第4話 「異世界」
【前回のアンクロ】
言葉が通じないまま、ラファエルに拷問されてしまうカズマ。その時、大賢者メアリムと呼ばれる老人が彼の身元引受人として現れる。
彼は一馬を「弟子」と語り、研究中の魔法の不正使用を咎めて一馬を折檻した。「任せよ、この場を収める」と告げた老人の真意は……
「爺さん、俺の言葉が分かるのか? なあ、分かるんだろ!?」
俺は床を這うようにしてメアリム老人のローブを掴んだ。もし言葉が通じる人間が居るなら、こんなに嬉しいことはない。
が、老人はすがり付く俺の頭を杖で小突いた。
「メアリム様と呼ばんか。馬鹿者が」
痛ぇ。杖の石突きで頭を突くなんてひどい。爺さん、手加減って知ってますか?
……でも、このやり取りで確信した。この人は俺の言葉が理解できる……!
「全く、世話が焼けるわ……ほれ、頭を貸せ」
メアリム老人は溜め息混じりにそう言うと、骨ばった手を俺の頭に乗せる。
「『癒しは満たされる』」
まるで詩の一節を吟うように、老人は言葉を紡ぐ。その瞬間、俺の体を暖かいものが駆け巡った。
なんだ? この感覚は……!?
春の陽気にも似た心地よさ。生まれて初めて感じる快感に、俺は思わず変な声を上げてしまう。
「気持ち悪い声を出すでないわっ! ほれ。済んだぞ。これで動けるじゃろう」
老人の一喝が杖と一緒に俺の頭を打った。うぅ……何かある度に杖で打つのは止めて欲しい。
と、俺はさっきまで感じていた痛みが嘘のように消えている事に気付いた。まさか……そう思って恐る恐る右膝を動かしてみたが、痛くも痒くもなくなっている。
おまけに体が軽い。何が起こったんだ? 奇跡か? 魔法か? ハンドパワーか?
「師匠、一体何を……」
俺がメアリム老人に問い掛けたとき、老人は既に牢屋を出ていた。外でロベルトや他の男達が老人に頭を下げている。
「わっ! ちょっと待ってくださいっ! 師匠!」
「『師匠』ではない。『メアリム様』と呼べと何度言ったら分かるんじゃ」
慌てて牢を出たところで、廊下で待っていたメアリム老人に杖で小突かれた。
うぅ……人の頭だと思ってぽこぽこ殴りやがって。
でも、一体ここがどこなのか、俺はどうなったのかを知るためには、唯一話が通じると思われるこの爺さんについていくしか今のところ手がない。
……にしても、何でこの人は俺の身柄を預かるなんて言ったんだろうか? 預かってどうするつもりなんだろうか。
そもそも、この人は何者だ? ……分からないことだらけだ。
……?
格子窓が続く長い石造りの廊下を抜けて建物の外に出た俺は、陽の光の眩しさに思わず立ち止まり……息を飲んだ。
ーー違う。 よく分からないが違う。
高く頑丈な石壁の上に広がる空は青く、高い。肺に吸い込む空気は澄んでいて、聞こえる音は木々を揺らす風の音と、鳥の囀りくらい。
なんとなく懐かしさを感じて、ふと思い出した。子供の頃、夏休みによく遊びに行った祖父母の家の雰囲気に似ているのだ。
あそこは昔ながらの里山が残っているような山奥の村だった……ここは牢獄のような建物だから、人里離れた場所なのだろうか。
「何をしておる。置いて行くぞ」
建物から続く石畳の先で、メアリム老人が声をあげる。俺は慌てて駆け寄り、老人に頭を下げた。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました。一時はどうなるかと」
