弱い心
「初めまして向田です。いつもまゆがお世話になってるみたいで」
ニッコリと微笑みカオルの顔を見た後に、あたしの頭をポンと触った。
「コイツ迷惑かけてませんか?」
「いえ、別に」
保護者のようなことを言う直樹の手を避けることができないまま黙っていた。
笑顔でカオルに名刺を渡す直樹をドキドキして見ていた。
直樹とは逆に笑いもしないで名刺を受け取り、自分の名刺を差し出すカオルに
なんとも言えない変な空気が流れていた。
「どーも。松永健吾で〜す」
いきなりあたしに名刺を差し出す健吾に、そのギャグを拾いきれず真顔になった。
「ここ笑うとこ!」
「全然笑えない!」
健吾とコソコソ小さい声で話をしていたが、目の前の二人は話をする訳でも無く、
お互い視線を合わせて黙っていた。
「じゃ、、、じゃあ!あたし達はこれで!」
その空気に耐え切れず、直樹の腕を引っ張り一足先にホテルを出ようとしたけれど、
直樹の口から思いもしない一言が飛び出した。
「せっかくだから、みんなで食事でもします?」
(えぇぇぇぇー!)
驚いて直樹の顔を見ると、ニッコリと笑っていた。
「だってまゆの会社の人なんだろ?もうすぐマツもお世話になるし。元上司としては
それくらいしてもいいかなって」
「あ、、いや、、、でも、、、ほら!直樹が入ると健吾も緊張するしさ!ねー?」
健吾に助けを求めるように顔を見たが、目の前で「緊張する」なんて
直樹に言える訳も無く・・・
曖昧に笑って健吾は「いやぁ〜」と誤魔化した。
「いいえ。今日は遠慮しておきます。せっかく誘っていただいたのに申し訳ありません」
カオルの言葉にホッ・・・としたと同時に、もうこれで直樹と付き合っているままだと
思われることに少しだけ胸が痛んだ。
「そうですか。じゃあ、、またの機会に。行こうか!まゆ」
「あ、、うん」
カオルの視線を感じながら直樹とその場を離れた。
後ろにいるカオルがまだ見ているのか、、、そうじゃないのか分からなかった。
直樹とホテルを出て、近くのレストランに入った。
メニューを見ていても、さっきのカオルの顔が浮かび、胸の中がモヤモヤしていた。
「彼、なかなかだね」
「えっ・・?」
直樹の声に顔をあげると、微笑みながらメニューを見ていた。
「矢吹さんって、、、あの遠距離の彼でしょ?」
「どうして分かったの?あたし名前なんか言ったこと無かったと思うけど」
「昔、部屋に写真あったじゃない。マツに似てるって思ってたし」
「あ、そっか。あの、、偶然同じ会社だったの。祐子さんの繋がりで・・・
あたしも全然知らなくて、こっち来てビックリしちゃった」
「そうなんだ。まぁ、、彼女の仕事の流れなら、そんなこともあるかもね」
あまり驚いた風でも無く直樹は同じ会社で働いていることに
さほど興味を示さなかった。まぁ・・今となっては当たり前かもしれないけれど。
「まだ俺のこと恨んでいるって感じだったね彼」
「恨んでって、、もうそんなこと無いよ。だって彼女いるみたいだし」
「へぇ・・・。じゃあまゆは間に合わなかったんだ?」
「別に、、間に合うとか間に合わないとか、そんなんじゃないもん!」
慌てて言い返すと直樹は少しだけ声を出して笑っていた。
食事を終え、店を出てどこに行く訳でも無いのに、二人で街を歩きいつまでも話をしていた。
なんだか懐かしく、そしてホッ・・とした。
側に誰かがいてくれることに安心した気持ちになれた。
「矢吹さん彼女がいるなら、、、そんな彼見て、まゆは毎日辛いんじゃない?」
「ど、、どうして?そんなこと無いよ。もう昔のことだもの」
直樹は少しだけニヤッとしてスタスタと歩いていった。
(どっちみち、、、直樹と別れていることは言ってないんだからカオルと何かある訳無いじゃん)
ある訳無いんだよ・・・
もう・・・・
自分に言い聞かせながら虚しい気持ちになった。
どこかであたしは期待をしていた。
今回、偶然にもカオルに会ってしまったことで、また、、、元に戻れるんじゃないかと
思う自分が確かにいた。
「もう少し話できる?」
「え、、うん。大丈夫だよ」
「じゃあ、、、俺の部屋行こうか。歩き疲れちゃったし」
「あ、、、うん」
直樹の部屋に行き、ソファーで膝を抱えながら座っていると
ポンッと頭に手をやり、髪をグシャグシャにされた。
