第52話 「灰銀の嵐~暗夜進撃~」
【前回のアンクロ】
銀狼団による帝都大火計画は騎士団と居留地狼人の共同作戦によって阻止された。
そしてその時、帝都の夜空に銃声が戦いの号砲をあげる。
ついに護衛隊と銀狼団本隊が激突する。
「申し上げます! 武装した狼人の一団が樫の下通りを王宮方面に進行中! 数、500!」
伝令の兵士の緊迫した報告に、白馬にまたがった男は意外そうな顔をした。
「500? 見間違いではないか? そんなに少ないのか」
「はっ……」
恐縮したように頭を下げる兵士の答えに、男は手にした扇子を振って退出させる。
「長々と待たせた揚げ句、その程度の数とは、私も嘗められたものだ……たかだか野良犬風情が」
男はそう独り言ちて、苛立たしげに扇子で手を打った。
歳は三十路前半程。金髪の癖っ毛と目尻の下がった青い瞳を持った若者だ。青い軍服は色落ちも皺もなくピカピカで、これ見よがしに飾り立てられている。
服装も態度も派手できらびやかな、典型的な貴族の若者だ。
「ライトマイヤー伯、狼人の力は見た目の数だけでは測れません。彼等は遊撃戦でその力を発揮すると言われます。現状戦力差があるとはいえ、油断なさらぬよう」
彼の隣に馬を寄せた騎士が、厳しい表情でそう告げる。だが、ライトマイヤー伯は彼の忠告を鼻で笑い飛ばした。
「ブルヒアルト卿は心配性だ。完全武装の正規軍に寄せ集めの野良犬が敵うわけがない」
「……だと、良いのですが」
ファーレンはその彫りの深い顔を曇らせ、気付かれぬよう溜め息をついた。
「ファーレン、ならば卿の隊は下がっていろ。伯、暴徒などこのソレンが蹴散らしてやります」
ライトマイヤー伯を挟むように馬をつけた男が胸を叩いてニヤリと笑う。
ソレン=フォン=ツィーラー。赤い髪に鷲のような鼻を持った、如何にも武人然とした男だ。ライトマイヤー伯はソレンの言葉に鷹揚に頷いて、満足げに笑った。
「よく言った。流石は護衛隊一の剛勇。やってみせよ」
「はっ!」
二人は芝居がかったやり取りをし、ソレンは馬を走らせて前線に消える。
「……では、私の隊はソレン隊の後詰めに回ります」
「うむ。卿の出番はあるまいよ」
「そうであって欲しいものです」
ファーレンはライトマイヤー伯に頭を下げると軽く馬の腹を蹴った。
ーー帝国暦2677年、獅子月の31日、夜の20刻ごろ。
護衛隊暴徒鎮圧軍を率いるライトマイヤー伯爵は、ツィーラー隊500人に樫の下通りの封鎖を命じる。
ファーレン隊500人は後詰めとしてツィーラー隊の後方に待機。ライトマイヤー伯爵の本隊1000人は英雄広場に陣を構えた。
一方の叛乱軍『銀狼団』500余は樫の下通りを更に東進。
ついに通りを封鎖するツィーラー隊と対峙する。
「申し上げますっ! 狼人の暴徒が現れました! 現在我が隊に接近中!」
「よし、来たか。一応形だけでも警告して見せねばな……鉄砲隊はいつでも撃てるようにしておけ!」
伝令の報告を受けたソレンは兵にそう命じると、自身は部隊の前に進み出た。
「……暴徒どもに告ぐっ! 進行を止め、速やかに武器を捨て投降せよ! 繰り返す! 進行を止め、武器を捨て投降せよ!」
通り全体に反響するほどの大音声の警告。しかし、狼人達は止まる気配を見せない。ソレンは馬首を返しながら口許を歪めて笑った。
「そうでなくては、大通りを封鎖までした意味がない。構わぬ。鉄砲隊は賊が射程に入り次第撃て」
広い大通りに壁のように並んだ兵士達が一斉に銃を構える。だが、狼人達は通りを埋め尽くす銃口にも怯むことなく前進を続けた。
双方の間に張り詰めた弓弦の様な緊張感が漂う。
と、狼人達はソレン隊の鉄砲の有効射程ギリギリで動きを止めた。
双方の距離は26エーヘル(約80メートル)程。
「ここに来て怖じ気づいたか? 野良犬ども」
突然の変化に、ソレンは射撃命令のため振り上げた手を止め、舌打ちをする。
その時、暴徒の先頭に立った狼人が、手にした両刃斧を掲げ、天を仰いだ。
「狼神よ! 我等に祝福を! 戦死者の王宮の扉は今開かれた!」
男の言葉に、狼人達は自分の得物で音を鳴らしながら遠吠えをあげる。
「おおおっ!」
遠吠えが最高潮になった時、先頭の狼人が咆哮をあげて駆け出した。それに呼応するように、他の狼人達も武器を構え走り出す。
