第34話 「氷の女騎士」
【前回のアンクロ】
烏丸の襲撃を退けたカズマは、運命を予期して対策を施し襲撃を無傷でやり過ごしたメアリムから、中央本庁副長官、ブロンナー宛に密書を預かる。それは、銀狼事件とフッガー商会との繋がりを示す情報であった。
使い魔フェレスを伴い、炎上する屋敷を後に中央本庁に走るカズマ。果たして、そこで彼を待つのは。
「全く、酷いものだな」
篝火に照らされ、闇に浮き上がる無惨な光景にロベルトは顔を歪めて唸った。
辺りは蒸せるような熱気と焦げた臭いが充満している。そこに、以前訪れた時の長閑な面影はない。
黒焦げの残骸からは時おり炎が舌の様に覗き、焼け残った柱からは細く白い煙が揺らめくように立ち上っていた。
大賢者メアリムの屋敷は、爆発と火災によって無惨に焼け落ち、今やわずかに柱や壁を残すのみだ。
手動式のポンプで消化に当たっていた兵士が、ロベルトに駆け寄ると敬礼して報告する。
「少佐、火はほぼ収まりました。これより現場の捜索に入ります」
「うむ。ただの火災ではない。心して掛かれ」
「はっ!」
再び敬礼して現場に戻っていく兵士と入れ替わりに、ラファエルがロベルトの傍らに立った。
「……大賢者メアリムの貴重な蔵書がどれだけ灰となったか。我が国にとって大きな損失だよ。全く惜しいことだ」
「卿の関心はそこか」
焼け跡を見つめそう嘆くラファエルに、ロベルトは呆れて肩を落とした。
「知の蓄積は一夜にして成らず……しかし失われるのは一瞬だ。これを嘆かずに居られるか」
ラファエルは天を仰いで嘆息すると、ロベルトに布の包みを手渡した。
「……これは?」
包みを開いたロベルトが顔を顰めてラファエルに問う。篝火の灯りに照らされたそれは、聖マリナの十字架のようだが、十字の長さが等しい。
「『純白の民』の紋章に使われるものだ。裏に『白き純潔なる血脈の為に』という彼等の合言葉が刻まれている……他にも色々残されていたよ」
ラファエルは前髪を指で弄びながら投げ遣り気味に答える。
「では、やはり奴等の仕業か……!」
「そこが気に入らないのだ」
「なに?」
十字架を受け取って憮然と言うラファエルに、ロベルトは胡乱な表情をする。
「証拠が多すぎる。全て『純白の民』を示すものだ。しかし、死体など個人を特定するものは一切残していない。争った形跡はある。何者かの襲撃があったのは間違いないのに……奇妙だと思わないか?」
「まさか、賊は襲撃を『純白の民』の仕業に見せ掛けようとしているのか」
「兎に角、もう少し調べてみなければな。何とも言えん」
腕を組み、渋面で唸るロベルト。ラファエルは十字架を再び布に包んで懐にしまうと、溜め息混じりに呟いた。
「しかし、大賢者殿もだが……カズマの奴はどこに消えたやら。ヤツの事だ。死んではいないだろうが」
……
……
……
……
オスデニア帝国はその広大な国土を効率的に防衛するため、騎士団を五つに別けている。
即ち……
北の沿岸地域と領海を管轄し、エディンベア王国等海の向こうの国々を監視する『北方騎士団』。
南部山岳地帯を管轄し、父なる山脈アルフェンを境に国境を接する神聖アストリアス教皇国と対峙する『南方騎士団』。
母なる大河ラーヌ沿岸地域と西方の平原地帯を管轄し、兄弟国にして長年国境紛争を繰り返してきた大国、ヴェステニヤ王国に睨みを効かせる『西方騎士団』。
東方の森林地帯とそこに住む森妖精の領域を管轄し、更に東方の大草原に住む騎馬民族の侵入に備える『東方騎士団』。
そして帝都と直轄領を守護し、地方騎士団を統轄する『中央本庁騎士団』。
騎士団は国軍として国家の防衛を担うと同時に、担当地域の治安維持も司ると、この国で暮らしはじめたころにメアリム爺さんから教わった。あの頃は軍人と関わることなんて無いだろうと思っていたが……