「もぅ!何すんの!髪がグシャグシャになっちゃうでしょ〜!」
隣に座る直樹に文句を言うと、少しだけ心配そうな顔をしたままこっちを見ていた。
「まゆ・・・。疲れた顔してるな。それに少し痩せたんじゃないか?」
「あ、、、うん。ちょっと最近、忙しかったから・・・」
「本当は辛いんだろ。彼と一緒に働くことが」
「そんなこと、、、無い、、よ」
不覚にも、直樹の言葉に知らないうちに目に涙が溜まっていた。
少しだけジワッ・・とした涙をそこで我慢しようとしたのに・・・・
「なんて顔してんだよ・・・まったく」
直樹が優しく微笑みながら、昔のように頭を撫でるから・・・
そんなこと言うから・・・・
もう止めることができなかった。
ボロボロと落ちる涙を見られたくなくて、
「あれ?、、、なんだろ。なんだか疲れて、、、変な時に涙が、、」
全然言い訳にならない言葉を言いながら、慌てて涙を拭こうとした。
「こんなまゆを見たく無かったから、行かせたくなかったんだ」
フワッ・・と軽く抱き寄せ直樹のシャツに涙が染み込んでいった。
久しぶりに直樹の香りが体全体を包んでいた。そして、その温かさに最近の凍りついていた気持ちが一気に溶けていった。
「マツが来たら、、、もう帰ろう?」
一瞬だけ・・・直樹の言葉に頷きそうになった。
もう、、、カオルを見ていることが辛い。誰かを好きでいるカオルが目の前に
いることが辛くて逃げ出したくなった。
「そんなに頑張らなくていいよ。まゆは十分頑張ったよ。HP見た。よく一人で頑張ったね。俺でもあんなに出来るかどうかってくらいだ」
優しい言葉に涙だけじゃなく、小さく声が漏れるほど泣き出した。
ずっと独りぼっちだったような毎日の中で、直樹の言葉が凄く嬉しくて、、、
何に対してこんなに涙がでるのかが自分でも分からなかった。
「会いたかったよ・・・」
直樹の言葉に顔をあげた。
「もう格好つけないことにした。会いたかった。やっぱり行かせなければよかった。
まゆがいなくて淋しいよ」
「えっ・・・・」
「一緒にいて欲しい」
今、、、直樹に戻るのは逃げるってことなのかな。
カオルがダメだったから、、、だから直樹と一緒にいようと思ったのかな。
一瞬、頭の中でいろんな事を考えた。
けれど、、、この数ヶ月の独りぼっちだった毎日と、誰も自分を必要としてくれて
いないと思い込んでいた寂しさが直樹の言葉に負けてしまった。
「直樹ぃ、、、、」
子供のように顔をクシャクシャにして泣き出すあたしを見て
「よく頑張った!よしよし」と大きな手で頭を撫でた。
結局あたしは弱いんだ。
直樹の言葉に簡単に転んでしまう。
でも、自分を必要としてくれる人がいることに、なんだか心が温かくなった。
久しぶりの直樹の香りに包まれながら、いままで我慢していた涙が
どんどんと零れていった。
「これでもう彼のこと忘れられる?」
直樹の言葉に頷こうとしたけれど、まだ頭の中に浮かぶカオルの顔が
ハッキリしすぎて一瞬、体が止まった。
「バカ正直だな。相変わらず」
返事をしないあたしに直樹は笑いながらポンポンと頭を軽く叩いた。
「いいよ。それだけ好きだったってことだもんな。時間が経てば自然と消える。
俺は我慢強い大人の男だから、全然悔しく無いよ」
そう言って思い切りあたしの髪をさっきよりグシャグシャにして笑った。
「言ってることと・・やってること全然違う・・・」
乱れた髪を撫でつけながら直樹を見ると、サラッと前髪を上げ額に軽くキスをした。
「本当は無理にでも連れて帰りたいけれど、それじゃきっとまゆがスッキリしない。
俺の気持ちは言ったよね?後はまゆの気持ち次第だよ」
複雑な顔をしたまま直樹を見つめた。
「怒らないの?」
「なにが?」
きっと直樹は私が今もカオルのことを好きなのを分かっている。
それを知った上で、こんな優しいことを言ってくれる。
もぅ・・・疲れた・・・
「あたし、、、また嫌なことから逃げちゃうのかな」
また目からポロッ・・と涙が落ちた。
自分が情けない。
全然あたしは進歩していない。
「俺は今も昔も逃げの道具に使われたなんて思わないよ。どうしようって
迷う時点でまだ俺に気持ちがあるって思ってる」
あたしは・・・直樹のことが好きだから一緒にいようと思っているのかな?
逃げたくてそう思いたいと自分に言い聞かせているのかな?
