押し込めた気持ち
翌日。カオルと顔を合わせるのが気まずかったけれど、
自分から「おはよう!」と声をかけた。
ちょっと驚いた顔をしながらカオルがこっちを見ていた。
「あ、、うん。おはよう、、、。って、、、まゆ、、凄い顔してるけど」
「え?」
「目、、、開いてるの?それ」
「開いてるわよ!失礼な」
散々泣きはらした結果、、、二重が消えてしまうくらい人相の悪い顔になっていた。
カオルの視線を感じながら、黙々と仕事を始めたけれど
やっぱり視界に何度も顔をあげるカオルが見えた。
「じゃ、後よろしくね。ちょっと出てくるから〜」
祐子さん達が事務所を出た瞬間、カオルが席を立ち隣に歩いてきた。
「な、、、なに?」
顔を覗き込まれ、慌てて下を向いた。
突然両手で顔を挟み、グッと上を向けられカオルと視線が合った。
「泣いたの?」
「ちがう、、、泣いてなんか無いもん!」
「向田さんに泣かされたの?」
「そうじゃないよ。なんでも無いから。すぐ戻るってば」
カオルの手を離そうと手を上に重ね退けようとした。
昔も、、こうして、、、ふざけたことがあった・・・
「変な顔〜」って笑っていたのに、、、
急に涙がこみ上げ、また目が真っ赤になっていた。
「ごめん、、、痛かった?」
慌てて手を外すカオルに首を振りながら下を向いた。
「昨日は、、ごめんな。変なこと言って。俺、、やっぱちょっと酔ってたのかも。
彼氏に会うの意地悪して悪かった」
「ううん・・・」
(変なことなんかじゃないのに・・・嬉しかったのに)
ダメでもいいから、、、好きになってくれなくてもいいから。
自分の気持ちを言うなら、早いほうがいい。
「あの、、カオル、、、」
「俺さ、、ちょっと彼女と喧嘩しちゃってさ。それで、、、彼氏に会うの嬉しそうに
してるまゆを見たら、ちょっと意地悪したくなってさ」
ズキンッ・・・・
「そ、、そうなんだ。大丈夫、、。全然問題無かったから!」
慌ててカオルを見ながら微笑んだ。
笑いでもしないと、、やってらんない。
「そっか・・。なら安心した」
「彼女とは、、仲直りできたの?」
「うん!大丈夫だった。今度の休み、ディズニーランドに連れて行くって約束させられちゃったけどな。まぁ、、、それくらい仕方ねーよな」
「うん。そうだね」
笑顔のカオルを見て、どうすることもできなかった。
今にも泣きそうだったけれど・・・
心臓が飛び出しそうだったけれど・・・
それでも必死に我慢して書類にペンを走らせた。字が、、、小さく震えていた。
その話を聞いてから、あたしは自分の気持ちをまた押し込めてしまった。
直樹の言葉に少しだけ出た勇気は、スッカリと影を潜め
無心で仕事のことだけを考えた。
今の自分の逃げ場はそれしか無かったから・・・
バカにみたいに毎日、毎日仕事ばかりをしていたけれど、
その甲斐もあり、頑張りと比例して仕事は順調だった。
少しでもカオルのことを考えると、また弱くなってしまいそうで、
毎日残業をし、家に帰ると倒れるように眠った。
休日も、一人でボンヤリする時間を無くすように出勤をして頑張った。
今となっては直樹の仕事病に文句を言えないくらい、あたしも立派な仕事中毒に
なっていた。
祐子さんは少し心配をしていたけれど、波に乗れそうな会社のことを思うと、
「いつもごめんね・・・。この借りは絶対返すからね」と申し訳無さそうな顔で
あたしの仕事ぶりを喜んでくれていた。
でも・・・月曜日の朝は大嫌いだった。
仕事が始まるからとかじゃなく、、、カオルがきっと彼女と過ごした翌日だから。
眠そうな顔を見れば(昨日、、、彼女と遅かったのかな)と考え、
元気な顔を見れば(彼女と上手くいってるのかな)と考えた。
もう・・・どうすることもできなかった。
相変わらず、裕子さんと望月さんの外出が続いていたある日。
視線を感じて前を向くとカオルが黙って見ていた。
「どうしたの?」
「いや・・・顔色悪いなって。白いっていうより青白いぞ?」
「雪国の人だから抜けるような白なの」
そう言ってそのまま書類に目を戻した。
目の前で小さく(アホか・・・)と呟くカオルに少しだけ笑いかけた。
「なぁ・・・彼氏来てないの?」
「来てないよー」(知らないけど)
「そっか。今度の日曜って暇?」
その言葉に驚いて顔をあげた。
「なんで?」
「いや、ちょっとな」
ここで「うん」と言えば、カオルが彼女に会うことを阻止できる・・・
そんな意地悪なことを考えた。
けれど、そんなことはしちゃいけないんだろうな・・・
何も言わずに黙って仕事を続けていた。
「彼氏怒るかな・・・」
(どうしよう・・・どうしよう・・・)
「彼女怒るんじゃない?」
「ん?・・・大丈夫だよ」
「直樹が来てないから一人で可哀想とか思ったの?
