ダメなんだって・・・
次の日曜日。意を決して直樹に
祐子さんが会いたいと言っていることを伝えた。
「会ってもいいけど?」
思ったより簡単に返事をした。
もっと淡々と怒ったり、「まだそんな話しているの?」と呆れた顔をされると
思い込んでいたのに、軽い言い方に(アレ?)という感じだった。
「まゆがちゃんと断れないんでしょ?いいよ。俺が断ってあげるから」
「うーん・・・ でもね。本当はちょっと考えてるとこもあるの。
やってみたいかなって。でもやっぱり失敗すれば全部失うの怖いし・・・
今の仕事だってまた戻ることできないし、直樹だって待ってはくれないでしょ?
軌道にのったら戻るって言っても」
「そうだね。もし行くなら俺と別れると思ったほうがいいね」
煙草を吸いニュースを見ながら、
なんの躊躇もしないでバッサリと言い切った。こっちも見ないで・・・
ほんの少しだけ「少しくらいなら待ってもいいよ」と言ってくれるかもと
期待したのに、それは1秒で砕かれた。
「やっぱりそうかぁ・・・・ 期間限定でもダメ?」
甘えるように肩に頭をつけて上目遣いで言ってみた。
(頑張れあたし!少しくらいセクシー系で誘ってみればOKかも!)
「ダメ!まゆは流されやすいからね。そこにイイ男なんかいたら、
絶対もう俺の元には戻ってこないよ。自分でわかってるでしょ?
俺と付き合った時のこと」
片目をちょっとあげ、そんな仕草を嬉しそうに笑いながらも、
頭をポンと叩き、(ダメだね・・・)と言うような顔をした。
「でも、、あれはあの時の彼氏のほうにもいろいろ問題あって・・・
それに直樹だったから、誘われても遊びに行ったんだよ!」
「そんなのは今となっては関係無いよ。たぶん辛い仕事になるだろ?
そんな時、優しくなんかされたら絶対まゆはそっちに行く」
「そんなのわからないじゃない!てゆうか、そんな人いないかも
しれないじゃない!なんの根拠でそんなこと言うの!」
ふくれた顔で文句を言った。
「まゆはもう・・この仕事に携わらないほうがいいな。
下手に今でもバイヤーやってるから、自分にも出来そうな気がするんだよ。
辞めてなにか気軽なパートでもしたらいいんじゃない?
別にお金なんか心配ないんだから、好きなことだけしなよ」
「ほらー!またそうやって人の仕事を馬鹿にして!あたしはお金でこの仕事を
やってる訳じゃないもん。そりゃぁ・・・直樹の給料とは全然違うけど・・」
「だから馬鹿になんかしてないって。マツのとこは成績いいと思うよ?
だけど、今の仕事はまゆじゃなくてもできるんだよ。
サポートは誰でもできるんだし」
「だって・・・あたし今の仕事好きだもん。まだ辞めたくない!」
「じゃあ、もうそんな自分の力を過信した変な誘いに気持ちを
揺らしちゃダメだよ。気のすむまでやっていいから」
淡々と「過信するな」とか「まゆじゃなくても出来る仕事だ」とか
ニコヤカに言われて、結構へこんだ。いや、、、凄く。
やっぱり直樹はあたしの仕事を適当にしか見てくれないし、
いくら頑張っても、そこらのお茶くみ程度にしか考えてくれなかった。
今までの頑張りってなんだったんだろう・・・・
あんなに寝ないで残業したり、
終わらない時は会社に泊まったことだってあったのに・・・
誰かに褒めて欲しくてした訳じゃないけれど、自分の中では誰よりも頑張って今の
仕事に責任と誇りを持っていたのに。
そして喧嘩のようになっても絶対直樹は本気で怒らない。
それがまた(子供扱いして!)とイラッとくることがあった。
12歳も歳が違えば、あたしとなんか喧嘩するのも馬鹿馬鹿しいのかなぁ・・
別に喧嘩したい訳じゃないけれど、もっと本音とか内面的なものを
見せてくれてもいいのに・・・ そんな所が好きだったはずなのに、
段々と欲が出て、どんどん自分の思うような人になって欲しくなっていた。
でも、、そんな直樹に本気で怒れない自分がいるのも確かだった。
子供すぎて嫌われてしまうんじゃないかと・・・
