第40話 「死地」
【前回のアンクロ】
クリフトとカズマを消すため、狂戦士となった狼人を引き連れ襲撃を仕掛けてくるゲルルフ。
ついに戦いの火蓋が降りる。果たして生き残るのはどちらか?
「ガアァァァっ!」
荒々しい咆哮と共に振り下ろされる長剣をサーベルで弾く。鋼がぶつかる耳障りな音と激しい火花に俺は強く舌打ちをした。
まだ打ち合い始めて3合だというのに衝撃で腕が痺れる。『身体強化』で腕力を強化してこれだ。
なんて力だよっ! 畜生!
相手は体勢を崩しながらも強引に斬り込んでくる。俺は力任せに振り下ろされた刃を受け流し、間合いを取るため後ろに跳んだ……刹那!
背中に突き刺さる殺気を感じた俺が慌てて体を捻るのと、槍の穂先が俺の居た場所を貫くのがほぼ同時。
何とか串刺しは避けたが、脇腹に鋭い痛みが走った。
いってぇなあっ! くそっ!
「グォァっ!」
思わず足の止まった俺に、長剣の狼人の突きが迫る!
「ちぃっ!」
くそっ! この体勢じゃ受けることも弾くことも出来ない!
俺は咄嗟に地面に身を投げ出す。が、間に合わず切っ先が右の二の腕を抉った。
痛みに顔を顰めつつ、地面を転がって間合いを取り、起き上がった俺は息を飲む。
突きを放った狼人の腹を槍が貫き、槍を突き出した狼人の肩を長剣が貫いている。双方勢い余って互いの得物に突っ込んだか。
同士討ちーー普通ならこれで二人ともダウンだが、彼らは倒れるどころか、何事もなかったかのようにそれぞれの得物を相手から引き抜き、唸り声をあげながら俺に向かってきた。
二人とも傷口から夥しい血が流れている。その目は赤く血走り、口の端から泡を吹いていた。
痛みを感じず、恐怖を覚えずただひたすらに戦う戦士……そういうことか。狂戦士ってのは伊達じゃないな。
痛みで止まらない彼らを無力化するにはどうするか? 俺の技量で一太刀で息の根を止められる自信はない……ならぶん殴って気絶させる!
ーーいいのかい? それで。戦いは効率的でなきゃダメだよ。
背後でせせら笑う少年の囁き……いつかの鐘楼の時と同じあのガキの干渉か。俺は息を吐いてサーベルを八相に構えると、刃を反した。
「ガゥゥウ!」
「はぁあっ!」
体重の乗った短槍の突きを体を回転させて躱し、その勢いのまま柄頭で狼人の顎を殴り付ける。脳震盪を起こしてふらついた所を後頭部に一撃。
槍の狼人が頭から地面に崩れると同時に、長剣が俺の頭目掛けて振り下ろされる。
普通なら避けられないタイミング……だが!
「らぁっ!」
返す刀で長剣を弾いて軌道を逸らし、がら空きになった眉間に、剣道の面の要領で峰打ちを叩き込む!
「……っ!」
急所を強打し、体勢を崩した長剣の狼人。さらにその顎をサーベルの護拳で思い切り殴る。
狼人が目を剥いて崩れ落ちるのを見届け、俺は肩で息をしながら周囲を素早く見渡した。
ようやく二人か。あと何人居るんだ?!
ふと、腕と脇腹に鋭い痛みを覚えた。舌打ちをして脇腹の傷に触り、その手を見て俺は絶句する。
掌が血で真っ赤に濡れている。身体強化魔法とアドレナリンのお陰で痛みは鈍いが、思ったより傷が深いのか?
くっ! 不味いな……
不意に背筋に悪寒が走り、俺は身を屈めた。直後頭上を重い音か空気を裂いて通り過ぎる。
転がるようにしてその場を離れ、振り返った俺は冷や汗をかいた。
目の前で筋骨隆々の狼人が鬼の金棒のような戦棍をバットをフルスイングするように構えている。
ちょっと待て! あんなのまともに喰らったら、頭が柘榴じゃ済まないぞ!?
「『飛礫』っ!!」
叫ぶように発した『ことば』に応え、拳大の石が狼人に飛ぶ。だが、礫を鳩尾にまともに喰らいながら狼人は倒れない。
「……ちぃっ! こいつもか!」
だが、戦棍の狼人は顔を歪めて動きを止めた。痛みは感じなくても急所への一撃は応えたらしい。その機を逃さず、こめかみを柄頭でぶん殴る。
殴ったとき、頭がぐらりと揺れた気がした。
ーー何故斬らないんだい? その方が殴って無力化するより簡単なのに。
五月蝿い! 黙れっ!
