第32話 「乱戦~生きる為には~」
【前回のアンクロ】
純白の民の襲撃を受け、屋敷を放棄するメアリム。ベアトリクスが殿として屋敷に残るなか、地下の脱出路を急ぐメアリムは、カズマに自分が公爵派と対立する理由を語る。
無事に地下通路を抜けた、その時、二本の矢が老人の体を貫いた!
「……殺ったか」
「……まだだ。死体を回収しろ」
黒い外套の男達が低く話す声が聞こえる。周りに十人以上居る筈なのに、その存在は希薄で、まるで影のようだ。
俺は不気味に蠢く黒い男達にサーベルを突き付けて叫んだ。
「貴様ら……何者だ! 何故メアリム爺を殺した!」
黒い外套の一人がゆらりと俺の前に立つ。今まで希薄だった存在がそこだけ浮き上がったようだ。
「なに熱くなってるんだ? ダセェな」
外套の奥で、男が白い歯を見せてせせら笑った。
「……なにっ?」
「あんたには用はねぇ。死にたくなけりゃ今までの事忘れて、爺ぃの死体を置いて消えな」
男は口許を歪めて笑い、まるで蝿を払うような仕草をする。
こいつ……! 馬鹿にして!
「ふざけるなっ! 断るっ!」
「……じゃあ死ねよ」
俺の答えに男の表情がスッと冷める。ぶっきらぼうに言い捨てて男が半歩下がったその瞬間、雑木の闇の奥で突き刺すような殺気が放たれた。
……来る!? 三時方向!
真横からの狙撃をサーベルで叩き落とす。その瞬間、今まで希薄だった黒い連中の気配が一気に濃くなった。
俺を圧し殺そうとするような圧迫感……だが、お陰でよく見える!
斬り捨てた矢が地面に落ちるのを確認する間もなく、黒い外套が音もなく俺に迫った。
上と……右!
木の上からの急襲を体を捻って躱し、そこを狙って放たれたナイフをサーベルで弾く。
「『身体強化』っ!」
『ことば』と共に全身を駆け巡る力の感覚を確かめるように、強襲してきた男の斬り降ろしをサーベルで受け流し、その顔面に気合いを乗せた拳を叩き込む。そしてそのままナイフの男に向かって駆けた。
ナイフ男はサーベルを抜いて斬りかかるが、俺は構わず拳を突き付けて叫ぶ。
「唸れっ! 『突風よ』!」
強烈な突風の直撃を受けた男は、吹き飛ばされて背後の樹に激突、そのまま動かなくなる。
背後から一人! 十時方向から一人! 更に……正面から狙撃!?
咄嗟に体を射線からずらす。耳元を鋭く風が引き裂き、すぐ後ろで『うぐっ!』と男の呻き声。
直後に襲う首を狙った横凪ぎの斬撃を身を沈めて躱し、反射的にサーベルを突き上げた。
手元に感じる、重く鈍い感触。
ハッとして刃先を見上げる。
サーベルの切っ先は今にも剣を振り上げようとしている男の喉に食い込み、鮮やかな赤い血がサーベルを伝って滴っていた。
慌ててサーベルを引き抜くと、男は喉から血を吹きゆっくりと崩れ落ちる。
死んだ? 殺した……のか? 俺が?
頭から冷水を浴びせられたような悪寒に背筋が震えた。
咄嗟だった。殺し来たのは相手の方で、俺は反撃しただけだ。これは故意じゃない。弾みだったんだ……
動揺を押さえようと頭の中で言い訳じみた言葉が駆け巡る。しかし、目の前の死体や手に握った血塗られたサーベルが消えるわけではない。
俺は……人を殺した。
頭の隅で警鐘が鳴る。もう一人の冷静な自分が叫ぶ。動揺するな! 立ち止まるな! 周りを『見ろ』。死にたいのか?!
背後に殺気……背中から斬撃!
畜生っ! 何でだよっ!
俺は体を反転させて降り下ろされるサーベルを跳ね上げると、返す刀で袈裟懸けに斬り捨てる。
斬られた男が仰向けに倒れたその向こうから一人、さらに背後に気配!
くそっ! 来るなっ!