翌日、ちょっとだけ気が重くなりながらも、
祐子さんに直樹が会ってもいいと電話で伝えた。
祐子さんは「第一関門突破ね!後はまかせて!」と機嫌良く電話を切ったが、
二人が会うことに気持ちは晴れなかった。
それから3週間後、祐子さんが北海道に来た。
「わざわざこっちに来ると、また帰りが大変だから、空港で
話をすればいいよね。本当は電話でもいいんだけどさ・・・」
直樹はあくまで断ることしか考えていなく、時間の無駄と決め付けている様子だった。
到着ロビーで祐子さんを出迎えた。
「今日はお時間を割いていただいて申し訳ありませんでした」
祐子さんは仕事モードな顔で直樹に挨拶をした。
いつもの顔を合わした瞬間にビールを注文する祐子さんとは全然違う顔をしていた。
直樹も笑顔で祐子さんに名刺を渡し挨拶をした。
「こちらこそ!こんな遠くまで来ていただいて申し訳ありません。
いつもまゆがお世話になっています。今日は日帰りですか?」
異常なくらい愛想の良い直樹に、
この前の言葉は嘘なんじゃないかと思うほどの笑顔だった。
(どっちも、、、芝居上手ってことだよなぁ。
上になるってそんな所も完璧じゃないとダメなんだなぁ・・・)
「はい。一応、空いた時間に次の仕事のこともありまして。
今の仕事のこともあるので今日は失礼ですがお話が終わり次第、戻らせてもらいます。
本当ならば、せっかくのお休みを潰していただいたお礼にお食事でもと言いたいのですが、
もうすぐ退社の予定なので引継ぎなどありまして・・・
まったく、いつまで経っても終わりませんね」
(直樹の女版みたい・・・ )
「そうですか。部長クラスの退職だといろいろと大変ですね」
「でも、部長だろうが、専務だろうが居なくなれば
残った人で結局仕事なんて進むんですよね・・
「自分が必要だ!」なんて自惚れもいいとこですよね。
組織ってそんなものですよね〜」
笑顔で言ったけれど・・・きっと祐子さんなりの嫌味なんだろうとチョット感じた。
直樹は一瞬だけ顔をヒクッ・・とさせ
「そうかもしれませんね」と爽やかな顔で笑った。
日帰りで時間が少ないならばと、空港内のレストランに入り話をすることになった。
「で。今回のまゆの話なんですが・・・」直樹が祐子さんに切り出した。
「えぇ向田さん。えーとですね。私はまゆちゃんの
真面目なとこを前から買ってるんです。東京に来ても一生懸命に
仕事してるし、辛いのに頑張ってるし」
「えぇ・・・」
「バイヤーという職種にあまり詳しくは無いのですが、
まゆちゃんの仕事の方針って聞いたことあります?」
そう言われて直樹がこっちを向き「なに?」と聞いた。
「あの・・・確かには入り値とかも大事だと思うけど、あたしは基本的に
お客さんが喜んでくれる物を買い付けしたいの。
初めて自分が考えて選んだ商品を嬉しそうに買ってくれる人を
見た時に、そう思ったの・・・儲けも大事だけど、それも大事だと思うの・・」
直樹に睨まれるような顔をされ、だんだん声が小さくなった・・・・
「あの、岸本さん。まゆはまだ全然この仕事に関しては素人みたいなものです。
だからまゆに期待はしないで欲しいんです。
きっと失敗すれば責任はまゆになります。そんなの分ってるのに
行かせられると思いますか?」
そう真面目な顔で言った。
「自分の好きな人を信用できないのね・・・
どれほど頑張ってるか見てあげてる?女だからとか思ってない?」
だんだん祐子さんの口調がいつもの強い口調になってきた・・・
ドキドキして二人の間をキョロキョロしてみていた。
「貴女はこの仕事には素人でしょ?まゆは簡単な手伝いしかしてないんです。
それがバイヤーを一人でやるなんて無理なんです」
「それはこっちが決めるわ。私はまゆちゃんと仕事がしたいの。
十分責任感だってあるし、一生懸命よ?いつも電話で
仕事のこと相談されたりするし、男に負けないくらいのガッツはあるわ!」
「だから、話だけなんですよね?まゆの仕事見てますか?
