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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第3幕 カズマと銀色の狼人【後編】
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第46話 「決断」

【前回のアンクロ】


銀狼、決起す。

この情報に居留地は動揺する。だが、ヨルク老はゲルルフの動きを騎士団に提供、協力する見返りに騎士団に居留地を守らせる事で居留地の意見をまとめた。


 「では、私はこれから中央本庁(ツェントルム)に行ってブロンナー副長官に話をつけてきます」


 「……待て」


 町名主衆が立ち去ったあと。教会の礼拝堂に残ったヨルク老にそう告げて席を立った俺は、ヨルク老に呼び止められて首を傾げた。


 「儂も行こう。町名主衆にああ言ったからには儂も動いて見せねばならぬ」


 「ヨルク老……しかし」


 ヨルク老の申し出は有り難い。ブロンナー副長官から中央本庁(ツェントルム)の通行許可証を貰っているが、だからといってすんなり副長官に面会できるとは限らないからだ。


 以前騎士団で教官を勤めていた『名誉騎士』のヨルク老が一緒なら顔パスで副長官に面会できるかもしれない。


 しかし……


 「居留地を離れればまた命を狙われるかもしれません。それに、これを言い出したのは俺ですから、俺がいきます。老はここでお待ち下さい」


 「いや。貴様が行っても無駄じゃよ」


 不意に、礼拝堂の入り口から声がする。振り向くと黄金色(きん)の瞳の黒猫が長い尻尾をゆったり振りながら俺とヨルク老の側に歩いてきた。


 「無駄って、どういうことさ」


 俺が憮然と問うと、フェレスは欠伸をしながら体を伸ばし俺を見上げる。


 「貴様が一人で行っても、ブロンナーに会うのに何日かかるかわからんぞ? だからといって、狼人のヨルクが中央本庁(ツェントルム)の幹部と接触するのは目立ちすぎる……この手の策は余人に知られずに行うのが肝要じゃからな」


 そう話すフェレスに、俺は違和感を覚えた。居留地に帰ってきてから変なイントネーションが消え、口調がやけに老人くさくなっている。


 この話し方……何処かで?


 「……メアリム様、ですか? まさか」


 「なんじゃ、今頃か。全く」


 フェレス……いや、メアリム爺は呆れたように溜め息をつく。


 いや、『今頃か』って言われても普通は気付かないだろ……ってか、どうなってんだ?


 俺の表情から疑問を読み取ったのか、メアリム爺は得意気にニヤリと笑った。


 「フェレスはワシの使い魔(ファミリア)じゃからな。こやつを通じてお主らと話をする事も出来るのよ」


 「……へえ、便利なんですね」


 要はテレビ電話とかスマホアプリのビデオ通信みたいなもんか?


