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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第1幕 カズマと大賢者の弟子
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第5話 「賢者」

【前回のアンクロ】


大賢者メアリムにより牢獄から釈放された一馬。老人の目的、この場所のこと……色々な事を知ろうと老人に問う彼を、メアリムは「見ればわかる」と導く。


やがて一馬の目の前に現れる巨大な城と、狼人ハウドの執事。メアリムは告げる。「お前は異世界人じゃ」と……

 不意に車体が大きく跳ねる。石か何かに乗り上げたか。馬車にしがみついていなければ放り出されるところだった。


 俺はメアリム老人と共にクリフトさんが準備した馬車に乗って、帝都の外れにあるという老人の屋敷に向かっている。


 色々聞きたいことや確かめたいことがあったが、老人から『まずは屋敷に帰って落ち着く。話はそれからじゃ』と言われたのだ。


 気持ちは焦るが、メアリム老人の言うことも分かる。


 クリフトさんが操る軽馬車(バギー)は、馬蹄と車輪の音を軽快に響かせて帝都の街並みを走っていた。


 往来は人も馬車も一緒の道を通っていて、結構危なっかしい。一応馬車が優先のようだが、それもただ単に人が馬車を避けながら歩いているだけのように見える。


 『車は左、人は右』のような交通ルールは、この世界には存在しないのだろう。


 それにしても、馬車から見るだけでもいろんな人がいる。黒い詰め襟の制服を着た軍人や色鮮やかな服を着た婦人がちらほら見えるが、殆どは地味な服を着た人々だ。


 朝方だからか、通りには市場が開かれていた。色とりどりの野菜や果物を並べる店、魚を売る店、店頭で鶏を捌いて売る店……テレビの旅番組で見掛ける風景がそこにあった。


 違和感があるとすれば、豊かな髭を蓄えた赤ら顔の小柄でゴツい男性が大きな金槌を振るって剣を打っていたり、逞しい狼人ハウドの男性が猪に似た獣を肩に担いで歩いている位か。


 そして、通りに連なる建物の屋根の向こうには白亜のヴェスト城。まさにハイ=ファンタジーの世界だ。


 本当に来ちまったなぁ……異世界。


 「……しかし、酷い道ですね」


 「酷いものか。この通りは帝都でも整備が行き届いておる方じゃ。これくらいで音を上げていては一本奥の通りなど歩くこともできぬわ」


 ぼやく俺に、メアリム老人は杖に寄り掛かりながら苦笑いを浮かべた。


 そうは言っても不揃いな石畳のでこぼこ道を馬が駆け足で走っているのだから、軽馬車バギーが上下左右によく揺れる。


 平坦なアスファルトの舗装道路に慣れた身としては、この揺れが結構キツイ。油断すると吐きそうだ。乗り物には強い方だと思ってたんだが……馬車ってこんなに揺れたっけか?


 「でも、研究中の転移魔法が実用化されれば移動も楽になるのでは?」


 「何をいっておる。そんな事なぞできるわけなかろう」


 俺の何気ない言葉に、メアリム老人は呆れたような顔をして言った。


 さっきの自分の言葉を即全否定ですか。


 「え? でも、ロベルトって人の前で……」


 「あれは『でまかせ』じゃ。いくら大賢者と呼ばれるワシでも、世界の法則を無視して物体を瞬間移動させるなど無理じゃよ」


 「いいんですか? そんなでまかせ言って」


 ジト目で睨む俺に、メアリム老人は呵呵かかと笑って言った。


 「でまかせは言ったが嘘は言っておらぬ。転移魔法が研究されたことは事実じゃからな。研究の末に『不可能』という結論が出て終わったがの」


 ……なんという屁理屈。お陰で助かったのだから何も言えないが、そりゃ世が世ならネットで即日検証されて大炎上するくらいの暴論ですよ? ご老人。


 人通りが少なくなり、周りの建物も平屋が目立ち始めた。どうやら市街地を抜けたようだ。メアリム邸があるのは、シュテルハイムの北東、大河ラーヌに通じる運河の畔だという。