銃口に向かって。
「撃てっ! 」
ソレンは狼人達が動いたと同時に腕を振り下ろした。僅かに間をおいて横一列に並んだマスケットの銃口が一斉に火を噴く。
沢山の雷が一斉に落ちたかの様な凄まじい轟音。もうもうと立ち込める火薬の煙。銃弾の嵐に薙ぎ倒され、最初に駆け出した狼人達は次々と石畳に倒れていく。
だが、多くの同胞が倒れても狼人達の突撃は止まらない。雄叫びをあげ、倒れた同胞の骸を踏み越えてソレン隊に肉薄する。
「第二列、前へ……構えっ!」
ソレンはすかさず腕を振るって号令。反転行進射撃により射撃手が素早く入れ替わる。
「引き付け……撃てぇーっ!」
二度目の轟音が響き、至近距離から銃弾の暴風に曝された狼人達は同胞の骸に折り重なるように倒れていく。
続けざまの銃撃に、狼人達の突撃が乱れ、勢いが鈍る。ソレンはその乱れを見逃さず、サーベルを抜き放つと声高に号令した。
「総員、抜剣! 野良犬狩りだ! 一気に押し込め! 皆殺しにしろ!」
銃兵が下がり、入れ替わりにサーベルや鉾槍を構えた兵士が狼人に突撃。
大通りは血で血を洗う征野と化した。
この突撃に狼人達は怯むことなく猛然と反撃した。しかし、戦士一人一人がバラバラに戦う狼人は、連携した攻撃を行うソレン隊に徐々に追い詰められていく。
やがて兵力のほぼ3分の1を失った狼人達は、戦意を喪失したのかバラバラと撤退を始めた。
「逃すなっ! 叛徒どもを一人残らず討ち取るのだ! 俺も出るぞっ! ……伝令!」
「はっ!」
ソレンは駆け付けてきた伝令兵に興奮気味に捲し立てた。
「ライトマイヤー伯の本隊に伝達! 『我ガ猛攻ニ、叛徒壊走セリ。我、残党殲滅ノ為突撃ス』以上だ!」
「何と……っ! 野良犬どもめ、もう逃げ出してしまったのか?!」
英雄広場、護衛隊討伐軍本陣。
陣のテントで小姓が淹れた紅茶を楽しんでいたライトマイヤー伯爵は、出し抜けにもたらされたソレン隊の報告に、椅子から立ち上がって叫んだ。
「はっ……ソレン子爵は壊走する叛徒に対して騎兵突撃を敢行、これを殲滅すると……」
伯爵が味方有利の報告を聞いて怒りを顕にしたことに戸惑いながら、伝令兵は報告を続ける。が、ライトマイヤー伯は舌打ちをすると扇子を振って報告を切り上げさせ、伝令を下がらせた。
「ソレンめ、私を差し置いて、手柄を独り占めするつもりか。そうはさせぬ……誰かある!」
「……御呼びでございましょうか? 旦那様」
テントの入り口で恭しく片膝をつく執事に、ライトマイヤー伯は苛立たしげに命じた。
「今すぐ出陣する! 私自らの手で逃げる犬どもを殺し尽くしてくれる! そのまま居留地に攻め行って帝都から犬どもを排除するのだ!」
「今すぐっ! し、しかしソレン様の報告では既に大勢は決まっております。わざわざ旦那様が動かれる事も無いのでは……?」
当主の強引な命令に、執事は動揺しながらも思い止まらせようとする。敗走する敵を追撃するために総大将自ら出陣するなど、聞いたことがない。
それに、既に日も沈み、夜の帳が降りている。暗い市街地で1000人の兵を動かすのは、戦に明るくない執事にも困難に思えた。
しかしライトマイヤー伯は執事の意見を一笑し、胸を反らせて声高に言った。
「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと言う。それに、ソレンだけでは討ち漏らしかねん。よって私が出るのだ! よいか!」
「はっ! では、ファーレン子爵の隊にも出撃を……」
「いや、奴には後方の警戒を任せる」
ハンカチで額の汗を拭いながら問う執事に、ライトマイヤー伯は即答した。
そもそも、ライトマイヤー伯にとってこの戦はウラハ公に自分の存在と実力を示すためのものだ。
このような機会を得るために、ウラハ公の長子とは言え若輩のハンスに自分を売り込んできた。漸く機会を得たのに、爵位で格下のソレンに武功第一の手柄を奪われようとしている。
その上、何故競争相手を増やさねばならないのか? 愚かにも程がある。
「ぎ、御意」
執事が小さく溜め息をついて退出したあと、ライトマイヤー伯は宝石や金細工で豪華に飾り立てられたレイピアを手にニヤリと笑った。