責任感や一生懸命だけじゃできないんですよ!この仕事は。
センスとか、流行とか、金額とか、いろいろあるんですよ」
「向田さんはそれを全部認めてないの?」
「認めてませんね」
売り言葉に買い言葉だとしても・・・・ハッキリと直樹の口から
「認めてない」と言われて、シュン・・・となった。
「貴方、まゆちゃんのこと本当にちゃんと見てる?
好きならそんな言い方できないわよ」
「そんなこと貴女に言われる筋合いは無いです」
「ただ自分の目の届く範囲に置きたいだけなんじゃない?
本当に好きなら彼女の気持ちが優先だと思うんだけど」
「俺は、失敗して傷つくこいつを見たくないんです。
なにも今から辛い思いをしなくても、十分二人は幸せです。
それを横から壊そうとしてるのはそちらです」
「確かに東京に呼ぶのは大変なことだとは思ってる。
だけど、このまませっかくの芽を潰すことしていいと思う?
もっと大きい仕事させてあげたいと思わないの?
さっきから絶対失敗するようなことばかり言うけど・・・・」
「思いませんね」
ピリピリした空気の中、二人は静かにだがキツイことを言い合っていた。
隣で話に入れないあたしはただ黙ってジュースのグラスについた
水滴をいじっていた。
「じゃあ、違う方向から聞きます」
煙草を力いっぱいねじ消して祐子さんが直樹を見て言った。
「まゆちゃんを遠くに行かせるのが嫌ですか?」
「嫌ですね」
「そう・・・半年でもダメかしら?」
「ダメですね」
「それは待てないってこと?行くなら別れるということ?」
「そうです」
直樹は淡々と短い言葉でしか話をしなかった。
(やっぱりダメなんだな・・・ )
「そう・・・わかりました」
「わかってくれましたか?」
少しだけ直樹はいつもの緩やかな表情になった。
「えぇ。後はまゆちゃんに決めてもらいます。
それがどんな答えでも私は恨みません。
もしも来てもらって、貴方と別れることになるなら、
それはまゆちゃんが決めることです。もしも半年だけ待ってくれるなら
もっと説得することはできますが、それもダメならなにも言えません」
そう言って祐子さんがこっちを見た。
(えぇぇー!あたしがこの空気の中で決めるの??)
「まゆちゃん。後は貴女次第でいいわ。
もしも、まゆちゃんがこれから自分の力を試したいならお願いする。
でも、彼とのこれからを思うのなら断っていいわ。
私の態度は今までと一切変えない。それは約束する。
まゆちゃんとは仲良くやっていきたいから。
でも、私は貴女と仕事がしたい。連絡待ってる」
それだけ言って目の前の珈琲をグッと飲んだ。
「向田さん。お休みの時にこんな所まで来ていただいて、
大変申し訳ありませんでした。今日はありがとうございました」
そう言って祐子さんはレシートを持って会計に行った。
そんな祐子さんを見て直樹は黙って軽く会釈をし、フーと大きなため息をついた。
隣でその姿を見て、なんて声をかければいいかオロオロしていた。
会計を終え、祐子さんはあたしを見て、軽く手を振りレストランを出て行った。
さすがになにか一言言わないといけないと思い、
追いかけようとすると、あたしの手を掴み直樹は
「いいから」と言って座らせた。
結局、祐子さんに「さよなら」も言えずに帰ることになった。
帰りの車の中の空気はとても悪かった。
直樹は何も言わずに黙って運転をしていた。
季節は11月になり空気が灰色に見えるほど毎日が曇っていた。
「もうすぐまゆの誕生日だな。27歳か・・・11歳差になるな。
俺の誕生日まで。たった2ヶ月しかないけど」
重い空気の中、直樹がポツリと言った。
その顔を見るといつもの笑顔だった。
「うん・・・そうだね。あたしも27歳か〜 なんか歳感じるな〜」
「まぁ・・・まだ22、3歳って嘘つけそうだね。特にスッピンは」
そんな関係の無い話をしていても、心の中は