 言われても、地理がわからないからさっぱりだ。でも、大賢者の邸宅というから結構なお屋敷なんだろうな……なんて想像していたのだが。


 「着いたぞ。ここがワシの屋敷じゃ」


 メアリム老人が指差した先にあったのは、絵画の中から抜け出たような、牧歌的な雰囲気の家だった。


 藁葺きの2階屋で、雑木林を背に柵に囲まれた敷地はかなり広く、運河を利用した水車小屋や厩舎らしき建物が見える。小さいながら菜園もあるようだ。


 「大賢者の屋敷って、立派な搭とか、出城みたいな屋敷を想像していましたよ」


 「そんな堅苦しいのは研究所や仕事場で充分じゃ。住む場所にまで見栄を張ってどうする」


 俺の冗談に、老人は憮然と鼻を鳴らした。


 「お帰りなさいませ。お早いお着きですね」


 老人が馬車を降りたとき、屋敷の玄関が開いて一人の女性が出迎えに現れた。


 萌黄色を基調にしたロングのワンピースと肩の部分にフリルをあしらったピナフォア(エプロンドレス)を身に付けた、腰まで伸びた栗色の髪と切れ長の深い緑の瞳が印象的な美人だ。


 だが、一番目を引くのは栗色の髪から覗く、長く尖った耳ーー世間一般に言うところの『エルフ耳』。まさかと思うが、エルフの家政婦か。


 ご老人、ずいぶんいい趣味をしているな。


 「うむ。客人がおる。茶の準備をしてくれ」


 メアリム老人が俺を杖で指すと、女性は俺の方をちらと見て、一瞬形の良い眉を顰める。だが、すぐに『承知しました』微笑みを浮かべた。


 なんだ? いやらしい目付きはしてなかったと思うが……多分。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「さて……漸く落ち着いたわ。まあ、掛けよ。そなたも色々あって疲れたであろう」


 館の一室。よく使い込まれた品のいいテーブルやソファが並ぶ明るい雰囲気の応接間で、メアリム老人は俺に座るように勧めながら奥に据えられた安楽椅子に腰を下ろした。


 勧められるままにソファに腰を下ろした俺は、どうしても気になったことを聞いてみる。


 「メアリム様、なんでさっきの女性は私を睨んだんですか? また失礼な態度をしてしまったんでしょうか」


 「ん? ああ、ベアトリクスな。あれはなかなか綺麗好きじゃからな。お主が汚れた格好をしておるから気になったのじゃろ」


 汚れた格好……言われて改めて自分の姿を見る。


 着っぱなしのワイシャツやスラックスはシワだらけで、あちこち土で汚れている……牢獄の床に寝転がったからだろう。おまけにスラックスは右膝から先が破られて布が解れている。


 お世辞にも綺麗とは言えないな。こんな格好の男が客としてきたら、そりゃ嫌な顔するか……


 「ま、服はクリフトに新しく用意させる。その服装はこの世界では目立つからの」


 「ありがとうございます……あの、宜しいでしょうか」


 老人は俺の顔を見て頷いた。


 聞きたいことや確かめたいことが沢山ある。ありすぎて頭から溢れ出してしまいそうだ。俺は深呼吸をして気を落ち着かせると、ゆっくりと口を開いた。


 「メアリム様、なぜメアリム様は縁もゆかりもない私にここまで良くしてくださるのですか? なぜ私が異世界人で、あの日あの場所に現れると分かったのですか? そもそもなぜ私がここに呼ばれたんです? 何のために……!」


