第19話 「呪い子」
【前回のアンクロ】
クリフトと獣人の居留地に炊き出しに向かうカズマ。帝都は先日の殺人事件でざわめいていた。
狼人の長老に許可をもらい、地元のおかみさんたちとスープを作るカズマは、休憩時間にクリフトから居留地の成り立ちや獣人について話を聞く。
「はいはい、みんな並んで。スープはたっぷりあるからね」
居留地のほぼ中央にある教会跡の広場。
街のあちこちから集まってきた獣人達におかみさんの大きな声が飛んだ。
少なく見積もっても100人以上は居るだろうか。区長を通じて広場に集まった人々は男性女性、子供から老人まで様々だ。
ただ、みな一様にどこか疲れた表情を浮かべていた。
「女子供が先だ。次に老人、若いのは後ろに回れ。量に限りがある。一人につきスープ一杯とパンひと切れだ。よいな」
ヨルク老の低いよく通る声が広場に響き、炊き出しが始まった。
「はい、お婆ちゃん。パンは固いからしっかりふやかして食べてよ?」
「ありがとう……こんなに暖かいスープは久しぶりに食べるよ」
俺は老婆の差し出した椀にスープを注ぎ、切り分けたパンを添えて渡した。ライ麦の割合が多い混合パンは身がつまっている分日持ちがするが、あまり膨らまないので固い。だからスープでふやかして食べる。
元の世界で食べていたような小麦の割合が多いふっくらしたパンは、数を確保できないし高価だ。小麦のパンを毎朝食べられるのは貴族位なもので、つまり俺がメアリム爺さんの所で食べるパンは上等なパンだって事だ。
……クリフトさんから聞いたときはちょっとしたカルチャーショックだった。あれでも固くて食べにくいと思ってたのに。
「次の方、はい、どうそ」
俺は笑顔をつくって次の老人の椀にスープを注ぎながら、クリフトさんの話を思い出した。
「それは、どういうことです?」
聞き慣れない言葉に俺が首を傾げると、クリフトさんは少し考え、ゆっくりと口を開いた。
「……あまり面白くない話です」
クリフトさんは頭を振って俺を見た。その表情はいつもの穏やかな顔だ。
「カズマ様の世界では分かりませんが……この国で帝国の国民、つまり皇帝陛下の民になるということは、民族の伝統を、誇りを棄てる事でもあります」
「誇りを……ですか」
「はい」
聞き返す俺に、クリフトさんは小さく頷いた。
皇帝陛下に従うことと自分の民族を棄てること……それが何故繋がるのか。俺にはよくわからなかった。
「誇りを失った故に……獣人は、わずか75年前まで『ヒト』ではなく『家畜』でした。ですから、皇帝陛下の勅令によって『臣民』となった後も差別や迫害に晒されている」
そう語るクリフトさんの顔は穏やかだが悲しげだ。
帝国にかつて奴隷制度があったことは爺さんから学んでいる。でもそれは200年くらい前の話だった筈だ。奴隷制度が廃止されてなお、狼人や猫人達獣人族はつい最近まで奴隷身分だった。
つまり、それまで人間として扱われていなかったと言うことだ。クリフトさんが自分達を『家畜』と表現したのは誇張じゃないんだろう。
「この居留地は獣人族を迫害から守る砦であり、同時に民族の故郷から引き剥がして誇りを奪うための牢獄でもあるのです」
砦であり牢獄……だからあんな物々しいもので半ば封鎖されていたのか、この街は。
「……知りませんでした」
身近な人の事なのに、俺は何も知らなかった。確かに爺さんの屋敷や歩いていける範囲に引き籠っていたら知ることができなかった事だ。
「そんな顔をしないで下さい。これは人が敢えて語らないこと。ここで生まれ育ったならいざ知らず、貴方は何も知らずにここに来られた。知らなくて当然です。貴方はこれから知っていけばいいのです」
クリフトさんは俺の肩に手を置くと、優しい声でそう言って笑った。
