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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第3幕 カズマと銀色の狼人【後編】
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第43話 「予感」

【前回のアンクロ】


 カズマは夢を見ていた。火に包まれた帝都を逃げ惑う人々。護衛隊の銃口に突撃し、蹂躙される狼人達、死の静寂に包まれた居留地。

 果たしてそれはただの悪夢か。それとも逃れ得ぬ定めの先触れか。

 「あの状況で生き延びるなんて、君も随分悪運が強いね」


 少年は、濡れ羽色の前髪を細い指で弄びながらそう苦笑いを浮かべた。


 濃い霧が黒々とした森の中をゆっくり流れている。少年ーーヴォーダンは相変わらず場違いなアンティーク調の椅子に座り、椅子の肘掛けに頬杖を突いている。


 五月蝿い。悪運も実力の内だ。くたばらなくて残念だったな。


 「いや、むしろ喜ばしいよ。あそこで簡単に屈してもらっては堕とし甲斐が無い」


 挑発気味に胸を張って見せる俺。だが、ヴォーダンは口許をニヤリと歪めて笑う。


 ちっ……で? わざわざ負け惜しみを言いに出てきた訳じゃないだろ。何の用だ。


 「負け惜しみじゃないんだけどね……まあいい。喜劇(コメーッディエ)も終幕が近づいてきたからね。幕間に役者の顔を見に来たのさ」


 何が喜劇(コメーッディエ)だ。傍観者を気取りやがって。


 「くくくっ……さて、ひとつ君に問おう。誇り高く孤高の狼がまさに破滅への坂道を転げ落ちようとしている。彼は誇りゆえに助けを求めず、孤高ゆえに支える者もない。さて、君はどうする? まあ、一度動き出した流れは、君一人がもがいても止めることはできないだろうね」


 狼って、狼人(ハウド)の事か!? 破滅って何の事だよ。貴様、まだ何か企んでやがるのか!


 「さあ? どうかな。終幕に君はどんな答えを出すのか……まあ、愉快に踊ってよ。楽しみにしているよ。カズマ」


 ヴォーダンはそう言って意味ありげな笑みを浮かべる。


 五月蝿い。誰が貴様の掌で踊るか畜生!


 だが、俺の怒りと怒鳴り声は霧に巻かれて奴には届かない。


 何時ものように不愉快な含み笑いと共に霧が濃さを増していき……俺の意識は闇に堕ちた。





 胸が重い。この感じは前にも……


 俺は眉を顰めると胸の辺りを覗き込む。案の定、そこには黒猫がスフィンクス座りで眠っていた。


 この野郎、寝覚めが悪いときに限って……いや、寝覚めが悪いのはこの重しのせいか。


 駄猫を払い除けてやろうと上体を起こしたが、途端に頭痛に襲われる。体もだるいし腰も痛い。


 くそ……なんだ? 


