第53話 「灰銀の嵐~征野血花~」
【前回のアンクロ】
銀狼団と護衛隊との戦いは、護衛隊ソレン子爵の部隊の奮戦により一方的に狼人側が蹂躙され、ほぼ大勢が決したかに見えた。
功績を焦るライトマイヤー伯爵はソレンの功績を奪うため本隊を動かし残敵の掃討を開始する。
しかし、誰もまだ気付いてはいない。戦場には銀狼、ゲルルフ=バルツァーの姿が無いことに。
樫の下通りとライン通りを結ぶ路地は暗闇と静寂に満ちていた。
「しかし、華の帝都もここまで静かだと、不気味だな……」
ランプをかざして周囲を照らしながら、栗色の兵士が不安げに呟いた。
建物に区切られた四角い星空は光も弱く、携帯用のランプの灯火では心許ない。
いつもなら、この時間でも街は人通りに溢れ、パブの店先にはランプが灯っているのだ。細い路地にも少なからず人通りと灯りはある。
しかし、今日は猫の子一匹歩いていない。通り沿いの酒場や商店も扉を閉ざしてひっそりとしていた。
狼人の暴徒が西門を突破して市街地に攻め込み、それを迎え撃つために護衛隊が出陣したことを知った市民は、巻き添えを避けるため戦場から離れた場所に避難したり、家に籠って木戸を固く閉ざし、息を潜めてやり過ごそうとしているのだ。
「なんだ? 怖いのか? ジョン。お前が毎晩通ってるパブ通りだろうが」
すぐ隣を抜き身のレイピアを下げて歩く兵士がジョンをからかう。ジョンは憮然と兵士を睨み付けて口を尖らせた。
「毎晩じゃねぇよ。それに俺の贔屓はこんな裏通りじゃない……この前一緒に行ったじゃないか、ヨゼフ」
「ああ、あの給仕の女の子が可愛い店な。この仕事が済んだら連れてけよ。お前の奢りで」
「……なんだよ、何で俺がお前に奢んなきゃならねぇんだ」
「この戦で儲けるんだろ? 野良犬の首一つで100ターラーなんて、ちょっとした稼ぎだ。5匹も殺せば俺に奢っても釣りがでる」
ヨゼフはそう言って黄色い歯を見せて笑う。
獅子月の31日、夜の21刻過ぎ。
先のソレン隊の猛攻によって壊走した狼人の叛徒を殲滅するため、護衛隊討伐隊司令官ライトマイヤー伯爵は本隊を二手に分ける。
その際、ライトマイヤー伯は老若男女問わず狼人の首一つにつき、分隊あたり100ターラーを与えると触れを出した。
兵の士気を高め、狼人を徹底的に殺し尽くす事を狙ったものだったが、この事は分隊間の競争と独断専行を許し、連係を著しく欠くことになる。
「お前ら、無駄口叩くな。ぼさっとしてると、他の分隊の連中に全部狩られちまうぞ」
「はいっ! すいません」
後ろから二人をどやしつける分隊長を一瞥し、ヨゼフは小さく舌打ちをした。
「ちっ! 分隊長め、金が絡むからって殺気立って……こう言うのはさ……ん?」
「……? どうした」
ふと何かに気付いたように足を止めたヨゼフ。ジョンは何気なく彼を振り向いた。
と、突然顔に何かがかかる。
「うへっ! 何だよ……って」
慌てて顔を拭い、ランプで手を照らしたジョンは絶句した。
鉄の臭いがする赤い液体が拭った手の甲にベットリと付いている。
慌てて同僚のいた場所にランプを向けたジョンは声にならない悲鳴をあげた。
揺れる灯火に照らされたのは、首を半ばまで斬られ、目を見開いたまま血塗れで倒れるヨゼフ。
「敵……?! 分隊長! よ、ヨゼフが」
しかし、後ろを警戒している筈の分隊長の姿がない。あるのは闇の中で不気味に光る一対の瞳。
しかも一つではない。闇の中、ジョンはいつの間にか4対の瞳に囲まれていた。
灯火にぼんやり浮かび上がる屈強な狼人。その手には赤く濡れた両刃斧が握られている。
「……嘘だろ?」
力なく呟いたジョンは、狼人が斧を振り上げるのを、ただ呆然と見詰めた……
……
……
……
……
それは壮絶な光景だった。
歩兵隊の突撃によって浮き足だった狼人の叛徒を、ソレン子爵自らが率いる騎兵100騎が突貫。