少年の囁きを振り払うように腕を振り抜く。戦棍の狼人が音を立てて草むらに沈んだその時、絹を裂くような少女の悲鳴が響いた。ハッとして声の方を向くと、ステラに戦斧やサーベルを手にした狼人たちが迫っている。
あいつ、まだあんなところに居たのか!?
「ちょっとアンタ達! いい加減にしなさいよ!? 私の顔も分からなくなったわけ?!」
口では憎まれ口を叩いているが、後退るその表情に怯えが見える。
「……! ステラ!」
ゲルルフと組み合っていたクリフトさんが叫ぶが、場所が離れていて間に合いそうにない。
「くそっ!」
俺はステラと狼人の間目掛けて全力で駆けた。
「……っきゃぁ!」
足をもつれさせたステラが短い悲鳴をあげて尻餅をつく。サーベルを構えた狼人が獲物に食らい付く狼のように切っ先を少女に向けた。
間に合わないかっ! なら!
「『飛礫』っ!!」
『ことば』を紡いだ瞬間、軽く目眩を感じるが、強引に魔法の飛礫を放った。
先程よりは小振りな石礫が空を切って飛び、今にもサーベルをステラの喉笛に突き立てようとする狼人の横っ面を捉える。
「ギャインっ!」
まるで犬のような悲鳴をあげて大きくよろめく狼人。その顎を、ダッシュの勢いそのままに護拳で打ち抜く!
「何で……逃げなかったんだよ!」
サーベルを構え直し、俺は息を切らしながら背後に庇った少女に問う。
問われた少女は、先程までの怯えた表情とは打って変わって、頬を紅潮させて口を尖らせた。
「なっ! 何よ! いきなりアンタ達が戦い始めたんじゃない……ワケわかんないまま巻き込まれたこっちはいい迷惑よ」
「そうかい。文句はゲルルフに言ってくれよな」
俺はステラに背を向けたまま肩を竦めて苦笑した。
狼人たちの数はあと半分ほど。その彼らの包囲も、クリフトさんとゲルルフの派手な立ち回りに乱されている。
ここで一気に狼人連中の動きを封じれば、その隙に逃げられる。問題は……
「それよりあんた、ひどい怪我してるじゃない……顔も真っ青だし、大丈夫なの?!」
「あ? こんなの大した事は……」
「ヴォォォンっ!」
俺の言葉を掻き消すように叩き付けられる殺気と低い咆哮。大振りの両刃斧を振り上げた狼人が充血した目を剥いて俺に向かってくる。
くそっ! あんなのまともに受けられるか!
だが、俺のすぐ後ろでステラの短い悲鳴が聞こえた。そうだ。ここにいるのは俺だけじゃない……なら、どうする?!
判断を迷った一瞬のうちに、両刃斧の狼人が眼前に迫り、斧の刃先が唸りをあげて打ち下ろされる!
咄嗟にサーベルで斧を受け止めた瞬間、俺の全身に電撃のような痛みが走った。
「あぐぅっ……?!」
思わず漏れた叫びを慌てて呑み込んだものの、斧を支えきれず膝をつく。
ーーだから言ったのに。そんな怪我で無理をするからさ。ククク……どうするの?
少年がため息混じりに言った。その小馬鹿にした言い方が癪に障る。しかし、確かに奴の言う通りだ。
腕と脇腹の傷が熱く、脈打つように痛む。力が血と一緒に流れ出るようだ。
少年から与えられた力で達人並みの剣技や魔法を使えても、所詮は普通のどこにでもいる男の体だ。
アニメや漫画のヒーローみたいに傷付いても気合いでなんとかなるようなモノじゃない。怪我をすれば痛みで集中できなくなるし、血を流せばたちまち弱る。
まして、今の俺は魔法で身体能力を強化し、限界以上の力を出して何とか戦っているのだ。その体の均衡が怪我で崩れればどうなる?
ーーよくわかってるじゃないか。なら、何故もっと早く、傷を負う前に片付けなかったの? 狼人くらいは一太刀で殺せる力を僕は君に与えている……君は何を恐れているんだい?
耳許で少年が呆れ気味に囁く。
ぎり……とサーベルが軋む。俺は歯を喰い縛って迫る斧を押し返そうと力を込めた。
ーー君は今まで十分殺したろう? この期に及んで、しかも戦場でそれを躊躇うなんて。そんなのはただの偽善だよ? カズマ。
五月蝿いっ! 黙れヴォーダン!