「中央本庁の、本庁舎……あれが……そうか」
俺は建物の壁に手をつき、肩で息をしながら通りを挟んで建つ中央本庁を見上げて呟いた。
水を湛えた堀と高い壁に囲まれた庁舎は、中央に聳えるドーム状の望楼と左右の尖塔が特徴的だ。敷地内で篝火が焚かれているのだろう。夜の闇の中に浮かび上がるその姿は重厚かつ秀麗だ。
庁舎を囲む壁には大小の狭間が設けられ、城壁塔も複数見える。
「まるで城だな……ここが戦場になるなんて、余程の事がない限り無いのに」
「中央本庁は帝国騎士団のみなを統轄しよる、いわばこの国の『力』そのもの。あの城みたいな構えは、その力を目に見える形で示す為や。他の国と……臣民にな」
俺の呟きに、フェレスが皮肉げに答えて鼻を鳴らす。
……帝国の力を臣民に示す、か。確かに威圧感があるな。
「さて、中央本庁まで来たが……なんか、物々しくないか?」
「確かに……いっつもより警備が厚いのう。何かあったな」
遠目から見てもわかるほど、中央本庁周辺の警備が物々しい。城門には丸太を組んだ拒馬が並べられ、武装した兵士が歩哨に立っている。
普段のこの場所の雰囲気を知らないが、それでもこの警戒は異常だ。
「まるで戦争でも……あ、まさか!」
「なんや、大きな声出して」
「爺さんの屋敷が派手に爆発しただろ? それでテロ……同じような破壊活動を警戒してるんじゃないのか」
「ああ……成程な」
俺の言葉に、フェレスは納得したように長い尻尾を揺らす。
「大体、街外れとはいえ、火事を起こすだけでも大事なのに、あんな大爆発を起こす必要があったのか?」
「ああ……あれな。あれは想定外やった」
……想定外ってなにさ。
眉を顰める俺に、黒猫は眉間に皺を寄せて口を『へ』の字に歪める。
「本来は火事だけやったんやが……実験用の薬品か火薬に引火したんやろうな」
「……そんな危険物、燃えるような場所に保管するなよ」
思わず舌打ち混じりに独り言ちる。
あの爺……何が『ワシには運命を読み解く力がある』だ。お陰で中央本庁に不用意に近付くだけで連行されそうな状況になってるじゃねぇか。
しかし、不味いな。このまま警戒体制が解かれるのを待つわけにはいかないぞ。
「しょうがない。正々堂々、正面から行くか」
「本気か?」
「この状況で変に小細工して、もしバレたりしたら身分の証明もクソもないだろ? こういう時は堂々とした方が、かえっていいんだよ」
疑われれば素直に答えればいい。証拠を見せて説明した方が早い。こっちは何も疚しいことはないんだ。
俺は『よしっ』と自分に気合いを入れると、城門に向かって駆け出した。
「まてっ!! そこの者、止まれっ!」
中央本庁の衛士に止められた俺は、息を荒くして倒れ込むように石畳に手をついた。
爺さんの屋敷からここまで駆け足で来たけど、流石に限界か……体力には自信があるけどマラソンは苦手なんだよな、昔から。
などと頭のなかで愚痴を言っていると、周りを取り囲まれた。みな、手にした矛槍をすぐに突き付けられるよう構えている。
……ピリピリしてるな。
「何者だ? 貴様」
誰何の声をあげる衛士。俺は咳き込みながら息を整え答える。
「私は、大賢者メアリム=イスターリの弟子、カズマ=アジムと申します。師より火急の使いとして参りました。中央本庁副長官コルネリウス伯に急ぎお目通り願いたく……」
「大賢者メアリム様の弟子……だと?」
胡乱げに顔を顰める衛士に、俺は懐からイスターリの紋章が刻まれたペンダントを取り出して示した。
「むむ……」
ペンダントを見た衛士は難しい顔をして唸ると、『待て』と短く言って城門の奥に消えた。
なんだ? この微妙な反応……歓迎されるなんて思ってないけど、困ったお客様の対応を任された店員のような顔をしてたぞ?