ソレン隊に背を向けて逃走する狼人達は、大通を濁流のように駆け抜ける100の馬蹄とサーベルによって踏み砕かれ、切り裂かれた。
狼人の群れを貫いた騎馬隊は速度を落としながら馬首を返す。
「損害は!」
「5騎です!」
部下の答えにソレンは大きく頷くと、サーベルを掲げて号令を掛けた。
「再突撃を掛ける! 隊を整えよ! トドメを刺すぞ!」
「はっ!」
部下が号令に応えた、その時。
鋭い風切りの音が夜の闇を疾り、馬上の兵士がくぐもった呻きをあげて地に落ちる。
「……!」
ソレンがその音にハッと振り向いた直後、立て続けに音が風を切り、さらに3人の兵が倒れた。
「矢だと!? ちっ! 蛮族め……何処からだ!?」
舌打ちして吐き捨てるソレン。だが、彼は判断を迷わなかった。
「留まるなっ! 止まれば騎兵はただの的だ! このまま駆け、部隊に合流する!」
鉄砲と違い、弓矢は放つ時に大きな音や煙を立てない。さらにこの闇夜だ。どこかに潜む狙撃手を見付けるのは不可能に近い。
ならば、速やかにこの場を離れるのが一番だ。いくら夜目が利き、強い弓が引けても、闇の中で動く的を射抜くのは簡単ではない筈だ。
ソレンは馬の腹に拍車を当てると、来た道を猛然と駆け出した。部下の馬がそれに続く。
「隊長殿! 上です! 屋根の上!」
隣を走る部下が空を指差し叫ぶ。ソレンは指の方向に目を向けて舌打ちした。
大通りに壁のように整然と建ち並ぶ商店や民家の屋根の上。そこに夜空の星を背にする小さい人影が見え隠れしている。
その数は少なく見積もっても50人以上……いや、その数倍は居るだろう。
いつの間にあんな場所に張り付いた?
まさか、俺が蹴散らした連中はあいつらから目を逸らすための囮だたとでも言うのか?!
降り注ぐ矢雨の中、夜の闇に沈んだ大通りを駆ける騎馬隊。一人、また一人と射落とされるなか、ソレンは馬を走らせた。
部隊と合流し、後方のファーレン隊と連係すれば、数の上ではまだ有利。逆に逃げ場のない屋根に上った野良犬どもを下から撃ち落としてやろう。
陽の光の下ならば、通りの向こうに英雄広場の凱旋門が見える筈だ。だが、彼の行く手は夜空より深い街の闇と、その闇に星のように瞬く光で埋め尽くされている。
さながら満天の星空が地上に移ったような光。しかし、ソレンはそれがそんな夢のあるモノでないことを知っていた。
あれは目だ。狼の目が悪魔の光を放っているのだ。
ソレンは瞬時に覚った。
伏兵。逃走する囮を狩ることに集中したソレンの歩兵隊は、闇の中突然屋根から矢を浴びせられ、混乱したところを脇道の影から襲われたのだ。
野良犬風情が俺を嵌めるなど! だが、まだだ! 我が騎兵部隊はまだ健在だ!
「このまま前方の敵に突貫を仕掛ける! その後、後詰めのファーレン隊と合流して反撃するのだ! 青服の誇りと意地を見せよっ!」
ソレンはサーベルを振るって叫び、馬に拍車を当てた。
だが……
突然すさまじい閃光と噴き出す煙が視界を埋める。雷のような轟音に、馬は驚いて嘶き立ち上がる。
耳元を羽虫の飛ぶような音が掠め、ソレンは振り落とされて地面に叩き付けられた。
「ぐっ……何が」
いや、何が起こったかはすぐに分かった。鉄砲の一斉射を受けたのだ。
しかし、何故野良犬どもがあれほどの銃を持っているのか。
咄嗟に受け身を取って起き上がったソレンは、銃撃を免れた騎兵が針山のように突き出された鉾槍に蹂躙されるのを目にした。
慌てて突撃を止めた騎兵は屋根から弓で狙撃され、次々と倒れていく。
「馬を降りよっ! 的になりたいか!」
混乱する部下にソレンが叫んだその時、まるで地の底から沸き上がるような雄叫びが響いた。銃兵が引き、大剣や戦棍で武装した狼人の群れが襲い掛かってくる。
その目は赤く充血し、牙を剥き出し涎を垂れ流している。野蛮で醜悪な姿は伝説に語られる狂戦士そのものだ。
制圧射撃の後に白兵戦を仕掛ける……俺への当て付けか!