「うわぁっ!」
右から迫る斬り上げを弾き、振り返りざまに背後の男を袈裟懸け、そのまま腰を落として背中を狙った突きを躱し、すれ違いざまに胴を薙ぐ。
振り抜いた切っ先から鮮血が飛び散り、地面の落ち葉を濡らした。
何で……何で来るんだよ! くそっ!
立ち上がった瞬間、ふと嫌な予感がして体を反らせた。直後に頬を矢が掠める!
この乱戦……しかも夜に弓で狙うのか!
……畜生!
サーベルを八相に構えて気配を探る。五時方向の繁みに一人……あいつか! 爺さんを撃ったのは!
「穿つ! 『礫よ』!」
『ことば』を受けて地面から礫が飛び出し、鏃となって繁みに放たれる。
直後、礫が飛んだ先で男の短い叫びが聞こえた。
「……いいねぇ! じゃあこれはどうだ?!」
背後から低い声。膨れ上がる圧迫感! 俺は体を投げ出すようにして横に飛び、転がってその場を離れる。
刹那の後に土を抉る重い音。
急いで起き上がり、サーベルを晴眼に構えた俺は、目の前に立つ男に眉を顰める。
男は外套のフードを外して素顔を晒していた。
髪は深い漆黒で鬣の様だ。鋭い刃物のような目と、糸のように細く剃った眉が蟷螂を思わせる細い顎と相まって男の顔に尖った印象を与えている。
男はニヤニヤした笑みを薄い唇に浮かべ、地面から剣を引き抜いた。
肉厚の直剣で鍔が短く、剣先は丸く切っ先がない。似たような外見の剣を昔ネットで見たことがある。
……処刑人の剣。
突きや鍔迫り合いを考慮しない、罪人の首を切り落とすための剣。
得物の選択を趣味でしているなら悪趣味極まりない。
「避けたな。やっぱり『見えて』んだ?」
鬣男は剣を肩に担いで、値踏みするように俺を見た。男の口から何気なく放たれたその言葉に、俺は息を飲む。
日本語……だと? まさか、こいつも?
「そうか。あんたか。来栖の奴が言ってた、大賢者んとこの同胞……へへっ! 楽しいじゃねぇの」
「来栖? ……貴様、何者だ?」
「聞かれて『ハイハイ』って答えると思う? ま、楽しませてくれたらヒントくらいあげてもいいぜ?」
何が『楽しませてくれたら』だ。
こいつは来栖を知ってる……言い方からして仲間か。一体何者だ? 純白の民とは関係あるのか?
くそっ! 分からないことだらけだ。
「俺は烏丸 龍二。オッサンは……名前何だっけ? まあ、いいや」
烏丸は口を歪めて笑い、舌舐めずりをすると処刑人の剣を構え、大陸公用語で叫んだ。
「こいつは俺が殺す! 貴様らは手を出すな!」
烏丸の言葉に黒い外套の男達は一瞬気配をざわめかせたが、すぐに存在が潮のように引いていく。
「これで邪魔は入らねぇ……楽しもうぜぇ!」
風の唸る重い音が耳元を掠める。
次の瞬間に受け流した降り下ろしの斬撃は思ったより早く、重い。
剣の重量もあるだろうが、それを扱う烏丸の膂力も相当だ。痩身な体のどこにこんな力があるんだ?
「ヒャッハーっ! 思った以上に当たらねぇ!」
甲高い声を上げて斬り付けてくる烏丸。
「ちぃっ!」
袈裟懸けをサーベルで受け、流す。続けざまの逆袈裟は体を捻って躱し、後ろに飛んで一旦間合いを取る。
来栖に比べて剣閃が直線的で単純。だが、力のある一撃は重く、腕に響く。長期戦は膂力の差でこちらが不利か。
「来栖もだが、オッサンもよく逃げる。本当、イラつくぜ……逃げてねぇで打ってこいよ。斬り殺してやるからよ」
「……よく回る舌だ。無駄に囀ずれないように切り取ってやろうか?」
俺の挑発に、烏丸の表情が変わった。ニヤついた口許がへの字に曲がり、目が更に鋭くなる。突き刺すような圧迫感は肌が粟立つほど。
分かりやすい男だ。
「おい、オッサン……調子乗ってんじゃねぇよ。殺すぞマジで」
「凄む前に打ってこい。その大層な得物は飾りか?」
晴眼に構えたサーベルの切っ先をわざと揺らして挑発的に誘う。お互い、手の内は既に『見え』ている。だから、勝負を……生死を分けるのはほんの一瞬の『隙』だ。
だから!