「ワシは自分の役割を果たしただけじゃ」
「役割……ですか?」
先を歩く老人は、めんどくさそうに首だけ振り向いた。
「この世に産まれた命には、全て何らかの果たすべき役割があるのじゃ。現世での貴賤に関わらずな……そんなことより、ワシはまだそなたの名前を聞いておらん」
そういえば、まだ名乗ってなかった……この人は俺の名前も知らないで身元引受人になったのだろうか。
「私は安心院 一馬といいます……てっきりご存知かと」
「大賢者とはいえ、全てを見通せる訳ではないわ。しかし、『アジム カズマ』とな? また随分と変わった名前じゃな……そなたの世界では当たり前の名か」
メアリム老人は眉を顰めて言う。俺の名前を聞いてよくある反応だ。俺は苦笑して頭を振った。
「いえ。私の周りでも珍しい苗字ですよ」
確かに、普通『安心院』と書いて『あじむ』とは読めない。初めて名前を見る人は、大概『「あんしんいん」さんですか?』なんて戸惑いながら言ってくる。
会社に勤めていた頃は、営業先で名刺交換の時によく名前をネタにして会話の掴みにしたものだ。
いやぁ、懐かしい。
ん? さっき老人は『そなたの世界では』と言ったか? 『そなたの国』ではなく、世界と。
……ちょっと嫌な予感が脳裏を過った。
折角会話が成り立つ相手と出会えたのだ。ここで目が覚めてからずっと感じていた疑問を解決しなければ。
「あの……ここは日本じゃないですよね。ここはどこなんですか? 私は、何故ここにいるんですか?」
老人は俺の問いに『ふむ』と頷いて、立派な顎髭を撫でた。
「まあ、来ればわかる」
口の端を歪めて意味ありげに笑う老人。うわ、なんか嫌な予感がする。
俺は仕方なく、先を歩き始めた老人の背中に付いていった。
実は、昨日湯殿で目が覚めてからずっと、この場所についてある可能性を考えていた。
所謂、異世界って奴だ。
ライトノベルや小説投稿サイトで最近主流の題材になっていて、よく人生に鬱屈した引きこもりやニートが気紛れに外に出てトラックに轢かれて飛ばされる、あれだ。
もっとも異世界を舞台にした物語は古くからあった。身近なところでは『不思議の国のアリス』や『ガリバー旅行記』だろう。
決してニートが絶対無敵の能力で無双したり、引きこもりがハーレム作ったりするだけが異世界じゃない。
まあ、それはいい。
兎に角、異世界なんていうのは夢想の産物であって、現実には有り得ない。だからその可能性は早々に頭から消したのだが……先程メアリム老人から施された魔法のような治療で再びその可能性が脳裏に浮かんだのだ。
メアリム老人の後について細い曲がり角を何回か曲がり、石造りの門をくぐった俺は思わず立ち止まった。
狭い路地から一気に視界が開ける。そこは石畳の広場になっていて、多くの人で活気に溢れていた。
広場には布テントがたくさん張ってあり、牛に似た動物に牽かせた幌馬車が何台も留まっている。
荷車から布袋や木の箱を下ろす人、それを奥の大きな門のところまで運ぶ人、運び込まれた荷物を帳簿でチェックする人……どうやら届いた荷物の運び込みをしているようだ。
その荷運びをしている人足の姿に、俺は目を疑った。彼らは明らかにヒトとは違う姿をしていたのだ。
逞しい体つきをした彼らの、開けた半身や太い腕は灰色や鳶色の毛に覆われ、顔形は狼に似た犬科のそれ。
特殊メイク? まさか。狼男だとでもいうのか。真っ昼間から?
