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最後のキス

2月に入りまだ表面上、人事の話は発表されていないにしろ、

商品課の中で、次の人事であたしが外れることは

ほとんどの人が一度は耳にしているようだった。


だからといって特に誰に何を言われる訳では無かったが、

どことなく居づらい感じはあった。

社内ではあたしと直樹が結婚をするといった話まで流れていた。


(普通はそう思うのかなぁ・・・ 直樹が直々に頼んだって聞いて・・・)


そんな噂を社食に行った時に、他の部署の女の子達が話して

いたのを偶然耳にした。


「いいよね〜吉本さん。聞いた?向田さんの話!玉の輿だよね〜部長夫人じゃん」

「本当だよね〜。向田さんあの歳でも結構イケてるもんね〜」


「吉本さんもラッキーだね。イイ男見つけて、次はそのイイ男のおかげで

 楽な部署に移してもらって、イイ男の帰りを待つんでしょ?」

「いいな〜 私もそんな人いないかな〜 その為にここに入ったのに〜」



そんなことを言っている彼女達の隣を通ると、

「あ。やばっ!本人だ」と急に黙り軽く会釈をされた。


(もう全部聞いたっつーの・・・)と思いながらもニコヤカに

笑顔で彼女達に挨拶をして少し離れた席に座った。


(いまさら別れたなんて言ったら・・・みんなビックリするんだろなぁ・・)


彼女達は声を小さくしているつもりだろうけれど、またヒソヒソと噂話をする声が

嫌でも耳に入ってきた。


(やっぱりさっき健吾と来ればよかった・・・)

なんだか陰口を言われている気分に背中が痛かった。


下を向いてモソモソと食べているといきなり目の前に人の気配を感じた。

「辞表は、いつだすの?」

そう言って目の前の席に直樹が座った。


あの日以来、まともに話をしたことが無かったので驚いた。

それに、一緒に社食で座ったことも無かった。


「ちょ・・・まずいでしょ・・・みんな見てるよ?」

確かにさっきの女の子達がまたこっちを見てヒソヒソと話をしていた。


「いいんじゃない?もう別れたんだし。これからは上司と部下だろ?

 別に一緒に食事しても問題無いじゃない」

そう言って普通の顔をして目の前で食べ始めた。


「ま・・まぁ・・・そうだけど・・・」


そう言いながらなんとも言えない気持ちで食事の続きをした。

まだ少し今回のことで恨んではいたが、もう辞めると決めた今、

直樹の顔を見てもそれほど腹はたたなかった。


「今日さ。終わるの遅い?」

そう聞かれて顔をあげた。


「え?なんで」

「いや、暇かなってさ」

「いまさら暇でも直樹には関係無いでしょ」


素っ気無い言い方をして箸を動かしてはいたが、いままでそんな態度をしたことが

無いあたしは、少しだけ直樹の表情にドキドキしていた。

子供が親に初めての反抗期・・・って感じで。


「上司が部下に仕事の相談とかしちゃダメなの?」

「逆でしょ普通は。それに、直樹があたしに仕事の相談なんかする訳無いじゃない」


「今日さ・・・なんの日か覚えてる?」


目を合わせず黙々とご飯を食べながら直樹が言った。


「今日?・・・・・2月3日・・ あ・・・・」

今日は直樹の誕生日だった。

それに2年前、二人が初めて一緒に夜を過ごした日。


「タケシの店に行こうと思うんだ。一緒にどうかなって・・・」

「自分の誕生日には独りでいたくないんだ?

