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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第1幕 カズマと大賢者の弟子
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第1話 「契約」

 大きな揺れに、俺はハッと目が覚めた。いつの間にか居眠りをしていたらしい。


 電車がレールの継ぎ目を刻む規則的な音と、車両の軋む音。車窓を飛ぶように流れる街の灯り。乗客もまばらな終電の車内。


 聞き慣れた音と見慣れた風景。


 俺は凝った首を擦り、ずり落ちそうなリュックを抱え直す。ここのところ、コンビニの深夜バイトと就職試験が重なる日が続いたから、疲れが溜まっているんだろう。


 ーーはあ、嫌になるよな。


 俺は窓の外を流れる夜の街並みを眺めながら深い溜め息をついた。


 職無し、貯金無し、彼女無しのなしなし尽くし。今年でもう28歳。一応、大卒現役で就職はしたけど、その会社が大不況の波をまともに受けて業績が悪化。正社員の大虐殺(大量解雇)を断行して、俺は有無を言わさず解雇クビ


 いきなり都会の荒波に放り出された俺は、上京したてでツテやコネがあるわけがなく、かといっていまさら実家に帰るわけにもいかない。


 だから工事現場の旗振りからファミレスのウエイター、コンビニの店員……と色々なアルバイトで糊口を凌ぎながら再就職先を探したけど、なかなか上手くいかなくて……気が付けばこんな歳になっていた。


 いくらか持ち直したとはいえ、未だあの不況の影を引きずっている世の中。早々に再就職できるとは思ってなかったけどさ……30歳超したら就職は絶望的って言うし、そろそろ就職決めないと本気で不味いよな。


 ふと、視界の隅を何かが過った。


 金色に光る……蝶? まさかな。疲れてるのかな? 俺。


 ーーしかし、やけに静かだ。


 いつの間にか車窓の風景は真っ暗になっていて、車両の揺れも止まり、規則正しく響いていたレールの音も消えている。


 寝過ごして終点まで来ちまったか? いや、無いな。アナウンスは聞こえなかったし、電車が停車した感覚もない。


 俺はふと車内に視線を戻した。


 車内は恐ろしく静かだ。いつの間にか俺一人。他の乗客が誰も居ない……終電だから乗客が少ないのはいつものことだが、誰も乗っていないなんて……どうなっているんだ?


 「おじさん、こんばんは」


 不意に声を掛けられ、俺は声のした方に顔を向けた。正面の長椅子に一人の少年が座っている。


 黒のシャツに黒のズボンを身に付けた、濡れたように艶やかな黒髪の少年だ。


 輝くような白い肌と、少女のように整った顔立ち。深い青と血のような紅をした切れ長の異色瞳オッドアイがゾッとするほど美しい。


 この少年、いつの間に……? さっき見たときは誰も居なかった。しかし、いきなり『おじさん』なんて失礼だな。俺はまだおじさん呼ばわりされる歳じゃない。


 「これは失礼したね……じゃあ、『お兄さん』かな?」


 「なっ……」


 俺は何も言ってないのに……何なんだ、この子供は。そもそも、終電に子供が一人だけなんて、親は何してるんだ?


 俺の戸惑いを他所に、少年はニッコリと微笑むと、胸に手を当てて一礼した。


 「僕の名はヴォーダン。お兄さんの名前を教えてよ」


 「俺の……名前?」


 ヴォーダンと名乗る少年に問われ、俺は迷った。


 あれ……俺の名前、何だったっけ?


 自分の名前が出てこないなんて……いや、名前だけじゃない。頭が真っ白になって何も分からない。


 胸に不安が湧き上がり、焦りに動悸が早まる。焦るな。落ち着け。


 俺は自分の額を思いきり殴った。面接前に緊張して頭が真っ白になったとき、こうすると頭が冴えるんだ……って、そうか。


 「一馬。俺の名前は、安心院(あじむ) 一馬(かずま)だ」


 名前を名乗ると、今までの焦りや不安が嘘のように消えて、気持ちが落ち着いた。


 何だったんだ? 今のは……


 俺の名前を聞いたヴォーダンは、驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに微笑んだ。


 「凄いな。僕の前に立って、はっきりと自分の存在を定義できる人間はなかなか居ない……安心院 一馬、君は合格だ」


 「合格? なんだそりゃ」


 子供らしからぬ大人びた態度でそう告げるヴォーダン少年に、俺は眉を顰めた。


 終電の車内で子供に名前を聞かれ、答えて名乗ったら合格だと言われる……何のことかよく分からん。


 「言葉の通りだよ。この世界で僕の前に立つ人間の殆どは、自らを見失って発狂してしまう……でも、君は自我を取り戻し、僕に自らを定義して見せた。だから、合格」


 なに言ってるんだ? こいつ。発狂とか怖いことを、さも当然のように……俺は愉しげに笑う少年に言い様のない恐怖を覚えた。


 「まあ、いきなり言われても分からないね……結論から言うよ。カズマ、僕と契約しよう」


 「……契約?」


 足を組んで意味ありげな笑みを浮かべる少年。人を試すような事を言ったと思ったら次は契約?