別にいいよ。同情されるの嫌だから気を使ってくれなくていいよ」
本当に素直じゃないよな・・・
自分の言葉が嫌になった。それでもシッカリと自分の首にはあのチョーカーを
毎日大事につけているのに、馬鹿も良いところだと感じた。
「別に、気なんか使ってないよ。買い物あるんだ。で、付き合ってくれないかなって」
「なに買うの?」
「いろいろ・・・・」
「彼女へのプレゼントなら自分で選べば?」
「んなもん、お前に頼むかよ。じゃ、日曜な」
勝手にそう決めて話が終わった。
けれど、その日家に帰ってから少し笑顔で洋服を選んでいる自分が
能天気だよな・・・と感じた。
約束の日曜。
時間通りにカオルが家に迎えに来た。
車に乗りデパートや雑貨屋、どことなくだが昔二人で行ったことが
あるような店などと見て回った。
けれどカオルは何かを買う訳では無く、普通な顔で
「これ可愛いな〜」などと気軽にウィンドウショッピングをしていた。
「ねぇ。何買う予定だったの?」
「ん?なんか・・・」
「なんかってなに?」
「それを見に来たの。なんか欲しいな〜って」
曖昧な返事をするカオルにきっと買い物なんか無かったのだろうと感じた。
きっと毎週休まないで仕事をしているあたしの息抜きの為にこうして
街に連れ出してくれたんだろうな。
この人はそんな所があるもんな・・・・
これで直樹のことを言えば、きっともっと心配をするのだと思った。
「お前一人で大丈夫なのか?なにか心配なこと無いか?」
そんな慌てた顔をするカオルが目に浮かんだ。
(やっぱり言えないよなぁ・・・)
もしそれで優しくされてしまえば、きっと甘えてしまうだろう・・・
アレコレと理由をつけてカオルの時間を独り占めしたくなる。
その日、なんてこと無い買い物をして昔行った海にカオルは車を走らせた。
人で賑わう海水浴場を車の中から見ながらジュースを飲んでいた。
「まゆ、去年とか海行った?」
「ううん。あたし日焼けすると真っ赤になるし・・・」
「そうだったな。じゃあ去年はなにしてたの?」
そう言われて去年のことを考えていた。
せいぜい直樹と、買い物くらいかもしれない。
それも商品の下見をかねて街をうろついたくらい・・
「別にどこって無いかな。仕事してたー」
「彼氏とどこも行かなかったの?」
「うん。もうどこか行って喜ぶ歳じゃないしねぇ・・・あの人」
確かにそうだった。相変わらず笑顔ではいるが、
何かを見て大騒ぎをする人でもないし、
(ふ〜ん・・・)といった顔をする程度だったので、何処に行っても大喜びをする
直樹を見たことは無かった。
それに、毎日残業続きだとやはり気を使ってしまい、
日曜はできるだけ、ゆっくり寝かせてあげようと「どこに行きたい!」と言うことを
だんだん言わなくなっていった時期でもあった。
「大人だもんな。そんなもんなんだ」
「あたし引き篭もりとばっかり縁があるみたいだね」
そう言って二人で笑っていた。
「今年は彼女を海に連れてきたりしてないの?」
「ん?しないねぇ〜」
「どうして?」
「休みは寝てたいもの。俺いつも日曜は起きたら夕方近いからなぁ・・・」
(彼女も一緒に?)そう頭の中で思うだけで、辛くなっていた。
変な想像をしてしまいそうで、無理にクーラーをあげた。
「少し日曜休めよ。体壊すぞ」
「うん・・・」
(そんな優しいこと言わないでよ・・・・)
黙って聞いていたカーステレオから、カオルが好きだった歌が流れていた。
昔、全然知らなかったスピッツをカオルと付き合ったきっかけで聞くようになり
いつもカオルに会えない時は聞くようになり、自然と歌を覚えていた。
海にぴったりなその曲を聞きながら、水着姿の人達を見ていた。
その歌に合わせて口ずさむカオルの音程が少しズレているのが
可笑しくて、泣きそうな気持ちが少しだけ平常に戻った。
「カオルってさ、音痴だよね・・・」
「今は腹から出してないだけ。本気になればスピッツのボーカルになれるぞ」
「あっそ・・・ もう行こう。家に着くまでに暗くなっちゃうよ」
