第15話 「惨劇」
【前回のアンクロ】
護衛隊に終われた少女を助けたことで意気投合したロベルト、ラファエル、ルーファス、カズマの4人は、『蒼き牡鹿亭』での一時を楽しむ……その帰り道。夜の闇に響く悲鳴が。
馬車2台がやっと離合できる位の石畳の道路。その両脇に、隙間なく壁のように聳り立つ建物。
黒い雲の隙間から僅かに覗く月明かりが、屋根の隙間から道を照らしていた。
時刻は23の刻を過ぎた頃だろうか?
劇場や夜店があり、夜なお賑わう大通りや、酒場などの飲食店、夜が本番の色街と違い、商家が並ぶこの街の家々は、既に明かりを消して寝静まっている。
さっきの悲鳴はどこから……その前にロベルト達はどこ行った?
足を止めて辺りを見渡した俺は、不意に肩を掴まれてすぐ脇の路地に引き込まれた。
「……!!」
抵抗する俺を路地の壁に押さえ付けたのは、ロベルトだ。彼は獰猛な肉食獣のような顔で俺を睨んだ。
「誰か後をつけていると思ったら……なぜここに居る。あそこで待てと言った筈だ」
「いや……真っ暗な中一人で待っているより、一緒にいた方が安全かと思って」
まさか直感で付いていくべきだと思ったとは言えない。苦し紛れな俺の言い訳にロベルトが何か言おうと口を開いたとき、ラファエルがロベルトの肩を叩いて言った。
「カズマの言うこともまあ一理ある。ここらは治安がいいといっても昼間程じゃない。男でも丸腰で夜の闇に一人残されるのは不安だぜ?」
ルーファスの言葉に、ロベルトは溜め息をついて俺を離した。
「……俺から離れるな。何かあったら逃げろ」
「わかった。ありがとう」
俺は乱れた服を整えながら頷いた。
「しかし、さっきの悲鳴は何処からかな……一見何もないように見えるけど?」
ルーファスがのんびりとした口調で言う。だが、口調とは裏腹にその表情は厳しい。
その時、通りの四つ辻の角から男が飛び出してきた。足元がふらついているが、酔っ払いの千鳥足とは明らかに違う。
『ヒィ、ヒィ』と悲鳴のような声をあげて転び出るように歩く男に、ロベルトが駆け寄った。
「大丈夫か? ……! あんた、その怪我どうした?!」
人を見て安心したのか、つんのめるように倒れる男を受け止めたロベルトが叫ぶ。
男は額や頬、二の腕、腹部に切り傷や刺し傷を負っていて、血塗れだったのだ。
「たす……け……たす……て……」
譫言のように『助けて』と繰り返す男の手を、ルーファスが強く握る。
「大丈夫だ。今助けに来た! 何があった? あんたはどこの誰だ?」
「……ぎん……う……ぅっ! やらレ……ぇ……おれ……ぁ……アジッチの……ぅ」
傷が深いのか、出血が酷い。顔色も蒼白で素人目にも危ない状態なのがわかった。男は虚ろな目で喘ぎながら、それでも何か伝えようと言葉を振り絞る。
目の前で人が血を流して死にそうになっているのに、俺は気が焦るばかりで、ただ見ている事しかできない……これが爺さんなら、魔法で傷を癒すこともできるのに。
「ぎん……? アジッチとは、貿易商のアジッチ=バーチュか?」
ラファエルが問うと、男は小さく頷いた。ロベルト達はハッとして顔を見合わせる。
「あんた、頑張ったな! もう大丈夫だ。必ず助けるから、ゆっくり休んどけ」
ロベルトが男の耳元で優しく言うと、男は安心したように微笑み……力なく首を垂れた。
死んだ……のか? 本当に……死んで……畜生っ……なんで。
名前も知らない、さっき会ったばかりの男。だが、何もできないまま目の前で命の火が消えたという事実と、初めて目の前にした死に胸が握り潰されそうになる。
「アジッチ=バーチュか。確か店は近くだったな」
息絶えた男の骸を道脇に横たえ、瞳を閉じてやり胸で手を組ませた後、ロベルトがラファエルを振り向いた。
「ああ。どうする、中央本庁に応援を要請するか?」
「……応援を待っていたら間に合わん」
「まさか……ロベルト、今から急いでも間に合わないぜ? 縦んば間に合ったとしても、死人は減らないだろうし、それどころか奴と鉢合わせる可能性もある」
「それでも……みすみす見逃すわけにはいかん。なら、ルーファスお前は中央本庁に応援を呼びに行け」
そう言うと、ロベルトはルーファスに手にしたランタンを突き付けた。ルーファスは苦笑して肩を竦める。
「その間に一人で突っ込むつもりか? ったく。相変わらず頑固だな、おっさん……わかったよ。付き合ってやる。ラファエルは?」
「お前ら二人だけ行かせると碌なことにならん」
問われたラファエルは、そう言って呆れたように溜め息をついた。結局3人だけで現場に突っ込むのか。
……俺は、どうする?