俺は小さく舌打ちをすると、背中に庇った少女に顔を向けた。
「ステラ! 今のうちに逃げろ!」
「……で、でも」
全身の痛みに耐えながら声を振り絞る俺に、ステラは困惑の表情を浮かべる。
「大丈夫だ。ゲルルフは君を追わない……多分な」
「カズマ、あんたは……どうするのよ」
「何とかする……だからお前はさっさと逃げろ。いい加減足手纏いだ」
「……!」
声を震わせて問うステラに、俺は背を向けたまま答えた。
刃と刃、鋼と鋼が押し合い、軋んだ音を立てる。狼人の圧力に腕が震え、肩が軋む。
ーーくくくっ! 無駄な抵抗は止めて、大人しく僕に縋りなよ。
「おらぁっ!!」
俺は腹の底から叫ぶと、全身の力を振り絞って狼人の両刃斧を弾き返した。
「吹き飛べ! 『疾風』っ!」
……しかし。
『ことば』によって紡がれるはずの疾風はそよとも起きず、吐き気を伴う目眩が襲う。
ちぃぃっ! 魔法も駄目かっ!
サーベルを地面に突き立て、崩れるように両膝をつく。その俺に、体勢を立て直した狼人が両刃斧を振りかざした。
俺の体はピクリとも動かない……ここまでなのか。
狼人が充血した目を見開き、咆哮を上げて獰猛に笑う。俺は歯を喰い縛ってそいつを睨み付けた。
ーーいいのかい? 可哀想に、このままじゃ君だけじゃなく後ろの彼女も犠牲になる。君が意地を張ったお陰で、ね。
少年の舐めるような、ねちっこい囁き。まるで時が止まったように静寂に包まれる。
そうか、俺が死ねばステラも……彼女は守らなきゃ。
ーー今ならまだ間に合う。この狼人どもを吹き飛ばす力を君に与えよう……さあ。
悪魔の誘い。しかし、今の俺には天使の導きに聞こえた。
そうだ。力を……生きるため、守るための……更なる力を……
その時、ふと視界の隅に輝く亜麻色が映った。緑に栄える白いワンピースに風に揺れる亜麻色の髪の少女。
彼女は悲しげな顔をして小首を傾げた。その唇が声無き言葉を紡ぐ。
『それで、いいの?』
「……え?」
俺がハッとした瞬間、止まっていた時が動いた。
「『爆発せよ』っ!」
聞き覚えのある声が『ことば』を紡いだその直後、爆炎が両刃斧の狼人を呑み込み、吹き飛ばす!
なにが……一体何だ?!
「ふっふっふっ! ……はっはっはっ!!」
戦場と化した丘に響く哄笑。狼人達も、ゲルルフさえも戦いの手を止め、怪訝な表情で周囲を見渡す。
声の主は……丘を囲む森の木の上からこちらを見下ろしていた。陽の光を背にしているため影でしか見えないが……猫のように見える。
いや、あれは猫だ。しかも黒猫。
「……正義を信じる者は、悪の力に踏みにじられても立ち上がる。心が屈っしなければ正義は必ず悪を倒せることを知っているからだ……倒される事を恐れない気高き心。それを『勇気』という」
黒猫の口上が動きを止めた戦場に響く。
「ちぃっ! 戦士の戦を邪魔するのは何奴だ?!」
「お前に名乗る名はないっ! はぁっ!」
苛立ち激しく誰何するゲルルフ。黒猫はそれを鼻で笑うと、ひときは大きく叫んで宙に舞った。
空中で体を一回転させた黒猫は、たちまち黒い雄獅子に姿を変え、そのまま爆炎から起き上がろうともがく狼人に踊り掛かる。
鋭い一撃で狼人の横っ面を抉った黒獅子は、そのまま鮮血に濡れた狼人の顔面を地面に叩き付けた。
「……誘惑に負けず、今までよく耐えたな。カズマ」
「てめぇ、今まで何してやがった? フェレス」
怒りが混じった俺の問いに、フェレスは『フン』と鼻で笑うと、ニヤリと口を歪めた。
「闇あるところに光あり! 悪あるところに正義あり! 正義の切り札、ここに参上よ」
「……馬鹿みたい」
ステラがジト目でフェレスを睨み、小声でボソリと言う……同感だが聞かなかった事にしてやろう。
「……とは言ったものの、どう切り抜けたものか」
黒獅子ーーフェレスは、俺達を取り囲む狼人をゆっくり見渡すと唸った。
……って、をい。あんだけ派手に出てきてノープランなのかよ。正義の切り札が聞いて呆れるぜ。
「カズマ様っ!」
鋭く叫んで俺の側に駆け寄るクリフトさん。
「クリフトさん、ゲルルフは……?」