そのまま話を無視して進めると、意地になって歌っていた。
どんどん音程が外れていてわざとじゃないかと思うほどだった。
「もうそこまで音痴だと悪意があるよね」
小さく舌打ちをしながら笑うカオルの横顔を見ながら、
今この瞬間がずっと続けばいいと思った。
やっぱり隣で微笑む顔を永遠に見ていたかった。
車を降りる時。
「今日さ、、買い物なんか無かったんでしょ?嘘が下手だよね〜」
「たまにはいいじゃん。なんなら来週もいいぞ」と言う顔に思わず約束を
してしまいそうだった。
「いいってば!お互い相手が心配するよ。じゃ、また明日ね」
そう言って手を振りカオルの車を見送った。
部屋に戻り、なんとも言えない気分になった。
誰かにこの気持ちを伝えたかったが、誰にも言えることじゃなかった。
カオルの優しさが、もっと辛くなっていった・・・・
8月に入り、暑さが本格的になってきた。
いままでこんなに暑い所を体験したことが無いのもあり、
なんとなく体調が悪いと感じていた。
けれど、休む訳にはいかない!そんな最後の意地で
みんなには気づかれないように仕事をした。
北海道の夏はいくら暑いと言っても30℃を越える日は
数えるほどしか無く、そんな所に慣れている体は、
このジメジメした湿気の多い、東京の夏には馴染めなかった。
連日の猛暑に食欲も無く、おまけにそれを無視しての
連日の残業。そしてまた考えすぎの不眠。
たとえ東京に長く住んでいる人でも、多少の体調の悪さを
訴えそうな毎日だった。
その日の朝・・・
起きた時に軽い目眩がした。
(夏風邪かなぁ・・・・)そう思いながらもさほど気にせず出勤をした。
祐子さんと望月さんは、また営業の為に外回りをし、
カオルと二人でエアコンが効いた部屋の中で仕事をしていた。
快適なはずなのに、どんどん体調は悪化し、座っていることにも
辛くなり書類の文字もボヤけて見えた。
「昨日、何時に帰った?」パソコンにむかいながらカオルに聞かれた。
「ん?そんなに遅くないよ」
本当は1時過ぎまでいたのに嘘をついた。
笑顔でそう言ったが、もう自分の言葉すら虚ろな感じだった。
「お盆は休みみたいだから帰るんだろ?」
「ん〜?わかんない〜」書類を見ながら曖昧な返事をした。
本当は帰ることは考えていなかった。
別に毎年あっちに居ても実家になんか顔を出さないし、
移動で疲れるくらいなら、お正月にでも帰ればいいや・・・
そのくらいにしか考えていなかった。
「わかんないってこと無いだろ?待ってんだろ、ほら・・」
(あ〜・・・直樹のことか・・・ )
そんなことを思っていたが、やはり朝からの微熱に頭がボ〜と
していた。体がどんどん重くなり頭をあげていることすらキツイ・・・
こうして座っているだけなのに体がどんどんと痺れるように冷たくなっていった。
「あの、、エアコン切らない?なんだか寒くない」
話しを全然無視してそう言った。
「は?切ったら死ぬぞ?今日何度あると思ってんだよ。
35℃だぞって・・・設定温度高いからこれでも暑いのに・・・」
(なに言ってんの?)という顔をして言われた。
「あ・・・そうなんだ・・・・」
もう体感温度がわからなかった。
風邪薬でも飲めば、なんとかおさまるかと薬を飲もうと立ち上がると
目の前が一瞬、真っ白になりそのまま、またイスに座った。
(アレ・・?)
体が痺れたような感じになり、そのままデスクにぐったりと
突っ伏してしまったようだった。
「ちょ、、、まゆ!大丈夫かよ!」
慌てて言うカオルの声を
ボヤ〜とした意識の中で聞いたような気がした。
ふわっ・・と体が浮くような感じがしたが、もうそれがなんなのか
わからなかった。
(あ〜・・・こんなことくらいで貧血かぁ・・・歳だなぁ・・・)
そんなことを考えながら、薄い意識の中思っていた。
いつも血圧が低いので、
こんな風に貧血になることはたまにあった。
それが風邪と重なって、ここまで具合が悪くなったんだなぁ・・・
まるで他人事のように頭の中で考えていた。
そのまま意識が無くなっていった・・・・