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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第3幕 カズマと銀色の狼人【後編】
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第42話 「悪夢」

【前回のアンクロ】


 カズマ達がゲルルフとの激戦を繰り広げている、同じとき。

 皇帝ジムクントのバラ園にて、ウラハ公と大賢者メアリムもまた静かな戦いを演じていた。

 そしてウラハ公の屋敷にて交わされる密談。事態は風雲急を告げる。

 街が燃えている。


 舞い散る火の粉の中、俺は真っ赤に燃える夜空を見上げて呆然とした。


 一体……何が起きているんだ?!


 炎や煙から逃げ惑う人々……一人が俺の肩にぶつかる。


 「ボサっと突っ立ってるんじゃない! 邪魔だ!」


 「っ! すいません……あの、何があったんですか?」


 俺はその人を捕まえて問う。


 「何って……居留地の野良犬どもが暴動を起こしやがったんだ! 連中め、帝都中に火を付けて暴れてやがる……中央本庁(ツェントルム)も襲われたらしい」


 狼人が暴動……? 中央本庁が襲撃されたって、何かの冗談だろ?


 「あの噂は本当だったのさ! 連中が暴動を起こすって。全く、狼人(ハウド)は根絶やしにしなきゃ! あんたも早く逃げないと戦に巻き込まれるよ!」


 後ろから走ってきたおばちゃんがそう言って後ろを指差す。


 戦って……帝都の真ん中で?


 訳がわからない。俺が知る限り、バルバ獣人居留地の狼人には暴動を起こすような雰囲気は感じられなかった。


 第一、居留地にはヨルク老がいる。あの人が長としている限り、暴動なんて起きない筈……


 そんな俺の思考は、空気を震わせる轟音で途切れた。


 あれは、銃声? 向こうの通りからか。


 逃げ惑う群衆を掻き分け、流れに逆らい俺は銃声の聞こえた路地に走る。





 「皆、恐れるなっ! 狼人の誇りを! 偉大なる長老ヨルクの仇を! 我々の怒りを今こそ叩き付けるんだ!」


 狼人の青年の叫びに、通りに集まった多くの狼人達が雄叫びをあげた。


 先頭に立っている青年には見覚えがある。確か、純白の民の居留地襲撃のあとヨルク老に詰め寄っていた若者の一人だ。


 狼人達は鍬や棍棒、フォークを手に通りを進んでいく。若者だけではない。老人や女性の姿もある。


 偉大なる長老ヨルクの仇? ヨルク老の身に何かがあったのか?


 ふと、狼人の中に見知ったご婦人ーー一緒にアントプフを作ったおばさんの姿を見つけた俺は、彼女を呼び止めようとして足を止めた。


 彼等が向かう先に人の壁が見える。青い軍服の一団ーーあれは護衛隊だ。


 護衛隊は鍬やフォークを構えて通りを行進する狼人達を冷たい目で睨み付け、その行く手を阻んでいる。


 「第一列、構えっ!」


 隊列の後方、白馬に跨がり、軍服に豪華な飾りをつけた金髪の若者がサーベルを抜いて叫ぶ。護衛隊は躊躇うことなく狼人に銃口を向けた。


 「皆っ! 伏せて! 逃げるんだっ!」


 「狼神(ヴァナルガンド)よ! 祝福を!」


 俺の叫びと、狼人の先頭の青年が叫びながら駆け出すのがほぼ同時。青年の叫びに応えるように、他の狼人達も走り出す。


 銃口に向かって。


 「撃て(フォイアー)っ! 」


 金髪の指揮官が嬉々とした笑顔を浮かべてサーベルを振り下ろす。僅かに間をおいて横一列に並んだマスケットの銃口が一斉に火を噴いた。


 耳をつんざく轟音が空気を震わせ、俺は衝撃で尻餅をつく。


 もうもうと立ち込める白煙と火薬の臭いに噎せながら、俺は起き上がって息を呑んだ。


 石畳が血に濡れ、多くの狼人が倒れている。それでも彼等は止まらない。仲間の死骸を乗り越え、傷付いた仲間を支えながら、狼人達はなおも突撃を止めない。


 その表情は笑っているようにすら見える。この勢いなら護衛隊が2発目を射つ前に隊列を食い破る事ができる……か?


 「第二列前へっ!」


 指揮官の号令に、前に並んでいた騎士たちが素早く後方に回る。


 ……反転後進射撃カウンター・マーチ?! 間をおかず2発目が来る! 駄目だ。この距離じゃ避ける暇がない!


 「構えっ!  ……てぇぃっ(フォイアー)! 」


 目の前に雷が落ちたかのような轟音と衝撃が俺を襲った。銃口から噴き出す白煙が視界を覆い、俺は思わず腕で顔を庇う。


 その時、耳元を虫の羽音のような音が過った。銃弾が掠めたのだ。


 くっ……皆、どうなったんだ!?