「決着は未だに。あれも思った以上に強くなっています……歳は取りたくないものですよ」
クリフトさんはそう言って苦笑いを浮かべると、俺とステラを庇うように身構えた。
彼の目尻や口の端が切れて血が出ている。腕や肩、胸元は爪で引き裂かれ、服が赤く染まっていた。毛並みで隠れてはいるが、体のあちこちに痛々しいアザも見える。
まさに満身創痍。
一方のゲルルフもアザや流血が見えた。二人の様子を見ただけで激しい闘いだったことが分かる。
「相手は狂戦士が十数人、ゲルルフも健在。こちらは満身創痍の狼人と死にかけの小僧、戦力外の小娘……か。この状況をひっくり返すのは、我が力でもなかなかに難しいぞ」
フェレスが俺とステラを一瞥し、息をついた。悔しいが返す言葉もない。今の俺は立ち上がることも儘ならない足手まといだ。
今はまだフェレスとクリフトさんを警戒して取り囲んでいるだけの狼人達だが、ゲルルフの命令一つで一気に来るだろう。
その時、傷付いたクリフトさんと黒獅子で支えきれるか……
「……フェレス様、カズマ様の傷も浅くはありません。ここは」
クリフトさんはゲルルフと周囲を包囲する狼人達を睨みながら低く言った。フェレスはそれに答えるように小さく頷く。
「それが最善であろうな……だが、いくら我でも人を抱えたまま狼人を振り切るのは難しいぞ?」
撤退……いや、逃走か。悔しいが、確かに戦ったって勝ち目は薄い。生き残るためには、この場を逃げるしかないか。
しかし、この包囲をどう切り抜ける?
「わかっています」
クリフトさんはフェレスの言葉にそう言って唇を結ぶと、固い表情で黙ったままのステラを振り向いた。
「ステラ」
「……なに?」
「エルザは貴女が産まれたとき心から喜んでいました。貴女は望まれて産まれ、そして心から愛されていた。それだけは覚えていてください」
「何を言い出すのよ……突然」
ステラはクリフトさんの言葉に困惑の表情を浮かべる。そして、俺はステラを見るクリフトさんの表情に嫌な予感を覚えた。
この流れはフラグじゃないか。
「クリフトさん! 駄目です! 無茶ですよ!」
だが、クリフトさんは優しい眼差しを俺に向け、微笑んだ。
その時、ゲルルフが長剣を掲げて叫ぶ。
「引き裂き、圧し潰せっ!」
銀狼の檄に狼人達が地の底から沸き上がるような咆哮を上げる。このまま数で圧倒するつもりか!
「カズマ様……頼みます」
『覚悟を決めろ。お前はお前の役目を果たせ』……そう取れるクリフトさんの言葉に、俺は答えられなかった。
撤退するには、もう一刻の猶予もない。迫る狼人を引き留めるため、誰かが殿を務めなければならない。そして、それができるのはクリフトさんしかいない……分かっている。だが……
「フェレス様!」
クリフトさんは表情を引き締めてフェレスに目配せした。フェレスは小さく頷くと目を細めて小声で何事かを呟く。
「『霧よ!』」
「をぉぉおおっ!」
その瞬間、昼下がりの丘を場違いなほど濃い霧が覆った。同時にクリフトさんが狼人目掛けて飛び出し、霧に飲み込まれて消える。
「っ! パパっ!」
霧の向こうから響く激しい戦いの音に、ステラが悲鳴のような声を上げた。
「カズマよ、捕まることは出来るな?」
フェレスの問いに俺は迷わず頷く。体は痛むが、この程度なら多分大丈夫だ。
よし。覚悟を決めた。クリフトさんもきっと大丈夫だ。なら俺は彼の期待に応えなきゃならない。
「……ステラ」
「……っ!!」
俺が差し出した手に、ステラは戸惑いの表情を浮かべた。彼女はちらと霧の向こうに居る筈のゲルルフを見て、躊躇いがちに手を伸ばす。
俺は少女の細い腕を痛む右腕で掴むと、少し強引に抱き寄せた。
「ちょっ! 乱暴しないで!」
足をばたつかせて抗議の声を上げるステラを抱きすくめ、左腕でフェレスの首にしがみつく。
首を強めに絞められたフェレスは少し不愉快そうに唸り、一気に駆け出した。
「霧もあまり長くは持たぬ。一気に駆けるぞ!」
フェレスの声がした瞬間、ジェットコースターに乗ったときのような加速度感が全身を襲う!
腕の中でステラが悲鳴をあげ……俺の頭は真っ白になった。