第48話 「火蓋~銀狼、起つ~」
【前回のアンクロ】
ブロンナーの命令によって、ロベルトの大隊が一部帝都に帰還した。早速混成中隊を組んでゲルルフの作戦阻止に動き出す騎士団と居留地。
カズマも中隊に参加するべく中隊長に任命されたルーファスに頼み込む。
そんなカズマに、ステラは問いかけた。
「なぜ貴方は戦うのか?」と。
「誇り高き狼人の戦士たちよ」
黄昏の薄闇の中、蔦に覆われた磔刑の聖女の哀しげな瞳が見詰めるなか、廃墟を埋める狼人達にゲルルフは静かに語りかける。
「……我々は帝国によって故郷を追われ、家畜同然に貶められた。そして、故郷の大地を人間が支配して千余年。英雄ヴィルヘルムが人間の卑劣な企みによって散って後、狼人の尊厳と独立を要求して何度帝国に踏み躙られたか! しかし、何度蹂躙されようと我々の牙は失われることはない! それは諸君らが一番分かっているだろう。そしてついに、帝都の安寧に惰眠を貪る愚かなる人間たちに、我々の怒りを思い知らせる時が来た。これは狼人一人一人の誇りと尊厳を守るための戦いである。この戦いで死んだ戦士は神の御許に召されるであろう!」
「おおおっ!!」
「銀狼っ!」
「我等の英雄っ!」
ゲルルフが両手を掲げ、声を高らかにあげる。廃墟の教会を埋める狼人達は手にした武器を掲げ遠吠えをあげた。
狼人達の興奮が最高潮に達する前に、ゲルルフは彼等を手で制する。
「諸君、機は熟した……共に戦おう。狼人の誇りのために! 我等の栄光のために!」
ゲルルフが大剣を抜き放ち、切っ先を帝都に向けた。
「銀狼の名の元に集う全ての戦士に告げる。目標、騎士団本部中央本庁! 『誇り高き狼』作戦、状況を開始せよ!」
「「うおおおおっ!!!」」
獣たちの咆哮が黄昏の空を貫く。最早、彼等を留めるものは無い。
……
……
……
……
「公爵閣下! これはどういう事でしょうか!? 納得できる説明を願いたい!」
茜色の光に満たされたウラハ公の屋敷の静寂は、突然の来訪者によって破られる。
執務室にノックもなく乱暴に入ってきた軍服姿の青年に、ウラハ公はチェスの手を停めて小さく息をついた。
「騒々しい……卿も貴族なら父の前でも礼儀をわきまえよ。ハンス」
派手に装飾された青い詰め襟の軍服を纏った、豪奢な金髪の若者……ハンス=フォン=ウラハは父親の一喝に顔を強張らせる。
「申し訳ございません……しかし、私に後方に布陣せよとの御命令、納得できかねます」
ハンスは手にした命令書をウラハ公に突き付ける。命令書のサインは中央本庁長官、ヘルムート侯爵のものであるが、実質の命令権者はウラハ公であった。
護衛隊が騎士団の一部でありながらウラハ公の私兵である由縁である。
「今宵、日の入りと同時に野犬どもが帝都で暴動を起こす事になっている筈。野犬の暴挙から帝都を守り、武勲を示す絶好の機会に、後方で物見遊山でもしていろと仰いますか」
「ハンス大佐」
父親に詰め寄って訴えるハンスを、ウラハ公は静かに制した。その眼光に、ハンスは思わずたじろぐ。
「確かに武勇を示し、名を上げることは武人の誉れだ。しかし、前線にて血と泥にまみれて武を示すことは誰でもできる。別にお主である必用はない。儂がお主に望むのは、将の将たる器になることよ」
「将の将、ですか」
胡乱な表情をして戸惑うハンスに、ウラハ公は机の上のチェス盤を指差す。
「このチェスと同じよ。歩が取られても勝負は終わらぬが、王は取られれば終わりだ。ただの将はいくらでも代わりはある。だが、その将を束ね、大局を導く将の将は一人しかおらぬ。この度の戦はその器を磨く機会と心得よ」
「成程、得心いたしました。父上の期待に添えるよう、全力を尽くします」