 あたしなんか、、、誰にもおめでとうって言ってもらえなかったのに!」


「そうだよな・・・自分の都合もいいとこだな。ただ、最後に

 一緒に食事しようかなって。ズーとまゆのこと独りにしたし」


内心、自分の時だけ誰かに祝ってもらおうという直樹が腹ただしかった。

けど・・・そんなことを言う直樹がほんの少しだけ寂しそうに見え、

このまま断るときっと自分が一人の誕生日を迎えた虚しい時間を直樹も味わうのかと

思うと、可哀想になった。


「ん・・・いいよ。あんな喧嘩別れのままじゃ、後々嫌な想い出しか

 残らないし。仕方無いから付き合ってあげる。

 これが最後のわがままだと思って」

そう言って直樹を見てちょっと笑った。


「ありがとね。じゃ、今日8時に迎えに行くよ。家で待ってて・・」

「うん。わかった」

そう言って先に席を立った。


最後くらいはいいか・・・・

あの目で見られたら、やっぱりなぁ・・・

惚れた弱みだよな〜まったく。



その日の夜、8時に直樹が家に迎えに来た。

部屋の雰囲気を見て、自分との想い出の物がなにも無いことに

気がついたようだった。

それでも何も言わず、黙ってソファーに座っていた。


用意を済ませ、

「じゃ、行こうか」そう言って二人で部屋を出ようとした。

黙って部屋を見ながら、

「もう・・ここに俺が来ることは無いんだな・・・・」

そう呟いて先にドアを出て行った。


その言葉に何も答えず、後ろをついていった。


「直樹・・・飲むんでしょ?車・・・どうするの」

「いや、今日は飲まないよ。最後くらいシラフで話したいし。

 送ってもらうと、なんとなく寂しいから。送るほうがいいよ・・」


「うん・・・ 」


そう言って直樹の車に乗った。

自分の体に一番合った角度でシートは止まったままだった。


「やっぱりそのネックレス、まゆに似合うな。俺センスいいな〜」



直樹から貰ったものはすべて一つにまとめたが、

燃えるゴミ、燃えないゴミの分別をしていなかったので、

いつまでも出窓の脇に置いてあった。

その中から、一番最初に直樹から貰ったネックレスを

あたしは一番気にいっていた。


(最後くらいつけようかな・・・)


そう思って袋の中から出し、今日つけていた。


「うん。これが一番好きだった。シンプルだけど可愛いから」

「ん・・・そうだね」


そう言って直樹はいつものニコヤカな顔で運転をした。

その横顔を見ながら、

(この顔が・・・もう少しブサイクだったら、あんなに悩まずに

 もっと早く別れたんだろうか・・・)


そう思いながら見ていることをバレない角度から直樹の顔を見ていた。

悔しいけど、、、やっぱりこの顔に本気で「大嫌い!」と言えるほど鬼にはなれない。


店に着き、中に入るとその日はそれほど混んではいなかった。


「お!誕生日の度に顔出すな。久しぶりだな」

直樹にタケシさんが言い二人で笑っていた。


タケシさんがいつも立っている場所に一番近いカウンターの席に二人で座った。

今日はもう向き合って座らないほうが自然だと感じた。


「お前、まゆちゃんをクリスマスに独りにしたろ?