「怯むなっ! 総員突撃っ! 敵陣を突破する!」
大声で味方の士気を奮い起こし、ソレンは突撃してきた狼人を斬り捨てた。
「この隊の長とお見受けする」
低く、落ち着いた声色にソレンは胡乱な表情で振り向いた。目の前に立つのは銀灰の毛並みを持った、大柄な狼人。
身長は6エーヘル(約2メートル)を超える。鎖帷子から覗く、まるで雄牛のような分厚い筋肉と剥き出しの鋭い牙、そして手にした長剣。
体から滲む威圧感は他の狼人の比ではない。
「如何にも。我はソレン=フォン=ツィーラーである!」
「我が名は『銀狼』。ゲルルフ=バルツァー。御首を頂戴する。覚悟されよ」
「貴様が銀狼か! ならば返り討ちにして全て終わらせてくれるわ」
ソレンはゲルルフの圧迫感を跳ね退けるように鼻で笑った。ゲルルフも愉しげに口許を歪める。
「ほう。『青い血』にも戦士は居るか。面白い……では、参るっ!」
「嘗めるなよっ!」
獅子月の31日、夜の22刻。
ソレン隊、銀狼団と交戦。奮戦するも力及ばず、隊長ソレン=フォン=ツィーラー子爵以下500人は全滅した。
後の証言によれば、子爵は敵将との一騎討ちに敗れ、潔く首を討たれたという。
「徒に鉄砲を撃つな! 居場所を晒すだけだ!」
鋭く叫ぶファーレン。
建物の屋根からは散発的に矢が射掛けられる。ファーレン隊は樫の並木や板を盾として矢をしのいでいるが、反撃の為撃ち掛ける銃も牽制以上の効果を上げられず、膠着状態になっていた。
「最初こそ動揺しましたが、被害は殆ど無いようです。敵の攻撃も大したことはありませんな」
板の隙間から敵の様子を窺う家臣の言葉に、ファーレンは頭を振った。
「いや、敵の狙いは我が隊の足止めさ。ソレン隊への援軍を妨害しているのだ」
「何と……では、何とかして増援を!」
「いや。それよりもライン通りに展開している本隊と合流する」
「本隊と? ソレン様を見捨てるのですか!?」
驚愕に目を見開く家臣を、ファーレンは厳しい表情で睨んだ。
「残念だが今から行っても間に合わん。本隊と合流して態勢を建て直せば勝機はある」
「しかし、ソレン様の部隊は護衛隊でも強者揃いと聞きます。奮戦し持ち堪えておるやも知れませぬ」
「……俺は分の悪い危険な賭けは嫌いじゃない。だが、今は俺だけじゃなく貴様や兵達の命を預かっているのだ。自分で責任の取れない物まで賭けるほど、俺は賭けに狂っちゃいないさ」
「……」
ファーレンの言葉に家臣は難しい表情で押し黙った。その時、ファーレンが身を隠すため立てたテーブルに矢が刺さる。
「分かりました。ご指示を」
家臣の決意の籠った表情に、ファーレンは小さく頷いた。
「各分隊に、何時でも撤退できるよう準備させろ。それから鉄砲隊を一ヶ所に寄せ、合図と共にありったけの銃で敵を撃つ。同時に部隊を撤退させるのだ」
「成る程、銃の閃光と煙を煙幕代わりに敵を攪乱するのですな。流石です」
「感心している暇があったら、散開した各分隊に伝令を走らせろ」
「はっ!」
家臣は頭を下げると、板を背負って走り去っていく。再びテーブルに矢が刺さり、ファーレンは満天の星空を睨んで舌打ちをした。
獅子月の31日、夜の22刻。
ファーレン隊、銀狼団の攻撃を受けるも、策により一時撤退す。その後部隊を建て直し、ライトマイヤー伯爵の本隊と合流するべく移動を開始する。
一方、ソレン隊を壊滅させた銀狼団は、ファーレン隊の撤退を確認すると再び夜の闇に姿を消した。
嵐は風向きを変え、さらに激しく吹き荒れる。