「……私もかつて、己の無知から多くの人を傷つけてしまいました」
「え? クリフトさんが?」
「現状にただ漠然とした不満を持ち、それを晴らすために暴力を振るう。でも、それではなんの解決にもならない……私はメアリム様からそう教えられました」
漠然とした不満を暴力で晴らすなんて、若さゆえに粋がって暴れるチンピラみたいだ。今の紳士的で優しいクリフトさんからは想像できないな。
いや、そんな過去があるから今の紳士なクリフトさんがあるのか。
「今、私は教育こそ獣人の現状を変える力だと考えています。力があれば肉体労働で稼ぐことはできます。でも、それでは糧を得る手段が限られてしまうし、単純な労働は収入が少ない。体力が衰えたり、怪我をすれば終わり。あとは居留地に引きこもるしかないのです。でも、ある程度字が読め、簡単な計算ができれば力に頼らずとも生きる事ができます。文字が読めれば本を読み、知識を蓄える事ができる。知識があれば自分達の現状を知り、変えるにはどうしたら良いか考えることができます」
クリフトさんはそう言って立ち上がると、遠い目をして空を見上げた。
「それに、知識の量は人脈の広さにつながり、人脈の広さは生きる上であらゆる事に恩恵をもたらす。それは人間も狼人も同じです……私は子供達に今を生きる力と将来を考える力を持って欲しいと思っているのです」
静かな、でも強い意思を感じる口調で語るクリフトさん。
凄いな。俺なんかその日一日を生きる事で精一杯なのに、この人はずっと先の、狼人族の事を考えて今を生きている。
「伝わるといいですね、クリフトさんの思い、子供達に」
「……そうですね。子供達には、私のようになって欲しくありませんから」
俺の言葉に、クリフトさんは小さく呟いた。
いつの間にか空は薄く鉛色の雲に覆われていた。そう言えば、出掛ける前ベアトリクスさんが午後から天気が下り坂になるって言ってたな。
日が陰ったら少し肌寒くなってきた。夏の盛りなのに……
「おじちゃん、スープとパンくれよ」
「お腹ペコペコ。すごく美味しそう!」
元気のいい声に見下ろすと、見たことがある子供が二人、両手で椀を抱えて突き出している。
茶色い毛並みに黒い瞳。顔の周りがあのネズミみたいな形で白い狼人と、濃い灰色で青い瞳、目の周りが白い狼人。
確か……ダニーとディモ、だったか。どっちがダニーでどっちがディモかは分からないが。
「よう。ダニーとディモ。言っとくが俺はまだおじちゃんじゃねぇぞ」
「ははは。じゃあ『お兄ちゃん』、早くスープくれよ」
「はいはい。ほら、椀を寄越しな。えっと……」
「ダニーだぜ! お兄ちゃん」
黒い瞳をしたネズミ模様の方が得意気な顔で椀を突き出した。成る程、じゃあ、灰色の方がディモか。
「元気がいいな。ほら」
俺は苦笑しながらダニーの椀にスープを注いでパンを添えて渡し、すぐにディモの椀にも同じ量を注いでやった。たくさんの椀に同じ分量汁物を注ぐ……牛丼屋のアルバイトの経験がここで生きるとは。
「パンは固いからな。慌てて食べるんじゃないぞ? 歯が折れるぜ」
「はははっ! 俺の牙はそんなにヤワじゃないやい」
俺の冗談にダニーがニィっと牙を剥き出して笑う。と、その時ふと視線を感じ、俺は顔をあげた。
広場の隅、建物の影から少女が一人こちらを窺っている。
腰まで伸びた銀髪、遠目からでもよくわかる洋紅色の瞳。髪から覗く三角の犬耳とゆらゆらと揺れる太くてしなやかな尻尾……あの時の半狼人の娘か。彼女、この街の娘だったのか。
少女は相変わらずやつれていて、物欲しそうにこちらを見つめていた。腹が減っているんだろう。
「そこの君、こっちにおいで! スープとパン、美味しいよ」
俺が少女に声を掛けると、少女の肩がピクリと震えた。急に声をかけたからビックリさせたかな?
