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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第3幕 カズマと銀色の狼人【後編】
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第45話 「誇りと誇り」

【前回のアンクロ】


 居留地からゲルルフのもとにはしった若者、ウィルギルに呼び出されるヨルク老。彼からゲルルフの蜂起に協力するよう求められるが、ヨルク老はそれを拒する。


 と、どこからともなく黒ずくめの男たちが現れ、ヨルク老を暗殺せんと迫った。だが、危機一髪の所でカズマが間に合い事なきを得る。

 食堂は重い沈黙が垂れ込めていた。


 部屋の隅でステラに抱かれ、顎を撫でられているフェレスの喉をならす声がやけに大きく聞こえる。


 居留地、ヨルク老の屋敷。


 ヨルク老はウィルギルを尋問するため、自らの屋敷に場所を移した。だが、屋敷に戻っても誰も口を開かず、今に至っている。


 突然のヨルク老の暗殺未遂、襲撃者の自殺とその死体の消失……色々ありすぎて皆言葉が出ないのだろう。


 「……ゲルルフめはお主に何を命じた」


 沈黙を破ったのはヨルク老だった。老は隣に身を固くして座るウィルギルを横目で見ながら問う。


 ウィルギルは一瞬躊躇ったが、重く口を開いた。


 「あそこで貴方に言った通りだ。今宵銀狼団が挙兵するのにあわせ、居留地も蜂起するよう説得せよ、と……」


 「挙兵……?!」


 ウィルギルの言葉に、俺は思わず声をあげた。


 ゲルルフが挙兵、そしてそれに連動して居留地の狼人が暴動を起こす……まるで、あの悪夢をなぞるようじゃないか。しかも、ゲルルフの奴、クリフトさん……かつてのギーゼルベルトが率いていた銀狼団を名乗るなんて。


 ウィルギルは俺の声に口を歪めるが、ヨルク老に目で促されて話を続けた。


 「俺は我等の義を長老が理解しなかったときはどうするか、とゲルルフに問うた。ゲルルフの答えは『その時は仕方ない』だった。協力が得られないなら諦めると言うことかと、その時は思ったが……まさかあのようなことを考えていたとは」


 俯き、膝の上で拳を震わせるウィルギル。


 「儂の説得に失敗しても、儂を殺せば居留地の狼人を蜂起せざるを得ない状況に追い込める、か……ゲルルフめ、狡い事を」


 ヨルク老はそう吐き捨てると腕を組んで唸った。


 ヨルク老が同じ目的のために居留地の狼人を率いて出馬するのが、ゲルルフにとって最良のシナリオだろうが、ヨルク老には一度要請を断られている。


 しかし、居留地の狼人が共に立ち上がることは、挙兵の大義を語る上で大事なことだ。だから、居留地の狼人を動かす為に障害となる長老を除く……理論としては分からないでもない、が。


 指導者として皆を導いてきたヨルク老の突然の死。柱を失った狼人達は、ゲルルフに煽動されて溜まった不満と餓えによる不安を暴動という形で吐き出す……その結果を、俺は知っている。


