第21話 「捕縛」
【前回のアンクロ】
『純白の民』を名乗る白装束の男たちに煽動された暴徒が、炊き出しに集まった狼人の人々を襲撃した。
クリフトは投石を浴びて倒れ、カズマも子供たちを庇って石を受ける。鎌や棍棒で襲い来る暴徒にカズマが怒りを爆発させたその時、その場を大音声が引き裂いた。
「待てっ! 貴様ら、畏れ多くも皇帝陛下のお膝元で何をやっているか!」
地響きのような大音声が広場に響く。その大声に、白装束の男達や今まさに狼人を打ち据えようとする暴徒、そして逃げ惑う狼人達までもが一瞬立ち竦んだ。
声の主は青毛の大馬に跨がり、ドングリみたいな鳶色の瞳を見開いて男達を睨み据えている。
黒い詰襟の軍服を身に纏い、短く刈り上げた黒髪に赤銅色に日焼けした顔をした筋骨逞しい体をした偉丈夫。
ロベルトだ。
ということは、騎士団が来たのか?!
「速やかに武器を捨てろ! 抵抗は無意味だ!」
ロベルトが腕を振ると、彼の後ろに控えた十数騎の騎乗した騎士が広場に雪崩れ込み、男達を囲んで銃を突き付けた。
武装した騎士団に囲まれた男達は、我に返ったように手にした得物を放り投げて両手を上げる。
「なっ……騎士団だと? 話が違うではないかっ! くそっ! 散れっ!」
この状況に白装束の男は十字架を投げ捨てると、身を翻して逃げ出した。他の二人の白装束も別の方向に逃げ去っていく。
「捕らえよ! 逃がすなっ!」
「はっ!」
ロベルトの鋭い指示。それを受けて逃げた白装束の後を何騎かの騎士が追う……その後ろ姿と遠ざかる馬蹄の響きを聞きながら、俺は呆然と座り込んだ。
助かったのか…… 一時はどうなるかと思ったぜ。
そうだ! クリフトさん!
俺は広場に踞ったまま動かないクリフトさんに駆け寄った。
彼の頭や鼻面からは血が流れ、肩や胸の辺りにも血が滲んでいる。酷い怪我だ。
「クリフトさん! しっかりしてください! クリフトさん!?」
俺の呼び掛けに、クリフトさんは閉じていた目を開け、俺を見て顔を顰めた。
「……カズマ様、お怪我を……早く手当てをしなくては」
「なに言ってるんです! クリフトさんの怪我の方が酷いですよ!」
ずっと暴徒の目の前に立ち塞がっていたのだ。一体何発の石を食らったんだろう。早く手当てをしなければ……
「カズマ? カズマじゃないか」
呼び声に振り向くと、琥珀色の髪の若い騎士が馬から降りてこちらに近付いて来た。よく知った顔……ルーファスだ。来てたのか。
「……ルーファス! 良かった。クリフトさ……この人が酷い怪我をしてるんだ。早く医者を呼んでくれ!」
そう訴える俺に、ルーファスはクリフトさんを一瞥すると、複雑な表情を浮かべた。
「医者はいないんだ。いま騎士団救護隊に出動を要請しているから、彼らが到着し次第手当てを……」
「医者がいない? どういう事だよ、それ」
「どういうって……お前な」
ルーファウスの言葉を遮って噛み付く俺に、彼は困惑したように肩を竦める。
「カズマ様……帝都に、獣人を診れる医者は居ないのです……人間と獣人は、理は近いですが同じではありませんから」
クリフトさんが傷の痛みに顔を歪めながらそう言った。人間の医者は獣人を診ない……それならそれで、獣人の医者がいてもいいだろうに。なぜいないんだ!?
