第26話 「昔語り~銀狼と少女~」
【前回のアンクロ】
「銀狼、クリフト=フェーベルを引き渡すように」
護衛隊ファーレンの告げた言葉は衝撃的なものだった。クリフトが銀狼の筈はない。反発するカズマだが、ファーレンは皇帝の代理である中央本庁長官の命令書を盾にクリフトの引き渡しを迫る。
公式の命令に抗えず、クリフトは護衛隊の手に堕ちた。
自分の無力と冷静なメアリムに対する苛立ちから怒りを爆発させるカズマ。
報復に倍返しを宣言するメアリム。巻き返しはなるか?
ーー今から20年近く前。
帝都に『銀狼団』を名乗る盗賊団が暗躍していた。
彼らは満月の夜に帝都の商家を襲っては、略奪の限りを尽くしていた。だが、家人を傷付けることはあっても、命を奪うことは決して無かったという。
しかし、被害は大きく、神出鬼没な盗賊団に騎士団も手を焼いていた。
……後に、略奪した財貨は食料や生活必需品に姿を変え、貧しかったバルバ獣人居留地の人々に振る舞われていた事が分かるのだが、当時は奪われた財貨の行方と賊の正体の噂で持ちきりだった。
その銀狼団の首魁の名前ギーゼルベルト=ベッカーという。居留地に住む狼人の若者たちのリーダー的な存在で、当時は今よりまだ強かった人間による獣人差別に反感を抱き、狼人の現状を憂う若者だった。
彼はかつて獣人をひとつに纏め、帝国の侵略を撃ち破った英雄に自らを重ね、彼の渾名である『銀狼』を名乗り、銀狼団の首魁として裏で盗賊行為を繰り返していたのだ。
そんな彼に人生の転機が訪れる。
ギーゼルベルト達銀狼団は、標的に定めた商家に仲間を潜り込ませ、店の間取りや金の保管場所などを下調べしていた。
その商家に日雇い人夫として潜入したのは、ギーゼルベルト本人だった。標的の商家は運送業を営み、多くの狼人を雇っていたため潜入は容易だった。
日雇い人夫として働くこと数日。ギーゼルベルトは商人の一人娘と知り合う。
少女の名はエルザ。
幼少から身の回りに狼人が当たり前にいる環境で育った彼女は、獣人への偏見もなく、性格は活発で明るく、そして美しかった。
日雇いで働きながら店の情報を集めるクリフトにとって、商人の娘である彼女と親しくなることはとても都合の良いことだった。
しかし、彼女と触れあい、時に振り回されるうちに、ギーゼルベルトはエルザに親愛の情を感じるようになるーー俗に言うところの『情が湧いた』、というヤツだ。
しかし、盗賊団の首魁という立場上、個人の感情で計画を中止するわけにはいかない。
エルザの父親のように、狼人を安い報酬で酷使し、搾取して不当な利益を得ている連中から金を取り返し、その富を居留地の人々に還元しなければならない。
これは正義の行いだーー彼はその時そう信じていた。
そしてその日が来る。
計画通り、寝静まった店に押し入り、蔵を破って金を奪う銀狼団。
しかし、物音に起き出したエルザにギーゼルベルトは素顔を見られてしまう。
足が付くのを防ぐため、ギーゼルベルトは咄嗟にエルザを連れ去った。
アジトに戻った銀狼団。エルザから正体が漏れる事を恐れた義弟ゲルルフら仲間達は彼女を殺そうとする。
しかし、ギーゼルベルトは『戦士は例え敵であろうと、武器を持たぬ女を殺さない』と彼女の身を守ったという。
エルザはギーゼルベルトに救われ、彼に守られながら銀狼団のアジトで過ごすことになる。彼女はそこで獣人の現状を知り、またクリフトの狼人族に対する真っ直ぐな想いを知って、彼に惹かれていった。
一方のギーゼルベルトも、エルザと語り合うなかで自分の考えの狭さを感じ、彼女に対して親愛の情を深めていく。
その頃。娘を連れ去られた商人は騎士団では埒が明かないと、懇意にしていた大賢者メアリムに捜索を依頼した。
『娘は着の身着のままで残虐な狼人どもに拐われた。さぞや辛い想いをしているだろう、酷い目に遭っていないかと考えると夜も眠れぬ……金なぞ貯めればまた増えるが、娘は喪えば還ってこない。あなたの力で娘を取り戻してほしい』……と。
商人に恩義があり、また娘のエルザの事もよく知るメアリムはその依頼を快諾。メイドのベアトリクスを伴って魔法による追跡を行う。
