第33話 「カズマと老人の黒猫」
【前回のアンクロ】
黒ずくめの暗殺者、そして二人目の異世界人、烏丸 龍二の猛攻を辛くも凌いだカズマ。
メアリム邸が爆音と共に炎に包まれ、暗殺者達が撤退したあと、メアリム老人が微かに唸り声をあげる。
安堵して駆け寄るカズマ。だが、老人は思ったより元気そうで……
「……! メアリム様?! 爺さん! 確りしてくれ! お願いだから!」
力なく目を閉じたメアリム老人の体を、俺は少し強めに揺すった。
「耳元で喚くな。五月蝿い」
すると、老人は顔を顰め、煩わしそうにそう言うと徐に自分の胸に刺さった矢を引き抜く。
「……え? メアリム様?」
いまいち目の前の出来事が理解できずにいる俺を尻目に、メアリム老人は『っこいしょ』と起き上がった。
「カズマよ」
「あ、はい」
いまだ座り込んだままの俺を見下ろし、メアリム老人は自分の背中を肩越しに指差す。
「済まぬが背中の矢を抜いてくれ。流石に手が届かぬわ」
「……はあ」
俺は戸惑いながらもメアリム老人の背中回り、突き刺さった矢を引き抜くと老人に手渡した。
「……黒羽根黒塗りの矢か。あやつら相当な手練れじゃのぅ」
手にした矢を眺め、顎髭を撫でながら一人頷くメアリム爺に、俺は我慢できずに問う。
「……どういうことか説明してください。何でメアリム様はご無事なんですか?!」
「むっ……あのままワシが死んだ方が良かったか?」
「そういうんじゃありません! ただ、矢が直撃したのに何とも無いのは何でかって聞いてるんです」
「そうムキになるな。冗談じゃ」
メアリム爺は苦笑すると身に纏ったローブをたくしあげた……いや、爺ぃが服をたくしあげる姿なんて誰も見たくねぇよ!
思わず声を上げたくなるのを堪え、老人がたくしあげたローブの下を見る。
「チョッキ、ですか?」
「知り合いの魔法使いが開発したヤツでの。絹糸を特殊な編み方で編んだ布に、強化魔法の『ことば』が縫込まれた呪符を仕込んである。なんと、マスケットの至近弾すら防ぐ逸品じゃ」
つまり、防弾チョッキか。ちょっとオーバーテクノロジーのような気もするが、魔法がある世界だからな……
「でも、矢が刺さってましたよね? 大丈夫なんですか?」
「うむ。チョッキだけでは不安だったのでな。上に綿入れを重ね着して、矢の勢いを殺すように工夫したのよ」
改良が効を奏したと自慢げに語るメアリム老人。
……随分と準備万端じゃねぇか爺さん。心配して損した。あのとき感じた俺の本気の絶望を返してくれ。
「でも、何でそんな仕込みができたんです? 襲撃があってからここまでそんな暇はなかったのに」
「前に言ったじゃろ。ワシには運命を読みとく力があるとな」
老人はそう言って、指先でこめかみを軽く叩きながらウィンクした。
そう言えば、俺がこの国に来たばかりの頃に爺さんが言ってたな……まさか、その力で今日、この瞬間を予知して死を回避したとでも? なんだよ、そのチート能力。
「まあ、ワシも全てを事細かに読み解ける訳ではない。いつ矢が飛んできても良いように、この綿入れチョッキをクリフトの件があって以来ずっと着ておったのじゃ」
クリフトさんのって事は、護衛隊のファーレンが来たときからずっとって事か。気付かなかった。いつもゆったりしたローブを着ているから、多少着膨れしても目立たないんだろうな。
メアリム老人はローブの乱れを整えると、黒塗りの矢を手に肩を竦める。
「まさか本気で殺しに来るとは思わなかったが……お主から公爵派以外の第三者が絡んどる可能性を聞いてな。ならば狙い通り殺されてみようと思ったのじゃ」
「殺されてみようって、軽く言いますけどね……何でそんなこと考えたんです」