「騎士団の救護隊は獣人の治療もできる。だから待てって。それより、この兄さんをいつまでも地べたに座らせておくわけにはいかんだろ? 手を貸すから仮設の救護所に運ぶぞ」
ルーファスに言われて、俺はハッとした。確かにクリフトさんをこのままにはしておけないよな。
「……頼む」
俺はルーファスに頷くと、二人でクリフトさんに肩を貸して立ち上がらせた。
広場は怪我の軽い狼人や騎士団が慌ただしく動いている。襲撃者の男たちは既に拘束され、銃を持った騎士に監視されていた。
男たちはみな俯いていてその表情を窺うことはできない。
「救護所は街の教会だ。お前もそこで傷の手当てをしてもらえよ。痛々しくて見てらんねぇ」
そう言って顔を顰めるルーファス。石を投げられた瞬間は覚えてないけど、そんなに酷い怪我してるのか、俺は。
……なんか、傷の具合を見るのが怖いな。
「一班は捕縛した暴徒を中央本庁に護送しろ。二班と三班はラファエルの指揮で救護隊と共に怪我人の処置にあたれ。四班から六班はルーファウスの指揮で引き続き逃亡した賊を追跡しろ。抜かるなよ!」
「「はっ!」」
ロベルトの指示に、増援を加えた50人近くの騎士達が散っていく。動きに統制が取れているな。流石だ。
俺は、仮設の救護所となった教会で治療の順番待ちをしながらその様子を眺めていた。敷物を敷いた長椅子をベッド代わりにした急拵えの救護所だが、怪我人を地面に寝かすよりかはましだ。
クリフトさんは教会の奥で救護隊の手当てを受けている。救護隊の人の話では、出血は酷いものの命に別状は無いらしい。
他の狼人にも命に関わるような怪我をした人は居ないようだった。
……取り敢えず、ひと安心だな。
「見た顔がいると聞いて来てみればカズマ、お前か……昨日に引き続き騒動の渦中とは、余程災厄の女神に好かれているとみえるな」
不意に声を掛けられて振り向くと、教会の入り口で黒髪の偉丈夫が俺を見下ろし苦笑を浮かべていた。
「ロベルト……今回は助かりました。騎士団が来るのがもう少し遅かったら、狼人に死人が出ていたかもしれない」
「ああ。警邏中に通報を受けたのだ。暴徒が狼人の居留地を襲撃するってな」
「通報?」
ロベルトの言葉に、俺は眉を顰めた。
あの襲撃を逃れた誰かが、近くを警邏中の騎士団に偶然出会って助けを求めたのか。
だとしたら、被害がそれほど酷くならなかったのは本当に運が良かったんだな。
「前に護衛隊から助けた銀髪の半狼人の娘がな。突然の事だったが、獣人に対して妙な噂が流れていたから念のため駆け付けたのだ。本当、被害が深刻になる前で良かったよ」
「銀の髪をした半狼人の少女……?」
思い当たるのは一人しかいない。ステラだ。
ロベルトによると、ステラはロベルトの馬の前にいきなり飛び込んで、『居留地が襲われてるの! お願い! 助けて』と必死な顔で訴えてきたらしい。
ステラがロベルトに通報したのは、恐らくゲルルフと共に姿を消した直後だろう。でも、彼女は居留地が暴徒に襲われた事は知らないはず。
じゃあ、何で……?