数日の追跡によってアジトを突き止めたメアリムは、銀狼団を打ち倒してエルザを無事救いだした。
銀狼団は捕縛を拒んで全て自ら命を絶ち、メアリムはその悲劇に涙した……ことになっている。
……が、事実は多少異なる。
メアリムが銀狼団のアジトを発見した後、エルザ救出のためアジトを急襲したベアトリクスによって、ギーゼルベルトを含む十人の銀狼団は尽く打ち負かされた。
誇り高き狼人の若者が十人がかりで半森妖精の女性一人に打ち倒されたのだ。
絶望し、自害を試みたギーゼルベルトを止めたのは、拐われて酷い目にあっている筈のエルザだった。
ベアトリクスとメアリムに、彼らを見逃すよう必死に懇願するエルザ。メアリムとしても銀狼団の捕縛は自分達の仕事ではなかった。
『エルザ殿と彼女の父親から奪った金を返せばそれで良い』
そう告げるメアリムに、ギーゼルベルトは敗北を認め、銀狼団を解散し、銀狼の名を捨てることを告げ仲間と共に姿を消したのである。
父親のもとに戻ったエルザは、父親にも騎士団の取り調べにも『怖くて何も思い出せない』と語り、ギーゼルベルトと共に過ごした日々の事は一切口をつぐんだ。
商人もさぞ怖い目に遭ったのだろうと深くは聞かなかったという。
以後、銀狼団による強盗事件は起きなくなり、公式に銀狼の死をもって事件は終息したとされる。
そして大賢者メアリムは銀狼団潰滅の功績者として名声をさらに高めたのだった……
……
……
……
……
「クリフト=フェーベルの名はギーゼルベルト=ベッカーにワシが与えたものじゃ。奴がワシのところに身を寄せた時にの……『銀狼』ギーゼルベルトは銀狼団と運命を共にした事になっとるからな」
メアリム爺は遠い目をしてうんうんと頷いた。昔の思い出にでも浸っているのだろう。
「なんか納得できません」
「どこがじゃ? なかなか良い話じゃろ」
「何が『良い話』ですか……銀狼団を見逃しておいて、ちゃっかり『銀狼団潰滅の功労者』なんて名声あげてるって、詐欺ですよね?」
銀製のナイフで肉を切りながら、メアリム老人は俺の言葉に心外そうな顔をした。
「失礼な。ワシは自分から手柄を自慢したことはないぞ? 周りがそうやって持ち上げただけじゃ」
「……でも、実際にギーゼルベルトーークリフトさんを倒したのはベアトリクスさんでしょ? メアリム様はアジトを見付けただけじゃないですか」
「私は旦那様の裏方ですから。それに、私はメイドです。剣で手柄を誇るのは本分ではありません」
ベアトリクスさんが俺の皿にウサギのソテーを盛り付けながらにこやかに言った。
……爺さんの話が本当なら、ベアトリクスさんはたった一人で十人の狼人を叩きのめした事になる。
あのゲルルフみたいなのが十人か。この人、どれだけ……
「如何しましたか? カズマさま?」
「い、いえ……うわ、美味しそうだなぁ」
ちらと横目で睨まれた気がして、俺はわざとらしい声をあげた。
……
……
……
……
クリフトさんがファーレンに捕縛され、連行された直後。
「先ずは相手の面目を叩き潰してやるわい」
メアリム爺は悪い笑みを浮かべ、ロベルト達に応接間で待つよう伝えると、書斎に引っ込んでしまった。
暫くして戻ってきたメアリム爺は、ロベルトにイスターリの紋が封蝋に捺された手紙を手渡した。
「……これは極秘じゃ。護衛隊は勿論、ブロンナー以外の誰にも見せるな。直接手渡せ。誰がどう繋がっておるかわからぬ。よいな」
「……!! 了解しました。責任をもって副長官に手渡します」
メアリム老人の凄みに圧され、ロベルトは大きな体を固く緊張させて敬礼する。
「頼む。なに、ワシは卿らを信頼しておるよ」
その様子にメアリム老人は頷くと、ロベルトたち三騎士に笑いかけるのだった。
「さて、カズマよ」
「……はい」
ロベルト達が屋敷をあとにして。不意に声を掛けられた俺は緊張ぎみに返事をした。
俺には何の用だろうか。
クリフトさんが連れて行かれたとき、怒りのあまり我を忘れて爺さんに掴み掛かったが……その事を咎められ、折檻されたりするんだろうか?