「ワシが死ねば、そやつらは次の行動を起こす。動きもより大胆になる筈じゃ。そうなれば今まで影に隠れて見えなかった姿も見え、狙いを見極めることができる……そう思ったのよ」
成る程。
わざと暗殺されたように見せ掛けて相手の正体を見極める……相変わらず爺さんの考えることは奇抜で大胆だ。
「しかし、それならそうと何故教えてくださらなかったのですか? 事前に聞いていたら余計な心配をせずに済んだのに」
俺がそう言って老人を睨むと、メアリム爺は顎髭を撫でながら苦笑した。
「……お主は心根が真っ直ぐで正直じゃ。それ故に演技をしたり嘘をついたりするのが下手じゃからな。『敵を騙すには先ず味方から』というじゃろ」
つまり、俺は性格が単純だからこういう心理戦には向かないって事か? 確かに『お前は嘘が下手だ』とはよく言われたけどさ。
「だからって、俺まで騙すなんて酷いですよ。メアリム様は俺を信頼してないんですか」
「信頼しておるからこそよ。お主ならワシが死んでも見捨てて逃げることはないとな……まあ、黙っておったのは悪かった」
そう言って呵呵と笑うメアリム爺。
……絶対『悪かった』なんて思ってないよな。この性悪ジジイ。
まあ、何だかんだ言っても爺さんが無事なのは嬉しいけどさ。なんだか複雑な気分だ。
「それで、これからどうなさるんです? お屋敷もあんな有り様ですし」
「なに、あそこ以外にも屋敷はある。暫くはそこに身を隠す……ベアトとはそこで合流する手筈になっておる」
別の屋敷か。別荘か何かか。じゃあ、急がなきゃな……ベアトリクスさんを待たせちゃいけないし、騎士団が駆け付けてくれば爺さんの死んだ振りがバレてしまう。
「じゃあ、早く行きましょう。いつまでもここに居る訳にはいかないでしょ?」
俺がそう老人を促す。だが、メアリム爺はその場を動かず、顎髭を撫でながら俺を見据え、口を開いた。
「その事じゃが、カズマ。お主はここまででよい」
「……さっきもそう言われましたよね。どういう意味です?」
「どういうも何も、そのままの意味じゃよ……体面を重んじる貴族の権力争いなら、今はまだ血を見るような段階ではない。だからクリフトの件ではお主を巻き込んだ。しかし、今回相手は直接ワシの命を狙ってきた……つまり、このままワシの側に居ればお主の命も危険にさらされる事になるのじゃ」
「メアリム様……」
メアリム老人は俺の言葉を遮るように言葉を続ける。
「お主はこの国とは縁も所縁もない異世界人じゃ。醜い内輪揉めに巻き込まれて命を危険にさらす事はない……ワシのコネを使えば、有力な貴族に保護を依頼できるし、そなたが望めば魔法学院に入学させることもできる」
確かに、帝国の臣民ではない俺には、この国の実権を誰が握るかとか、国の行く末とか直接関係ない。
クリフトさんの事も、銀狼事件も、俺が自ら関わった訳じゃない。巻き込まれただけだ。そして、今自分の意思とは関係ないところで命の危険が迫っている。
でも……だからと言って、『これ以上は付き合えません』と簡単に放り出せるか? それは違うだろう。
「……有り難いお話ですが、お断りいたします」
「ほう?」
淀みない俺の答えに、メアリム老人は眉を顰めた。
「俺はメアリム様のお側が結構気に入っているんです。それに、今回の襲撃も他人事ではありません。烏丸と、恐らく来栖。同郷の異世界人が二人も関わっている。それなのに、自分だけ逃げ出すなんてできません。それに……」
「それに、なんじゃ」
「興味があるんです。先程地下道でメアリム様が仰っていた、『陛下の目指す国の形』。陛下とメアリム様がこの国をどこに導こうとしているのか」
帝国の長い歴史のうちに生じた矛盾や不条理を正し、新しい国の形を作る、爺さんはそう言っていた。
