第41話 「舌戦」
【前回のアンクロ】
狂戦士との戦いで傷を負い、体のバランスを崩してしまうカズマ。ステラを庇い、絶体絶命のピンチに颯爽と現れたフェレスに救われ、九死に一生を得る。
フェレスの魔法と殿として残ったクリフトの奮戦により何とか撤退に成功するが……
ーー獅子月の28日。昼14刻を少し回った頃。カズマ達がゲルルフと丘の上で対峙していた、ほぼ同時刻。
帝都の喧騒など全く届かない王城の最奥、ヴェスト城王宮庭園。
小鳥の囀りが微かに聴こえる静かな庭園は今、薔薇の花が一面に咲き誇っていた。
薔薇の名は『サブロワ』。オスデニア帝国初代皇帝オディス=フォン=ノブリスが愛し、自らの名を与えたと伝えられる。
オスデニア帝国の国章にして皇帝の象徴。『皇帝の薔薇』と呼ばれる深紅の薔薇だ。
「いやはや、今年も見事に咲きましたな……実に美しい。オスデニアの精神が形になったようです。これも陛下のお力の賜物ですな」
一面の薔薇を見渡しながら、白髪混じりの金髪の男が感嘆の声を上げた。
男の小太りの体を纏う豪華な服は、大樹に絡み付き、その根を齧る大蛇の紋章が金糸銀糸をふんだんに使って刺繍されている。
『怒りに燃えて蹲る者』の紋章ーー四公筆頭、ウラハ公ゲラルト卿その人である。
「……世辞はよい」
ジムクントは切り落とした薔薇の咲きがらを側に控える家令に手渡すと、やや憮然とした表情をウラハ公に向ける。
「世辞などと……臣は世辞が苦手でございますゆえ、そのような事は……のう? ハーラルト公」
「はい。私も初めて王宮庭園を拝見いたしましたが、ウラハ公と同じく、あまりの美しさ感に堪えません」
ウラハ公は、まるで身ごもった猪のような体を揺らして笑う。ハーラルトと呼ばれた金髪に鳶色の瞳を持った若者も、ウラハ公に倣うように感動の言葉を口にした。
「まあよい」
皇帝は二人の言葉に肩を竦めて苦笑した。と、ウラハ公が思い出したように口を開く。
「しかし、今日の四公会議も何とかまとまりましたな。これでラーヌ運河の補修拡張の普請と竜退治祭の運営資金の徴収は滞りなく進みましょう……各貴族の負担割合を決めるのは骨が折れまする」
「そなたが巧みに取り纏めたお陰だ」
「有り難き御言葉。恐悦至極にございます」
ジムクントの言葉に、ウラハは胸に手を当て恭しく頭を下げた。
「……ところでウラハよ」
「はい陛下」
薔薇の咲きがらに鋏を入れながら何気ない口調でウラハ公を呼ぶ皇帝。だが、その言葉で場の雰囲気が変わったことを察したウラハ公は、顔からスッと笑顔を消した。
「この度の騎士団の大動員、聞けばそなたの息子の献策だそうだな」
「いやはや、愚息にはそのような権限はありませぬ……あくまで長官に意見を述べたまででございます」
「中央本庁長官は卿の息子の意見を無下にはできぬだろうよ」
咲きがらを切り落とす鋏の音が庭園に鋭く響く。
「世を騒がせる銀狼も未だ捕らえられておらん。賊の討伐も大事だが、帝都が手薄になるのは困るな」
「帝都には息子が率いる護衛隊の精鋭がおります。例え乱が起きてもすぐに鎮圧して見せましょう」
「……期待しておこう」
皇帝は表情を変えずにそう言うと、家令の盆に薔薇の咲きがらと剪定鋏を置いた。
その時、奥に控えていたメイドが家令に何かを囁く。家令はメイドに小さく頷き、皇帝に小声で告げた。
「陛下、イスターリ卿がお見えです」
「うむ。通せ」
少しして、魔法使いの礼装である白のローブに身を包んだ白髭の老人が先程のメイドに付き添われて王宮庭園に入ってきた。
「なっ……メアリム? ……イスターリ卿だと」
メアリムの姿を目にしたハーラルト公が思わず大きな声をあげる。若い公爵の慌てた様子に、ジムクントが僅かに眉を顰めた。
