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アンリーシュ=クロニクル『旧』  作者: 榎原優鬼
第2幕 カズマと銀色の狼人【前編】
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第16話 「銀狼」

【前回のアンクロ】


夜の帝都。悲鳴を追って街を行く騎士たちの前に、血塗れの男が現れる。アジッチの家の者だと言う男は、屋敷が襲われたことを告げて息絶えた。


ロベルト達はすぐに現場に向かうことを決意。カズマと別れる。メアリム邸に戻ろうとしたカズマだが、灰色の狼人ハウドがアジッチ邸に向かうのを見て、彼を追う。


そこでは惨劇が繰り広げられていた……

 「うおぉっ!」


 「なっ!」


 突然の絶叫に驚きの表情を浮かべる狼人ハウド。だが、突っ込む俺が丸腰なのを見ると獰猛な笑みを浮かべる。


 狼人は逆手に持った長剣を握り直すと、突っ込む俺目掛けて振り下ろす。


 ーーだが遅いっ!


 体を投げ出すようにして石畳に飛び込んだ俺の頭のスレスレを長剣が唸った。


 そのまま石畳を転がり、狼人と対面する位置で立ち上がる。俺はふらつく頭を軽く振ると、手にしたサーベルを構えた。


 転がりながら回収したルーファスのサーベルだ。


 「……全く、手癖の悪い奴だな」


 狼人に踏まれたまま、ルーファスが口笛を吹く。


 「貴方に言われたくはないですよ」


 俺はルーファスを一瞥して憮然と言い返すと、サーベルを構え直して切っ先を狼人に向けた。


 「来いよ、盗賊。それとも、丸腰の怪我人を踏みつけ、いたぶって悦に入るのが狼人の好みか?」


 「……貴様」


 狼人は牙を剥いて唸ると、ルーファスの体を蹴り飛ばして、長剣の切っ先を俺に向けた。


 蹴られたルーファスが蛙が潰れたような声をあげるが、死んじゃいないだろう。


 よし、取り合えず彼は大丈夫。問題は……俺がこの狼人と戦えるか。


 ああは言ったが、剣なんて学生時代にアルバイトしたヒーローショーの戦闘員役で小道具のレプリカを振って以来だ。


 まして、真剣ほんものを握って相手と向き合うなんて初めて。勿論命のやり取りなんて、今まで28年間の人生考えたこともない。


 それで果たしてやれるか。相手は女子供も容赦なく切り刻むような奴だ。


 「どうした。威勢がいいのは口だけか? 腰が引けているぞ」


 口の端を歪めて笑う狼人。


 でも、何故か恐怖はなかった。抜き身の長剣を構えた筋骨隆々の狼男が血塗れで俺を睨んでいるってのに……気持ちが昂って恐怖が麻痺してるのだろうか。


 「じゃあ、あんたはその腰が引けてる相手に斬り込めない臆病者だな」


 「ほざけっ! 言わせておけばっ!」


 俺の挑発に狼人が叫び、長剣を振り上げて一気に間合いを詰めてくる。


 ーー来るっ!


 狼人の剣閃が光となって迫る。俺は咄嗟に身を捻って躱した。その刹那の後、長剣が唸りをあげて俺を掠めた。


 ……え? 何だ? 今の。


 次は返す刀で左からの斬り上げが来る!?


 受け止める余裕はない。敢えて石畳に背中から体を投げ出して躱し、素早く転がって間合いを取り、起き上がる。


 「ちっ! ちょこまかと。逃げるだけか!」


 苛立たしげに俺を睨む狼人。


 見える……相手の動きが。これもあいつが言っていた『力』なのか? いや、考えるのは後だ。


 ……体が思うように動く。身体強化の効果で体が軽い。これなら行ける!