 表面的な大義を整えるために道義を歪めることは不幸しか産み出さない。


 その時、部屋の隅でフェレスが『ぐぇっ』と声をあげた。ステラが黒猫を抱く腕に力を込めたのだろう。


 「その、ゲルルフは今夜何をするつもりなんです? どこを攻めるとか聞いていませんか」


 「聞いてどうする。知っていたとしても、人間に同胞を売ることは出来ん」


 俺の問いに、ウィルギルは憮然として頭を振った。


 確かに俺は彼ら狼人にとっては部外者で人間だ。利用された不信はあるにせよ、同じ狼人であるゲルルフを売るような真似はしたくないのだろうが……


 「でも、それがここの狼人に影響するかも知れない……だから教えて下さい。ゲルルフが何をするつもりなのか」


 「これは狼人の問題だ。貴様がそれを聞いてどうするのだ?」


 「……それは」


 ウィルギルに見据えられ、俺は答えに詰まった。確かにゲルルフの計画を知ったところで俺一人に何ができるわけではない。


 と、黙ってやり取りを聞いていたヨルク老が俺をちらと一瞥して口を開く。


 「……余所者とはいえ、狼人が帝都で何をするのか、儂も知る必要がある。それに貴様には長老殺しの片棒を担いだ罪がある。が、話せば不問にしてもよい」


 老の言葉にウィルギルは一瞬躊躇ったが、諦めたように語り始めた。


 「俺も詳しくは知らない。しかし、帝都を火の海にして混乱させ、その隙に乗じて中央本庁(ツェントルム)を攻め落とす計画だと聞いた」


 「帝都を火の海に……」


 やはりそう来るのか。


 夢の中で見た、赤く染まる帝都の夜空と逃げ惑う人々の光景が脳裏を過った。


 ……夢? あれは本当に夢なのだろうか。


 「中央本庁(ツェントルム)を落としたあとはどうするつもりなのか」


 「そこまでは。だが、『中央で狼人が力と誇りを示せば、各地の獣人居留地が戦う意思を取り戻し帝国に反旗を翻す。我々はその先駆けであり象徴となる』……ゲルルフは皆にそう語っていた」


 「……『英雄』ヴィルヘルムの真似事でもする気か」


 ウィルギルの話を聞いたヨルク老は舌打ちをして吐き捨てた。


 「ヴィルヘルム? って誰です?」


 俺の何気ない問いに、ウィルギルだけでなくヨルク老も信じられないといった表情で俺を見る。


 ……つまり、この世界では知っていて当たり前のメジャーな名前らしい。たまにこういう事があると自分がまだ異邦人だと痛感する。


 「『銀狼』ヴィルヘルム……まだ狼人が帝国に支配される前、帝国の侵攻に抵抗して戦いに勝利し、部族ごとにバラバラだった狼人をひとつにまとめて戦った、狼人にとって最高の英雄よ。ゲルルフがよく話してくれた」


 フェレスを抱き締めながら、ステラがボソリと独り言のように言った。


 部族をひとつにまとめ、侵略者に立ち向かう……まるで英雄物語の主人公のような人だな。


 「帝国の支配に立ち向かった英雄、抵抗の象徴、無謀な戦いに民を導いた煽動者、部族秩序の破壊者……総じて狼人にとっては最高の英雄であるが、帝国にとっては最悪の反逆者。簡単に言えばそんな男だ」


 ヨルク老はそう言って溜め息をつくと、顎を撫で、遠くを見るように目を細めた。


 「……ゲルルフの奴、やはり死に急いでいるな。例え事が上手く運んでも、今の狼人に叛乱を起こす余力などあるまい」


 「いや、分からぬよ……地方の居留地の惨状は帝都の比ではない。それに、ゲルルフの事だ。主な居留地に煽動役を潜り込ませる位はしているだろう。何れにしろ、奴の目論見が実現すれば帝国は大きく乱れる……奴がこの賭けに勝てば、だがな」


 いつの間にステラから離れたのか、テーブルに飛び乗ったフェレスがヨルク老に言う。


 ん? いつもの変なイントネーションじゃないな。普通の喋りもできるのか。流石に場の雰囲気を考えたな。


 「如何なる理由があれ、帝国の居留地はゲルルフに与することはない。連中が居留地に立ち入ることも許さん……我等は叛逆の徒ではない」


 ヨルク老は厳しい表情でそう告げた。ウィルギルは黙って頭を下げる。


 これで居留地の狼人がゲルルフに同調して暴動を起こすことはなくなったか。


 これで安心できる? ……いや。


 「……でも、多分それじゃ終わらない、気がします」


 「どういう事だ、人間」


 ウィルギルが苛立ち気味に俺を睨む。俺はその迫力に少し気圧されながら、負けじと睨み返した。


 ただゲルルフの決起に同調しないだけでは駄目だ。これだけは言わなければ。


 「帝都に火が放たれ、街が焼かれれば帝都の人々は火を付けた狼人を憎みます。焼け出された人だけじゃなく、帝都に住むすべての人が。その人達にとってはゲルルフ一党も居留地の狼人も同じです。『自分達は関わっていない。彼らとは違う』と訴えても、彼らは聞く耳は持たないでしょう」


