第18話 「居留地」
【前回のアンクロ】
銀狼を取り逃がした翌朝。騎士団に担がれて帰ってきたカズマは二日酔いと筋肉痛で目が覚める。
メアリム老に呼ばれた彼は、メアリム老から今朝早くウラハ公爵の使者が先日の職務妨害の抗議に来たと告げられる。そして、迷惑をかけた罰と社会勉強を兼ねてクリフトの活動の手伝いをするよう命じられるのだった。
「世を騒がせる『銀狼』が今度は新進の貿易商アジッチ=バーチュを襲撃したよ! アジッチ邸は血の海だそうだ! 事件の詳細はこれを読めばすぐわかるよっ! さあ、買った買った!」
読売の売り子の威勢のいい声が朝の通りに響く。売り子の周りには既に人だかりができている。
先程通った事件現場の周辺は街路ごと非常線が張られ、騎士が目を光らせていた。この物々しい警備と陰惨な事件の噂が市民の好奇心や不安を掻き立ているのだろう。
トロンベが牽く荷車がゆっくりと通りを進む。
「クリフトさん、聞いていいですか?」
「……何でしょう」
手綱を握ったクリフトさんが俺を横目でちらと見る。俺は一瞬躊躇って、思い切って問うた。
「クリフトさんは……昨夜遅く、どちらに居られたんですか?」
「昨夜、ですか? 昨夜は屋敷におりましたよ?」
クリフトさんは表情を変えずにそう答えた。その顔からは動揺とか戸惑いは感じられない。でも、この人は何か隠している……何となくだが、そんな気がした。
「そう、ですか」
俺はそれ以上クリフトさんに聞くのを止めた。あの様子では聞いたところで話してくれないだろうし、あの時見た人物がクリフトさんだという確証が俺にも無い。
ただでさえ狼人を外見で見分けるのは難しいし、月明かりの下、おまけに遠目で見ただけだ。他人の空似かも知れない。
「そういえばクリフトさん、日曜日によく暇をもらってますよね。いつもこんなことを? 凄いな」
少し微妙になった雰囲気を変えるため、俺は話題を変えた。俺の問いに、クリフトさんは小さく頭を振って微笑みを浮かべる。
「いえ。そんな大したことはしていませんよ」
「凄いですよ。普通はいくら地元が大変だからって、街の皆に炊き出しなんてできませんって。クリフトさんは故郷を大事にしてるんですね」
俺なんか、都会の大学に進学してからこっち、爺さんの葬式くらいしか地元に帰ってないし、思い出すこともあまり無い。
……まあ、帰ったところで、帰る家も出迎える家族も居やしないんだが。
「そんな大層なものではありませんよ……ただ昔、居留地の方々に大変なご迷惑をお掛けしたので、自分の出来る範囲でその償いをしているだけです」
クリフトさんはそう言うと自嘲の笑いを浮かべた。昔、居留地に迷惑かけたって……クリフトさん、真面目で誠実な印象しかないけど、何があったんだろう。
「カズマさま、居留地の入り口が見えてきました」
そう言ってクリフトさんが指差した道は、馬車1台分の幅を空けて木製の拒馬で封鎖されていた。
「……なんか、物々しいですね」
俺の言葉に、クリフトさんは何も言わず拒馬の間に馬車を進ませた。
拒馬を過ぎると石畳の舗装が崩れて道が悪くなり、やがて土が剥き出しになった。建物もレンガ造りの建物が減って、粗末なバラックが目立つ。
何だか、随分と雰囲気が変わったな。
「元々この街は、75年前のトラスヴァル戦争の難民を受け入れるために造られた仮の居住区だったそうです。戦後、その仮の居住区を獣人達の居留地としたのです」
「へぇ……」
俺はクリフトさんの話に相槌を打ちながら馬車から街並みを眺めた。帝都の他の街並みに比べて乱雑な雰囲気なのは、そういう事情だったのか。
それにしても、辺りに漂う臭い……澱んだドブの臭いだ。多分下水道が整備されていないのだろう。土剥き出しの道路や粗末な建物もそうだが、インフラ整備はどうなっているんだろうか? いくら元は仮の居住区だったとはいえ70年以上経っているのに……
これじゃ、まるでスラムだ。
「あっ! 先生だっ!」
「クリフト先生っ!」
元気な子供の声に振り向くと、狼人の子供が二人、馬車に駆け寄ってきた。
クリフト先生……?