 「……まさか、俺の事を盗み見たりしてないですよね?」


 「馬鹿者。そんな趣味はないわ」


 ジト目で睨む俺に、メアリム爺は思いきり嫌そうな顔をして吐き捨てた。


 「それで大賢者よ。どのようにブロンナーに話をつける?」


 「ふん。ワシを誰じゃと思っておる。まあ、ブロンナーとの段取りは任せておけ」


 「……そうか。恩に着る」


 「なに、貸しにしておいてやるわい」


 そっと頭を下げるヨルク老に、メアリム爺は目を細めて頷いた。猫に頭を下げる狼人というのは、事情を知らなければ滑稽な光景だが……


 とにかく、メアリム爺なら安心だ。


 「ねえ、お爺ちゃん(オーパ)、どこ?」


 礼拝堂の外でステラの声がする。それを聞いたメアリム爺が耳を(そばだ)てた。


 「おっと、いかん。ステラを置いて来てしまった」


 メアリム爺はそう言うと、尻尾を立てていそいそと礼拝堂を出ていく。


 「ちょっ……メアリム様!」


 「ワシのほうはもう手は打った。お主らは自らがやるべき事をせよ。ではな」


 俺は扉の隙間に消えようとするその背中に慌てて声を掛けるが、メアリム爺はこちらを振り向きもせず出ていってしまった。


 「悪魔の上前を跳ねる大賢者メアリムも、孫娘の前では好好爺か」


 「好好爺……ねぇ」


 肩を竦めて笑うヨルク老。俺はメアリム爺が消えた扉を見つめ、溜め息をついた。


 大丈夫……かなぁ。


 ……


 ……


 ……


 ……


 中央本庁(ツェントルム)、副長官執務室『楕円の部屋(エリブセ・ツィマー)』。


 居留地でカズマが肩を落としたちょうど同じ頃。中央本庁(ツェントルム)副長官ブロンナーもまた険しい表情で溜め息をついていた。


 机に座り、目の前に積まれた報告書に目を通す。盗賊討伐作戦に関する各騎士団からの状況報告だ。


 この数日間、狼人の盗賊団討伐に、中央本庁(ツェントルム)騎士団の殆んどを派遣している。しかし、全方向から包囲して追い込みながら、夜営の跡や足跡、アジトと思わしき洞窟など痕跡のみ見付かり、肝心の盗賊団は未だ尻尾の先すら発見できていない。


 この出兵は、盗賊団討伐は勿論だが、不逞狼人を圧倒的な力で制圧することで帝国全土の狼人に圧力を掛ける事も目的であった。


 しかし騎士団の大動員を掛けながら全く成果の上がらない現状に、中央本庁(ツェントルム)長官は更なる増派命令を下し、現在帝都のほぼ全ての兵力を投入していた。


 本来、帝都の治安維持に残すべき兵力まで投入するなどあり得ないのだが、長官を始め中央本庁(ツェントルム)上層部は面子を守りたい一心で引くに引けない状況になっているのだ。


 報告書からは無理な行軍と成果の上がらない現状に対する焦りと苛立ちが滲み出ていた。


 「……嵌められたな、これは」


 報告書を机に放って眉間を押さえたブロンナーの鼻を、微かな香りがくすぐった。


 ほっとする優しい香りに顔を上げると、机の前に一人の女性が微笑んでいる。


 萌黄色を基調にしたロングのワンピースと肩の部分にフリルをあしらったピナフォア(エプロンドレス)を身に付けた、腰まで伸びた栗色の髪と切れ長の深い緑の瞳が印象的な美人。


 ついさっきまでこの部屋には自分一人しか居なかった筈。扉が開く音も、カーペットを踏みしめる足音さえもなく、この女性は自分の目と鼻の先に立っている。


 が、この女性であればそれも可能であろう。やろうと思えば、気付かぬうちに首を刎ねる事もできる。そんな人だ。


 ブロンナーは肩を竦めると苦笑を浮かべて美しい森妖精(ニンファ)を見上げた。


 「これは、ベアトリクス嬢。相変わらず神出鬼没ですな。何処から侵入(はい)ってこられた?」


 「失礼ながら、窓からお邪魔させていただきました」


 ベアトリクスはそう微笑んで、スカートを摘まんで軽く持ち上げ、お辞儀をする。


 「……確かに窓は開けてあるが」


 ここは庁舎の三階。それをどうやって?