 「……」


 「帝都の人々が居留地の狼人を『敵』だと考えれば、純白の民や狼人を排除したがっている人々はここぞとばかりに狼人への迫害を強める……この前の襲撃よりもっと恐ろしい事が起こるかもしれません」


 勿論、俺の机上の空論に過ぎない。だが、人間の本質は俺の故郷でもこの国でも変わらない。


 恐怖や疑心に駆られた人間は集団になるとどこまでも残酷になる。


 「そうなれば儂も抑えられなくなる……か?」


 「はい」


 俺が頷くと、ヨルク老は瞑目して大きく息を吐いた。


 「一理ある。が……ならばどうする? 座して死を待つか? 自棄を起こして暴動を起こすか? ゲルルフのように」


 「それは……」


 老に問われて、俺は唇を結んだ。


 どうすればいい? どうすれば狼人を救える?


 ーーまあ、一度動き出した流れは、君一人がもがいても止めることはできないだろうね。


 嘲笑う少年の声が脳裏に甦る。


 そう。流れは止められない。ならば流れを変えればいい。俺一人じゃ無理だが、皆の協力があれば……


 「ひとつ、策があります」


 「……ほう?」


 俺の言葉に、ヨルク老は興味深げに目を細めた。


 ……


 ……


 ……


 ……


 「銀狼が決起ですと?!」


 「帝都に火を放つとは、大胆な」


 協会の礼拝堂に狼人達のざわめきが起こる。車座に座った彼等は、ヨルク老の話に動揺を隠せないようだ。


 俺の『策』を聞いたヨルク老は、居留地の町名主ーー地区ごとの長ーーを教会に呼び集め、ゲルルフの決起を伝えた。


 因みに俺はヨルク老の後ろに控えて会議を見守っている。


 「それはまた……まことですか、長老」


 「うむ。このウィルギルが儂に知らせてくれたのだ。我等居留地の狼人にとって見過ごせぬ事態だとな」


 杖に寄りかかって座る老狼人の問いに、ヨルクが隣に座るウィルギルを一瞥して答える。


 「成程……で、我等町名主を招集したということは、銀狼の決起に我等も従う決意でもされましたか」


 「いや。居留地はゲルルフには与しない。我等は叛徒ではない」


 最年長と思われる老人の、何処か他人事のようなのんびりした問いに、ヨルク老はきっぱりと言った。車座が僅かにざわめく。


 「しかし、ゲルルフが帝都に火を放ち、都を灰にすれば、仮に奴が勝ったとしても居留地は人間の憎しみに晒される。ここには女子供、老人が多い。先の襲撃のような悲劇は避けねばならぬ」


 「ならば、我等も銀狼に従い戦うべきではないのですか? 人間の暴力に怯えていては逆に漬け込まれるだけでは?」


 目鼻立ちのくっきりした壮年の狼人が立ち上がってヨルク老に問うた。が、最年長の狼人が杖で彼を制する。


 「長老の話を聞いておらなんだか? 銀狼は己の決起の大義を立てる為に居留地の狼人を捨て石にするつもりじゃ……銀狼が勝っても負けても、居留地の若者は死に絶える。そんな事に付き合えぬ」