 「寝た子を払い落とすなんて酷いな」


 欠伸をしながら伸びをし抗議の声をあげるフェレスに、俺は髪を掻きむしりながら舌打ちをした。


 「うるせぇ……俺、どれくらい寝てた?」


 「……二日よ。ここに来てからずっと眠りっぱなし」


 フェレスの代わりに、部屋の隅で膝を抱えて座るステラが少し呆れた口調で答える。


 二日? マジかよ。道理で身体がダルい訳だ。のんびり寝ている暇なんて無いってのに。


 俺が頭を抱えていると、ドアが軋んだ音をたてて開き、狼人の婦人が顔を出した。


 「おや、ようやく起きたね。もう起き上がって大丈夫なのかい?」


 「え? あ、はい……何とか」


 俺の答えに、婦人ーー炊き出しの時に一緒にアントプフを作ったあのおばさんーーは『そりゃ良かった』と笑った。


 「ヨルク様からあんたらの世話を頼まれてね。朝食を食べるか聞きに来たんだけど、どうするね?」


 朝食……そう言えば、中央本庁を出てから何も食べてない。意識すると途端に腹が減ってきた。


 「でも……居留地の食料は」


 「何を遠慮してんだい。大丈夫だよ。若いもんが空腹を我慢するもんじゃないよ」


 口ごもる俺の考えを察したおばさんは豪快に笑って、部屋の隅で隠れるように踞っているステラに顔を向ける。


 「嬢ちゃんも、朝から縮こまって無いで。食べるだろ?」


 「……要らない」


 ステラはおばちゃんからつっと目を逸らす。おばちゃんはそんな彼女に苦笑した。


 「何言ってんだい。朝御飯は一日の活力の源だよ……こっち来てから何も食べてないそうじゃないか。ヨルク様も心配してたよ?」


 「五月蝿いわねっ! もう、私に構わないで!」


 鋭く叫んでおばちゃんを睨み付けるステラ。と、腹の鳴る音がはっきりとわかる程響く。途端にステラはその白い頬を朱に染めて唇を噛み締めた。


 「……っ!」


 「体は正直だね。ほら。さっさとおいで……あんたも、起き上がれるならいつまでも寝てないで」


 おばちゃんは体を揺さぶって呵呵と笑うと、ドアを開けたまま戻っていった。


 やれやれ、相変わらず元気な人だ。


 寝床から起き上がった俺は、改めて自分の体を確認する。腕と体には包帯が巻かれているが、傷の痛みは殆ど無い。体の節々の痛みも感じない。


 フェレスの回復魔法と十分な休息のお陰だな。


 「朝食か。まあ、くれるって言うんだから貰おうか」


 「……」


 部屋の隅で膝を抱えて俯くステラに声をかけるが、彼女は唇を結んだままだ。


 と、俺は大事なことを思い出した。フェレスが言うには、俺をこの部屋に連れてきて、手当てをしてくれたのは彼女だ。


 「フェレスから聞いたよ。色々ありがとうな……迷惑かけちまったな」


 俺は、体に巻かれた包帯を指差してステラに笑いかける。ステラは俺を睨み付けると『ふん』と鼻を鳴らして立ち上がった。


 「あんた、重いのよ。ヨルク爺と二人で運ぶの、苦労したんだから。パパから私の事任されたんでしょ? それなのにあんたが私に苦労させてどうするのよ」


 「……それはすいませんでしたね。お嬢様(フロイライン)


 そのまま部屋を出ていくステラの背中に、わざとらしく慇懃に頭を下げてやる。俺には生意気な口ききやがって。まったく。





 「ま、言うほど大したものは無いんだけどね」


 そう言っておばちゃんが皿に燕麦粥オートミール・ポリッジ……燕麦を野菜くずと一緒に煮たもの……をよそいながら自嘲気味に笑った。


 「いえ。ありがとうございます」


 俺は手短に食事の祈りを済ませると、燕麦粥を一口掬って食べた。


 味付けは塩だけのあっさりしたものだが、空っぽの胃にはこれくらいが丁度いい。


 「うん。美味しいです。なんと言うか、お腹に優しい感じで」


 「そうかい。口にあって良かったよ。本当はパンもあげたかったんだけど……ここの状況はあんたとクリフトが炊き出しに来てくれた時とあまり変わってないからね……いや、備蓄を食い潰している分あの時より悪くなってる。まだ粥が食べられるだけマシだけど、これもいつまでも持つか」


 おばちゃんがふぅっと大きくため息をつく。


 そうか。まだ狼人に対する食糧の取引が妨害されているんだ。居留地の狼人達を取り巻く状況は、あの時からなにも変わっていない。


 「ああ、ごめんねぇ……朝っぱらからしみったれた話して。さっきのは聞かなかった事にしておくれ」


 おばちゃんは寂しそうに笑うと、ステラが無言で突き出す空の皿を取り上げて粥をよそった。


 って、ステラのやつ、もう食べたのか。


 「どうしたんだい、あんた。遠慮しなくていいって言ってるじゃないか。粥が冷めちまうよ?」


 「……あ、いえ。ゆっくりといただきます」


 おばちゃんが少し心配そうな表情で俺の顔を覗き込む。俺は婦人に愛想笑いを返すと、粥を口に運びながら考えた。


 この状況が続けば、そう遠からず居留地の狼人達の食糧が尽きる。そうなれば、飢え死にか居留地から逃げるかするしかない。


 だが、居留地からの逃亡は重罪だ。捕らえられ、罰を与えられて、居留地に連れ戻される。罪人の辱しめを受けた上に振り出し(・・・・)に戻される。彼等にとって絶望その物だろう。


 そしてそんな時、別の狼人達ーー銀狼を名乗るゲルルフが叛乱を起こしたら……?


