第51話 「帝都大火を阻止せよ~後編~」
【前回のアンクロ】
帝都を火の海にするべく貧民窟に放火をしようとするゲルルフ一党。
カズマとステラも騎士団と共に彼らを阻止すべく立ち向かう。
暗闇の中、一本の蝋燭の灯が揺れている。
その微かな灯りの中で、二つの影が蠢いていた。長い鼻面に尖った耳、時折光る瞳。
ゲルルフ配下の狼人である。
「騎士団の奴等、貧民窟の奥にまで入り込んでやがる。しかも居留地の狼人と組んでやがった……ヨルクめ、同胞を裏切ったか」
隻眼の狼人が吐き捨てる。彼の言葉に、黒い毛並みの狼人が頷いて唸った。
「御大将は既に帝都に入られている……ここでしくじれば、作戦に命を捧げる同志に戦死者の王宮で顔向けが出来ぬ」
彼らがいる場所は、貧民窟に犇めく建物のひとつだ。
元は一組の家族が身を寄せあって暮らしていたが、彼等は今狼人達の足元で冷たい骸となっている。
「よし……これだけ集めれば派手に燃えるだろう。火が表に出る頃には手が付けられんさ」
隻眼の狼人が部屋に積まれた藁や板屑に油をかけ、口許を歪めて笑った。
「アンタたちっ! そこまでにしなさい!」
「ああ?」
暗闇に鋭く凛々しい少女の声が響く。
黒い狼人はその声に火打ち石を打つ手を止めて振り向くと、顔を顰めた。
建物の入り口に仁王立ちになって二人を睨み付けているのは、銀髪に洋紅色の瞳、そして髪から覗く灰銀色の耳と揺れる太い尻尾を持った少女。
ステラだ。
「こりゃ、誰かと思えば……御大将の情婦様じゃねえか」
「なっ!!」
黒い狼人の下卑た物言いに、ステラは顔を真っ赤にして絶句する。
「お嬢、ここは子供が彷徨いて良い場所じゃねえ。家帰って寝てな……って、もう帰る家はねえか? 御大将に棄てられたんだってな」
隻眼の狼人が腰に手を伸ばしながらステラを嘲笑う。
「……私はゲルルフの情婦じゃないし、子供でもないわ。アネル! それにリコ! アンタたち、自分が何やってるか分かってるの?」
二人をキッと睨み付け、積まれた藁や板屑を指差すステラに、アネルと呼ばれた黒い狼人は舌打ちをした。
「お嬢、いつまでも偉そうにできると思ったら大間違いだぜ? あんたは俺達の同志じゃない。ガキが口出しするんじゃない」
「だから何よ」
腰のナイフに手を掛けて凄むアネル。だが、ステラは怯むことなく彼を睨み返した。
ステラの態度に、隻眼の狼人ーーリコは苛立ったように舌打ちすると、わざとらしく言い聞かせるように言う。
「お嬢、あんたの大好きなゲルルフ様がやることだ。黙って見てりゃ良いんだよ。それに、あんたも人間どもには酷い目に遭わされたんだろ? その仕返しができるんだ……良いじゃねぇか」
「……確かに人間には酷い仕打ちを受けたわ。でも、それとこれは違う。復讐は虐げた奴らにするもの。全く関わりのない、しかも抗う術も持たない人間に牙を向けるなんて、誇り高い狼人のすることじゃないでしょ!? 例えゲルルフのやることでも!」
真っ直ぐ二人を見据え、燐とした声で訴えるステラ。
アネルは腰に佩いた大振りのナイフを抜き、不快感を露にして吠える。
「混ざり者風情が純血の誇りを軽々しく語るんじゃねえ! ……もういい。その姦しい口を塞いでやる。リコ、さっさと火を付けろ」
リコは黙って頷くと藁に火打ち石を打つ。そしてアネルはナイフを構えてステラに迫る。
ステラはナイフの切っ先とアネルを睨み付け、叫んだ。
「カズマっ!」
その時、建物の屋根を蹴り破って男が部屋に飛び込んで来る。
「させるかよっ! 『飛礫』っ!」
……
……
……
……
「カズマっ!」
ステラの悲鳴にも似た叫びが響く。
「ええいっ! 儘よっ!」
俺はヤケクソ気味に叫ぶと、屋根の板を思い切り踏み抜いて建物の中に飛び降りた。
暗くて床との感覚が分からなかったが、着地の衝撃を上手く散らす事ができた。ヒーローショーのやられ役のバイトで培った受身がまだ体に染み付いていたらしい。
上手い具合にステラの目の前に着地。素早く状況を判断。
ナイフを抜いた狼人の奥に火打ち石を手にした狼人……なら!
