第6話 「理由」
【前回のアンクロ】
馬車に揺られてメアリム邸にやって来た一馬。メアリム老人は彼にこの世界のことについて語る。
一馬は、自分がこの世界に呼ばれた理由はなにか、知る事ができるのか。
「さて、話を戻そうかの。ワシがどのようにしてお主を知ったか、何故ここに連れてきたか……じゃったな」
ベアトリクスさんがティーセットを片付けて部屋を出たあと、メアリム老人は髭を撫でながら言った。
……そうだった。ニンファの家政婦で吹っ飛ぶところだった。俺がこの世界に来て疑問に思っていることのひとつが、目の前の大賢者の事だ。
「ええ。メアリム様は私が異世界人だと何故分かったんですか? その前に、メアリム様は異世界人というものを信じておられるんですか?」
「ふむ。お主はどうだ?」
「私は……実際に異世界に来るまでは信じていませんでした。『異世界からの迷い人』なんて、神話や物語、若者向けの空想小説の中の話に過ぎないと」
「成る程のう」
メアリム老人はそう言って頷くと、上体を起こして身を乗り出した。
「この世界において、異界からの来訪者ーーつまり異世界人は、『神の御使い』や『預言者』と呼ばれ、世間では神話や伝説のみの存在として認識されておる。だが、魔法学会では実在が公然の秘密となっておるのじゃ。『マナの申し子』、そう呼ばれてな……ワシ自身、異世界人と関わるのはお主で2人目じゃよ」
『神の御使い』とか『預言者』とか、随分大層な呼び名だ。なんかろくでもない臭いがする。でも、学会では公然の秘密になってるって……なんか似たようなニュアンスの話があったな。
そう、宇宙人。
世間一般ではお伽噺やオカルトの存在でしかないとされているが、実はアメリカ軍部ではその存在が知られていて、実際に宇宙人から技術提供を受けているとかいないとか。
要するに、こちらの人々にとって異世界人は宇宙人と同じ扱いか……って、ご老人、さっきさらりと凄いこと言いましたね? 異世界人は俺で2人目?
「その、最初の異世界人と出会われたのはいつですか?」
「丁度5年前じゃな。お主と同じ黒髪に黒い瞳をした、若い男じゃった」
メアリム老人はそう言って懐かしそうに目を細めた。
まさか同じ日本人か? 5年前……結構最近だな。この世界ではそんな頻繁に異世界人が来てるのか。
「その人は今何処に?」
「さあな。1年をワシの元で過ごした後、『僕の世界の知識を使って、この世界で成り上がる』とか抜かして旅立っていったわ。生きとるか死んどるかも分からぬ」
でた。現代日本の知識を使って異世界で成り上がる、だ? どこのラノベだよ。本気でそんなおめでたいこと考えるやつが居るんだな。
もし、彼がまだ生きていて、会う機会があれば上手く成り上がれたか聞いてみたいものだ。
「ところで、メアリム様は私があの場所にいるとご存じだったのですか? 来られる時期が絶妙でしたよね?」
そう。思えば、メアリム老人が俺の身元引受人を申し出たのは俺がこの世界に来たその日だった。
前もって俺が来るのを知っていなければあのタイミングは有り得ないと思う。
俺の疑問に、メアリム老人は意味ありげな笑みを浮かべた。
「ふむ……前に、『命あるものの役割』について話をしたが、覚えておるか」
「『この世に産まれた命には、全て何らかの果たすべき役割がある』でしたよね?」
「そうじゃ。ワシはな、命あるものに課せられた役割……定めとも言おうかの。その一端を視る事ができる。自らのを含めてな。そしてワシはお主の来訪と、お主に道を示すワシの役割を知った。だから、あの場にお主を迎いに行き、こうしてお主と話をしておる。しかしまさか、皇女殿下の湯殿に飛び込み、殿下の裸を覗いて捕まっておるとは知らなんだがのぅ」
