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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第2幕 カズマと銀色の狼人【前編】
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第22話 「法と掟」

【前回のアンクロ】


騎士団ロベルト隊の介入によって暴徒たちは投降。『純白の民』を名乗る白装束の男たちは逃走した。

被害が大きくなかった事を安堵するカズマは、ロベルトから騎士団に通報したのがステラであることを聞く。

「さて、何から始めるかな」


広場に倒れた寸胴や無惨にこぼれたスープを見下ろし、俺は袖を捲り上げた。


『出来ることをさせてください』ってヨルク老に言ったものの、俺が今できるのは暴徒に蹴散らされた炊き出しの後始末くらいだからな。


しかし、随分派手に散らかしてくれたものだ。


俺は寸胴を持ち上げて溜め息をついた。


せっかくみんな喜んでくれていたのに。全部台無しにしやがって……


散乱した椀を広い集めながら、襲ってきた男たちの顔を思い出した。


彼らは、『自分達は銀狼に雇い主や家族を殺された被害者だ』と叫んでいた。でも、その怒りや憎しみを、銀狼の同族だというだけで何の関係もない女性や老人、子供たちに向けるのは間違っている。


あれでは同胞を搾取したという理由で標的の商人だけでなく、その妻や幼い子供たちまで惨殺し、軒先に晒した銀狼ーーゲルルフと何ら変わらないじゃないか。


一番悪辣なのは、彼らの憎しみを煽りながら、自分達は手を汚すことなく高みの見物をきめ、騎士団が駆け付けるや一目散に逃げ出したあの白装束の連中だ。


あいつら何者だ? 『純白の民ライン・ヴァイス・フォルクス』なんて御大層な名前を名乗っていたが。


くそっ! 思い出したら腹立ってきたぞ。


「カズマ様、お手伝いしましょう」


聞きなれた声に顔を上げると、頭に包帯を巻いたクリフトさんが立っていた。包帯に血が滲んでいて痛々しい。


「クリフトさん、もういいんですか?」


「はい。たいした怪我ではありませんでしたから」


「いやいや……結構酷い怪我でしたよ?」


「狼人は人間より頑丈なのですよ。私たちには分厚い毛皮もありますし」


そう言いながら肩を回すクリフトさん。そういう問題じゃないと思うけどなぁ。


「……正直なところ、私もじっとしていられないのですよ。カズマ様と同じです」


クリフトさんはそう、肩を竦めて寂しげに笑った。やっぱり、自分が提案した炊き出しのせいで女性や老人や子供たちが襲われたと気にしてるんだろうか。


「……ヨルク老が言ってました。今回の襲撃とクリフトさんの炊き出しは関係ない、だから気にするなって」


「そうでしょうか」


「え?」


低いクリフトさんの呟きに、俺は思わず聞き返した。が、クリフトさんは首を振ると微笑んで頷く。


「いえ……確かに、過ぎた事を気にしてもしょうがないですね……ありがとうございます。カズマ様」


そう言って石畳にこぼれたスープを見詰めるクリフトさんの表情は何故か厳しかった。





散乱した椀や寸胴を馬車の荷台に乗せ、石畳にこぼれたスープを洗い流し終わった頃。


「長老、あの無法者どもをこのまま騎士団に任せるおつもりですか?!」


「……そうだ」


鋭い声に顔をあげると、広場の向こうでヨルク老が数人の狼人に囲まれているのが見えた。


「クリフトさん、あれ」


俺は、そのただならぬ様子にクリフトさんに声をかける。が、クリフトさんは『黙って』と指を口許に当て、そのまま作業に戻った。


もっとも、クリフトさんの耳はピンと立っている。ヨルク老の話はしっかり聞いているのだろう。


俺もクリフトさんに倣ってごみ拾いをしながらヨルク老たちの話に聞き耳を立てる。何だか盗み聞きをしているみたいで気が引けるけど。


「しかし、騎士団といっても人間。信用はできません。我々ではなくやつらの肩を持つかもしれない」


「やつら、女子供を狙って容赦なく石を投げた。俺の妻も顔に酷い傷を負って臥せっている……我々は今まで耐えてきた。こんな仕打ちを受けて、まだ耐えなきゃならないのか?!」


「やはり、掟に従って我ら狼人がやつらを裁くべきだ! 長老!」


興奮ぎみにヨルク老に詰め寄る狼人たち。だが、ヨルク老は瞑目して首を振った。


「お前たちの気持ちは分かる。儂も連中の(はらわた)を食い千切ってやりたい……だが、それは許されぬ」


「何故です?!」


「法が私的な報復を禁じている事くらい知っておろう。掟に従い法を犯せば、我らは彼奴等(きゃつら)と同じ無法者に成り下がる……その先に何があるか、知らぬわけではあるまい」