 俺は右足を肩幅に引き、背筋を伸ばして剣を両手で握って中段に構えた。


 ーー正眼の構え。


 あまり見慣れない構えなのか、狼人が僅かに顔を顰める。


 「はあぁっ!」


 「ふんっ!」


 俺は裂帛の気合いで狼人に斬り掛かった。狼人も俺に合わせて長剣を振るう。


 金属が激しく打ち合う音が連続して響く。


 撃ち合うこと数合。狼人の表情が僅かに動いた。そこに覗くのは、焦りと苛立ち。


 初めの一撃こそ俺から撃ち込んだが、2太刀目からは狼人が攻め手に回って俺が受ける展開。だが、俺は狼人の仕掛ける斬撃を潰すように剣を打っている。


 狼人の太刀筋を感じ、俺はそれに合わせて剣を振るう。だが、『見える』事と『それに合わせる』事は別だ。現に、俺は狼人の速く重い斬撃を追うのに精一杯で、その隙を窺えないでいる。


 やはり強い。人間と狼人の体格差もあるが、狼人の剣の力量もかなりのものだ。


 打ち合いの衝撃に腕が悲鳴を上げ始めた。身体強化もいつまでも効果があるわけではない。このままでは体格と膂力りょりょくに勝る狼人に押し込まれる。


 「ほらっ! どうした!」


 狼人の右肩口を狙った斬り下ろし。それを何とか跳ね上げる。が、重い衝撃に腕が痺れ、俺の上体がバランスを崩す。


 「ちぃっ!」


 「ぉらあぁっ!」


 狼人はその隙を見逃さない。野獣の咆哮を上げると長剣を振り上げる。


 渾身の力を込めて轟と空を裂き振り下ろされる一撃。


 これは受けきれない……! だがっ!


 俺の頭目掛けて真っ直ぐ振り下ろされる長剣を、サーベルを直角にして受ける。そしてそのまま刃を滑らせるように受け流した。


 「なんと!!」


 「……これでっ!」


 そして大きく左に踏み出すと、一気に体を沈めて剣を横薙ぎに振り抜く。サーベルの切っ先が狼人の脇腹を切り裂き、鮮血が飛んだ。


 しかし、浅い! 鎖帷子ごと狼人の岩のような腹筋を切り裂くには足りない!


 だが、渾身の一撃を撃ち込んだ直後、狼人も背後に回った俺に反応できないーーつまり、背中ががら空きだ。


 ……獲った!


 「退けよ……『疾風(ヴェントゥス)』!」


 低い声が耳に届いた瞬間、俺は全身に激しい衝撃を受けて吹き飛ばされた。石畳に背中を強か打ち付けて息が詰まる。


 ……魔法? 狼人ヤツの仲間に魔法使いがいるのか?


 痛む体を強引に起こして、俺は息を飲んだ。


 いつの間にか狼人の傍らに黒いマントを身に纏った男が立っている。背丈は狼人と変わらないくらいだが、全体的に細身。顔はフードを目深に下ろしていて、夜の闇に溶けて窺うことができない。


 ……怪しい。怪しすぎる。夜道で出会ったら、なにも考えずに通報するレベルだ。


 「情けないな銀狼よ……この程度、相手にできなくてどうする」


 「ふん。お前の方はどうなんだ? クルス」


 黒マントーークルスのくぐもった声に、狼人ーー銀狼は憮然として問うた。


 「奴とはもう少し遊んでいたかったが……引き上げの時間だ。仕方ない」


 「ふん……正直に手子摺てこずったって言え。まあ、いいさ。確かに頃合いだな」


 銀狼は鼻で笑うと、大きく息を吸って空に向かって叫んだ。


 「巣に隠る臆病な人間どもよ、聞けっ! 俺の名は『銀狼』! 誇り高き狼人ハウドの救い手なり! アジッチ=バーチュは我が同胞はらからの血肉を啜り、暴利を貪ってきた! その悪行、許す訳にはいかぬ! よってこの銀狼が我が神、ヴァナルガンドの名に於いて今夜罰を下した! 全ては我が同胞の誇りと解放のため! 人間どもよ、忘れるな! 俺はこれからも我が同胞を蔑ろにする者に神の罰を下す!」