「やあ、ダニーとディモ。元気ですか?」
トロンベを止め、優しい声で子供たちに声を掛けるクリフトさん。
「うん! 元気だよ!」
「元気だよ!」
「それは良かった……族長は今、家にいますか?」
「ヨルク様? うん。まだお屋敷に居ると思う。ヨルク様に用事?」
「ええ。ありがとう」
小首を傾げる子供。クリフトさんはにっこりと笑うと、トロンベに軽く鞭を入れた。子供たちは『終わったら遊びに来てよ!』と手を振って馬車を見送っている。
「人気者ですね。でも、なんで『先生』なんですか?」
俺の問いに、クリフトさんは肩を竦めて笑った。
「先生なんて言われるほどの事ではないんですが、執事の仕事の合間に、子供たちに簡単な読み書きと算術を教えているんです」
「へえ……そんなことまでしてるんですか。やっぱり凄いですね。クリフトさんは」
俺の言葉に、クリフトさんは複雑な笑みを浮かべた。
「おう。随分早いな、クリフト」
屋敷ーーといっても他のバラックより幾分しっかりしている程度の家だーーからのっそりと顔を出した老狼人は、少し不機嫌そうな表情を俺たちに向けてそう言った。
「お久し振りですヨルク様。お元気そうで安心しました」
「歳は取ったが、若造に心配されるほどヤワじゃねぇ」
胸に手を当てて礼をするクリフトさんに、老狼人は鼻で笑って胸を張って見せる。
この人がこの居留地に住む狼人の長、ヨルク老か。
族長というからメアリム爺さんみたいな人を想像していたが、艶の無い灰色の毛並みに白いものが混じっている以外は、壮年の狼人と変わらないように見える。
服から覗く二の腕や肩の感じは筋肉質だし……狼人は歳を取らないんだろうか。
「……この者は? 見ない顔だな」
ヨルク老が警戒心の込もった視線を俺に向けた。抜き身の刃物のような視線、近寄りがたい圧迫感……昔は絶対堅気じゃないな、この人。
「この方はカズマ=アジム様。メアリム様のお弟子です」
「ほう? 噂に聞く大賢者の弟子か」
目を細めて頷くヨルク老。噂って……どんな噂が流れているんだか。ヨルク老の態度からして悪い噂じゃなさそうだけど……ここで気にしても仕方ないな。
「お初に御目にかかります。カズマ=アジムと申します」
クリフトさんに倣って胸に手を当て頭を下げると、ヨルク老は『ふん』と肩を竦めた。なんか態度が冷たいな……人間が嫌いなんだろうか。
「長、早速取り掛かりたいのですが」
「おう、そうだな。女どもには声をかけてある。呼べば来るはずだ。厨房は儂の屋敷のを好きに使うといい」
ヨルク老は荷車に積まれた木箱の中身を確認すると、そう言って笑った。
確かにこれだけの量を調理するには人手が要るし、場所もいる。そこら辺の段取りは事前に済んでいるのか。食材や器材の調達といい、いつの間にしたんだろう。
「助かります。遠慮なく使わせていただきます」
「それと、これは妊婦や赤子のいる母親と子供達に食わせてやれ。儂らの事は気にしなくていい。いざとなれば狩りに出てウサギでも獲るさ」
「しかし、ヨルク様。狩りは……」
ヨルク老の言葉に、クリフトさんは困惑の表情を浮かべた。
「儂等は元々そうやって生きてきたのだ。皇帝の命令を守って飢え死にする義理は儂等にはないわ」
憮然とした表情で吐き捨てるように言ったヨルク老は、一瞬寂しげな表情を見せ、すぐに少し不機嫌そうな表情に戻ると俺達を見て言った。
「兎に角、そういうことだ。いつも甘えて済まぬが、宜しく頼む」
「いえ。私が好きでやっていることですから」
クリフトさんはそう言うと、いつもの優しい微笑みを浮かべる。
狼人の人達も色々あるのか。銀狼は強盗殺人を搾取に対する報復だと叫んでいたが……ヨルク老の言葉やこの街の現状を見ると、もっと深い何かがあるのかも知れない。
それがどんなものでも、あんな非道を肯定することはできないけど。ま、取り敢えず今はこの食材の山を調理しなきゃな。
「へぇ、あんた、なかなかの包丁捌きだね。人は見掛けに依らないねぇ」
人参を刻む俺の手元を覗き込んだオバさーーご婦人が目を丸くして感心する。
そりゃ、18歳で独り暮らしを始めてから最近まで自炊生活してましたからね。魚だって三枚に下ろせますよ?