 可哀相に。ね〜まゆちゃん」

タケシさんがそう言いながら人の顔を見て

(ガツンと言ってやるから!)みたいな顔をした。


「え?まゆ来たの。ここに」

「うん・・・誰かさんが遊んでくれないから、暇でここに来たの」

そう言いながらタケシさんを見て笑った。


「そうだぞ?お前そんなことばっかりしてると、フラれるぞ。

 いいのか?10歳以上も下の子がいなくなるんだぞ〜〜」

大げさな顔をしてタケシさんが直樹に言った。


「もうフラれたよ・・・」


「え?・・・だって今一緒にいるじゃない・・・え?」


「今日は俺の誕生日だからって気を使って一緒にいてくれるんだ。

 今日が最後のデートって訳」


気まずそうな顔をしてタケシさんが二人を見た。

さすがにあたしも最初からそんなことを言われて、

なんて言っていいのかわからなかった。


「ま。最後のデートにタケシの店っていう、このセンスの無さが

 フラれる原因かもな〜 サッサと飯持ってこいよ。腹減ってるのに。なぁ?」

こっちを見て同意を求めるように笑った。


「あ・・うん・・・」ただ頷くことしかできずにヘラヘラと笑った。


「じゃ、、、じゃあ、、、なんか適当に作るわ」

そう言ってタケシさんが厨房に消えていった。


そんなタケシさんを笑いながら見て、直樹は煙草を吸った。


「今日でまた12歳差になったね。39歳かぁ・・・・

 来年は40だよ?うわぁ・・やばっ!」

からかうように笑い直樹の顔を見た。


「2年前の今日か・・・まゆが家に来てくれたの・・・」

「あ・・・・うん。そうだね。早いね〜 2年って」

「そうだな。あんまり楽しいことしてやれなかったな」

ちょっと寂しそうな顔をして直樹が言った。


「ううん・・最初から知ってたのに、それに対して文句言ってた

 あたしもね・・・ あまりいい思い出残してあげれなかったし」


「いや?そんなこと無いよ。俺は十分楽しかったよ。

 特にベットの中ではね」ニッコリと笑いこっちを見た。


「やっぱオヤジだ・・・すぐ下ネタに走る・・・」

「言うなよ。歳は!これでも気にしてるんだから」

お互い笑いながら前を向きチラチラ見ているタケシさんを見た。


「俺な。この前、ここ2年のまゆの導入書見たんだ」


導入書とは、いままでバイヤーが交渉しながら、自分の

センスで買い付けした物を写真つきでファイルしている物だった。


「2年分も?直樹・・・結構暇なんだねぇ・・・」

「ん。すごい量だった。けど、、まゆが頑張ったのが

 これなんだなぁ・・てさ。俺、まゆの仕事ちゃんと見てなかったなって

 思ったよ。良い物買い付けしてる。センスいいと思った」


その言葉にちょっと驚いて黙っていた。

あんなにあたしの仕事を否定していたのに・・・・


「で、販売の比率出してみたんだ。そしたら俺、負けてやんの」

そう言ってクスクス笑った。


意味がよく分からず、不思議な顔をしていた。


「あのさ・・・その比率ってなに?」

「あぁ・・売り場の面積とか、商品の個数とか、在庫の数とかね。

 統計してどれだけ売れてるのかなってさ」


やっぱりあまりよく分からなかった・・・

あたしはいつも「売れ残ってない?」と心配して各店舗の担当に

電話をして「今回は売れた!」とか「ちょっといまいち」とか

そんな生の声でした確認をしていなかった。


商品が店に並ぶ頃には、もうその3ヶ月先の仕事をしていたので、

そこまであまり頭が回っていなかった。


「あたし・・・・直接電話して売れ具合を聞くくらいしか・・・

 してないから統計とか言われても・・・・ちょっと・・・・」

たぶん物凄く恥ずかしいことを言ってるとは思ったけれど

正直に直樹にそう言った。


「ん。誰もが先のことばかり忙しくて、そんなことすらしてないんだ。

 各店舗に電話するだけまゆは偉いよ。

 それに、そうして店舗の間と距離を縮める努力をしてるから

 店の人達もまゆの商品に愛着を持ってくれる。

 それもあって、まゆの選んだ商品の売れ具合はうちの課で

 ほとんど上位になってた。初めて知ったよ・・・・」


自分の選んだ品がそこそこ売れているのは知っていた。

けど、それも直樹は上で自分はもっと下なんだろうな・・・

それくらいしか思っていなかった。


「俺も意地になってたんだ。いつもイライラしてた。

 やっても終わらない、サポートに頼めばミスをする。

 けど、やらないと終わらない。そんな毎日の中で、いきなり

 あんな話がきてさ。まゆはどんなことがあっても俺の側にいるって

 変な自信あったんだ。いつも俺のこと一番に考えてくれてたし。

 そんな風に俺に憧れ持ってくれてるのに、弱音なんて吐けないだろ?