 「総員、抜剣! 野良犬狩りだ! 皆殺しにしろ!」


 たくさんの鞘走りの音。炎に照らされた刃の煌めきが鬨の声と共に迫る。


 残虐な笑みを浮かべた護衛隊が折り重なるように倒れた狼人達の死体を踏みつけ、蹴飛ばし、半ば戦意を喪失した狼人達に襲いかかった。


 鍬などの農具や棍棒で武装しているが、戦意をほぼ失った民間人と、サーベルや槍で武装し、剥き出しの敵意をぶつける軍人。


 それがぶつかったら、どうなる?


 自暴自棄になって鍬を振り回した狼人が槍で串刺しにされ、さらに数人の兵士からなます斬りにされる。


 フォークを構えた狼人の婦人は短銃で至近から撃たれ、倒れたところを鉾槍の兵士数人から滅多刺しにされる……


 暴徒の鎮圧なんてモノじゃない。これは虐殺だ。一方的な殺戮だ。


 悲鳴と断末魔、罵声と哄笑。吐き気がするほど濃い血の臭いのなかで、俺は叫んだ。『やめてくれ!』『逃げてくれ!』……だが狼人達は立ち向かう事をやめず……最後の若者が十人近い兵士の槍で突き殺されるまで虐殺は終わらなかった。


 「諸君! 反逆の徒は滅んだ! 我々の勝利だ!」


 指揮官が高らかに勝利を宣言し、護衛隊が血に濡れた武器を天に突き上げて勝ち鬨をあげる。


 「さあ、勝利の栄光を確かなものとするのだ! このままバルバ獣人居留地を落とすぞ!」


 「おおおっ!」


 地鳴りのような声。兵士の表情は殺戮の興奮でギラギラしている。まるで野獣だ。


 居留地を落とすって、マジか。あそこには子供たちや乳飲み子を抱えた母親が居る……この状況だから避難しているかもしれないが、逃げ遅れた人が居るかもしれない。


 俺はふらつく体を叱咤して起き上がると、居留地に向かって走った。





 「なんて……」


 思わず独り言ちた俺は、言葉が続かず立ち竦んだ。


 居留地のバラックはその殆どが焼かれ、煙が燻っている。中心だった広場には、狼人達の死体が山のように積み重ねられ、または逆さに吊るされていた。


 間に合わなかった……のか。


 「穢らわしい犬どもめ! よくも俺の家に火をかけやがって……!」


 帝都の市民とおぼしき男達がそう吐き捨て、吊るされた死体に石を投げつけている。


 俺の側を通り過ぎた老人が、広場を見渡しため息をついた。


 「確かに狼人達の罪は重い……しかし、まだ幼い子供まで惨たらしく殺すことは無いんじゃないか」


 「なに甘ったれた事言ってんだ? じいさん。今はガキでもすぐに大人になるんだ。そいつらがまた人間を殺すんだぜ? 銀狼みたいにさ。だからガキのうちに殺すんだ」


 老人の息子だろうか。隣の若者が無造作に転がされた子供の狼人の死体を睨み、憎々しげに言った。


 血の臭いに引き寄せられたか、居留地の空には夥しい数の烏が舞っている。


 かつてクリフトさんと炊き出しをした広場。


 なにがどうなってこんな事になったのか。


 「銀狼も愚かよ。狼人の誇りかなにか知らぬが、帝国に勝てもせぬ戦を挑むとは……その為に同胞が殺し尽くされては意味がなかろうに」


 「全くだ。同胞を殺されたのに、自分は逃げ出したんだろ? 何処かでまた叛乱を企んでるって噂だが……」


 あの親子の会話が聞こえる。銀狼……ゲルルフが叛乱を起こし、それに居留地の狼人が同調した? 


 ふと、地面に小さな塊がふたつ横たわっているのが見えた。胸にざわめきを感じて駆け寄る。


 「ダニー……ディモ……」


 見知った少年達の無惨な姿に、俺は崩れるように膝をつく。


 逃げる最中、ディモが転けたのだろうか。俯せのディモは背中から槍で突き殺され、それを庇う形で倒れたダニーは袈裟懸けに斬り捨てられている。


 その表情は怒りと恐怖で歪んでいた。


 ちくしょう……何てこった。叛乱を鎮め、暴徒を鎮圧するまではいい。だが、戦意を喪失した暴徒やなんも関係ない子供や女性まで皆殺しにする必要があったのか?


 悲しみと怒りが膨れ上がり、感情が爆発して叫びたくなる。


 「許せない……本当に」


 冷たい呟きに、俺はハッとして顔をあげた。そこには黒のローブを纏い、深くフードを下ろした少女が立っている。


 僅かに覗く銀髪、鮮やかな洋紅色(カーマイン)の瞳。


 「ステラ……」


 だが、少女は俺に気付いていないのか、きつく唇を結んで広場を睨み付けている。


 「そうだ……傲慢な帝国人は自分達以外を人間とは思っていない。そんな腐敗した連中には我々が思い知らさねばならない。自分達の矮小さを」


 「その為に全部ぶっ壊すのさ……楽しいぜぇ?」


 ステラの後ろに現れた二人の黒いローブの男……あの声は来栖に烏丸!


