第47話 「火蓋~合わさる力~」
【前回のアンクロ】
カズマの提案によって居留地は騎士団に協力し、ゲルルフの帝都大火計画を阻止することでまとまった。
中央本庁のブロンナー副長官もメアリムの説得によりヨルクの案を受け入れる。
「先ずはこちらを御覧ください」
ラファエルはテーブルの上に大きな布を広げ、集まったヨルク老と居留地町名主衆の狼人達を見渡した。
布に描かれているのは帝都の詳細な地図だ。町名主衆は興味深そうに地図を覗き込んでいる。
「銀狼……ゲルルフが帝都に火をかける目的は、市街を破壊し、住民を恐慌させる事にあります。その為には、なるべく派手に、そして広範囲に火が回らなければなりません。その目的を達成するために最適だと思われる場所が……ここです」
そう言ってラファエルが指し示した場所に、ヨルク老が唸った。
「そこは、貧民窟か?」
「はい。下層地区及び貧民窟は『表側』のように帝都の管理が及んでおらず、木造の建物が無秩序に密集しています。また、元々不法定住者が多く工作員が紛れ込みやすい」
「成程、確かに言う通りだが……狼人は流石に目立つのではないか」
「いや、ああいうところは他人の事情を徒に詮索せんだろう。狼人が紛れても分からんのじゃないか」
「そんなもんか」
初老の狼人二人が話を始め、ラファエルの説明が止まってしまう。ヨルク老はわざと大きな咳払いをして二人の会話を止めると、目線でラファエルに先を促した。
ーー夕の17刻。
騎士団第12騎士大隊、通称ワイツゼッカー隊、隊長ロベルト以下騎兵200騎が帝都警備の名目で帰還、そのままバルバ獣人居留地に入った。
ロベルトは居留地の教会を借り受け、騎士団と狼人の合同指揮所を設置。その30分後、ヨルク老、居留地町名主衆を交えての作戦会議が開かれて今に至る。
俺は礼拝堂の隅で会議の成り行きを見守っていた。
騎士団と狼人が同じ机を囲む様子は、漂う緊張感も相俟って、まるで映画の一場面のようだ。
自分の提案した事が、こんな風に目の前で形となって動き出している……なんか不思議な気分だった。
「賊は住民の恐慌を煽る為、これらの区域に一斉に火を放つ筈。一度大きな火が上がり、住民に混乱が広がれば、それに乗じて中層区に火を投げ込む事も容易になります……つまり、如何に最初の放火を防ぐかが鍵です」
「作戦の概要はよく分かった。それで人員の配分はどうする?」
「騎士団は騎兵中隊200人を分け、100人を居留地の警護に残す」
ヨルク老の問いに、ロベルトがサッと手を上げて答えた。この会議の仕切りは騎士団側だが、名誉騎士で元教官のヨルク老の存在が際立っている。
「居留地の方は各町から大体100人集まったよ。長老の指示通り、腕自慢だけでなく鼻や目の利く若衆じゃ」
続いて、杖に寄り掛かった町名主衆最年長の老狼人が、のんびりとした口調で告げる。
「……合わせて約200か。数は申し分無いな」
ヨルク老は顎を撫でながら言い、ロベルトは力強く頷いてその場を見渡した。
「では、その200名で中隊を組織し、賊の捜索、捕縛に当たることとする。隊長は騎士団のルーファスを任命する」
ロベルトの指名に、ルーファスが一歩前に出て敬礼した。ヨルク老は彼を一瞥し鷹揚に頷く。
「異存はない。狼人は騎士団の指揮のもと動く。存分に使ってくれ」
「感謝します。教官……では諸君、賊は既に潜伏しているだろう。夕闇が迫り、暗い中での交戦が予想される。各員腕に黄色の布を巻き、敵味方の識別をするように」
「火付けには油や火薬が要る。狼人は余所者の臭いだけでなく、それらの臭いにも気をつけよ」
ロベルトの指示にヨルク老が付け加える。教会に集まっている騎士、狼人は表情を引き締めて頷いた。
「今日の日の入りは夜の20刻……よって、本作戦の開始時刻は夜の19刻とする。質問は?」
再び礼拝堂を見渡すロベルト。一時の沈黙の後、短く息を吐いた彼は、姿勢をただしてひときわ大きな声を出した。
「よし。帝都の……帝国の未来は今作戦における卿らの働き如何にかかっている。よろしく頼む。以上! 散会っ!」
ロベルトの敬礼に、騎士達は敬礼をして、狼人達は右拳で左胸を軽く叩いて応える。
会議が終わり、皆それぞれの役目を果たすために散っていく。俺はその背中を見ながらふと思った。
多分、俺は今この時、帝国の分岐点に立っている。俺はここで何ができる? いや……違うな。俺は何をしたい?