 大音声は夜の静寂を引き裂き、街に響きわたる。


 神の名の元に罰を下す? アジッチがどんな仕打ちを狼人族にしたかは分からない。だが、だからといって彼の妻や、幼い子供達には罪はない筈だ。


 「何言ってやがる。あんたがやっているのは、ただの人殺しだ! ……あんたは同胞の救い手なんかじゃない。ただの犯罪者だ!」


 俺は傍らに落ちていた剣を拾い、二人に向けて構えた。


 「くくくっ……違うな。彼は『英雄』さ。己の守るべきものの為に、身を血に汚すのもいとわなぬ英雄……貴様もそうだったろう?」


 「な……に……っ?!」


 クルスの言葉に、俺は耳を疑った。この男、俺を知っているのか? いったい何者だ……?


 闇色のフードの奥で、クルスがニヤリと口を歪めて笑ったように見えた。俺の全身の血の気が引き、冷や汗が全身から噴き出す。


 この圧迫感プレッシャー……最初に感じた悪寒と同じだ。


 「『霧よ(ネブラ)』」


 クルスは胸の前で印を組むと、静かに『真なる言葉(ファクトゥム)』を唱える。と、俺の視界突然真っ黒に塗り潰された。


 突然沸き上がった濃い霧が街を充たしたのだ。


 ……くそっ! あの野郎! どこだ?!


 「また会えて嬉しいよ。カズマ」


 サーベルを握り直して身構える俺の耳元で、クルスの囁きが聞こえた。


 この言葉は……日本語(・・・)!? なんで……まさかこいつは……


 慌てて声の方を振り向くが、霧に塗り潰された闇のなかでは名にも見えない。


 「お前……一体……何で俺を!」


 「忘れたか? 永劫回帰エーヴィヒ・ヴィーダーケーレンの理の果てにようやく相見えたと言うのに。まあ、いい。いずれ貴様も思い出す」


 こいつ、何を言ってやがる。永劫回帰の理だって?


 「……また会おう」


 クルスがそう呟いた瞬間、今まですぐそばに感じていた圧迫感プレッシャーが消えた。と、同時に視界を覆っていた夜霧が嘘のように掻き消え、冴え冴えとした月の光が再び街を照らす。


 しかし、既に銀狼とクルスの姿は無かった。


 「ルーファス! 無事か!?」


 アジッチ邸から大声が上がり、黒髪の偉丈夫が飛び出してきた。服があちこち切れて血が滲んでいる。


 「おう……生きてたか、おっさん。俺も何とか……うっ! 痛たっ!」


 ルーファスは、壁に寄り掛かってロベルトに手を上げた途端、痛みに顔を歪めた。胸を押さえて蹲る彼に、ロベルトが駆け寄る。


 「ルーファス?!」


 「大丈夫……踏まれた時にあばらをヤったらしい……なに、しばらく寝てれば治るさ。それより、おっさん随分やられたね」


 「かすり傷だ。これくらい傷のうちに入らん」


 ロベルトはそう言って笑う。見た目は酷いが、たいした傷ではないらしい……良かった。みんな無事で。ロベルトも、ルーファスも……ラファエルが心配だけど、彼は多分大丈夫だろう。そんな気がする。


 ホッとした途端、俺の全身から力が抜け、サーベルを取り落として膝をついた。


 途端、背筋に悪寒が走り、全身が小刻みに震え始める。込み上げる嘔吐感を押さえきれず、俺は石畳に這いつくばって吐いた。


 晒しものにされた死体を見たときに胃の中身は全部吐いてしまったから、もう胃液しか出ない。頭がクラクラする。


 「カズマっ! 大丈夫か?!」


 「しっかりしろっ! カズマっ!」


 朦朧とする意識の向こうで、ルーファスとロベルトが俺の名を呼んでいる。くそっ……身体強化魔法の反動か。戦いの恐怖と緊張が今になって来たか?


 涙と胃液と汗にぐちゃぐちゃになりながら、俺は意識を失った。


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