「……それより、何でお前、獣人居留区で『純白の民』の襲撃に巻き込まれたんだ?」
「それは……」
ロベルトが俺に綺麗な布を差し出しながら問う。俺は肩を竦めて布を受け取ると、経緯を掻い摘んで話した。
「……成る程。大賢者様の執事が故郷の街で炊き出しを……それをあの連中、暴動の準備と勘違いしたのか」
「そう言えば、逃げた白装束の連中もそんなことを言ってた……でも、暴動ってなんです? さっき言ってた『妙な噂』に関係あるんですか?」
俺の問いに、ロベルトは周囲を軽く見渡すと声を低くして答えた。
「銀狼の最初の事件が起きて数日後、『狼人族が銀狼に呼応して大規模な暴動を企てている』という噂が帝都に流れたのだ。出所は不明。裏も取れなかったから、下らないデマの類だと相手にしなかったのだが……」
「奴等にとって暴動の噂は我々を迫害するための口実にすぎん。それが事実かなど関係ないのよ……尤も、儂らに暴動を起こす力が残っていたなら、とっくに蜂起しておるがな」
低い声に振り向くと、教会の奥からヨルク老が姿を現した。頭や肩、腕に巻かれた包帯は血が滲み、痛々しい。
「……名誉騎士、ヨルク教官」
ヨルク老の姿に、ロベルトが弾かれたように姿勢を正して敬礼をする。ヨルク老は鋭い眼光を僅かに緩めて頷いた。
「久しいな、ワイツゼッカー。卿が士官学校を卒業して以来か」
「いえ、教官が退官される時にお声を掛けていただいて以来です。しかし、あまり物騒なことを仰らないで下さい。何処に耳があるかわかりません」
「……ふん」
苦笑いを浮かべながら戒めるロベルトを、ヨルク老は鼻で笑う。
ヨルクの爺さん、目付きとか雰囲気が堅気とは違うと思ってたけど、昔軍人だったんだな。でも、『名誉騎士』って……何だか凄そうだ。
「ワイツゼッカー、ここはもうよい。重傷の者の治療が終わり次第、卿の任務に戻れ」
「しかし……」
表情を曇らせ、なにか言いたげなロベルトにヨルク老はゆっくり頭を振る。
「幸い、こちらの被害は大きくない。我らの後始末まで卿らの手は借りぬ」
「……わかりました。しかし、居留地近辺の警戒は強化します。よろしいですね?」
ロベルトの言葉に、ヨルク老人は苦笑しながら肩を竦めた。
「連中とて馬鹿ではない。すぐに仕掛けてくるような事はあるまいよ……それと、儂に騎士の礼は要らぬ。もう卿の教官ではないのだからな」
「いえ。我々にとって『名誉騎士ヨルク』は英雄です……では、失礼します」
そう言ってロベルトは背筋を伸ばして敬礼をすると、教会から出ていった。ヨルク老はその背中を黙って見送る。
「『英雄』な。儂はそんなものではないよ」
ロベルトの姿が騎士たちの中に消えたとき、ヨルク老はそう独り言ちた。その表情は何故か寂しそうだ。
この老狼人に昔何があったのか。興味はあるが、きっと俺が知るべき事ではないんだろうな。
そんなことを考えながらぼんやりとヨルク老の横顔を眺めていると、こちらを振り向いた彼と目が合った。
……ちょっと気まずい。
「大賢者の弟子よ。我が同胞の子らを守ってくれたこと、感謝する。だが、これ以上は関わるな。クリフトの治療が済んだらお前たちも帰れ」
ヨルク老の言葉は厳しいが、その表情は柔らかい。ゲルルフも俺に『これ以上関わるな』と言ったが、老人のそれは警告ではなく優しさだ。
「いえ。後片付けなら私も手伝います。元はと言えば私たちが皆さんを巻き込んだんです。出来ることをさせてください」
「変わった奴だ。好きにしろ。だがな、勘違いするな。連中が襲ってきたのと、お前たちの炊き出しは関係ない。炊き出しを襲われたのは偶然だ」
ヨルク老はぶっきらぼうにそう言うと、俺に背を向け教会の奥に戻って行った。
「……ありがとうございます」
『こんなことになったのはお前たちのせいじゃない。だから気にするな』ーーそう言ってくれたのだ。俺はヨルク老の背中に頭を下げた。
しかし、『偶然』か。
俺は頭を上げると教会の中を改めて見渡した。
今回の襲撃で怪我をした狼人の多くは女性やお年寄りだ。炊き出しで集まったのが子供や女性や老人だったから当然だが、この事と暴徒が襲撃してきたことは本当に無関係なんだろうか。
襲撃は、炊き出しが始まって人が集まって来た頃を見計らったように行われた。
なんだろう。妙に引っ掛かる。