今、賊を殲滅すれば、ソレンの手柄をも自分のものにできる。その上、公爵閣下が毛嫌いされているあの野良犬どもの巣を攻め落とし、帝都から奴等を始末すれば、閣下は私の事を更に評価するだろう。
ライトマイヤー伯は、これからの宮廷での栄光の日々を思い描きながらテントを出たのだった。
「市街地で騎兵突撃だと? ソレンめ。戦術教本から何を学んだのだ」
伝令兵の報告に、ファーレンは彫りの深い顔を苦々しく歪めた。篝火の炎が整った顔に深い陰影を刻む。
ファーレンの隊は前方のソレン隊を支援するべく樫の下通りに陣地を構築していた。
そのファーレン隊にソレン隊から『戦勝』の報告が届いたのは、最初の銃声から間もない頃であった。
「賊を心理的に圧倒する為敢えて騎兵を用いられたのでは」
「……そこまで考えているものか」
遠慮がちにソレンを擁護する家臣に、ファーレンは舌打ちをして吐き捨てる。
騎兵の最大の武器はその突撃力だ。そしてそれは、勢いを殺す障害物の少ない野戦や大規模な会戦でこそ威力を発揮する。大通りとは言え、夜の市街地で騎兵突撃など論外だ。
大方、自分の活躍を派手に誇示したかったのだろう。
「……しかし、あまりにも狼人の抵抗が弱い。彼等の気性からすれば、この程度の損害で、しかも敵に背を向けて逃げるなと考えられん」
ファーレンも狼人に詳しいわけではない。だが、かつて騎士団の教官だったヨルクに教えを乞うた事もある。最近では大賢者メアリムの執事クリフトと言葉を交わした。
だから護衛隊の騎士の中では、狼人について知っているつもりだ。だからこそ、叛徒の動きに違和感を持った。
「それは、やはり敵わぬと思い知ったからでは? 狼は勝てぬ敵には戦いを挑まないといいます」
「彼等は野生の狼ではない。姿は違っても『人』だ。なら、戦うべき時は命を賭けるさ」
ファーレンは家臣にそう呟くように言って、テーブルに置かれた帝都の市街見取図を睨んだ。
先程の戦闘で、ソレン隊が撤退する叛徒を追撃し前進した為、ファーレン隊との距離がかなり離れてしまっている。
更にソレンが騎兵突撃を仕掛け、部隊は突出した騎兵と後方の歩兵、鉄砲隊に別れた。
ソレンは突撃後、騎兵を返して再突撃を仕掛け、歩兵隊と騎兵隊による挟撃を狙うだろう。
それ自体は騎兵の運用として間違いない。
「目の前の叛徒どもが全てなら……だが。しかし」
他に伏兵がいたら。または、撤退した部隊が『釣り』で、無傷の本隊が別に居たならば。
俺ならこの機会を逃さない。今の時間、すっかり日が落ちて辺りは暗くなっている。しかも今宵は……
「新月、か」
ファーレンは砂金のような星が満天に輝く夜空を見上げてそう呟くと、勢いよく立ち上がった。
「ソレン隊を支援する。各隊に伝達。速やかに出撃せよ。今ならまだ間に合う」
その時、部隊の背後……本隊がある方向から伝令の旗を掲げた早馬がファーレンの隊に駆けてくる。
「本隊より伝令っ! 『これより本隊は隊を二つに分け、ライン通りとダッカ通りにて逃走中の叛徒を掃討する。ファーレン隊はこの場で待機し、後方の警戒にあたるべし』。以上です」
「なんとっ! それは……」
伝令からもたらされた命令に、ファーレンの家臣が絶句する。
ライン通りとダッカ通りは樫の下通りを挟むように走る道だ。大兵力で敗走する敵を包囲し、残らず討ち取ろうというのか。
「……伯爵閣下はどちらに?」
「ライン通りから、叛徒が逃げ込むと思われるバルバ獣人居留地方面に進行されると聞いています」
「了解した。伝令御苦労」
伝令の去ったあと、ファーレンは見取図を指で叩きながら唸った。
「伯爵殿は功を焦り、慌てて残党狩りに乗り出したか。ついでに獣人居留地の狼人も成敗されるつもりらしい」
「居留地を……? 公爵閣下からはそのような命を受けておりませんが……我々は如何致しましょう」
「如何も何も……軍人にとって上官の命令は絶対だ。よって引き続き待機する。ただし、周囲への警戒は怠るな?」
ファーレンはそう言って椅子に座ると、腕を組んで目を閉じた。
獅子月の31日、夜の21刻。状況は護衛隊が狼人の叛徒を圧倒したまま推移した……かに見えた。
だが、戦いの女神の微笑みは未だ誰にも向けられていなかったのである。