チュートリアル終了?
あの後1時間(あくまで体感だが)とにかく思いつく限りのことをしてみたが錬金石はうんともすんとも言わなかった。
「…まぁまだこのゲームは始まったばかり。いわばチュートリアル中。きっとどこかでイベントが起きたときにでもヘルプに追加されるだろ。」
半ば自分に言い聞かせるようにそうつぶやくとメニューからマップを出す。
いまだに目覚めた場所から動いていないわけだがそのマップには大まかな地形と「ワグノワール」という大陸名が表示されている。そしてもう一つマップ上の北西部分に逆三角のアイコンがチカチカと点滅している。おそらくはそれが現在地点だろうとわかる。マップでは南側の大陸中央部に平野、大陸を東西に走る大きな山脈。そして現在地点を挟みその北にはいくつかの盆地に平野、そしてさらに北に行けば森林地帯があることがわかる。
「んー。街は乗ってないのか…」
期待していたわけではないが、こういう場合は近くに始まりの街があるのがセオリーだが、残念ながら街は一つたりとも地図上には描かれていない。あるいは適当に歩けばイベントでも起きるのか…。とは言え地形はわかるのだから予想はいくらでも立てられる。
「あるけるのか…?わかないけどこれ行くしかないよなぁ…」
なにしろ引きこもり状態だったので運動なんてほとんどしていないしなw
…いや笑いどころじゃないか。
その上武器の問題も結局解決していない。辺りを見渡してとりあえず多少は先の鋭い木の棒と、投げやすそうな石を数個拾ってはおいたものの果たしてこれに意味があるのか…。まぁないよりはマシ程度だろうか。
やれやれとゲーム評価がわずかに下がったところで荷物をまとめると重い腰を上げた。
目指すは北東。マップ上だとそこだけ四角く明らかに人の手で整地されたような跡がある。街かどうかはわからないが正直それ以外に期待が持てそうな地形が近くにない。もし仮に街でないにしても人工物であれば人がいる可能性も高い。正直な気持ちを言えば近場の洞窟やこの森林を探索したいところだが、死亡した場合のペナルティやリスポーンポイントがわからない以上下手な行動はとれないしな。
…いったいどれだけ歩いただろうか。周囲はところどころ背の高い草が生えているものの周囲が見渡せないほどではないが、どれほど歩こうと景色はさほど変わらないのでマップで確認しないと同じとこをぐるぐる様にすら思える。頭上の太陽はさほど動いていないようにも見えるし、気持ち傾いてきたようにも見える。
「最近出歩いたのなんて近くのコンビニに買い物に行くときぐらいだしな…」
日ごろの運動不足がこんなところで響いてくるとは思っていなかった…。こんなことなら少しは運動しとくんだった。
そう愚痴っていたせいか、あるいはゲームの評価を下げれやろうと考えていたせいか、ともかく自分が最初の危険にさらされていることに気が付くのに遅れてしまった。
…ガサッ
「そもそもなんでゲーム内で歩いて疲れなきゃいけないんだよ…」
ガサガサッ…
「イベントが起きるにしても最初のポイントの近くに設定しとけよなー…」
ゲギャ。
「そもそm…ゲギャ?」
周囲の木陰から「それ」が飛び込んできたのは一瞬だ。とっさにしゃがんでしまったのはただのまぐれか、意識しての回避なのか、恐怖からのしりもちなのか。本人さえ無意識のそれは奇跡的に匠の命を救うことになった。
直前まで匠の頭があったそこを何かが右から左へ何かが通過していった。そしてそれはすぐわきにある木に突き刺さっていた。
ビィィィィンと音を立ててわずかに揺れるそれは「矢」だ。
…は?と思わず固まる。矢?なんで?とも。
匠が頭上に大量の?が出たまま固まっているとすぐそばの草むらから何かが出てきた。
がさがさと茂みを揺らしながら。先ほど聞いたゲギャという鳴き声を出しながら。
突然の矢に呆けていた匠もはっと我に返ると起き上がろうとして思わずまたしても途中で動きを止めてしまった。
それは小さかった。身長は1mもない精々80cm程度。だが横幅は成人男性のそれと大差ない。そのせいでかなりずんぐりむっくりしている。左手に弓を持ち腰にはぼろ雑巾のような茶色い腰巻をし、口は大きく牙のようなものまで見える。そして何より目を引くのはその緑色の肌。
「…ゴブリン?」
目の前に現れたその小人を知らないRPGゲーマーはそうはいないだろう。事実匠自身も危険が迫っているにもかかわらず思わず見入ってしまったほどだ。
あのRPGの雑魚キャラ代表とでもいうべきゴブリンが目の前にいる。いつもゲームの画面の向こうにいる存在が今まさに目の前にいるのだ。匠が思わずおぉーと小さくではあるが声を出してしまってもそれは仕方がないというものだ。
ゴブリンを見て思わず動きを止めてしまった匠を見てゴブリンは何を思ったのだろうか。ゲギャと先ほどきこえた鳴き声のような声を出して地面を2度3度と踏み鳴らした。
その声と周囲から聞こえる同じ鳴き声、そしてがさがさと現れる別のゴブリンを見てようやく匠は自身が囲まれていることに気が付いた。
草影や茂みから現れてきたゴブリンは4体。最初の1体も入れると合計で5体になる。ゴブリンは先ほどの矢が刺さった木を背にする匠を半円状に包囲する位置取りをしていた。
…あっれー…これもしかしてやばいんじゃない?