「今、何考えてる?」
直樹の言葉に上手く伝えることができなかった。
「じゃあ待ってあげる代わりに一つだけお願い聞いてくれる?」
「お願い?」
「最近さ、ずっと眠れないんだ。今日だけ一緒にいてくれるかな」
「眠れないって、、、どうしたの?」
「疲れすぎなのかな。けどまゆが隣にいてくれたら違うかもってさ」
(それって・・・マズい展開にならないかな)
ジッ・・・と見る視線を察知したのか直樹はニヤッと笑い、
「大丈夫!疲れてそんな気無いから」先にあたしの頭の中の疑問を解決した。
ベットに横になりフワリと抱き寄せる暖かさに気持ちが安心した。
(嫌いなら、、きっとこんな気持ちにはならないな・・・)
直樹に包まれながら、さっきの話をボンヤリと考えていた。
ふと、気がつくと気持ち良さそうな寝息が聞こえ静かに直樹の顔を見ると
安心したような顔をして、もう眠っていた。
(あたしが側にいたら、、、少しでも安心して眠れるのかな
こうしているだけで、、、この人の為になれるのかな)
今の気持ちが本当に愛情なのか、そうじゃないのかは分からなかったけれど、
直樹の側にいてもいいかな・・・って素直に思えた。
翌日の朝。
目を覚ますと隣で直樹はまだグッスリと眠っていた。
部屋のテーブルにメモを残して起こさないように部屋を抜け出した。
<着替えがあるので先に行きます。昨日は少しでもユックリ眠れたなら良かったです。
また連絡します。まゆ>
家に戻り着替えをして、いつもと変わらない時間に会社に出社した。
目の前のカオルは昨日のことには何も触れず、いつものように仕事を進めていた。
きっとこれが答えだ。
今は新しい彼女がカオルの隣にいる。あたしの隣には・・・
直樹のことは逃げるとか、辛いとか、、、そんな気持ちが消えてから
キチンと答えよう。
もっと強くなろう。
お昼を過ぎた頃、携帯に直樹から連絡が入った。
「まゆ?起こしてくれたらよかったのに」
「ううん・・・」
気持ちを切り替えると決めたくせに、直樹の電話を目の前の
カオルに聞かれるかもという複雑な気持ちで会話が簡単な返事だけになっていた。
コッソリとデスクを離れ、事務所の外に出て会話を続けた。
「俺、来週もこっちに出張だから連絡する」
「うん・・・」
「その時はちゃんと着替え持っておいで。その分、ゆっくり眠れるでしょ」
「あ・・・。うん、、、あの、健吾って、、、側にいるの?」
「マツ?あぁ。かわる?」
「ううん!いいの!別に用事無いし!」
「そっか。じゃあ、、、また連絡する。あんまり無理するなよ。じゃ」
側にいる健吾は今の会話をどう思ったのだろう。
また「バーカ」とか言われるんだろうなぁ・・・
そのまま携帯を閉じ事務所に戻ろうとした時、また携帯が鳴り出した。
恐る恐る画面を見ると・・・
問題の健吾からの着信だった。
(うわぁ・・・。出たくない)
ちょっと間を空けてからボタンを押した。
「もし、、、もし」
「おぃ、、、お前今日何時に終わる?」
「えっ?どうして、、、だって今日帰るんでしょ」
「それは部長だけ。俺は明後日までこっち。で、、、何時」
「あ、、、えーと、、、」
「何時!!」
「ろっ、、6時っ!」
「分かった。その時間にお前の会社行くから。逃げんなよ!」
ブチッ!と音がしそうなくらい突然電話を切られ画面を見ながら無言になった。
「ですよねぇ〜」
一人でそう呟き事務所に戻った。
事務所に戻ると、カオルと目が合い少し気まずくて
軽く目を逸らし自分のデスクに着いた。
(あ〜ぁ。もう、、、何もかも嫌になってきた・・・)
ガックリとうな垂れながら仕事にかかり、
時間が6時に近づく度に胃が痛くなってきた。
そして、、、健吾に会って何て言おう。
そればかりが頭の中に浮かんでいた。
そして時間は6時になろうとした頃、勢い良く会社のドアが開き健吾が現れた。
「あら。松永君。どうしたの?」
祐子さんの陽気な声に健吾はニコニコと挨拶をしていた。
「どーも。こっちに出張だったんで、ちょっと顔出してみました。
もうすぐお世話になるしお土産なんか持ってきたりして〜」
「あら。ありがとう〜」
楽しそうな雰囲気に少しだけホッ・・として「お疲れ様」と健吾に声をかけたが、
こっちを見た瞬間、斬られてしまうくらい鋭い目つきに笑顔が真顔に変わった。
「ぉぃ・・・。話あっから」
「はぃ・・・」
カオルがそんな二人を不思議そうな顔をして見ていた。