「取り合えず食事にしようかの。相手もすぐには動かぬ。良い機会じゃから昔話でもしてやろう」
「……昔話、ですか」
いつものように顎髭を撫でる爺さんに、俺は力が抜けたように肩を落とした。
そして食事が食卓に並ぶのを待つ間メアリム爺が語ったのが、『銀狼団』の話だったのである。
……
……
……
……
「その……エルザさんは今は?」
「ん? ああ……まあ、色々とな」
切り分けたウサギの肉を口に放り込んだメアリム爺さんは、目を泳がせて言葉を濁した。
「そう、ですか」
つまり……色々とあったのだ。それから彼女と、クリフトさんの間に。
あの日の夜、書庫で聞いた話を思い出して、俺は胸が痛んだ。
それにしても。
銀狼団の解散と同時にクリフトさんが捨てた『銀狼』の名を義弟で仲間だったゲルルフが名乗り、再び盗賊行為を働いているなんて……
いや、盗賊じゃないな。あいつがやっているのはただの人殺しか。
「……『銀狼』ってゲルルフがクリフトさんに当て付けて名乗ってる訳じゃないんですか?」
「まあ、その気持ちもあるかもしれぬ。ワシに奴の心は分からぬ。じゃが、銀狼とは狼人を導き道を示す名じゃ。人間側から見れば、自分達に対して反旗を翻す者の象徴でもある」
成る程……だから、ゲルルフはあの夜も高らかに『銀狼』を名乗ったのか。
ん? だとしたら……
「その、人間に対する反抗の象徴を名乗る狼人を匿うって事は」
「そう言うことじゃ。銀狼事件の犯人を騎士団ではなく護衛隊が捕らえる。そして犯人である『銀狼』を匿っていたのは、なんと大賢者として臣民に絶大な信頼を受けておるワシじゃった……となれば、どうなる?」
メアリム爺がナイフを俺に突き付けて捲し立てる。その様子にベアトリクスさんが眉を顰めるのが見えた。
爺さん、子供じゃないんだから。
しかし、『絶大な信頼を受けている』のはまあ置いておいて。
答えは単純だ。
「そうなれば……事件を解決できなかった騎士団と反逆者の名を名乗る殺人鬼を匿っていたメアリム様は評判を下げ、それを暴いて犯人を捕らえた護衛隊は名が上がりますね……『銀狼団を潰した』と評判をあげたメアリム様のように」
いや、騎士団は評判を下げるだけで済むかもしれないが、メアリム老人の受けるダメージは大賢者としての発言力が低下するってレベルじゃない。多分社会的に抹殺される。
だからロベルトは『大賢者様の為にも、銀狼は我々騎士団が捕らえねばなりません』と強く言っていたのだ。
「ワシみたいには余計じゃ。馬鹿者。しかし、まあ、その通り。ワシは自分の信頼が地に落ちようが構わぬが……そのせいで陛下に迷惑がかかるのは避けたい。クリフトも失うわけにはいかぬ」
メアリム老人は皿に残ったソースをパンで拭いながらそう言った。
それにしても……自分やクリフトさんが貶められようとしているのに、他人事というか、変に冷静だな、爺さん。
……いや、違うな。
怒りや焦りに飲まれて冷静さを失えば、相手の思う壺だというのがわかっているんだ。この人は。
大賢者は伊達じゃないということか。
「さて、カズマよ。薬を飲まねばならぬ。準備して書斎に持ってこい」
「え? メアリム様、薬なんて飲んでませんよね」
「……お主はクリフトから何を聞いておった?」
ギロリとメアリム老人に睨まれ、俺はクリフトさんが連れ去られる前に告げた言葉を思い出した。
ーー私の部屋の、机の上から三段目の引き出しに旦那様がいつも飲んでおられる薬が入っていますーー
……果たして、そこには何があるんだろうか。