 幻滅されるの怖いしさ・・・」


「幻滅なんかする訳ないのに・・・馬鹿だね、直樹って・・」


「何年も憧れてたなんて言われて、そんな醜態見せられるかよ」



「でも。最後に仕事のこと少しでも認めてくれて、

 すっごく励みになる。統括部長に言われると自信が沸くよ」


「ん・・・俺には及ばないけど、そこそこできると思うぞ。

 頑張れな。なにか困ったことあったら連絡すれよ。

 これでも部長なんだから。下っ端よりは頼りになるだろ」


「偉っそうに・・・・ 年功序列で部長なんじゃないの」

「だから歳は言うなよ。実はすごく気にしてるんだから・・・」


直樹に認めてもらえたのは自分にとって最高の褒め言葉だと思った。

どっちにしろ、あたし達は別れただろう・・・

あたしの器の小ささじゃ、残業続きの直樹を支えることは

到底できなかったと思う。憧れだけじゃなにもできない。

そして、直樹もあたしの側にいるよりも、仕事に気持ちが行っているのもわかった。


そんな笑顔の二人を見ながらタケシさんが料理を運んできた。


「なんかさぁ・・さっきから見てるけど、別れた風には見えないんだけど」


「ん?いや、もう完全に別れたよ。俺、捨てられたの。

 おっさんだから」そう言って直樹が笑った。


「まぁなぁ・・・おっさんだもんな。お前、髪とか染めてんだろ。

 格好つけちゃってよ。なんだよその茶色の髪は。日本人なら黒髪だろ?黒髪!」

そのタケシさんの言葉に二人で笑った。


なんだか大きな壁が崩れたような気がした。

やはり、直樹は今でもあたしの憧れの人であることは変わりが無かった。

けれど、憧れる気持ちと恋人の気持ちは別になった。


「やっぱり直樹は大人だったね。その大人の雰囲気にコロッと

 騙されちゃったな〜 」


「どこから見ても大人だろ。けど、まゆだって最初に飲みに行った時、

 「ずっと憧れてた」とか「30歳過ぎて素敵になった」とか

 そんなことばっかりガンガン言って、あれで気にならない訳ないだろ。

 (この子、俺のこと誘ってるんだろうか・・・)ってずっと内心ドキドキしたよ。

 まぁ・・・同じ会社の子に悪さするのは危険だから、あの日はなにもしなかったけど」



「そう?あたしは正直に言っただけなんだけどなぁ・・・

 だって入社式の時に、初めて見て一目惚れだったんだもん」


「そうなんだ?それは光栄ですね。ありがと」

「いーえ。どういたしまして。あたしも十分楽しんだから〜」


「じゃあ、今なら教えてくれる?」

「なにが?」

「一番いままでで、上手だった人の名前」


「うーん・・・それ言うと直樹傷つくよ?」

「うわ・・・その時点で俺じゃないって言ってるようなもんだな。

 じゃあ聞かないわ。やめとく・・・」


「でも、キスは一番かな。きっとこれからも直樹以上はでてこないかも?