「カズマ」
「はい」
「済まないが、君とはここまでだ……俺のランタンを使え。ここら辺は夜でも比較的治安がいい。細い道に入らなければ安全だ。ランタンは後日、大賢者様の屋敷に取りに行くから」
ロベルトはそう言うと、ランタンを俺に手渡した。俺はランタンを受け取ると『わかりました』と頷く。
ここから先は騎士の仕事だ。丸腰で何もできない俺は足手まといで迷惑なだけ。だったら、彼の言う通り真っ直ぐ歩いて帰るのが俺の役目だ。
「カズマ、今日は一緒に飲めて楽しかったぜ。また飲もうや」
「……はい。気を付けて」
笑みを浮かべて手を差し出すルーファスと握手を交わす。そして俺は四つ辻を走り去っていく三騎士の背中を見送った。
ふと、道端に横たわる名も知らぬ男の骸に目をやる。この人、最期に何を言おうとしていたのだろうか。
確か……ぎん……なんとかだったか。ラファエルやロベルトは何か感づいた様だけど。
月を覆う雲が流れ、漏れ出した月明かりが道を照らす。と、顔を上げた俺は、月明かりの下に人影を見つけて眉を顰めた。
長身痩軀で、遠目から見てもそれと分かる太い尾と前に突き出た鼻筋を持った人物……あれは、狼人か。
その狼人の瞳は鮮やかな金。体を覆う毛並みは明るい灰色……月明かりの下では輝く銀色にも見える。
ーーえっ? なんで?
あの姿は間違いない。でも、なぜあの人がこんな時間にここにいる?
と、灰色の狼人は何かに気づいたように四つ辻を走り去っていった。ロベルト達が曲がった方だ。
どうしてだろう。すごく嫌な予感がする。
俺は一瞬の逡巡のあと、灰色の狼人を追って走った。
辻を曲がった俺は、風に運ばれてきた妙な臭いに足を止める。錆びた鉄の臭いと、長く放置された生ゴミのような臭いが混じった不快な臭いだ。
なんだこりゃ? どっから臭ってくる?
周囲を見渡した俺の目の端に、何か光るものが引っ掛かる。よく見ると、石畳に散らばったガラスの破片が月明かりを反射して光っているようだ。
……まさか。ここか?
通りの建物3軒分の間口をもつ立派な店。俺はその3階を見上げて息を飲んだ。
「……うっ!」
窓からロープで何か塊のような物が吊るされている。大きいものが2つ、小さいものは2つ一纏めにされている。
雲間から射し込む月明かりに照らされたそれの姿に、俺は込み上げるものを堪えきれず屈み込んで嘔吐した。
吊るされていたのは、体を縛られた男女。小さいものは男の子と女の子だ。恰幅のよい男と、恐らくその妻であろう女性は全身膾切りにされて。子供達は顔や背中を一刀のもとに斬られて。
先程の嫌な臭いは、彼等から滴り落ちる血と、体液の臭い。
彼等は無惨に殺された後に屋敷の外に吊るされたのか。子供まで、誰が、何のために……!?
悪臭の嫌悪感と、残忍な殺人に対する怒りと、アルコールの不快感が頭の中を掻き乱し、俺はもう一度嘔吐した。
喉が焼け、口の中に嫌な苦味が広がる。吐くものがなくなり、胃液を吐いたらしい。
……くそっ!
その時、金属と金属が激しくぶつかる音と、激しい怒号が屋敷の中から響いた。何とか頭をあげると、店の木戸が内側から破れて男が飛び出してくる。
琥珀色の髪の若者ーールーファスか?!