 ブロンナーは感じた疑問をすぐに頭から追いやった。彼女に関しては知らない方が良いこともある。なにせ、あの(・・)大賢者の懐刀だ。


 「しかし、良い香りだな。これはなんの香かな」


 ブロンナーが問うと、ベアトリクスはピナフォアのポケットから紫色の水が入った小瓶を取り出した。


 「ラベンダーの香水でございますわ。この香りには苛立ちや心の緊張を解す効果がございます。お気に召していただけたなら、幸甚に存じます。閣下」


 そう、柔らかい微笑みを浮かべるベアトリクス嬢。確かに先程より気分が柔らかくなった気がする。


 「それは有り難い……それで、今日は?」


 「我が主が今夜、夜会を催しますのでその招待状をお届けに上がりました」


 そう言ってベアトリクスは懐から手紙を取り出すとブロンナーに差し出した。


 「ほう? 夜会とはまた……」


 メアリムは暴徒に屋敷を襲われ、隠れ家に身を隠していると聞いた。晩餐会か舞踏会か知らないが、こんなときに酔狂な。


 そんな事を考えながら、イスターリの紋が捺された封蝋を切り、招待状を目にしたブロンナーは眉を顰める。


 ーー銀狼、今宵決起。目的は中央本庁(ツェントルム)占拠と帝都の焼き討ちである。


 ーーバルバ獣人居留地の長老ヨルクが叛徒の焼き討ちを未然に防ぐため協力しても良いと言っている。条件は叛徒と帝都の暴徒から居留地の狼人を守ること。


 銀狼ーーゲルルフの叛乱とそれによる帝都の焼き討ち……招待状とは名ばかりの物騒な言葉が並んでいる。


 居留地の長ヨルクはゲルルフの叛乱に巻き込まれるのを嫌って騎士団に協力を求めてきた、と言うことだろう。


 ブロンナーは細かく書かれた文字に素早く目を通し、鷹揚に頷いた。


 「名誉騎士、『虎狼の中隊長』殿とは珍しい。卿は息災か」


 「はい。皆様お元気でございます。皆様、閣下の参加を楽しみにお待ちしていると仰っていました」


 「そうか……俺も『夜会』の噂は飲み仲間から聞いている。楽しそうだか、この通り仕事がたまっていてな。身動きが取れぬ」


 「左様でございますか。しかし、此度の招待は閣下の御為にも是非受けていただきたいのです」


 机に積み上げられた書類の山を軽く指で叩きながら苦笑するブロンナーに、ベアトリクスが声を低くして言った。


 ベアトリクスの言う通り、皇帝のお膝元、帝国の中枢で叛乱が起き、帝都に火が放たれるような事態になれば中央本庁(ツェントルム)長官以下上層部の責任問題だけでは済まない。騎士団全体の名誉、信頼に関わる。


 ブロンナーとしても、それは避けねばならない。


 実はゲルルフ決起の情報はブロンナーも個人的な情報網から手に入れていた。メアリムからの情報でそれが正しい事が証明されたが、時期が遅すぎた。


 今、帝都は騎士団が殆んど出撃し、手薄になっている。本庁の兵力ではどこに仕掛けられているか分からない火種を今日中に探し出すなど不可能だろう。近くの部隊に命令書を出しても間に合うかどうか。


 そして、妙なのは最初の情報が護衛隊の『友人』からもたらされたと言う事だ。


 つまり、護衛隊は銀狼の情報を得ているにも関わらず、先んじて彼等を討つなり、対策を講じる等の動きを一切していないのだ。


 それどころか、この重要な情報を中央本庁(ツェントルム)上層部に伝えず護衛隊だけで処理しようとしている。


 その事にブロンナーは不信感を抱いた。


 ……そう言えば、今回の盗賊団討伐を提案したのは護衛隊のウラハではなかったか。


 ブロンナーの頭の中であるシナリオがパズルのピースのように組み上がっていく。その内容にブロンナーは戦慄した。


 いや、あのウラハ公ならやりかねんな。ヨルクの、狼人の力を借りれば、まだ間に合うかも知れないが……いや、選択の余地はないか。


 ブロンナーは決断した。


 「成程な……俺は仕事で夜会に行けぬが、信頼できる部下を代理で寄越そう。大賢者殿に『お誘いいただき大変感謝している』と伝えてほしい」


 そう言いながら、ブロンナーは机の上の書類を脇に退けると、2枚の紙にペンを走らせる。


 「ベアトリクス嬢、悪いが、この『案内状』をワイツゼッカー卿とラウエンシュタイン卿に届けてくれ。二人とも帝都からそう遠くに行ってない。夜会には間に合う筈だ」


 「かしこまりました。大至急お届けいたします」


 中央本庁(ツェントルム)副長官の紋章で封蝋が捺された『案内状』を受け取ったベアトリクスは、スカートを摘まんで恭しく礼をすると、窓の外に身を踊らせた。


 ラベンダーの残り香が鼻孔をくすぐり、ブロンナーは大きく溜め息をつく。


 「さて……今宵は眠れぬな」


 彼はそうぼやいて席を立つと、命令変更の報告のために長官室に向かった。せめて、後々面倒がないように形だけでも整えなければならない。

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