「イスターリ卿は朕が呼んだのだ。驚くことはあるまい」
「昨日大賢者殿の屋敷が『純白の民』の焼き討ちに遭い、行方知れずと聞いて心配していたところでございます。無事な姿を目にしてハーラルト公も安心のあまり大きな声が出たのでしょう」
「え、ええ……大賢者メアリム殿は帝国になくてはならぬ御方ゆえ、我々も身を案じていましたから」
ウラハ公の助けに、ハーラルト公はぎこちない笑顔で頷く。皇帝は『そうか』と短く答えると、大賢者に笑いかける。
「そのような中よく来てくれたな、メアリム」
「臣は陛下の御召しなら地の果てまで駆け付けると申しました故。しかし……」
メアリムはジムクントに胸に手を当てる貴族の礼をし、ウラハ公らに向き直った。
「曲者が純白の民だと既にご存知とは……まだ騎士団しか知らぬ筈ですが、流石はウラハ閣下ですな」
「……貴族は耳聡い。些細な噂も瞬く間に広がるものだ。覚えておくがよい」
「心に留め置きましょう」
口許を歪め無愛想に言うウラハ公に、メアリムはにこやかな微笑みで会釈する。そしてふと思い出したようにハーラルト公に声をかけた。
「そういえば……確かハーラルト公は御老父様の代から純白の民を支援されているそうですな」
「確かに先々代はそうであったが、父の代で縁を切っている。今は何の関わりもない! 当家を侮辱するか?!」
「これはしたり。確かに高貴なる公爵家があのような無法者どもを支援されるわけがありませぬな……失言、お許しください」
メアリムの言葉に激高するハーラルト公。老賢者は失言を詫び頭を下げる。だが、その口許に浮かんだ意味ありげな笑みをウラハ公は見逃さなかった。彼は二人の間に割って入ると静かに二人を諫める。
「お二方、控えられよ。畏れ多くも陛下の御前である」
「……! 申し訳ございません」
「いや、私も口が過ぎもうした」
ハッとして引き下がるハーラルト公。ウラハ公は若い公爵を一瞥すると、にこやかな微笑みを大賢者に向ける。
「しかし……高貴さでは、我々公爵もイスターリ卿には及ばぬよ。何せ卿の執事に神の奇蹟が起こったのだからな。流石は大賢者。日頃の徳高い行いを神は見ておられる」
「徳など……大賢者といっても、ただの俗物に過ぎませぬ」
恐れ入った表情で謙遜するメアリム。ウラハ公は『いやいや』と相槌を打つとスッと目を細めてメアリムを見据えた。
「……奇蹟と言えば、今年の新年の宴でイスターリ卿が披露した『海上歩行の奇蹟』の再現は素晴らしかった。来年の宴では何を見せてくれるのかな? ……例えば『磔刑の雷の奇蹟』などどうであろう。さぞ迫力があろうな」
「お戯れを。いくら大賢者でも雷は落とせませぬよ……閣下。そういう閣下は最近、出資している商人が大いに繁盛しているとか。人を見る確かな目、あやかりたいものです」
「なに、たまたま波に乗っただけよ。商いは水物と言うであろう?」
ウラハ公の言葉に、メアリムはゆっくりと頷いて相槌を打った。その表情はこやかな笑みを浮かべながらも目は鋭く公爵を見返している。
二人の間に張り詰めた緊張が走った。
「3人とも、立ち話もなんであろう。茶の用意をさせる。続きは部屋でするとよい」
今まで沈黙していた皇帝の一言で緊張が途切れ、ウラハ公は小さく息を吐いて頭を振った。
「いえ……臣も陛下の御前で失礼を致しました。ハーラルト公と政務の打ち合わせが有りますゆえ、ここで失礼致します」
「そうか」
深々と頭を下げるウラハ公に、ジムクントは頷き、傍らの家令に手で合図する。家令は『かしこまりました』と低く答えると、二人の公爵を見送った。
ウラハ公とハーラルト公が庭園を去ってから暫くして。
「なかなか面白いやり取りであった」
「お恥ずかしい。年甲斐にもなく熱くなってしまいましたわい」