「させるかよっ! 『飛礫』っ!」
『ことば』によって産まれた礫が風切りの唸りをあげて、隻眼の狼人の腕を射抜く。
「ぐあっ!」
悲鳴をあげて火打ち石を取り落とす狼人。
「貴様っ! 人間がっ!」
「くっ!」
怒声をあげて斬り掛かってくる黒い狼人のナイフを、体を半身ずらして躱す。
いなされた黒い狼人は怒りの眼差しで俺を睨み付け、さらにナイフで突き掛かる。俺は再度体を半身ずらして避け、一度狼人と距離を取った。
「派手に出てきた割りに逃げてばかりか? 人間。その腰の物は飾りか!」
黒い狼人ーーさっきの話からして彼がアネルか? 大振りのナイフを構えて俺を挑発してくる。
「……カズマ」
後ろでステラが不安げに俺に声をかけた。
分かってる。こんな安い挑発には乗らない。大体、こんな狭い場所じゃサーベルは邪魔だ。
「騎士団がもうすぐここに来る……あんたたちの敗けだ」
「まだだっ! 小娘と腰抜けに敗けたとあっては戦士の名折れよっ!」
アネルはそう叫ぶと一気に間合いを詰めてくる。俺は右手で印を結ぶとステラに叫んだ。
「目を閉じろっ!」
「えっ?」
「『光よ』っ!」
その瞬間、光が爆発する。闇は一瞬駆逐され、すぐに視界を満たした。
「うがぁっ!」
光の直撃を受けたアネルが、ナイフを取り落とし手で顔を覆う。
暗室の中、いきなり目の前でフラッシュを焚かれるようなものだ。そりゃ目も潰れる。
俺はすかさずアネルの懐に飛び込むと、印を組んだ手を彼の腹に押し付け、『ことば』を紡いだ。
「『疾風』っ!」
空気が瞬間に圧縮され、疾風となって駆ける。瞬間的な強風は二人の狼人ごとただ瓦礫を組み上げただけの建物を吹き飛ばした。
……しまった。やり過ぎたか?
幸い威力は加減したので吹き飛んだのは一軒だけで済んだようだが……
「っきゃっ!」
唐突に上がった悲鳴に、俺はハッとして振り向いた。
ステラが細身の狼人に羽交い締めにされ、白い首筋に無骨なナイフを突き付けられている。
……くっ! 油断した! 相手は二人じゃなかったのか? どこに潜んでやがったんだ。
「相方がへまをしやがったからアネルの班に合流しようと来てみれば……」
細身の狼人は瓦礫になった建物と、その瓦礫に埋もれて気を失っているアネル達を一瞥し、忌々しげに唸った。
「ああ。あんたらの目論見は潰えた。ステラを解放して投降してくれ」
「断るっ! 最早我等に残された道はひとつ!」
そう叫ぶと、細身の狼人は左手に硝子玉の様な物を掲げた。見た目は単なる硝子玉だが、中で火種の様なものが揺れている。
それを見た瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。初めて見るが……あれはヤバい。多分、とんでもなく。
俺の表情を見た狼人は、硝子玉を弄び顔を歪めた。相手より圧倒的優位に立った……そんな顔だ。
「ほう? これが分かるか。くくくっ! 魔法使いには怖いよなぁ。しかし、まさか『黒の炎』を使う事になるとは」
『黒の炎』? また中学二年生が狂喜しそうな名前だな。ああいうのはハッタリが多いが……あの炎から感じる火のマナの濃度は尋常じゃない。
あれだけ圧縮されたマナが一気に解放されればどうなるか。考えただけでゾッとする。
どうする? 礫か突風で奴の動きを止めてあれを奪う? それとも、一気に懐に飛び込んで腕を斬り落とす?