 ふと夢で見た、狼人達が護衛隊の銃口の列に突撃していく光景が脳裏を過った。


 ……彼等は逃げなかったんじゃない。逃げる場所が無かったんだ。だから人間に一矢報いて死ぬことを選んだ。選んでしまった。


 でも、彼等に選択肢は一つしかなかったのだろうか。


 『誇り高く孤高の狼がまさに破滅への坂道を転げ落ちようとしている。彼は誇りゆえに助けを求めず、孤高ゆえに支える者もない』


 あの少年(ガキ)の言葉と俺の見た夢。冗談や夢の話にしてはリアルすぎる。


 くそっ! イライラする。


 「でも、嬉しいよ。ステラちゃんの元気な姿を見られて」


 「……」


 おばちゃんは優しい微笑みをステラに向ける。だが、ステラは粥に目を落としたままなにも言わない。


 そう言えばステラのやつ、食堂に入って一言も喋ってないな。


 「確かにヒトの血が濃く出てるあんたを見て、『穢れ』だって嫌う奴等も多いけどさ……あんたの事情を知ってる狼人は誰もそんなこと言わないよ。ヨルク様もね」


 「……」


 「あんたの体の半分には、銀狼ギーゼルベルトの血が間違いなく流れている。それは誇らしい事なんだよ。だから、胸を張って居留地に来なよ。堂々としてりゃ、陰口言ってる奴等も黙るさ」


 「……貴女もゲルルフと同じことを言うのね」


 ステラはポツリと呟くように言うと、スプーンを皿に置いた。


 「ありがとう。美味しかった」


 「そりゃよかった」


 そう、笑顔で頷くおばちゃんを一瞥するとステラは音もなく席を立って部屋に戻って行く。


 ……なんか、いつも以上に無愛想だな。ステラのやつ。


 ふと、家が静かなのが気になって、俺はステラの食器を引き上げるおばちゃんに声をかけた。


 「そう言えば、ヨルク老の姿が見えませんね。寝床のお礼を言いたかったんですが」


 「ああ、ヨルク様は朝食に呼びに行く少し前に出掛けたよ」


 おばちゃんの答えに、俺は背筋にぞわりとしたものを感じた。出掛けた? ヨルク老が?


 「どちらに? お一人でですか?」


 「えっと……人に会うとしか聞いてないよ。他に連れは居ないみたいだったから、一人じゃないかい? まあ、あの人は忙しいからね。すぐ帰ってくるさ」


 「おばさん、俺、少し出掛けます。朝御飯ありがとうございました。美味しかったです」


 俺は残りの粥を掻き込むと、おばちゃんに頭を下げ、部屋へと急いだ。


 ヨルク老がここを出たのが俺達が食事を始める少し前。なら、まだ間に合う(・・・・)か。


 「……カズマ?」


 部屋の隅にしゃがみ、フェレスを抱き抱えて喉をくすぐっていたステラが、訝しげな表情で俺を見る。


 「……フェレス、ヨルク老の居場所はわかるか?」


 「むぅ? そやな。探知魔法ならば……むっ……造作もない」


 壁に立て掛けてあったサーベルを佩きながら問う俺に、フェレスは少し上擦った声で答えた。ステラにくすぐられるのが余程心地よいらしい。


 「じゃあ、頼む。急いでくれ」


 俺はフェレスの首根っこを掴んでステラから引き剥がす。抱いていた猫を取り上げられたステラが頬を膨らませて俺を睨む。


 「……ヨルク爺を探してどうするの?」


 「わからない……でも、嫌な予感がするんだ」


 「嫌な予感って、なにそれ……」


 はっきりしない俺の言葉に眉を顰めるステラ。彼女は少し考えると、立ち上がって髪を掻きあげながら笑って言った。


 「なら、私も連れていってよ」


 「……何でそうなるんだ?」


 「ただの好奇心よ。そんな風に言われたら気になるじゃない……悪い?」


 ジト目で睨む俺に、ステラは意味ありげな笑みを返す。


 危険かもしれないから来るな……と言いたいところだが、この子はそう言われて大人しく待っているような娘じゃないか。


 黙って後をつけられるくらいなら最初から連れて行った方が無難か。


 「好きにしろ。危ないことになっても知らないぞ?」


 「私は銀狼の飾りじゃ無いわ。ある程度なら自分の身くらい自分で守れる……それに本当に危なくなったら、あんたが守ってくれるんでしょ? この前みたいに」


 「あ? 何だよ、それ」


 ステラの言葉に顰める俺。だが、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると、跳ねるように部屋を出ていく。


 ったく。何なんだ? あいつ。


 「なあ、そろそろ下ろしてくれんか? この体勢、なかなかキツイわ」


 フェレスが苦しそうに呻く。そういや、まだ首根っこ摘まんだままだった……それより急がないと。なんだか胸騒ぎがする。何か、取り返しのつかないことになりそうな……





 ーー時に帝国歴2677年獅子月(レーヴェ)の31日。後に『血の栄光の日』と呼ばれる長い一日が始まる。


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