叶わぬのだ」


「そんなくだらない理由で、そんなちっぽけな理由で」


 僕の背後のカラアゲ君が今最後のスキルを、回復スキルを失ったのが分かった。

 その生命の炎が小さくなっていく。


「駄目だカラアゲ君、死んじゃ駄目だ……」


『わ、ふ……』


 そしてその炎と尻尾が小さく揺れて。


「カラアゲ、君……」


 ふっと静かに消えてしまった。


 カラアゲ君が死んでしまった。


「カラアゲ君……」


 スキルというスキルを全て失って、すっかり小さくなってしまったカラアゲ君。

 その小さな死体がそこにはあった。


 それはライオンのタテガミを持った威風堂々たる風貌ではなく、極あたりまえの小さな室内犬の死体であった。

 日々の戦闘で少しだけマッチョになっていたけれど、これが、これこそが、等身大のカラアゲ君であったのだ。


「カラアゲ君、ごめんな。僕の力が足りないばかりにごめんな、カラアゲ君……」


「英霊よ。見事な男よ。勇者は死んだ。そなたももう長くはない」


 僕の霊魂はカラアゲ君によってこの世界に喚ばれた。

 僕の肉体はカラアゲ君の魔力で作られていた。

 こうしてカラアゲ君が死んでしまった今、コンセントを抜かれたように僕の肉体は魔力の供給源を絶たれてしまったのだ。

 だから僕の命ももう長くはない。

 でももうそんなことはどうでもよかった。

 僕は今度こそ僕の家族を失ってしまったのだから。


「そなたともこれでお別れだ」


「ああジェスジアさん、あなたは分かっていないんだ……。あなたが何を殺してしまったのかを……」


「ジェスジア様! 決死隊が全滅した模様です!」


「ジェスジア様! 扉が破られます!」


 轟音!


 扉を破って、城兵のゴブリンどもが室内に雪崩れこんできた。

 ゴブリンどもは魔王の死体を指差して、ギーギー騒いでいた。

 生きている三美女を指差して、なお一層ギーギー騒いでいた。


「ジェスジア様! こやつらを!」


「ジェスジア様! 蹴散らしてください!」


「ああ、今やってやる」


 ジェスジアさんは僕に背を向け、ゴブリンどもに向かって。


「勇者から奪った戦闘スキルで今……」


「ジェスジア様! 囲まれます!」


「ジェスジア様! 早く、早くスキルを!」


「戦闘スキルが、そんな……、まさか……」


 カラアゲ君という魔力の供給源を絶たれて僕の肉体がシュウシュウと湯気を立てて薄れていく。

 やがてガスのように希薄になった僕の体から、ジェスジアさんの剣がカランと落ちた。


「なぜだ! 勇者はたしかに偉業を得たのだ! 英雄の剣は勇者からスキルを奪ったはずだぞ! なのになぜ!」


「ジェスジア様! 早く、早くこやつらを!」


「ジェスジア様! 駄目です、これ以上は持ちません!」


「なぜだ! 英雄の剣は英雄の魂からスキルを奪い、英雄の魂にそのスキルを刻む……。ならばなぜ、なぜ私にそのスキルがないのだ!」


「ジェスジアさん、ああジェスジアさん、あなたはまだ分かっていないのですね……」


「魂からスキルが魂に……。まさか、まさか、まさか、まさか! 貴様かッ!」


「ああジェスジアさん、ようやくひとつ、分かったみたいですね……」


 僕は、憤怒に染まったジェスジアさんに静かに告げた。


「僕は英霊です。僕だって英雄なんですよ?」


 その一言で、ジェスジアさんの端正な顔が僅かに歪んだ。

 それはあのジェスジアさんが、常に冷静沈着で、果断にして豪胆なジェスジアさんが、はじめて見せた動揺、不安、狼狽、そして。


 恐怖。


 彼女もようやく理解したのだ。

 英雄ジェスジアさんが英雄カラアゲ君に剣を突き刺しスキルを奪う。

 このとき。その間にもうひとりの英雄が割り込めばどうなるかを。

 その魂にスキルも偉業も持たぬ英雄が、その間に割り込めばどうなるかを。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ! こんなのは嘘だあぁッ!」