 「そう。契約。君と、僕との……ね。別に取って喰おうとか、何かを売り付けようとか、怪しい宗教の勧誘とかじゃないから、安心していいよ」


 「そういう問題じゃないだろ。契約って意味分かってるか? 大体何の契約をするんだ?」


 俺の問いかけには答えず、少年は足を組み直すと、微笑みを浮かべて指を鳴らした。すると、俺の手元に黒い表紙のノートと黒い羽のペンが現れる。


 少年が指で宙を切るような仕種をすると、ノートの表紙がめくられた……何だか手品みたいだ。


 そのノート書かれた一文に、俺は眉を顰めた。


 ーー汝、己の思いを裏切る事なく、自ら選択し、力を尽くして生き、その生の結果を受け入れるべし。我、汝が定めを守る限りにおいて汝を守護し、その力となる。


 「これは……」


 「簡単に言うと、『自分の決めた事には最後まで責任を持ちましょう』って事。社会人として常識だよね?」


 言っていることの意味は分かる。が、なんだか釈然としない……戸惑う俺に、少年は目を細めて言った。


 「君は僕に選ばれた。だから僕は君と契約を交わすんだ。君は僕との契約を守る。契約が守られる限り、僕は君を守護し、君に力を貸す……不利益はないと思うけど?」


 この少年が俺を選んだって? こんな子供が力を貸す? 見た目も雰囲気も普通じゃないが、まだ子供じゃないか。それに、不利益リスクの無い契約なんてのがあったら、それは詐欺だ。


 色々突っ込みどころが有りすぎる。真面目に聞く話じゃない。


 だが、俺の体は俺の意思に反して動き、羽ペンを手に取ると、ノートに自分の名前を書き込んだ。


 おい! 何やってんだ俺は!


 「……これで君と僕は『契約者』という深い縁を得た」


 俺が名前を書き終えたのを確認した少年は、満足そうにそう言って指を鳴らす。すると手元にあったノートやペンが忽然と消え、少年の手に俺が名前を書いた黒いノートが現れた。


 「お前、俺に何をした?」


 「何も? ただ、この世界において集合的無意識の欠片たる僕の意思は、あらゆる個人の意思より上位なんだ……勿論、君の意思よりもね」


 自分の手首を握り締めて睨み付ける俺に、少年は苦笑いを浮かべて肩を竦める。


 小難しい理屈を並べやがって……要するに何かしたって事だろうが。


 「さて、君は占いは好きかい?」


 「……占い?」


 ヴォーダンの問いに俺は眉を顰めた。手品、契約ときて、次は占いだと? 朝のワイドショーでやる占いくらいは見るが、その程度。大体占いなんて気休めだ。


 「気休め、ね。くくくっ……このカードから好きなものを一枚引いてみて」


 少年が笑って指を鳴らすと、俺の目の前にトランプ程の黒いカードが現れた。全部で22枚。占いとやらをやるとは言っていないが……俺は溜め息をつくと、一番近くにあったカードを一枚取った。その瞬間、他のカードが煙のように消える。


 そして、俺の手にしたカードに絵が浮き上がった。小さな荷物をくくりつけた棒を担ぐ男が崖に向かって歩いている。男の後ろでは、仔犬が何かを訴えるように吠えていた。この絵柄は見たことがある……確か。


 「自由なる意思、無限の可能性、直感と変化、未来への希望、揺るがぬ信念。そして、世界への幻滅、消極的な惰性、無謀からの失敗……縛られぬ者『愚者』。実に興味深かいよ。君の魂は」


 ヴォーダンは中学二年生を拗らせたような言葉を愉しげにそう語ると、再び指を鳴らした。すると俺の手元からカードが光となって消える……どうでもいいが、このガキ、仕種がいちいち気障だ。


 「カズマ……この世に偶然なんて存在しない。偶然に見える出来事も、小さな必然の積み重ねに過ぎない」


 少年がそう言って意味ありげな笑みを浮かべた時、列車が軋んだ音を立てて揺れ始め、レールの音が次第に近付いてくる。


 「君はこれから様々な人々に出会い、色々な経験をして、その度になにかを選択する。その選択全てに意味があり、選択は因果となって必然を産み、必然は結果を導く。それが積み重なって運命となる。今の君は、今までの君の選択の結果であり、必然なんだ。言い方を変えれば、君の選択次第で運命は変えられる……心に留めておいて」


 「ちょっと待て! 何言ってるのかさっぱりだ。お前、一体何なんだよ!」


 叫ぶように問う俺。だが、ヴォーダンは涼しげな笑みを浮かべて席を立つと、胸に手を当てて優雅に一礼する。


 「いずれ分かるよ……では、カズマ。君の道行きに幸あらんことを」


 「おま……っ!?」


 俺が何かを叫ぼうとした瞬間、電車が大きく揺れ、思わず目を閉じた。


 ……


 ……


 ……


 ……


 ーー不意の揺れに、俺はハッとして目を覚ます。


 電車がレールの継ぎ目を刻む規則的な音と、車両の軋む音。車窓を飛ぶように流れる街の灯り。乗客もまばらな終電の車内。


 聞き慣れた音と見慣れた風景。


 ただ、俺は全身にまるでマラソンで全力疾走した直後のような汗をかいていた。


 さっきのは……夢?