ここにきてようやく自分がピンチであることに気が付いた。木を背にそろそろと立ち上がり周囲を囲うゴブリンたちを注意深く観察する。今目の前の正面にいるのが今木に刺さってる矢を撃ってきたと思われる最初のゴブリン。そのゴブリンの左右に2体ずつそれぞれナイフと棍棒のような物を装備している。体型はほぼ似たような感じだ。
手の中にある木の棒が、ひとまず武器はこれでいいかと拾ったそれが、ここにきて全く頼りにならない気がしてきた。ゴブリンたちは一様の装備をしているがこちらは木の棒。
「…装備の差がひどすぎる。」
決してゴブリンの装備がいいわけではない。こちらの装備が悪すぎるだけだ。…いやマジでどうすんのこれ?
やばいやばいと頭を悩ますうちにどうやらゴブリン達は匠を襲撃する準備を整えていたようだ。目の前のゴブリンは背中にあった矢筒から新しい矢を取り出しそれを匠にむけてギリリと構えた。それに合わせて左右のゴブリンが得物を構えると腰を落として狩りに備える。
逃げるか?と頭をよぎるかそれはもう無理な段階になりつつある。周囲には今にもとびかかりそうな4体のゴブリンと目の前にはすでに矢を構えているゴブリン。もはや逃亡は無理な段階に来ていた。
心臓の鼓動が自分でもわかるぐらい早くなっている。普通に考えて矢なんてとてもじゃないが避けられるものじゃない。そもそも最初の一矢だってどうしてよけられたのかすら分かっていないのだ。万が一に避けられたとしても次に待っているのは他の4体のゴブリンによる突撃だ。相手はナイフに棍棒を装備しているのに対してこちらはただの木の棒だ。残念ながら剣の達人でもなければどうしようもないだろう。そして当然だが匠は剣の達人なんかではない。ただのネトゲーマーだ。
…ネトゲ?
ふと周囲と自分の状況を確認する。相手は5、自分は1。装備は相手が遠距離1近距離4。こちらは木の棒と石ころだけでほぼ武器なし。フィールドは森。周囲は草木で遮蔽・隠蔽共にある程度可能。
そうだよ。これゲームだった。
あまりにリアルなVRなせいで忘れかけていたがこれは「ゲーム」なのだ。そして思い出す。これと似た状況のゲームがあることを。
サバイバル系FPSにこんなのあったなー…。
目の前でゴブリンが弓を引き絞る。
キャラのステータスはおそらく相手の方が高い…。おまけに初期装備、数においても差がある。…糞ゲー確定コースだな。
だけどまぁやれないことはない…はず。この手の理不尽なバランスのゲームは最初の理不尽な方が意外と楽しかったりするものだしなー。
そう考えると今の状況が一気に楽しいものに見えてくる。なぜなら知ってるのだ。この手のゲームの攻略法は大体一緒だと。まぁ相手が5ってのはわりかし無理げな気もするけどなと思わず苦笑してしまったが。
攻略法が分かればさっさとその作業をするだけだ。これはゲームだ。その事が匠を冷静にさせた。
ゴブリンの矢が放たれる数瞬前に匠は動き始めた。ゴブリンは目の前。矢の飛んでくる向きは分かりきっているのでまずはそれを回避する。遮蔽物はすぐ背中にあるからそれに隠れるだけでいい。
正直なところ矢が飛んできたかどうかなんて見えない。だけど聞こえるものはある。
トスッ。
木に矢が刺さる音だ。
5体の中で一番危険なのは唯一の遠距離攻撃の弓持ちのゴブリンだ。残りの矢の本数がいくつかは分からないがどちらにしても放っては置けない。
チラリと木の陰からゴブリンの様子を確認すると案の定弓を装備していた1体以外がゲギャゲギャとあの鳴き声を出しながらこちらへ突撃してくる。が、はっきり言ってそこまで速いわけではない。まぁ身長に比例して足も短いわけで。
その姿を確認してからすぐ近くのしげみに飛び込む。飛び込んだ拍子に枝葉が皮膚に突き刺さりチクチクとくすぐったいような痛みを伝えてくる。だがそんなことを気にかけている余裕もない。すぐさまポケットから石ころを数個取り出すとさらに奥のしげみにそれを投げ込んだ。
ガサガサガサ。
石ころを投げ込まれたしげみは音を立てて揺れる。まるで人が1人そこに隠れたかのように。
…やっぱ装備格差ひどいよなぁ。と手の中にある木の棒を見る。ナイフや棍棒で装備したゴブリン達はそれを見てか、そのしげみへと我先に殺到していく。それに続いて新たに矢を構えたゴブリンも近づいてくる。
やっぱサバイバルナイフは必須だな。と一人納得したところで息を整える。先にしげみに飛び込んでいった4体のゴブリンはまだしげみの中だ。匠の隠れているしげみのすぐ横を矢を構えたゴブリンが先を警戒した様子でゆっくりとした足取りで進んでいく。
決着は一瞬だった。手順も手段も知っている。何度も経験してきた。画面の前で数えきれないほどやってきたことを自分自身の体で行うだけだ。
しげみから飛び出すと片手を伸ばしてゴブリンの視界を奪う様に覆う。そしてゴブリンが暴れだす前に背後に回り込むと逆手に握りしめた木の棒を勢いよくゴブリンの首に突き立てた。
普通ならそれは無理かもしれないソレを匠は可能にしてしまう。
なぜならそれは彼が重度のFPSプレイヤーだから
なぜならそれは彼が今いるのはゲームの世界だから
なぜならそれは彼がネトゲ廃人だから…
<試験の完了を確認しました。ステータスの適応を開始します>
どこからともなく聞こえてきたのはそんな電子音声だった