老賢者が自嘲気味に肩を竦め、皇帝は愉快そうに喉をならして笑う。
「ウラハではないが、儂も『雷の奇蹟』は見てみたい」
「……あれはなかなか力を使いまする。もう二度とやりたくありませんわい」
「左様か。残念だな」
薔薇の花を覗き込みながらジムクントはニヤリと笑い、すぐに表情を引き締めた。
「それで、やはりフッガー商会を動かしているのはウラハか」
「はい。現フッガー商会当主、アーブラハムは先代の実子ではなく養子。フッガー家に入る前はウラハ公に仕えていた事がわかっています。最近フッガー商会が宰相閣下に近い商人の販路を強引に奪っている背後には、ウラハ公が居ることは間違いないかと」
メアリムはそこまで言って言葉を切ると、顎髭を撫でながら溜め息をついた。
「ただ、何故銀狼がウラハ公やフッガー商会の狙う商人だけを襲ったのかは……いまだ分かりませぬ。明らかに何らかの意図が働いておるのですが」
「フッガーが銀狼を雇い、商売敵を襲わせたのではないか」
ジムクントは低く唸り、目線だけメアリムに向けて問う。
だが、大賢者は肩を落として頭を振った。
「狼人は個人の利より種族としての矜持を重んじます。まして、ゲルルフ=バルツァーは命より誇りを取る男。いくら金を積まれても、狼人排斥を公言して憚らぬ男には与しないでしょう」
「……やはり、間になにかある……か」
「恐らくは」
メアリムはそう言って目を閉じた。恐らくは……あの夜雑木林で自分を襲った連中がそうなのだろう。
記憶が正しければあれは……
(使徒か。厄介じゃのぅ)
「ウラハ伯父上……先程は申し訳ございませんでした」
帝都、ウラハ公の屋敷。
深紅の天鵞絨の絨毯が敷き詰められた豪奢な書斎。ハーラルト公はウラハ公の背中に深く頭を下げた。
「ケヴィン、物事に熱くなるのは若者の特権だが、熱くなるあまり場と己を見失ってはならん。あの魔法使いのように老獪な者は、何気ない言葉の中に毒針を仕込んでおるもの。今後は気を付けよ」
「はっ……」
ウラハ公は窓から見える王城の尖塔を見つめながら、若い公爵を諭すように言う。ハーラルト公は顔を上げ表情を引き締めた。
その表情を肩越しに見て満足げに頷いたウラハ公は再び窓の外に目を向ける。
「なに、焦らずともよい。じっくり機会を待ち、その時が来れば逃さず一気に食らいつくのだ。今はその機会を作るための下準備よ」
「……伯父上の先を見通した深いお考え、このケヴィンも学びたく存じます」
ウラハ公の言葉に、ハーラルト公は思わず生唾を飲み込んだ。
ハーラルト公が書斎を辞した後、ウラハ公は椅子に深く腰かけると独り溜め息をついた。
「老いぼれの手品に一杯食わされたな、オージン」
「はい。噂に違わぬ芸達者ぶりでございます……あれの息の根を止めるのは容易為らざる事で」
いつの間にか、書斎の片隅、カーテンに隠れるように黒いローブで身を包んだ小柄の老人が立っている。
ウラハ公はどこか小馬鹿にしたような老人の物言いを鼻で笑った。
「大賢者の影響力は未だ大きい……始末するなら、その影響力を削ぎ落とした上でも相当に気を遣わねばならぬ。そして、今はまだその時ではない」
「……心得ました」
オージンと呼ばれた黒衣の老人は、ウラハ公の言葉に体を折るほど頭を下げる。
「それで、野良犬どもを解き放つのはいつになるか?」
「はい。あと3日で全て整いまする……あとは閣下のお心次第」
黒衣の老人はフードの奥の顔を不気味に歪めて笑う。ウラハ公は老人の答えに鷹揚に頷いた。
「任せる」
「御意」
不気味な含み笑いを残し、オージンの姿はカーテンの闇に消えた。
今度こそ独り残ったウラハ公は、小さく溜め息をつきニヤリと口許を歪ませる。
「さて、銀狼とやらはよく踊る飼い犬か、ただの野良犬か……」