ハンスは納得したように表情を明るくすると、自信満々に胸を張って見せた。
ウラハ公は鷹揚に頷くと、椅子にもたれて口許を笑みの形に歪める。
「それに、この戦で護衛隊が武勲をあげ名声を高めれば、その長たるウラハ家の名声も高まる。それは即ちお主の名を上げることになるのだ……己の手を煩わせる事なく名を上げられるならその方が良かろう」
「……なるほど」
「前線で武勲を上げる役目は我が家に名を売りたがっている中級貴族に任せればよい。人選は任せる」
ウラハ公の言葉にハンスは顎を擦りながら少し考え、やがて意味ありげな笑みを浮かべて答えた。
「ならば、ライトマイヤー伯爵が宜しいかと。副将にブルヒアルト子爵とツィーラー子爵を付けます」
ライトマイヤー伯。伯爵ではあるが領の規模が小さく、地位も高くはない。しかし中々の野心家であり、ウラハ家に取り入ろうとしている人物だ。
本人の軍才は不明だが、副将として名が上がった二人は護衛隊でも優秀だ。伯が無能であっても問題ないだろう。
わが息子ながら目の付け所は悪くない。
「ファーレンとソレンか……成程な。あの二人なら問題あるまい。やってみせよ」
「はっ!」
ハンスは笑顔を浮かべて敬礼すると、入ってきたときとは逆に意気揚々と執務室を後にする。
その背中が扉の向こうに消え、少し間をおいてウラハ公は小さくため息をついた。
「あれもまだ若いな……それで、野良犬どもの動きはどうなっておるか」
ウラハ公の問いに応えるように、部屋の隅の暗がりから黒いマントで全身を覆った影が滲み出る。
「はい。先程巣を発ちました。帝都には予定通りに……あと、騎士団の一部と居留地の犬どもが妙な動きをしております……如何致しましょうか」
「捨て置け。今更何をしようと流れは変わらぬ」
「御意……」
黒衣の老人、オージンは恭しく頭を下げると、その姿は再び闇のなかに溶ける。口許に暗い笑みを浮かべて。
……
……
……
……
「一年くらい前よ。ゲルルフと出会ったの」
ステラはそう言って、懐かしむように遠くを見詰めた。
「私は人間と狼人の間に産まれた『混ざり者』……それがどういうことか、10歳の誕生日まで知らなかったの」
唇を強く結んで目を閉じるステラ。
10歳の誕生日まで、ステラの世界はメアリムの屋敷とその周りの限られた場所だった。活発な彼女は屋敷の外の世界に憧れていたのだと言う。
しかし、彼女の憧れは、10歳になったその日、屋敷の外に出た時に失望に変わる。
人間は狼人を蔑んで忌み嫌い、狼人は征服者であり自分達を迫害してきた人間を憎む。そんな中で人間でも、狼人でもない『混ざり者』は人間、狼人双方から忌み嫌われた。
『祖父』メアリムや、人間との親交も深いヨルクは彼女を受け入れ普通に接してくれたが、それは一部の例外に過ぎない。
父親側の狼人にも、母親側の人間にも拒絶され、迫害されたステラはやがてメアリムの屋敷に籠ってしまう。
だが14歳のある日、偶然母の死の真相を知った彼女は同時に優しい父クリフトの過去も知ってしまう。
自分の出生について心無い言葉ーークリフトがエルザを連れ去って乱暴した時の子供だ、と言うような類いの陰口や噂を耳にしていたステラは、父が母を殺したと誤解した。
多感な少女は父の『裏切り』に怒り、クリフトを激しく詰って家を飛び出してしまったのだ。
「それが私の早とちりって言うか、勝手に思い込んだだけだったって知ったのは、結構最近。でも、あの時は感情に任せて、パパに『人殺し』って叫んで飛び出しちゃった。今思えば馬鹿だったなぁ……って」
そう、自嘲的に笑うステラ。
まあ、彼女位の年齢って思春期真っ盛りだし、父親に対して何かと苦手意識や反発を感じるのは正常な事だと思う。