(どうしよう・・・・)という思いでいっぱいだった。
自分に自信が無い・・・
でも、やってみたい気持ちもある。
でも、失敗が怖い。
直樹が自分の側から永遠にいなくなってしまうのは、やっぱり寂しい気持ちがあった。
あんなに怒ったような顔を見たのは初めてだった。
いつものニコニコした感じとはまったく違った。
(少しでもあたしのこと、、、必要だって思ってくれていたのかな)
その気持ちに答えるには、このまま黙って直樹の側にいることなんだろうな・・・
それでいいのかもしれないな・・・
やはり自分にはまだ無理なのかもしれない。
自らの力だけで立ち向かうにはリスクが大きすぎるのかもしれない・・・
「たしか、再来週に東京に出張あったよね?」
そう聞かれて我に返った。
「あ・・・うん。3日間だけね、今回は」
「いつもさっきの人に会ってるの?東京に行ったら」
「うーん・・・祐子さんの時間があればね。あの人って直樹の女版みたいでね、
仕事人間なの、でね・・・」
「もうあの人に会っちゃダメだよ」
「え・・・」
話の途中なのに、いきなりそんなことを言われた。
「どうして?だってさっき、もし断っても問題無いって言ってたじゃない。
あたし祐子さん好きよ。これでもう会わないなんて嫌だもん。
素敵な人だよ。さっきはあんな話だったから、あんな態度だったけど、
いつもはもっと面白くて、優し、、、」
「いいから!もう会わないって約束な。あの人はまゆには悪影響だよ」
また話を途中で切り直樹はちょっと声を大きくして言った。
そのまま、また黙って運転をした。
「どうして・・・なんで悪影響って決め付けるの?
そりゃ・・・ちょっと言い方はキツイとこあるけど・・・・」
言ってるうちに悲しくなってきた。
それ以上なにも言えずに黙ってしまった。
直樹もそれから一言も話をしなかった。
昼すぎに直樹の家に着き、黙って部屋に入った。
ソファーにドサッ!と座り、直樹は煙草に火をつけた。
その隣にポソッ・・と座り黙ってその煙を見ていた。
なんとも言えない空気が二人の間にあった。
「まゆ・・・俺のこと入社以来憧れてたって言ってたよね。
それは今も変わらない?今でも俺のこと好き?」
「うん?・・・・・ん」小さく頷いた。
「じゃあ、答えは決まってるね?俺からあの人に電話するから。
まゆはもう連絡とかもしないほうがいい。関わることは無いようにね」
「でも・・・・直樹のこと好きなのと祐子さんともう会わないのは
また違う問題でしょ?断るならそれでいいじゃない」
「俺のことが好きならもうあの人に会わないで。わかった?」
それだけ言って直樹は席を立ち、奥の部屋に入っていった。
あたしはその場に座ったまま納得のいかない顔をしていた。
いままで直樹はあたしがすることを、いつもニコニコとした顔をして
なんでも許してくれた。
今回ほど大きいものでは無いことばかりだけど・・・・
休みの日の計画も、外食の場所を選ぶのも、すべて
「まゆがいいと思った通りでいいよ」と言っていたのに・・・
しばらくして直樹がいつもの仕事の時のようにスーツを着て部屋から出てきた。
「ちょっとだけ会社に行ってくる。今日はすぐ帰るから。
7時までに戻るね」
「明日じゃダメなの?」
「春に人事発表があるんだ。商品課の中のパートナーの入れ替えも
考えてるらしいから、その話で部長が出勤してるんだ。
思ったより早く帰れたから、話は早いほうがいいと思って」
「ん・・・・ わかった。じゃぁ・・・ご飯作って待ってる」
「うん。じゃ、行ってくるから」
そう言って額にキスをして直樹は出て行った。
残された部屋の中で、どんどんとカゴの中の鳥の気分になった。
誰かに会いたいけど、それが誰なのかわからなかった。
(パートナーの入れ替えかぁ・・・・ 健吾とペア離れるのかなぁ・・・)
そんなことを考えながら、ソファーに横になって暇な日曜日を過ごした。