 たぶん、付き合う前にあのキスが無かったら、それほど気持ちが

 動くことなかったかな」


「じゃあ、今後俺はキスだけで生きていくわ・・・」

苦笑いをしながら野菜スティックをポリポリ食べた。


(なになに?)とタケシさんが話しに入ってきたが、

 「教えない」と言って直樹が笑った。


最後のデートは自分にとっても、直樹にとっても、

とても気持ちのいいデートだった。


明日も仕事ということで、その日は0時には店を出ることにした。

タケシさんはちょっと寂しそうな顔をして

「まゆちゃん・・・また来てくれることあるかな?」と聞いた。


「はい。次は新しい彼氏連れてきますね。たまにしか帰って

 こないと思うけど、その時は絶対来ます。

 もしかしたら子供も一緒かもよ?」そう言って軽く抱きついた。


「うん。俺、いままで直樹が連れてきた子の中で、

 まゆちゃんが一番、馴染めたよ・・・」そう言って背中を叩いた。


「じゃ、また来ますから、そんな顔しないでくださいよ〜」


「な?いいもんだろ。12歳も下の子の抱き心地」

直樹がタケシさんに言っていた。


「うん。今日は手洗わないわ」と二人で笑っていた。


「それじゃ、また。ご馳走さまでした」と挨拶して店を出た。




「タケシさん良い人だね・・」

「そうじゃなきゃ、かれこれ20年も付き合ってないよ」

「そうだね・・・」

「ま・・しばらくは、タケシの店で時間潰すさ。馬鹿な話でもして」


直樹の車に乗り、あたしの家に向った。

もう体に馴染んだ角度のこの椅子に座ることも無い・・・

そう思ってレバーを上げ普通の角度に戻した。

次に座る人がすんなり自分の角度にできるように・・


家の前につき、

「それじゃ、また明日、会社で」

「あぁ。今日はありがとね」

「うん。プレゼント買う暇なかったけど、誕生日おめでと」

「ん。こっちもいままでありがと」


お互い笑顔で顔を見つめた。

その顔を見て、やっぱり素敵だなって思った。こんなに素敵だと思う人と

別れてまで行くのだから、絶対成功しなきゃと、また強く思った。


「直樹、一度だけキスしてくれる?」


ニッコリと微笑み、静かに髪を触りゆっくりと唇を重ねた。

軽いキスのつもりで言ったのに、いつものように舌を入れてくる

直樹のキスをそのまま受け止めた。

いつまでも終わらないキスに少しだけ体が熱くなった。


「んっ、、、直、、樹、、、もぅ、、いい」


自分から唇を離し体を後ろに引いた。

けれど、直樹は回していた腕に力を入れ引いた分以上の感覚を自分に近づけ

また唇が重なった。


「んっん〜、、、、やっ、、、もぅ、、、いいってば、、、、」


腕の中から逃げようとしたが、直樹の力は全然弱まらなかった。


やっと唇が開放されたが、そのまま直樹の胸にグッと顔をつけるように抱きしめられ、

突然の展開に心の中で(え?え?)と動揺していた。


「まゆ、、、、俺がもし「待っててもいいよ」って言ったらどうする?」

「えっ・・・」

「そしたらこの別れ話は無かったことになる?」


瞬間的に・・・自分の心の中の汚い所が見え隠れした。

失敗しても直樹がいてくれる。

自分の力が及ばなくても、あたしにはまだ逃げ道がある。

気がすむまで自分の力を試して、それがダメだったとしても・・・・


ここに戻ってくれば直樹がいてくれる。


「待てないって言ったじゃない・・・」

「あの時はそう言えば、、まゆは側にいるって思ってたけど、もう今はあの時と違うだろ」

「そうだけど、、、でも、、、そんなこと言われたら、、、」


「もう俺のこと嫌いになった?」


そんなことじゃない。

あたしが今、一瞬でも迷ったのは自分の将来が不安だったからだ。

直樹を心から愛しているとか、離れても好きとか、そんな純粋な気持ちじゃない。

ただ自分の為だけだ・・・


「嫌いな訳無いよ。今も昔も直樹は憧れの人には変わりないもの、、、でも、、」

「じゃあ、待ってるよ・・・。まゆのこと」


「違うの!今の気持ちのまま直樹の言葉に甘えると、、あたしきっとすぐに嫌なことから

逃げ出しちゃう。仕事で躓いたり、思うようにいかなかったり、、、そんなことあったら

すぐに直樹の所に帰りたいって思っちゃう。だから、、、待ってるなんて言わないで」


「そう思ったら俺の所に戻っておいで」


優しい笑顔と暖かい手に気持ちが大きく揺れていた。


「直樹・・・。ありがとう。でも、あたしやっぱりダメだよ。直樹のことは今も素敵な人だと思ってる。2年も一緒にいてガッカリしたことなんか一度も無いし、いつ目が合ってもドキドキした。

でも、今になって分かったの・・・あたし一度も心から直樹の彼女だって胸を張って思ったこと無いって。いつも嫌われないようにしよう・・・とか、邪魔にならないようにしようとか、そんなことばかり考えていたの。それって、、、なんか違うんじゃないかと思うんだ」


「うん。気がついてた・・・」


ポンッと軽く頭に手を乗せ、笑っている声が聞こえた。


「えっ、、そうなの?」


「うん。まゆはいつも遠慮していたからね。その証拠に俺達って喧嘩したこと無いだろ?」

「う、、、うん」


「俺はそれが寂しかったかな。本音を言ってくれていないなって。だから、今回のことでまゆが本気で泣きながら文句を言ってくれたのは、実は嬉しかったりもしたかな。やっとそんな姿を見せてくれたなってさ」



いや、、、今回泣きながら文句を言ったのは、そんなことじゃないんだけどなぁ・・・

複雑な顔をしたままジッと考えていた。


「俺も、初めてムキになっちゃったかな。まゆの前では格好いい大人の男でいようと思ったんだけどな。

あの祐子さんだっけ?あの人、俺苦手〜」


直樹の言葉につい「プッ、、」と笑ってしまった。


直樹が「苦手」とか言うのを初めて聞いたような気がする。そして、本当はあたしが遠慮していると気がついていたことも。


「まゆ、、、まだあっちに行くまで時間あるだろ?俺達のこともう一度考えてみないか」

「いや、、、でも」

「俺にわがまま言えって言ったのまゆだろ。なら遠慮無く言わせてもらうよ。

俺は別れるのやっぱり反対〜」



「反対〜って。さっきまで普通に「別れたんだ〜」ってタケシさんに言ってたじゃない!」

「タケシに抱きつく姿見て、「俺のまゆに触るな」ってムカッときた・・・

 アイツわざと腰の辺り触ってたし!だからやっぱり嫌なんだもん」


「嫌なんだもんて・・・」

「俺は遠距離でも我慢するって折れてんだよ?ならまゆも「分かった」って折れてもいいんじゃない?」


「ちょっと、、、考えさせて。じゃ、、今日はご馳走さま!」


直樹の押しに圧倒されて、このままじゃ首を縦に振らないと話が終われないような気がして、

早々に車を降り、直樹が帰るのを見送った。


直樹は結局、あたしのことを理解しているから、押せばなんとかなる事くらい分かっている。


少し腑に落ちない顔をしていたが、

(早く!早く!)と車が動くよう手でバタバタする姿を見て、

(はいはい・・・)という顔をして車をユックリ動かした。



それでもジッ・・・と見る視線に耐え切れず、そのまま車が走り去る前に

あたしは慌ててアパートの階段を駆け上がっていった。








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