石畳に投げ出されたルーファスは、苛立たしげに舌打ちをすると頭を振って起き上がりサーベルを構えた。
「ルーファス! 何があった?」
「……?! カズマか? 何でここにいる?」
ルーファスは俺を振り向いて目を剥く。驚くのも無理ないが今はそれどころじゃない。
「間に合わなかったのか? ロベルトやラファエルは?」
「間に合ったは間に合ったが、悪い方に間に合っちまってな。鉢合わせた。ラファエルは逃げた連中を追ってる。ロベルトの旦那は……」
ルーファスはそこまで言って言葉を飲み込み、屋敷の方に視線を戻した。
彼の剣先。破られた木戸の向から、人影がゆっくりと現れる。尖った耳と太い尻尾、長い鼻面……ヒトではない。狼人だ。
身長は6エーヘル(約2メートル)を超える。鎖帷子から覗く、まるで雄牛のような分厚い筋肉と剥き出しの鋭い牙、そして手にした抜き身の長剣。月明かりに光る銀の体毛は返り血に染まり、金の瞳は輝膜の反射なのか爛々と光っている。
その威圧感に俺は総毛立って吐き気が引っ込んでしまう。
「帝国の犬が……貴様ごときに俺を止められるか」
「はっ! 犬に犬呼ばわりされちゃ世話ないや」
狼人の低く唸るような声に、ルーファスは軽口で答えた。たちまち狼人の眉間に皺が寄る。
「減らず口を……去ねっ!」
狼人は地を蹴って走り、身長ほどもある長剣を軽々と振り降ろす。空気を引き裂く重い音。ルーファスは剣を逸らしてそれを受け流す。
そのまま長剣に刃を滑らせて首筋を狙うが、狼人は咄嗟に剣を斬り上げてルーファスの剣を弾いた。
一旦間合いをあける両者。互角に見えるが、ルーファスの肩が上下している。かなりスタミナを削られているようだ。
「はぁ……ぁっ!」
「ふんっ!」
裂帛の気合いと共にルーファスが仕掛け、狼人はその一撃を正面から受け止める。
剣撃の音と弾ける火花。その瞬間、俺の脳裏に何かが弾けた。
……
剣を弾かれ、狼人に踏みつけられた琥珀色の髪の若者。必死にもがく若者を冷酷に見下ろす狼人は手にした長剣を振り上げる。
俺は……足がすくんで動けず、ただ青年の名を叫ぶだけ。
狼人は獰猛な笑みを浮かべて踏みつけた青年の首に長剣を突き下ろす……
……
……な、何だ?! 今のは? 俺は何を見た?
頭が割れるように痛い。喉が焼け付くようだ。前にも……似たような事があった。あれは……
その時、激しい金属音が俺の意識を引き戻した。
ハッとして見ると、剣を弾き飛ばされたルーファスが狼人に蹴り飛ばされて石畳に這っていた。
慌てて起き上がろうとするルーファスを、狼人が踏みつける。
「手子摺らせやがって……終わりだ!」
「何が! 俺のはまだ萎えてないぜ?」
軽口を叩いてはいるが、狼人の巨体に踏まれて身動きができない。狼人はもがくルーファスを鼻で笑うと、長剣を振り上げた。
「ルーファスっ!」
このままじゃ……このままじゃ! でも、駆けつける一歩が出ない!
ーーくくくっ! どうする? そうやってまた見殺しにするのかい?
それは、嫌だ。助けなきゃ……いや、助けるっ!
ーー力が欲しい?
耳元で愉しげに囁く少年の声。分かる。これは悪魔の囁きだ。
……でも!
「ああ! 力をくれ!」
ーーいいだろう。ならば与えよう。『愚者の変革』の為に。くくくっ!
そう答えた瞬間、少年の不愉快な笑い声と共に『カチリ』と頭の隅で何かがはまった気がした。そして脳裏に『ことば』が浮かぶ。見知らぬ言葉。だが、俺は胸元で拳を握りしめ、迷うことなくそれを口にする。
「『身体強化術』っ!」
全身の血管が、筋肉が大きく膨らむような感覚。俺は大きく息を吸うと、まさに剣を突き下ろそうとする狼人めがけて走った。
「ルーファスっ!!」