呵呵と笑うメアリム老人。違うっ! それは誤解だ。別に彼女の裸を覗いた訳じゃない。
しかし、それが本当なら、人の役割……その人が何をなすべきかを、この老人は見ることができるって事か。
「メアリム様が人の定めを見通せるなら、私が何の定めを持ってこの世界に呼ばれたのか、視えるのですか?」
「いや。ワシとて全てを見通す力はない。まして、お主のようにこの世界の人間ではない異世界人の定めは見えぬ」
「そう、ですか……大賢者様でも、私がこの世界に呼ばれた理由をご存じないんですね」
厳しい表情でそう告げるメアリム老人に、俺は肩を落とした。期待していた訳じゃないが、やっぱり落胆してしまう。
「まあ、そういうな。異世界人の来訪についてはわからぬことも多い……5年前のように人の手による召喚ならいざ知らず、法則性の有無など謎が多いのじゃ」
俺はふと、老人の言葉に引っ掛かるものを覚えた。
「……5年前って、メアリム様が最初の異世界人と会ったっていう?」
「うむ。あの時、ある魔術師の一団が禁忌を犯して時空に穴を穿ち、異世界人を召喚した。じゃが、人が神の領域を犯した代償は大きく、魔術師の一団はすべて消滅し、時空を歪めた余波により大地は激しく揺れて裂け、北の地方では海が川を遡り、多くの町や村が沈んだ。逃げ惑う住民もろともな」
5年前、地震、川を遡り全てを呑み込む大津波、逃げ惑う人々、燃える街……同じ光景を、その日俺はテレビで何度も見た。あれと同じことが、この世界でも起こったって事か。
俺の先輩はあの日、強引にこの世界に引き込まれたんだな。それで知識チートで成り上がりを目指すっていうんだから、なかなか胆の据わった人だ。
まあ、それは置いておいて。
「そいつらは何故そんなことを」
「さあな。連中は皆跡形もなく消えてしもうたから、今となっては何がしたかったのか……非合法の地下組織らしく資料やら何やら全て処分しておったしの。ま、大方、異世界人が持つマナへの影響力を己のものとするつもりだったのじゃろう」
「マナへの影響力……?」
俺の呟きに、メアリム老人はゆっくり頷いた。
「マナとはこの世に生きとし生けるものの力の源。世界の摂理。ワシら魔法学者はこのマナを研究し、世界の真理を探求しておる。異世界人が『マナの申し子』と呼ばれるのは、彼等がマナに対して強い影響力を持っておるからじゃ……その力は、この世界の摂理に影響を与える可能性すら秘めておる……かもしれん」
それって、けっこうヤバイ存在なんじゃ……? 世界の摂理に影響を与えるって、世の中の有り様を変えるって事だよな?
……そりゃ、チートどころじゃないぞ。まさか、俺にそんな力が有るって言うんじゃないだろうな。まさか……な。
「ま、これはあくまでも仮説じゃ。『異世界人のマナへの影響力とその可能性について』の研究は未だ机上の空論の域を出ておらぬ。なにせ、マナへの影響力は個人差が激しい上、異世界人自体が滅多におらぬからの」
応接間の重い空気を振り払うように、メアリム老人は笑って言った。
「どちらにしろ、異世界人はマナを操る力の強さゆえ、『神の御使い』などと崇拝される反面、先の召喚事故のように災厄と共に現れる存在として世に語り継がれてもおる。人々の中には異世界人を『滅びをもたらす者』と畏れる者も多い。お主も異世界人であることは隠すべきじゃな」
成程……不条理な話だけどその通りだ。実際、中近世のヨーロッパで『魔女狩り』が横行したのは、迷信から来る民衆の集団ヒステリーが原因だって言うし。
でも、俺は何故この世界に呼ばれたのだろうか。結局なにも分からず仕舞いか。
「カズマよ」
俯く俺に、メアリム老人が優しく声をかける。