ーー考えるまでもないか。
腰に佩いたサーベルの柄を握り締め、俺は騎士団が待機している居留地の中央広場に走った。
「確かに人が足りないけどさ……でも、お前を作戦に加えるのはちょっとな」
「何でだよ。人が足りないならいいじゃないか。ルーファスは中隊の隊長なんだろ? 俺を中隊に加えてくれ。足手まといにはならないから」
居留地の広場。難しい顔をして頭を掻くルーファスに俺は手を合わせて訴える。
作戦会議で組織された騎士団と狼人の混成中隊。その隊長に任命されたルーファスに、作戦参加に参加したいと願い出たのだが。
「何でってなぁ……お前は腕が立つが、一応これ、軍務だし。民間人を連れてくことは出来ねぇよ」
ルーファスは剣帯を巻きながら困った顔をした。確かに彼の言うことも解る。でも、俺だって無関係じゃないのだ。黙って見ているだけなんて出来ない。
俺が目線で訴えると、ルーファスは根負けしたように溜め息をついた。
「そんな目で睨むなよ……ったく。分かった。分かったから……特別に参加を許可してやる。ただし、俺の分隊で行動することが条件だ。いいな」
「ああ、分かった。ありがとう、ルーファス!」
「じゃあ、急いで支度しろ。必要なものは貸してやる。作戦開始まで余り余裕はないぞ!」
ルーファスはそう言って笑うと俺の背中を叩いた。手加減なしに叩くものだから息が詰まる。
「聞いたわよ……あんた、騎士団に混じって貧民窟に行くんですって?」
木箱に腰掛けてルーファスから貸りた籠手を嵌めていると、建物の影からステラが顔を出して俺に聞いてきた。
「誰から聞いたんだよ、んなこと」
「誰からだっていいじゃない」
ステラは頬を膨らませ、ぶっきらぼうにそう言って俺の隣に座る。ん? 爺さん……いや、フェレスは居ないのか。
「ねえ、何であんたはそんなに一生懸命なの? ……死ぬかもしれないのよ?」
死ぬって……大袈裟な。
ステラの言葉を笑い飛ばそうとして、俺は思い直した。
今度の戦いは、今までとは桁が違う。今まで生き延びられたからと言って今回も無事に済むとは限らない。
でも……
「何でって、それは……」
「ヨルク爺や居留地の人達は自分達の命と生活が懸かっていて、騎士団は仕事だから戦うのよ。でも、あんたは騎士でもないし、狼人でも、居留地に深い縁があるわけでもない。ゲルルフみたいに自分の誇りとか信念があるわけでも、自分に得があるわけでもないでしょう? じゃあ、何のために戦うの? 名誉欲? 薄っぺらい正義感? それとも状況に流されているだけなの?」
ステラは俺の返事を遮って一気に捲し立てる。彼女の綺麗な顔は不安とか苛立ちとか混ざったような複雑な表情に揺れていた。
彼女は俺の事を心配してくれているんだろう。多分。
俺は嵌めた籠手の具合を確かめ、まだ嵌めていない方の手でステラの頭を軽く叩いて笑った。
「どれも違うよ。俺は名誉が欲しいわけでも、変な正義感を拗らせているわけでも、流されているわけでもない」
「……」
「自分でもうまく言えないけど……ムカつくんだ」
「ムカつく? なにそれ」
俺の答えが思いもよらないものだったのか、ステラは妙な顔をして首を傾げる。