……どれもダメだな。どういう仕掛けであれが発動するか分からないし、なによりどうやっても俺が動くより奴がステラの喉を切り裂く方が早い。
万事休す……か?
「狼人に栄光あれ! 我に神の祝福を!」
勝利を確信した狼人は、狂気の笑みを浮かべて『黒の炎』を高々と掲げる。
くそっ! 一か八か、硝子玉が地面に落ちる前に受け止めるしか……!
だが、『黒の炎』は地面に叩き付けられることはなかった。狼人が掲げた腕を、何者かが握って止めたのだ。
「そんな物騒なものを乱暴に扱うなんて、感心しませんね」
「……なっ?!」
聞き覚えのある声。だが、今はそんなことを気にしている暇はない!
俺は一気に狼人の懐に飛び込むと、ステラを拘束している腕を取り、ナイフをもぎ取った。
「……カズマっ!」
解放されたステラが俺の胸に飛び込んで来る。俺は咄嗟に彼女を抱き締めると、狼人から飛び退って間合いを取った。
突然の展開に唖然とする狼人。そして彼は突然宙を舞った。ステラが解放された事を確認した男が狼人を投げ飛ばしたのた。
惚れ惚れするほど綺麗な背負い投げが極り、背中から地面に叩き付けられた狼人はそのまま動かなくなる。
「敵を仕留めても油断してはいけませんよ? カズマ様」
「……クリフトさん。ありがとうございました」
大きく息をついて微笑む灰銀色の狼人……クリフトさんに、俺は頭を下げた。
「……パパ」
複雑な表情のステラに、クリフトさんは優しい微笑みを向ける。
「ステラ、さっきの貴女の言葉。素晴らしかったですよ。大人になりましたね」
「私は……家を飛び出したときから大人よ」
戸惑い、拗ねたように小さく言って、俺の胸に顔を埋めるステラ。恥ずかしいのはわかるが、そういうのは困る。
っていうか、クリフトさん、結構前から様子を伺ってたんですね?
「でも、クリフトさん……よくご無事で。よかった」
「まあ、あれくらいは……流石に全くの無事と言うわけには行きませんでしたが」
そう言って自嘲気味に笑うクリフトさんの体を見て、俺は息を飲んだ。
服装はエルザさんの墓で別れた時のまま。でも服がボロボロに裂け、血と泥に汚れている。体のあちこちに鋭い爪痕や切り傷、殴打による傷などが生々しく刻まれていた。
カンフーアクションの映画で主人公が最後の戦いを終えた直後の感じ……つまり満身創痍だ。
あれから傷の治療もせずにここまで駆け付けてきてくれたのか……
「それはそうと……私も一応は彼女の父親です。娘を頼むとは言いましたが、できればそう言った事は親の目がない場所でお願いできますか? カズマ様」
「……へ? え、ああっ!」
クリフトさんの苦笑いに、俺はずっとステラを抱き締めていた事に気付いて、慌てて彼女を引き剥がす。
ステラが何故か抗議の声をあげるが、無視する。
ったく。何やってんだ。俺は。
と、周りが騒がしくなってきた。騒ぎが落ち着いたと見たのか、俺達の周りを貧民窟の野次馬が取り囲み始めたのだ。
「不味いですね……賊を何とかして騎士団と合流しなければ」
クリフトさんが言ったその時、野次馬をすり抜けて黒猫ーーフェレスが現れる。
「カズマっ! 生きてるか? って、なんやもう終わりかい」
「終わったよ。ったく、遅い! 騎士団は?」
フェレスをひと睨みして問うと、黒猫は顎で来た道を示した。騎士団が野次馬を掻き分けてこちらに向かっているのが見える。
……今回も何とかなったか。ま、ルーファスやロベルトからはたっぷり絞られるだろうな。
と。
遠くで何かが爆発したような音が響いた。打ち上げ花火のような、そんな音。
いや、これは……銃声?
「始まったようですね」
爆音がした方向を睨み、クリフトさんが重々しい口調で呟いた。
ついに始まったのか……ゲルルフの戦争が。
ーー帝国暦2677年、獅子月の31日、夜の20刻。
銀狼団、帝都大火を目論むも、騎士団と帝都居留地の狼人による共同作戦によって失敗す。
そして帝都に戦の嵐が吹き荒れる。