と、俺の声で少女に気付いたダニーが表情を歪めて、唸るように吐き捨てた。
「あいつ、ステラだぜ。ちぇっ……気味悪ぃ」
「『呪い子』のステラ? あ……ホントだ。どうしよう」
そうか、彼女、ステラって名前なのか。しかし……ディモの怯えた声に、俺は眉を顰める。
「呪い子? ……って、なんだそりゃ」
「赤い目をした毛の白い半狼は、ひとを呪うんだぜ」
「姿を見たら不幸なことが起きるって、お母さんが言ってた」
二人の言葉に、俺は心が重くなった。差別される側だって、別の誰かを差別しているんだ。
生まれや身体の特徴での差別は本人に全く落ち度がないから理不尽だ。でも、この子達にステラを差別しているという意識はないんだろう。親が、身の回りの大人がそうしているから。それが『当たり前』になっているから。
だから余計に質が悪い。
『呪い子』に対する忌避や差別が何を根拠にしているのかは分からない。狼人の禁忌に触れるものかもしれない
……でも、やっぱり間違っているよな、こんなのは。
ステラの方に目を移すと、彼女の姿は既に無かった。俺達に気付かれたから姿を隠したのか。
「ダニー、ディモ」
「なんだい? 兄ちゃん」
俺は少年達の前地膝をついて目線を合わせると、二人の頭を撫でた。
「大人の言うことはいつも正しい訳じゃない。特に他の誰かを悪く言うときはね」
そう言って、俺は予備の椀にスープを注ぐと、パンを突っ込んで隣の列の手伝いをしているクリフトさんに声を掛けた。
「クリフトさん、少し外します」
クリフトさんは俺達のやり取りを見ていたらしい。小さく頷くと、なにも言わず俺からお玉を受け取る。
「……よろしくお願いします」
そう頭を下げるクリフトさんは、嬉しさと悲しみが混じったような複雑な顔をしていた。
「やあ、こんなところに居たんだ」
銀の半狼人の少女ーーステラが居た物陰の近く、バラックの隙間を抜けた先に彼女は居た。
積み上げられた木の箱に腰掛け、白い足をブラブラさせている。
ステラは俺に気づくとその大きな瞳を訝しげに細めた。
「……何しに来たの」
「何しにって……スープを届けにさ。炊き出ししてるの、見てたろ?」
俺の言葉に、ステラの灰色の耳がピクンと跳ねた。
「貴方、あの子達の話を聞いたでしょ? 私は……見たものに悲劇をもたらす『呪い子』なのよ?」
「だから? 俺は狼人じゃない。君の呪いは関係ないよ」
「だからって……変な人ね、貴方」
「よく言われるよ」
ステラは呆れたように溜め息をつき、ボサボサの銀髪を指で梳きながら俺を睨んだ。俺は苦笑してステラにまだ湯気のたつスープを差し出す。
「さ、温かいうちに食べなよ」
「残念だけど、私は食べ物に困ってないわ。この街の住人じゃないし……他の人に食べさせたら」
ステラは横目でスープを一瞥するとつと目を逸らした。あのな、やつれた姿でそんな事を言っても説得力無いぞ?
「優しいんだな、君は」
「何言ってるの? 訳分からない……もういいでしょ? 私と居るのを見られたら貴方の為にならないわ。もう行って」
ステラが突き放すようにそう言って俺に背を向けたその時、『くるるる……』と微かな音が聞こえる。
「……っ」
途端にステラの白い頬が桜色に染まった。ふふん。口では色々言っても体は正直だな。
「腹減ってるんだろ? ほら、食べなよ」
「……」
ステラは一瞬躊躇って、上目遣いに俺を睨みながら俺の差し出した椀を受け取った。
「食べたらそこに置いておいて。後で取りに行くからさ」
「あ、あり……がと」
口の中でもぞもぞとお礼を言うステラに俺は肩を竦めて背を向ける。俺がここにいたら食べにくいだろうから、食べ終わった頃を見計らって来よう。
……その刹那。
背中を刺す冷たい気配に、俺は咄嗟に体を横に投げ出した。瞬間、俺が今までいた場所を銀光が貫く。
目の前の家の壁に突き立ったそれは、大振りのナイフ。もし避けるのがあと一瞬遅かったら……
「チッ……外したか」
背後から響く太い声に俺は恐る恐る振り向いた。この声は聞き覚えがある。
「銀……狼?」
バラックの向こうからゆっくりと現れた銀色の狼人は、忌々しげに牙を剥き出して俺を睨んだ。
……何でこいつがここにいるんだよ。