そう待たないうちに、さっきの衛士が帰ってきた。ただし、後ろに数人の兵士と……黒の詰襟を連れて。
「この者か。イスターリ卿の使者とは」
「はっ! 大佐」
大佐ーーそう呼ばれた人物に、俺は僅かに眉を顰めた。兵士を引き連れたその騎士は、腰まで伸びた豊かな金髪と弓なりの形のよい眉をした美人だったからだ。
華奢な体つきに反して豊満な胸を、突き出すように腕を組んで俺を見下ろすその姿は、豪奢な外見と武骨な軍服という相反する要素によってなんとも言えない雰囲気を醸していた。
にしても……騎士団に女性の士官が居るというのも驚きだが、大佐とは。
しかし、俺は彼女の目を見て納得した。
彼女の青い双眸は前髪で左半分が隠されている。が、露になっている右目がまるで氷河のように固く冷たい光を放って俺を射抜いていた。
目を見ればわかる……この人は危険だ。下手に間違えば切り刻まれる。
「貴様、名は」
「はっ……カズマ=アジムと申します」
女騎士に冷たく、突き放すような声で問われ、俺の背筋は反射的に伸びる。
「副長官に火急の用件とはなにか」
「……それは、お答えできません」
「何故か」
女騎士の氷の瞳がすぅっと細まった。それだけで背筋に冷たいものが走る。
何故って、メアリム爺さんの居場所に関する情報と銀狼事件とフッガー商会の関わりを示した文書。どちらも第三者に漏らせない極秘情報だ。
この大佐は『黒服』だが、『青服』の息が掛かってないと言い切れない。おいそれと言える訳がないじゃないか。
預かった手紙の封蝋に押印されたイスターリの紋を見せるか? いや、そのまま押収されたら元も子もない……くそっ
「師メアリムより、コルネリウス伯に直接お伝えせよと厳に命じられておりますゆえ」
「……しかし、言えぬというなら副長官に会わせるわけには行かぬ」
有無を言わさぬ一言。まあ、そうなるか。だったら、騎士団で信頼できる人間に頼めばいい。
「でしたら騎士団のロベルト=フォン=ワイツゼッカー卿、もしくはラファエル卿かルーファウス卿にお取り次ぎ下さい」
「ワイツゼッカー卿の隊はそのイスターリ卿の屋敷に向かった……道中会わなかったのか?」
行き違い……? マジか。
フェレスの案内でなるべく近道を通ってきたのが仇になったか。
「イスターリ卿の屋敷で大きな爆発があり、屋敷は全焼、卿を含めた家人全員の行方が分からなくなっているとの報告を受けている……その状況で卿の火急の使いだと貴様が来た。帝都を護るものとしてこれは見過ごせぬ」
確かに話はわかる。大賢者の屋敷が派手に爆発炎上し、本人含め全員行方不明。その中で関係者を名乗る男が飛び込んできたら、確保して事情を聞き出すのは当然だ。
なら、事情を話して分かってもらうか?
「……我が師、メアリムの屋敷が何者かに襲撃され、その時に私は師よりコルネリウス伯への託けを預り、屋敷を抜け出して来たのです……師や他の方々がどうなったかは分かりません。爆音も聞きましたが、師の命を果たすのが優先と急ぎ参ったのです」
俺は女騎士の目をまっすぐ見返して言った。事実と少し異なるが、嘘は言っていない。
女騎士は表情ひとつ変えず、『成程』と小さく頷いて言った。
「話はわかった。その件、私が取り次ぐ」
「いえ。先にも申しました通り、ブロンナー副長官に直接お伝えせよ、と言うのが師の命でございます」
この人が信頼できる人ならそれもいいだろう。立場のある人の様だし。だが、初見の人間を信頼するほど俺も人は良くない。
「それは為らぬと申した。貴様、イスターリ卿の紋を見せ、火急の使いと名乗れば簡単にコルネリウス伯に近付けると思ったか?」
「……この紋章は師が私に弟子の証として下されたもの。それを疑われますか」
女騎士の声が低くなった。まさか、身分証明の信憑性を疑われるか。この流れ……嫌な予感しかしない。
「イスターリ卿を襲った賊が、卿の弟子を騙って副長官に害を為そうとする。考えられないことではない……紋章とて如何様にもなるであろう」
「私を賊だと仰る?」
「それを改める。その為にも貴様の『託け』の中身、話してもらおう」
「お断りいたします」
俺がそう答えた刹那、女騎士は腕を振るった。それを合図に、俺を囲んだ兵士たちが一斉に迫ってくる!
くっそ! 最悪な展開だ!
俺は反射的に腰のサーベルに手を伸ばして、ハッとした。
相手は賊や銀狼じゃない。騎士団だ。少なくとも『敵』ではない。下手に抜いたらそれこそ賊になってしまう……!
どうする?!