「ぉらあっ!」
「……っ!」
烏丸が一気に間合いを詰め、剣を最上段から斬り下ろす。その軌道を剣の腹を打って反らし、素早く烏丸の背後に回り込む。
「はっ!」
「くそがっ!」
そのまま肩口を斬り付けるが、烏丸も素早く体を反転させて俺の斬撃を弾く。そのまま数合打ち合い、俺は不意に後ろに飛んで間合いを開けた。
「これで死ねよ!」
烏丸が俺を追うように間合いを詰め、袈裟懸けに斬り付けてくる。不用意に飛び退った隙を狙った渾身の一撃……だがそれが!
「甘いっ!」
「なっ!?」
袈裟懸けの一撃を横凪ぎに切り払い、烏丸の体勢を崩す。
……取った!
その時、雑木林の向こうで大きな爆音が響き、薄闇を爆炎の光が照らした。
……あれは、屋敷の方向か? 何があった?!
「おらっ! 余所見すんなっ!」
「……ぐはっ!」
爆発に一瞬気をとられた隙を突かれ、烏丸の蹴りがまともに脇腹を抉る。
一瞬息が詰まり、俺は思わず膝をついた。しまった……! 斬られる!?
しかし、斬撃の代わりに俺の頭に降ってきたのは烏丸の剣ではなく苛立ちの叫びだった。
「くそっ! いいとこ邪魔しやがって! 何があった!」
「……目標の屋敷が爆発、炎上している」
「んなこたぁ見れば分かる! 襲撃班は馬鹿か? 騎士団が来るだろうが!」
黒い外套の男の報告に苛立たしげに吐き捨てる烏丸。
屋敷が爆発炎上……?
ベアトリクスさんがやったのか? 彼女は無事に脱出したんだろうか……まさか……屋敷を道連れに、なんてしてないよな?
「折角本気で気持ちよく斬り合いやってたのによ……興が冷めちまったじゃねぇか。お前ら、騎士団が来る前に撤収するぞ」
「……賢者の死体は?」
黒い外套の男に問われ、烏丸は横たわる爺さんと立ち上がってサーベルを構え直した俺を一瞥し、舌打ちした。
「捨てておけ。死体がなくても言い訳は立つ」
烏丸はそう言い捨てると剣を鞘に納め、フードを被って踵を返す。
「待ちやがれ! 烏丸!」
「思い出した。あんた、安心院 和馬だっけ? ……次は最初から本気でやってやるからよ、首洗って待っとけ」
俺に背を向けたまま、首だけ振り向いて烏丸が笑った。そしてそのまま他の黒い外套の男達とともに雑木林の闇に消えて行く。
何なんだ? 何者なんだあいつら……!
くそっ!
俺は血に濡れたサーベルを地面に突き立てると、崩れるように膝をついた。
屋敷を燃やす炎が見える。
どうして……何でこんな!
「ちくしょう……ちくしょう! ちくしょう!!」
怒り、苛立ち、悲しみ、悔しさ……色々な感情が渦巻いて、どうしていいかわからなくなって……俺はただ叫んだ。
……
……
……
……
……うぅ
ふと微かに聞こえた呻き声に、俺はハッとして老人を振り向いた。
メアリム老人の体が僅かに動いている!
よかった……まだ息がある!
俺は慌てて老人に駆け寄ると、その体を抱き抱えた……思ったより重い。
メアリム老人はうっすらと目を開けると、『……カズマよ』と掠れた声を上げた。
「……! メアリム様、あまりしゃべらないで下さい! 傷に障ります!」
だが、老人は顔を顰め、ゆっくりと首を巡らすと、俺に問うた。
「……連中は……どうなった」
「退きました……屋敷に火が放たれて、それで……」
「……そうか」
呟くように言ったメアリム老人は、深い溜め息をつくと、再び目を閉じた。
「……! メアリム様?! 爺さん! 確りしてくれ! お願いだから!」
「耳元で喚くな。五月蝿い」
老人は煩わしそうにそう言うと、徐に自分の胸に刺さった矢を引き抜いた。
……え? 何だって?