流石に『人殺し』って詰るのは酷いと思うけど。
兎に角、今は何も言わずにただ彼女の話を聞いてやろう。
「そんな時だったのよ。ゲルルフに会ったの」
一人家を飛び出したステラは、帝都近くの宿場町で人間の男達に絡まれてしまう。
差別の対象であるハーフ・ハウド。人に近い容姿でしかも美しい少女……ステラは男達に暴力を振るわれ、そのまま路地裏に引き摺られ暴行されそうになった。
だが、あわやと言うところで偶然通り掛かった狼人……ゲルルフに救われたのだ。
「怖くて、痛くて、頭が真っ白になって震えてる私に、あいつは言ったのよ。『狼神は常に狼人を守っている。だから泣くな。恐れるな……大丈夫だ』って」
その時の事を思い出したのか、ステラは表情を固くして自分を抱き締める。
少し口をつぐんだあと、少女はまた語り始めた。
「私は混ざり者だからって言ったらね、『半狼人にも狼人の血は流れている……その、半分流れている狼人の血を誇れ』って言ってくれて……初めてだったのよ。パパやヨルク爺以外で私を受け入れてくれた大人は」
『吊り橋効果』というものがある。極度の緊張による心拍数の上昇を、好意による胸の高鳴りと勘違いしてしまうあれだ。
もしかしたら、ステラが感じた感動はそれに近いものなのかもしれない。
身も蓋もない話だが。
「それから、ずっと今まであいつの側に?」
俺の問いに、ステラは小さく頷く。
しかし、ゲルルフめ……どこの紳士野郎だ。乙女のピンチに颯爽と現れて、優しくしてやるなんて。今時ベタな少女漫画でもお目にかかれないぞ?
「でも、じゃあ、家出したまま、ここに帰ってきて会うまでクリフトさんやメアリム爺には連絡もしてなかったのか?!」
「……狼人の15歳って、もう立派な大人よ? 帝都を出る前にヨルク爺には一言言ったわ。それで十分」
腰に手を当てて唇を尖らせるステラ。
そりゃ、大人なら親にいちいち連絡する必要は無いかもしれない。ヨルク老に一言言ったなら、老からクリフトさんに何らかの連絡はあったろうし……
いや、それでも、だ。
「そんな問題じゃないだろ? ったく、これが終わって落ち着いたら、クリフトさんに謝って、しっかり仲直りするんだぞ」
「えー……」
「今まで誤解してて、悪かったって思ってるんだろ? だったら」
「……わかったわよ。全くお節介ね」
呆れ顔で苦笑するステラ。でも、満更でも無さそうだ。全く素直じゃない。
そう言えば俺も、元の世界にいた頃は10年くらい実家のお袋に電話すらしていなかった。まあ、盆と正月は帰省して顔を見せていたからステラみたく全くの音信不通じゃないが。
……実家のお袋か。
不意に、故郷の景色とお袋の顔が脳裏に浮かんだ。流石にこの国からは連絡も帰省も無理だよな。もう二度と会えないのかな。
ったく。何センチメンタルに浸ってるんだ。らしくない。この世界で生き抜くって決めたんだ。俺は。
「どうしたの? 急に黙りこんで」
「……いや、何でもない。ったく、付いてくるなら勝手にしろ。危ない目に遭っても知らないからな」
俺はそう言うと、両手の籠手の具合を確かめるように拳を握り、木箱から立ち上がった。
「危ないときはしっかり守ってよ? ……信頼、してるんだから」
「あ? なんだそりゃ」
俺を睨むように見る少女の頬がわずかに朱に染まって見えたのは、夕焼けのせいだろうか。
その時、広場から部隊の集合を告げる号令が聞こえる。
始まるのか……いよいよ。
ーー帝国暦2677年、獅子月の31日、夜の19刻。銀狼起つ。そして、それに呼応するように護衛隊が動き始める……
様々な人々の思惑が帝都に嵐を呼ぼうとしていた。