 老狼人の意見に、数人の町名主が深く頷いた。壮年の狼人は『むう』と唸ると渋々引き下がる。


 「では、居留地を棄てて避難しましょう。ここに拘る必要はない」


 「逃げて何処に行く。持ち出せる食糧もない。飢え死にするのがオチよ。それに居留地を棄てるのは大罪。騎士団に捕らえられ、ここに連れ戻される」


 「捕らえられるならばよい。下手すれば野盗狩りにかこつけて、その場で皆殺しに遭うわ」


 初老の狼人の意見にヨルク老が答え、斜向かいに座る町名主が苦々しく吐き捨てた。


 「……戦うのもダメ、逃げるのもダメ。ではどうするのだ」


 先程の初老の狼人が溜め息をついて俯き、他の町名主達も黙り混んでしまう。


 ヨルク老は町名主衆をぐるりと見渡すと、重々しく口を開いた。


 「戦うのだ。ただし、相手はゲルルフ……銀狼だ」


 「……なんと! 長老は同胞を討つと言われるか」


 ゲルルフとの共闘を主張した壮年の狼人が声を裏返らせて叫ぶ。他の町名主達も困惑した表情で、互いに顔を見合わせた。


 「別に狼人同士共食いをしようと言うわけではない。ゲルルフ挙兵と作戦の情報を手土産に、騎士団に対して大火を未然に防ぐため、協力を申し入れるのよ……我等の保護を条件にな」


 これが俺がヨルク老に提案した策だ。


 騎士団が居留地を守らせて、戦の混乱に乗じて純白の民や暴徒化した市民が居留地を襲撃する事を防ぐのだ。


 「しかし、何故騎士団と……帝国の連中に手を貸すのです? それに、彼等が我々の手を借りると?」


 帝都からの逃亡を提案した初老の狼人が戸惑いの表情でヨルク老に問う。


 老は笑みを浮かべて彼に答えた。


 「騎士団と共にあれば賊と間違われることもない。それに、見事大火から帝都を救って見せれば帝都の民、さらには帝国全土に我等の力を示す事にもなる。今騎士団はその殆どが野盗狩りに駆り出されて手が足りぬ。我等の申し出を断る理由はあるまい」


 「……」


 町名主衆はヨルク老の言葉にどう答えるべきか迷っているようだ。互いの顔を見合い、小声で話し合っている。


 ゲルルフのように、人間に対して破壊と暴力を振るう事で狼人の力を誇示するのではなく、破壊を防ぎ、街を、人間を守る力となることで狼人の力と誇りを帝都の民、ひいては帝国全土示す。


 勿論狙い通りに行くとは限らない。騎士団、ひいては帝国が狼人の活躍を揉み消す懸念もある。


 しかし、少なくともゲルルフに同調したあの夢のような悲劇的な結末にはならない筈だ。


 と、ヨルク老がひときは大きな声で言った。


 「それに、考えてもみよ。この帝都は我等バルバ獣人居留地の狼人が縄張り。そこをはぐれ者どもに荒らされようとしておる……お主らは耐えられるか? 誇り高き狼人として」


 ヨルク老の言葉に、町名主衆の表情が変わった。


 「確かに、はぐれ狼人が徒党を組んでワシらの縄張りを荒らすのは……良い気持ちがしませんわなぁ? 皆の衆」


 老狼人が杖を支えに、身を乗り出すようにして町名主衆を見渡す。


 と。


 「俺は長老に従う。狼人の力を示すのは、武によるのみに有らず。帝都の民に我等が力だけではない所を見せ付けなければならぬ……それに、これは帝国に恩を売る良い機会だ」


 今まで沈黙していたウィルギルが唐突に立ち上がった。彼の言葉に、町名主衆は口々に同意の意思を示す。


 「……町名主衆は依存ございませぬ……長老のお心のままに」


 老狼人はニヤリと笑みを浮かべ、ヨルク老に告げた。ヨルク老は鷹揚に頷くと、表情を厳しくして町名主衆を見渡した。


 「では、大至急町から目の利く者、鼻の利く者をそれぞれ集めてもらいたい……各々、抜かりなく」





 ーー帝国歴2677年獅子月(レーヴェ)の31日11の刻。事態は流れを大きく変える。


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