あの強面陛下と、この腹黒賢者が作ろうとしている国とはどんなものなのか……見てみたいと思った。
「ふん。一人前の台詞を吐きおって。ならばワシと共に来い。そうと決まれば早速仕事をしてもらうぞ?」
メアリム爺はぶっきらぼうな物言いとは裏腹に、嬉しそうな笑みを浮かべた。
仕事……って、俺に何が出来るんだろうか。
「先ずはこの手紙をブロンナーに渡せ。銀狼事件とフッガー商会の関わりについてまとめてある。ブロンナーなら上手く使うじゃろう。そしてワシの事を伝えよ。人を介さず直接じゃ。よいな?」
「ブロンナー……中央本庁副長官ですか? 直接って仰っても、俺なんかが行って会わせてもらえますかね」
俺は、メアリム老人が袂から取り出した手紙を受け取りながらも首を傾げた。
手紙はイスターリ家の紋章が封蝋に刻印された正式なものだし、俺もイスターリ家の者であることを証明するペンダントを持っているから、偽物を疑われる心配はない。
しかし、ブロンナー卿は確か伯爵だったはず。いくら大賢者の使者が火急の用事だと取り次ぎを願っても、直接会うことは不可能だろう。
「何も正面から訪ねよとは言っておらぬ。まあ、そこはワシに任せよ……フェレス!」
メアリム老人が雑木林の暗がりに呼び掛けると、闇から滲み出るように一匹の黒猫が現れた。
濡れたような艶やかな毛並みの、しなやかな体つきをした黒猫。
黒猫は老人の傍らに座り、金色に光る瞳を細めると一声鳴いた。老人は黒猫の顎の下を撫でながら言う。
「こやつは『トラム=フェレス』と言う。ワシの使い魔じゃ。今後はこれを通じて指示を出す。フェレス、挨拶せよ」
老人が黒猫ーーフェレスの背中を軽く叩いて促すと、フェレスは目を細めて俺を見上げ、ニヤリと笑った。
「ワイは『トラム=フェレス』や。『フェレス』って呼んでええよ……じゃけど、あんたがカズマか? 聞いとったより地味やな」
「喋った?! 猫が? しかも、なんか訛ってる?!」
しかも地味とか、人が気にしてることを……何なんだ、こいつは?
「どう訛って聞こえたのかは知らぬが……猫が口で喋るわけはなかろう?」
「え? でも、今……」
苦笑するメアリム老人に、俺は戸惑う。確かにこの黒猫の声が聞こえた。妙に訛っていたのが気になるが、間違いない。
「ワイがお前の頭の中に直接話しかけとるんや。そげなに驚く事はないじゃろ? なにせワイは大賢者の優秀な使い魔なんじゃからな」
フェレスが後ろ足で顎を掻きながら当然といった風に言う。つまり、念話とかテレパシーとか言う類いのあれか。
それはいいとして。
なぜ言葉が微妙に関西弁風に訛って変換されるんだ? 謎だ。
「兎に角、ワシは舞台裏でワシができる事をする。お主はワシのように顔が知られとらんし、ベアトのように容姿が目立たぬから動きやすい筈じゃ。それに腕も立つ……期待しておるぞ」
「……つまり、俺がメアリム様の元に残って協力することは今後の計画に織り込み済みって事ですか」
「まあ、お主ならワシの元に残ると言うじゃろうとは思っていたが……お主がワシの元を去ると言っても引き留めはしなかったよ。嘘は言っとらん」
ジト目で睨む俺に、メアリム老人はそう言って笑った。
ちぇっ……結局、爺さんの掌の上か。まあ、やると決めたんだ。今更引けないし、引くつもりもない。
「……じゃあ、行きます」
「うむ。暫しの別れじゃ」
俺はクリフトさんのサーベルを地面から引き抜き、血を拭って鞘に納めると、メアリム老人に頭を下げた。
屋敷を燃やす炎はいまだ強く燃え盛っている。
その明かりに背を向け、俺は雑木林の暗がりに身を踊らせた。その足元を黒猫ーーフェレスが駆け抜ける。
先ずは中央本庁へ。