彼らの作業はみんな手仕事で、フォークリフトのような作業機械は見えない。宅配の集積所でアルバイトを経験したから分かるが、あれを人の手だけでやるのはかなりの重労働だ。しかし、彼らは表情ひとつ変えず声を掛け合いながら仕事をこなしている。
「ここは……どこですか?」
乾いた喉を湿らすように唾を飲み込み、俺は老人に問うた。
「オスデニア帝国の都、帝都・シュテルハイム。皇帝陛下がおわすヴェスト城の裏門じゃ。丁度、商人が食料品を運び込んでおるのじゃろう」
老人はそう言うと杖で背後を指し示した。釣られて振り返り、俺は絶句する。
そこには、山のような建物が聳り立っていた。陽の光に輝く白亜の壁。大小様々な尖塔、鋭角の屋根、たくさんの大きな窓……ファンタジー映画に出てくるような幻想的で美しい城だ。
オスデニア帝国……帝都シュテルハイム……聞いたことのない地名だ。
それに獣の姿をしたヒトや巨大で絢爛な城、傷を一瞬で治す呪文、聞いたことのない言葉、一昨日まで日本にいた筈なのに、突然広がるヨーロッパ的な光景。
やっぱりそうなのか? それ以外に考えられるとすれば……
「そうか。これは夢か? 俺は夢を見ているんだよな? そうとしか思えない。だって、こんなこと……」
俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。そうだ。やっぱり夢だ。夢なら早く目覚めてバイトの準備やら色々と準備しなきゃ。俺はこんなに長々と夢を見ているほど生活に余裕はない……
そんな俺の尻を、メアリム老人が杖で叩いた。
痛いよ! 爺さん、ケツが割れるから思いきり叩くのやめてくれ。
「なにをブツブツ言っておるか。夢はとっくに醒めておるわ。そなたはこの世界に喚ばれた異世界人じゃ。そろそろ自覚せんか、馬鹿者」
「ご老人、その冗談は笑えないですよ」
俺の軽口に、メアリム老人は真面目な表情で頭を振った。
「冗談ならもっと面白いことを言うわ」
「……ですよね」
俺はガックリと肩を落とした。その結論は避けたかったのに……
「マジかよ。異世界……異世界人? 俺が?」
正直、信じたくなかった。が、ここが俺の住む世界とは別の世界であれば、今までの体験や目の前の光景を素直に受け入れることができるのも事実な訳で。
「参ったなぁ……」
目の前に現実として異世界がある以上、受け入れるしかないか。
俺もあと10年若ければ、よくある異世界転移ものの主人公のように希望や野望に胸踊らせたのだろうか?
「ほれ、さっさと行くぞ、カズマよ……余り長居は無用じゃからな」
杖で俺の背中を軽く小突き、メアリム老人は歩きだした。
広場を行き交う獣人の人足を躱してメアリム老人と向かった先には馬繋ぎ場があり、鹿毛や黒鹿毛の馬が数頭繋がれている。
そこで芦毛の馬にブラシをあてていた人物が、メアリム老人の元にやって来て胸に手を当て頭を下げた。
「お戻りなさいませ。旦那様」
燕尾服に似た服装の、声色からして男性……だろう。前に突き出た鼻筋、大きくて三角の耳、鋭く、金色に光る瞳。顔全体を覆う灰色の毛。
先程の人足と同じ、狼男の姿をしていた。ただ、彼らと違い細身でスマートだ。
「うむ。クリフト、戻るぞ」
「畏まりました」
クリフトと呼ばれた狼男は、俺を一瞥すると踵を返して馬繋ぎ場に戻っていく。
「お主は狼人族を見るのは初めてか?」
ハウド……あのヒト達はそう呼ばれているのか。
俺はメアリム老人の問いに頷いた。
「私の世界ではあのような姿の方々は物語の中にしかいません」
「成程な。しかし、だからといってあまり物珍しそうに見るのは良くないぞ? 獣人種が我等と同じ帝国臣民と認められてから70年近く経つが、未だ彼等に対する差別感情が残っておる。お主にその気はなくとも、要らぬ誤解を与えてしまうこともある。気を付けることじゃ」
俺の答えに、顎髭を撫でながら語るメアリム老人。
ああ、だからさっきクリフトさんは俺を睨むように見ていたのか。初めて間近でハウドを見たので色々観察してしまったが、確かに不躾な態度だった。差別的な目だと勘違いされたのかもしれないな。
「すいません……気を付けます」
「うむ。それを分かればよい」
俺の言葉に、老人は優しく笑って頷いた。
しかし、獣人差別か……異なる種族や人種に対する差別や偏見の問題はどこも同じなんだな。他にも色々あるのだろうか。
これは、この世界について勉強しないと……しかし、異世界か。この先どうなるんだろう?