「嘘なんかじゃありません。カラアゲ君のスキルは今全部僕の中にあります。僕には肉体がないから、魔力がないからスキルなんて使えもしませんがね」


 ジェスジアさんは弾かれたように剣を拾いあげて。


「返せ! 返せ! それは私のスキルだ! そのスキルを私に返せぇ!」


 すっかり希薄になった僕にむなしくスカスカと突き刺した。


「ちくしょうッ!」


 とうとうジェスジアさんがガチンと床に叩きつけて、英雄の剣が砕けて散った。


「ジェスジア様!」


「ジェスジア様ッ!」


 マギニッサさんとセリエイヌさんの顔色はすっかり生気を失って、まるで死者のようだった。


 魔族の勢力圏の奥の奥。

 その本拠地の魔王城。

 ともに来た人族の精兵は既にその全員が死に絶えて。

 頼みの勇者も自ら殺し。

 やって来たゴブリンどもは千を超えて彼女たちをば取囲み。

 それらを容易く蹴散らすはずのスキルは僕の中。

 魔力を持たない僕の中。

 シュウシュウ薄れて消えていく僕の中。


 もはやこの三人の美女には絶望しか残されていなかったのだ。



「マギニッサよ! セリエイヌよ! ここより逃れるぞ! 血路を開けぃ!」


 だがマギニッサさんはそれに虚ろな目で応えただけだった。

 のろのろとした動作でその鋭利な剣を自らの首に当てると。


「止めろ、マギニッサッ!」


 鮮血を吹き出し、倒れて果てた。


「もうおしまいだ、もう……」


 続いてセリエイヌさんがガクガク震えながら口を開き、杖をくわえて魔力を込める。


「セリエイヌッ! やめろぉッ!」


 杖の攻撃魔法がセリエイヌさんの頭部を撃ち抜いて、その脳漿をあたりにぶちまけた。


「そんな……、マギニッサよ……、セリエイヌよ……」


「あなたが殺したんですよ、ジェスジアさん。あなたが、この忠実なふたりを殺したんです」


 もはやここから、このゴブリンどもから逃れる術策すべはない。

 そして若い女がゴブリンどもに捕らえられればどうなるか。

 その地獄から、マギニッサさんとセリエイヌさんは自死によって逃げることしかできなかったのだ。


「私は英雄だ! そうとも、私は未業の英雄だ! こんなところで死ぬわけがない!」


 ジェスジアさんは懐中から僕のノートを取り出して、それをゴブリンどもに投げつけた。

 僕のノートはゴブリンに払われてバラバラになり、バラバラに散った紙片はにじり寄るゴブリンどもの足に踏まれていく。

 蒸気機関のページも、コークス高炉や内燃機関や航空機やコンクリートのページも、生贄を必要としない火薬兵器のページも、全て皆、ゴブリンどもの足に踏まれて破られていく。


「あなたは今、人族の未来を殺しました。人族がゴブリンであることをやめて助け合い高め合い生かし合って繁栄する、そんな未来をあなたは殺したんです」


「ええい寄るな、汚らわしいゴブリンどもめ、この私に近づくな!」


 ジェスジアさんは刀身の砕けた英雄の剣を自らの首に当てた。

 マギニッサさんとセリエイヌさんがそうしたように、もはや地獄から逃れるには自死しか残っていなかったから。


「く、ダメだ! 私は英雄だぞ、未業の英雄だぞ、こんなところで、こんなところで……」


「ジェスジアさん、あなたはその剣でカラアゲ君を殺しました。その剣でマギニッサさんを、セリエイヌさんを殺しました。その剣で人族の未来を殺しました。あなたは自ら選んでしまったんですよ。人であることよりも、ゴブリンであることを」


「やめろ、私に触れるなぁぁぁ!」


「ジェスジアさん、あなたはこれからあなたに相応しい地獄に落ちます。きっとあなたはその地獄の中で毎日思うことでしょう。あなたが捨てた、あなたが殺した全ての光のことを。きっとあなたはその地獄の中で毎日毎日悔やむことでしょう。あなたが振るってしまったその剣のことを」


 それに応える声はなかった。

 あったとしても、猛り狂うゴブリンどもの声にかき消されていた。

 その姿も、ゴブリンどもに取り囲まれてもはや見えなかった。


「さよなら、ジェスジアさん……」


 悲鳴もなかった。

 あるのはただゴブリンどもの野卑な笑い声と、その岩石のような拳が歯を砕く音……。



(シゲ兄は女を見る目がないからなぁ)


 ああ、まったくそのとおりだよ。


(ホント気をつけろよ? いつか悪い女に騙されて酷い目にあうからな)


 あっちで殺されて、こっちでも殺されて。

 僕って学習能力がないんだなぁ……。


 僕の肉体はすっかり蒸発して、もうこの世界に魂を繋ぎ止めることができなくなっていた。

 僕の霊魂があるべきところへ戻っていくのが分かった。


「あっちとこっち。世界が違うんじゃ、あの世で会えそうもないなぁ」


 ごめんな、カラアゲ君。僕のせいで、ごめんな。





 ごめんな……。

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