「この世に偶然は存在せぬ。一見偶然にみえる事象も、必ず必然の上に成り立っておる。そして、この世に生きる全ての命には等しく役割が割り当てられておる。『不要な命』など存在しないのじゃ。お主がこの世界に呼ばれたのも、この世界がお主を必要としたからじゃ。その意味はいずれ明らかになろう。焦らずともよい」
この世に偶然というものはない、か。どこかで聞いたな……どこだったか。
「取り合えず、しばらくはワシの屋敷に滞在するとよい。これからの身の振り方を考えるにしても雨露をしのぐ場所は必要じゃろう」
「ありがとうございます。メアリム様」
俺は老人に深く頭を下げた。雨露をしのげて、腰を落ち着ける場所がある事のありがたみは、会社をクビになって社員寮を放り出された時に身に染みている。
『世界が課した自分の役目』だと老人は言うが、きっと口には出さない何か別の思惑があるのだろう。でも、老人から悪意は感じないし、ベアトリクスさんやクリフトさんは好い人みたいだ。
……身一つで言葉の通じない異界に放り出された俺には他に選択肢が無いというのもあるが、ここはメアリム老人の言葉に甘えよう。
「クリフト」
「失礼いたします。お呼びですか? 旦那様」
メアリム老人が名を呼ぶと、すぐにクリフトさんがドアを開けて応接間に入ってきた。
……ずっとドアの外で控えていたんだろうか。
「客人……カズマの服を用意してやれ。それと、2階の空き部屋を使わせる事にした」
「御意」
クリフトさんが一礼して応接間を出たあと、俺は遠慮がちにメアリム老人に問うた。
「できれば、風呂を借りたいんですが……汗や土埃で気持ち悪くて」
「風呂か? 湯を沸かすのは手間がかかるし、薪にもそこまで余裕はない。難しいの。どうしてもというなら、庭の水場で行水でもするがよい」
やっぱそうか。蛇口捻ればお湯が出るような世界じゃないから、お風呂は難しいかなとは思ったけど。ま、贅沢は言えないか。水浴びでもいいから早く垢を落としたい。
メアリム邸の水場は屋敷の裏、水車小屋の前にあった。井戸から水を汲み上げるのは、釣瓶ではなく手押しポンプ。
懐かしいな……現役の手押しポンプは祖父母の家の庭で見て以来だ。
俺は大きく伸びをすると、深呼吸をした。
空は抜けるように青く、白い雲がゆっくり流れている。屋敷を囲む雑木林がそよ風に揺られてざわめき、鳥の声が聞こえた。季節は春だろうか……風が気持ちいい。
都会を行き交う雑踏、ビルに囲まれた四角い空、車の騒音、くすんだ空気、アスファルトの茹だるような熱気。ここにはそんなものが一切無い。
……さて。
俺は汚れの一張羅を手早く脱いで全裸になると、水場にあった木のバケツに水を汲んだ。これは冷たそうだ。
「カズマさま」
「うふぇっ?!」
背後から突然声をかけられ、ビックリして変な声が出てしまった。慌てて振り向くと、そこにはベアトリクスさんがタオルと服と靴、そしてタワシのようなものを入れた籠を手に微笑んでいた。
艶やかな栗色の髪が、春のそよ風に揺れている。
って、見蕩れている場合か。俺全裸だし、どうしよう。
「服と靴は以前居られた方の物ですが、よろしければお使いください。今の御召し物は洗濯しておきますから」
「あ、ありがとう……ございます」
俺はベアトリクスさんに背を向けたまま首だけ振り向いて頭を下げた。
俺が裸なのは気にならないのかな? こんな綺麗な人に見られたら緊張してしまうじゃないか。
「ではカズマさま、お背中を流しますね」
ベアトリクスさんは籠を地面に置くと、ワンピースの袖を捲りながら、ニッコリ笑ってそう言った。
……へ? 背中を流すって、マジですか。
俺、この世界に来て良かったかもしれません。