 「さあ、行こうか……帝国に、世界に鉄槌を下すために」


 来栖が冷たい微笑みを浮かべてステラの肩に手をかける。少女は小さく頷くと、踵を返した。


 「ちょっ……待てっ! ステラ! そいつは駄目だ! 戻れ!」


 少女を追おうと駆け出そうとするが体が動かない。それどころか体の感覚が薄れていく。


 「そうだ。もっと血肉が、命が……変革のためには必要だ」


 来栖が俺の方を向いて暗い笑みを浮かべた。


 ステラ! こら! 来栖! このやろ待ちやがれ畜生!


 腹の底からの叫びは声にならず……やがて俺の視界は闇に包まれた。





 「ステラっ!」


 「……何よ。さっきから五月蝿いわね」


 「……すまん」


 寝床から跳ねるように上体を起こした俺は、ステラのくぐもった抗議の声に反射的に謝る。見ると、ステラは俺が寝ている寝床に突っ伏すようにして眠っていた。


 灰色の耳をピクピク動かしながら、組んだ腕の間から俺を睨み付けている。


 「もう。寝言でかすぎ。少しは黙って寝て」


 ステラはそう言ってため息をつくと、再び腕に顔を埋め、すぐに寝息をたてはじめた。


 ……寝付くの早いな。


 しかし、ここは……どこかの部屋か。窓から差し込む月の光に朧に照らされたそこは、物が雑然と置かれた物置のようにも見える。


 夜、か。あれからどれくらい経ったのだろう。


 しかし……さっきのは夢にしてはリアルだったな。それに……すごく嫌な夢だった。


 俺は溜め息をつくと、ベッドに倒れ込む。寝汗が気持ち悪い……そういや、俺はあれからどうなった?


 「なんやカズマ、顔色悪いな。悪い夢でも()たか」


 耳元で変なイントネーションが聞こえる。首を巡らすと、薄闇の中で黄金色の双眸が光っている。


 「フェレス……なんだ、元に戻ったのか」


 「いつまでもあんなでかい図体で居れるか。それより、調子はどや?」


 フェレスは俺の枕元で横座りの姿勢で座り、俺を見つめて問う。


 調子……? そう言えば。俺は確認するように右腕と脇腹を触った。包帯が巻かれ、手当てされている。だが、痛みはあまり感じない。


 確か、狼人との戦いで結構深い傷を負った筈だ。


 「久々にやってみたが、上手くいったようやな……傷を癒す魔法は繊細やから難しいんや」


 そう、顔を前足で撫でながら言うフェレス。そっか。回復魔法……そう言えばメアリムの爺さんに前かけてもらったな。こいつも使えるのか。


 「ありがとう……助かったよ、フェレス」


 「礼はワイよりもステラ嬢ちゃんに言い。気を失ったお前をここまで運んで、怪我の応急処置したのは嬢ちゃんや」


 そうか……彼女がここまで。そりゃ迷惑かけたな。


 俺は寝床に突っ伏して静かな寝息を立てる少女の銀髪をそっと撫でた。いつもつんけんしてるけど、本当は優しくていい子なんだよな。ステラは。


 と、ステラの寝顔に俺はハッと思い出した。


 「クリフトさんは? 大丈夫なのか?」


 「連絡はない。やが、心配は要らん。あれは見た目と違うて修羅場を死ぬ程潜っとる。引き際を間違うことは無い。信頼してやれ」


 「……信じる、か。そうだな」


 フェレスの言葉に俺は深く溜め息をついた。そうだよな。クリフトさんは死に急ぐような人じゃない。無事を信じよう。


 「……で、ここは何処なんだ? フェレス」


 「ここか? バルバ獣人居留地、ヨルクの屋敷や……屋敷言うてもバラックに毛が生えた程度やがな。しかしまあ、ここはエルザの墓から近いし、狼人から逃げるには別の狼人の縄張りに駆け込むのが一番やからな」


 俺の問いに、フェレスは欠伸混じりに答える。まったく、一言余計だ。


 そうか……ヨルク老の。しかし、ステラもいるのによく入れてくれたな。


 俺は前に見た、厳つい老狼人の顔を思い出す。その時、俺の脳裏にさっき夢で聞いた言葉が過った。


 『皆、恐れるなっ! 狼人の誇りを! 偉大なる長老ヨルクの仇を! 我々の怒りを今こそ叩き付けるんだ!』


 そう言えば、夢で一度もヨルク老の姿を見なかったな。あの言葉の意味は……


 何だろう……何か、悪いことが起きるような。そんな予感がする。


 あれこれ考えても仕方無いかもしれないが、夢にしてはリアルすぎたし、目が覚めてもはっきりと覚えている……所詮夢の話だと流してしまうのはいけない、そんな気がする。


 「カズマ……今は休め。あれこれ考えてもしょうがない。体を万全にしとかんと、いざというときに身動き取れんで後悔するで」


 フェレスはそう言うと、前足を俺の額に乗せて何事か呟いた。すると急速に眠気に襲われる。


 これは……睡眠魔法……か。


 そして俺は再び深い眠りに堕ちた。



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