『見た目に依らず』ってのが気になるが、俺は婦人に『ありがとうございます』と笑顔で答えた。
あれからすぐ、街のおかみさん達が長の屋敷にやって来て炊き出しの準備が始まった。作るのは『アイントプフ』。干し肉をレンズ豆や大きめに切った人参やジャガイモと一緒に煮込んだこの国の家庭料理だ。ポトフに似たいわばお袋の味で、家庭ごとに味付けや具材が違うらしい。
「人参切り終わりましたけど、次何します?」
乱切りした人参を木のボールに入れ、竈の前にいる婦人に声をかけた。世間話に花を咲かせていた婦人は俺を振り向くと、下町のおばちゃんらしい大きな声で言う。
「ああ、ありがとね。あとは煮込むだけだから、あたしらに任せて。あんたはスープができるまでクリフトと休んでなよ」
「はい」
ただ野菜を切るだけだが、数が数だけになかなか疲れた。ここはお言葉に甘えて休憩させてもらおう。
ご婦人方に『お願いします』と声をかけて厨房を出ると、屋敷の庭先でクリフトさんがトロンベにブラシを掛けていた。
「おや、カズマ様。調理の方は良いのですか?」
俺に気付いたクリフトさんが、ブラシの手を止めて首を傾げる。俺は肩を竦めて苦笑した。
「あとは自分達でできるから大丈夫だと言われました。それにしても賑やかな方々ですね。ずっと喋ってましたよ」
俺は近くの切り株に腰を下ろし、伸びをした。陽射しが気持ちいい。暦の上では真夏だが、晩秋の日向の心地よさだ。
「話し出すと止まらないんですよ。こんな狭い街でよく話題が尽きないものだと、ご婦人がたにはいつも感心します」
クリフトさんは俺の言葉に微笑みを浮かべて頷きながらトロンベの鼻を布で拭う。井戸端のおばちゃんの話好きはどの世界も同じらしい。
「女性が元気な街は良い街だ……と何処かで聞いたことがあります」
「良い街、ですか」
何気なく言った俺の言葉に、トロンベの首筋を撫でていたクリフトさんの表情が曇った。
「カズマ様には、この街はどう見えますか?」
「どう……って」
俺は答えに困った。問い掛けるクリフトさんの表情はいたって真面目だ。何て答えたら良いんだろうか。
クリフトさんは俺の傍らに腰を下ろすと、声を落として問い直した。
「カズマ様はこの世界とは別の世界の方。この世界の常識に囚われない貴方の目に、この街はどう見えますか?」
「それは……」
俺は一旦言葉を切る。言葉を飾ってもしょうがないが、なんと言ったらよいか。
「うまく言えませんが……帝都の他の街とは切り離されているというか、取り残されているように感じました」
街の入り口は半ば封鎖され、帝都に張り巡らされている下水道が届いておらず、道路の舗装もされていない。人々が住む家も寄せ集めのバラックが殆ど。この街は帝都の他の街と比べて余りに劣悪な環境だ。ここは、かつての仮設居住区のまま放置されているんじゃないか?
「……そうですか」
俺の答えにクリフトさんは小さく溜め息をつくと、表情を厳しくして言った。
「この街は……『獣人達を住んでいた土地から隔離し、臣民化するための居留地』なんです」
臣民化……? 住んでいた土地から隔離って、どういうことだ?