 『次は終点、博多、博多です。お降りの際はお忘れものの無いよう、お願い致します』


 終点を告げるアナウンス。俺は長椅子にもたれかかると、大きく溜め息をついた。


 ちくしょう……なんだか、疲れた。





 会社帰りのサラリーマンや街に遊びに来た若者たち。様々に行き交う人々の波を抜けて駅を出た俺は、住宅街行きのバスに飛び乗った。体が重い。アパートに帰る前にビールと乾きものでも買うか。こんな日は、1杯引っ掛けて早々に寝てしまうに限る。


 バスを降り、近くのコンビニでポテトと発泡酒を買った俺は、早足で家路を急いだ。雲間から覗く満月が人通りの無い住宅街を照らす……なんか、いつもより月が明るい気がする。


 アパートに帰りつき、部屋の鍵を開けると、玄関に何通かの封筒が落ちていた。宛先はどれも以前面接を受けた会社……これは採用試験の結果通知だ。


 スーツを脱いでベッドに放り、ネクタイを緩めて床に腰を下ろした俺は、取り敢えずビールを開け一気にあおった……ふう。ようやく一息ついた気がする。


 さて……


 封筒を手に取り、暫く見つめる。やっぱり緊張するな。まあ、封筒を見つめてばかりいてもしょうがない……開けるか。


 覚悟を決めて封を切り、中の紙を見る。


 先ずは1社目。


 ーー誠に残念ですが、今回は採用を見送らせていただきます。


 まあ、次いこう。2社目!


 ーーこの度はご希望にお答えできませんでした。


 うーん。駄目か……気を取り直して3社目!!


ーー厳正なる選考の結果、貴殿を採用いたすことを内定しましたのでご連絡いたします。


 ……


 ……


 ……ん?


 ……んんんっ?!


 『採用内定』……だと? マジか!?


 俺はもう一回通知文書を読み直した。確かに『採用』を『内定』したとある。


 俺はビールを一気に飲み干し、他の不採用の通知を丸めてゴミ箱に投げつけた。


 「いいぃやったぁぁっ!」


 独り暮らしの部屋でガッツポーズ。恥ずかしくなんかないぞ! 内定とは言え、採用決定には違いない。これが嬉しくないわけがない。


 30社近く面接を受けて、今まで全くダメだったんだ。やっと、やっと内定が貰えた……! これでついにフリーター生活から脱出だ。


 時計を見ると、もう午前1時を回っていた。


 寝よう。明日はやることが沢山ある。


 俺は明かりを消すと、ワイシャツのままベッドに倒れこんだ。安心したせいか、それともイッキ飲みしたビールが効いたのか、急に眠気がする。


 ……


 ……


 ……


 ……


 どれくらい眠ったか。ふと目を覚ました俺は、のろのろと体を起こすとスマホを探してベッドをまさぐった。


 シーツの中に埋もれていたスマホに指が触れたとたん、スマホがけたたましいサイレンを鳴らす。


 なんだ!? こんな音、聞いたことないぞ?


 不安感を煽るサイレンが止んだ直後、小さな揺れを感じた。そして、低い地鳴りと共に部屋が小刻みに震えはじめる。


 これは……地震……!?


 揺れは徐々に強くなり、サッシや家具……アパート全体が軋むような音を立てている。俺は揺れる蛍光灯を見上げた。結構強い揺れ……こんなのは初めてだ。


 こんな時はどうすりゃよかったっけ?


 焦る俺を嘲笑うかのように、地鳴りが大きくなっていく。


 これはマズイ!


 そう思った瞬間、突き上げるような凄まじい縦揺れが体を襲い、俺はベッドから転げ落ちた。


 窓のサッシが歪み、窓ガラスが割れ、テレビが揺れに弾かれるように飛ばされる。


 なんなんだ……なんだってんだよ!


 激しい揺れに翻弄され、体を動かすこともできない。腕で頭を抱えながら、俺は揺れが収まるのを待った。しかし、揺れは収まるどころか激しさをましてゆく。


 恐怖と混乱で頭が真っ白になる。


 その時、さらに激しい縦揺れがアパートを襲う!


 雷が間近に落ちたような轟音。木が引き裂かれる音。地の底から沸き上がる地鳴り。何かが砕ける音。俺自身の悲鳴。


 それらがいっぺんに俺を包み……俺の意識は途切れた。

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