「イライラするってこと。こんなことが無ければ、俺も普通に生活していたんだ。屋敷で働いて、勉強して、食べて、寝て。居留地の人達だってそうだ……でも、一握りの人間の身勝手な野心や欲望にその生活が壊された」
この国に来てからの日々。馬の世話をして、薪割りや水汲みをして、夜はメアリム爺から勉強を教わる毎日。でも、あの日々はもう帰ってこない。
「自分に関係ない人間の思惑で人生を振り回されて、命を奪われる。そしてその様を何処かで薄ら笑いを浮かべながら見ている奴も居る……ムカつくんだよ。だから、こんな理不尽は早く終わらせなきゃならないんだ」
俺の脳裏に、薄ら笑いを浮かべた黒髪の美少年が過った。あいつは今この時も、何処か高みで俺達のやっていることを見ているんだろう。
そしてゲルルフ。
今まで虐げられてきた狼人の誇りを取り戻すなんて大層な事を言っているが、結局商家を襲って狼人を貶め、帝都で暴動を起こして多くの狼人を戦いに巻き込み、国を混乱させようとしているだけだ。
一体彼にとって『狼人の誇り』とは何なのか。
クリフトさんやヨルク老、居留地の狼人を殺し、国中に混乱と不幸を撒き散らさなければ示せない誇りなんて、誇りじゃない。ただのエゴだ。
「……よくは分からないけど、あんたが狼人の為に本気で怒ってるのは分かるわ」
「おかしいかな」
「おかしいわよ……人間のくせに。お爺ちゃん並みの変人ね」
「爺さんか……あまり一緒にしないで欲しいな」
大袈裟な仕草で肩を竦めるステラ。口では憎まれ口を叩いているが、その顔は少し呆れたような、でも優しい笑顔だ。
そんな表情を真っ直ぐ向けられ、俺は急に気恥ずかしくなった。慌てて彼女から目を逸らし、左手に籠手を嵌める。
と、ステラが急に立ち上がり、表情を引き締めて言った。
「分かったわ。私もいく」
「は? 何言ってんだ、死ぬかもしれないって、自分で言ってたじゃねぇか」
突然何を言い出すんだ? この娘は。
「いいじゃない。だって、あんただけじゃ危なっかしいもの。それに……」
ジト目で俺を睨んだステラは、不意に口ごもり、目を泳がせた。
「それに?」
「ゲルルフは……あいつはこの戦で銀狼として死ぬつもりなのよ。全部背負い込んで。今思えば、ママのお墓で私を捨てたのは、自分の戦いに私を巻き込まないため……だったんだと思う」
「今から行って一緒に死ぬつもりか」
「まさか。ただ……見届けたいの。あいつがやろうとした事の結末を」
少し強めの風が吹き、ステラの銀髪を揺らす。
髪を手で押さえて辛そうに目を閉じる少女は、沈む夕日の濃い茜色に照らされ、やけに大人びて見えた。
「ステラ、聞いていいか?」
「なによ」
「ゲルルフは……恋人だったのか?」
唐突な俺の問い掛けに、ステラは驚いたように瞳を見開き、すぐに首を振った。
「……違うわよ。ゲルルフって、パパの少し下位よ? まあでも、共感とか信頼はしてた……かな」
「信頼……ね」
それは、友情に近い感情だろうか。ゲルルフは身近な信頼できる大人だったのだろう。ステラにとって。
「一年くらい前よ。ゲルルフと出会ったの」
ステラは懐かしむように遠くを見つめ、話し始めた……