「しかし……!」


ヨルク老に鋭く睨まれ、しかし納得できない様子の狼人たち。ヨルク老人は一人一人の肩を叩き、諭すように言った。


「儂はこの居留地に住まう狼人全てを守らねばならぬ。だから居留地を脅かす行動は断じて許さぬ……わかったな?」


「くっ……」


ヨルク老の言葉に、狼人たちは悔しげな表情を浮かべたが、渋々跪いて恭順の意思を示すと立ち去っていく。


深い溜め息をついて彼らを見送るヨルク老の姿が酷く疲れているように見えて、俺は思わず声を掛けた。


「あの……ヨルク老」


「……? 大賢者の弟子とクリフトか。まだいたのか。帰れと言った筈だ」


「それは……好きにしろ、と言われましたから」


「……ふん。大賢者も変わり者だが、その弟子も大概だな」


俺の答えに、ヨルク老は苦笑いを浮かべる。その表情にさっきの疲れたような雰囲気は感じない。


だから先程の事が余計に気になった。


「ヨルク老、彼らは……一体何事ですか?」


「ふむ。盗み聞きとは感心せぬな」


「あ、いえ。そんなつもりはなかったんですが」


「……まあ、珍しい話ではない。若者というのは、いつの時代も突っ走りたがるものだ。のう? クリフトよ」


慌てて言い訳する俺に、ヨルク老は懐かしい思い出を語るような口調でそう言い、横目でクリフトさんを見た。


「……返す言葉もありません」


耳を後ろに倒して口を歪めるクリフトさん。その様子にヨルク老は呵呵(かか)と笑い、すぐに表情を厳しくする。


「……しかし、だからと言って放ってはおけぬ。何者かに煽られておるなら尚更な」


「……」


「え? それって、どいういう……」


「こちらの話だ。お前たちには関わりの無いこと。今のは忘れろ」


俺の問いに、ヨルク老はそうぶっきらぼうに答えると背を向けた。


「気が済んだのなら帰れ。よいな?」


そう言い残して立ち去るヨルク老。クリフトさんはその背中に頭を下げると、小さく息をついて言った。


「私たちがここで出来ることはもうありません。片付けをして帰りましょう」


確かに……ヨルク老が言った事とか、居留地の事は色々気になるが、だからといって俺が何か出来るものでもないのも確かだ。


自分の後始末が終わったら、俺がここに居る理由もないし、逆に迷惑か。


「そうですね……」


俺はそう頷くと、生ごみの入った麻袋を荷台に乗せた。


やっぱりスッキリしないな。





空に垂れ込めた鉛色の雲が炊き出しを始めた頃より厚く、低くなった気がする。


居留地はまるで息を潜めているようにひっそりとしていて、土を蹴る馬蹄の音と馬車が軋む音がやけに大きく響いていた。


あんな事があった後だ。当然と言えば当然か。


「急ぎましょう……雨の匂いが強くなってきました」


鼻を鳴らしたクリフトさんが、そう言ってトロンベに鞭を入れた。トロンベは抗議するように小さく(いなな)いて足を速める。


「カズマ様、ひとつ伺っても?」


「何ですか?」


だが、クリフトさんはそのまま口を噤んでしまった。何か聞きにくいことなんだろうか。


居留地の拒馬(きょば)を抜け、石畳が綺麗になって馬車の揺れが小さくなった時、クリフトさんが口を開いた。


「ゲルルフと娘のステラ……二人とも人間とはあまり関わらない筈ですが、カズマ様はどうやって二人と知り合ったんです?」


「ああ……えっと……そうですね。何て言いましょうか」


そうか。クリフトさんは俺があの二人と顔見知りだと知らなかったな。


まあ、それをいったら俺もゲルルフとクリフトさんの関係を知らないか。


しかし、何て話そうか。ゲルルフが銀狼を名乗って人殺しに手を染めている事を話せば、ステラが事件に関わりがある事が父親であるクリフトさんに知れる。


でも、いずれ知れる事だし、嘘をつくのは良くないよな。


俺はステラと出会う切欠となった護衛隊とのいざこざと、ゲルルフと戦った事件の事を掻い摘んで話した。


「そうですか……やはり」


「『やはり』?」


眉を顰める俺に、クリフトさんは静かな口調で答えた。


「ゲルルフは……15年前、家族を『バルバの虐殺』で失い、自らも瀕死の重傷を負っています。だから人間に対する憎しみは深い。『銀狼』を名乗り、人間を惨く殺す手口から、まさかと思っていました……思い違いであって欲しかったのですが。しかし、そうであれば私は彼を止めなければならない」


クリフトさんは唇を噛み締め、思い詰めた表情でそう言った。


「……だからあの夜、商人街に居たんですか」


「銀狼が動くのは満月の夜でしたから。すいません。カズマ様に嘘をいってしまいました」


「……いえ」


クリフトさんの答えに、俺はなんと言っていいか分からなかった。クリフトさんは事件の犯人を確かめるために満月の晩、商人街を探していたのか。


でも、どうしてそこまでして? 昔二人に何があったんだろうか。


「クリフトさんは、ゲルルフとはどんな関係なんですか?」


「彼とは、神の名に於いて契りを交わした義兄弟(きょうだい)です」


俺の問いに、クリフトさんははっきりと、でも悲しみと懐かしさが()い交ぜになった表情でそう告げた。


義兄弟、か。任侠映画や三国志や水滸伝ものでしか聞かない古めかしい言葉だが、この世界での義兄弟もきっと特別な関係なんだろう。


「今でも、そうなんですか」


「ええ。生きる道を違えたとしても、この契りは決して失われることはない。そして、義弟(おとうと)が道を外れ、過ちを犯せば、義兄(あに)は身命を賭してそれを正さねばなりません」


そう語るクリフトさんの顔に悲壮感はなかった。静かに決意を固めた、そんな表情に見える。


多分、クリフトさんは自分一人でゲルルフを止めるつもりだ。それは間違いない。でも、ゲルルフの側にはステラ……クリフトさんの娘がいる。


親友や娘と戦うのは辛く苦しいだろう。俺もクリフトさんが辛い思いをするのは嫌だ。


俺ができることは無いんだろうか。


ふと、大粒の雨が頬に当たった。


やがて冷たい雨が夕刻の帝都に降り始める。俺は暗く陰鬱な空を見上げて、深い溜め息をついた。



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