 一気に吐き出すような俺の問いかけを、老人は安楽椅子を揺らしながら顎髭を撫で、黙って聞いていた。


 「それに……何で俺にはここの人たちの言葉が分かるのか。何であなたには俺の言葉が通じるんです?」


 「ワシも全てが分かるわけではない。じゃが、答えられるものには答えよう」


 メアリム老人はそう言うと安楽椅子から立ち上がり、俺の向かいのソファに腰を下ろした。


 「先ずは言葉じゃ。カズマよ、お主は言葉とはなんだと思う?」


 「言葉……ですか」


 そんなこと、考えたこともないな……


 「言葉は、自分の意思を相手に伝える手段、ですよね?」


 「うむ。もっと細かく言えば、その者の意思を特定の発音や調子に変換して発せられる『音』じゃ。受け手はその音を耳で聞き、頭の中で変換して意味を理解する。そこには発し手と受け手との間に共通の変換表の様なものが必要じゃ。この世界では大陸公用語がそれじゃな」


 「……成る程?」


 なんだか大学の講義を受けてるみたいだな。でも、それで日本語がこの世界で通用しないことは説明できるが……


 「では、メアリム様は俺の言葉……日本語が理解できるのですか?」


 「いや? お主の言葉は全くわからん。お主もワシの言葉、大陸公用語は理解できぬ筈じゃ」


 なんだ。分かってないんじゃないか。じゃあ、なぜお互いに意思の疎通が出きるんだ?


 「言葉の元になっておる音は、波じゃ。口から発せられた波が大気のマナを震わせて相手の耳に届く。つまり、その音には発し手の意志が込められておる。ワシらは言葉ではなく、大気のマナから直接音に乗せられた相手の意思を感じておるのじゃ」


 大気のマナ? 直接意思を感じる? なんだか一気にオカルトになってきたな。


 「勿論、これができる人間はそうそう居らぬ。ワシのように長年マナを研究し自在に操るまで習熟したものか、先天的にマナの感受性が高い森妖精ニンファ、そして『マナの申し子』とも言われる異世界人くらいじゃな……要するに特別なんじゃよ」


 つまるところ、普通の人間はマナから意思を感じることができないから、話をしようと思えば大陸公用語を話せなきゃダメって事か。


 そもそもマナって、何だろう。ゲームやライトノベル、アニメでよく聞くのと同じだろうか。魔法を使ったり、超能力を発揮したりする為の力の源みたいなやつだ。


 元々はポリネシアとか太平洋の島々で、神様の神秘の力を表す言葉だってネットで見たことがある。


 さっき、爺さんは異世界人の事を『マナの申し子』と言ったが……どういう事だろうか?


 「で、じゃ。ワシがどうやってお主を知ったか……なぜお主をあそこから救ったかじゃがな」


 老人はソファに身を沈めて声を落とした。


 「失礼致します。お茶をお持ちしました」


 その時、応接間の扉がノックされてエルフの家政婦ーーベアトリクスさんがカートを押して入ってくる。


 彼女は手慣れた仕種で琥珀色のお茶をティーカップに注ぐと、俺の前とメアリム老人の前に並べた。


 この香り……紅茶かな? そういえば昨日から一滴も水を飲んでいない。


 「いただきます」


 俺はカップを手に取ると、紅茶に口をつけた。口のなかに広がる程好い渋味と仄かな甘味。元の世界でいえばアッサムかな? 紅茶にはそこまで詳しくないが、とても美味しい。


 「美味しいです。とても……」


 「ありがとうございます。異界の方のお口に合ってよかった」


 そういって微笑むベアトリクスさん。ん? 言葉が通じるのか? しかも異世界人って。


 「ベアトリクスは森妖精ニンファとヒトの混血ハーフじゃ。しかしベアトよ、盗み聞きはいかんな?」


 「申し訳ございません」


 苦笑いを浮かべるメアリム老人に、ベアトリクスさんは優雅に頭を下げた。


 エルフはこの世界ではニンファと言うのか。しかもニンファの家政婦じゃなくてハーフニンファの家政婦なんだ。


 ……やっぱりいい趣味してるな、爺さん。


 いや、感心するのはそこじゃないか。何だろう、この世界に少し希望が見えた気がする。


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