第13話 「犬耳少女」
【前回のアンクロ】
用事を済ませ、城に帰るシャルロットは、去り際にエリザベートを救ってくれたことの感謝を口にする。カズマはそんな彼女に今までと違った印象を抱くのだった。
その日の夕刻、クリフトの使いで酒場『蒼き牡鹿亭』に立ち寄ったカズマは、最近獣人に対する風当たりが強くなっている事を聞かされる。
そして、家路につくカズマに一人の少女がぶつかってきた……
「ご、ごめんなさい……許して……殺さないでっ!」
怯えたように顔を強張らせる少女。俺は一瞬少女の言っている意味がわからなかった。
『ごめんなさい』は普通だ。『許して』はまあ、このシチュエーションなら無いこともないだろう。でも、何で『殺さないで』って言葉が続くんだ?
「君、大丈夫? ……怪我はなかった?」
俺は気持ちを切り替えるために軽く深呼吸をすると、なるべく優しく微笑みながら少女に手を差し出す。
歳は……14、5歳くらいか。手入れがされていないのか、腰まで伸びた銀髪は使い古した歯ブラシの毛みたいになっている。体も不健康に痩せていて痛々しい。
汚れていてみすぼらしい格好をしているが、色白で顔立ちに幼さが残るものの、意思の強そうな洋紅色の瞳とスッと整った鼻梁をした美少女だ。
よく見ると耳の所が灰色の毛に覆われた三角耳で、ワンピースのスカートから太くてしなやかな灰色の尻尾の様なものが覗いている。
あれは飾り……じゃないな。
耳と尻尾の形は見慣れた狼人のものだ。だが、狼そのものの容姿をしている彼らと違い、目の前で怯える少女は人の姿をしている。
……まさか、異世界もののライトノベルでお約束の犬耳娘か?
「君は……」
どこの子だい? と問いかける掛けた俺の言葉は、人混みを掻き分けて現れた男達の怒号に掻き消された。
「見付けたぞ! 小娘!」
「『混血種』が。鼠のようにちょこまかと逃げ回りおって……っ! まったく、手間をかけさせる!」
「もう逃げられんぞっ! 野良犬風情が……諦めて縄につけ!」
いつの間にか、俺達は帯剣した男達に囲まれていた。全員金の縁取りがされた濃い青色の軍服に身を包んでいる。
なんだ、こいつら。見たところ軍人のようだが……さっきから聞いていると随分酷い言い様だな。
「……っ! 」
犬耳少女が小さく悲鳴を上げて俺の服を掴むと、背中に隠れるように細い体を縮こまらせた。
……成程、連中に追い回されてたのか。道理で酷く怯えていたわけだ。
「……そこのお前、その『混血種』を我々に渡せ」
男達のなかで軍服にひときは派手な飾りをつけた金髪の若者が俺を見下ろして言った。
まだ若い。二十歳そこそこと言ったところか。金髪碧眼、彫りが深く鼻が高い。白馬の王子様然とした美形だが、軍服の飾り同様どこか軽薄な印象を受ける。俺を見下ろす高圧的な態度、立ち位置からして、軍人達のリーダーだろう。
しかし……混血種? この少女の事か。それにしても、大の大人が寄って集って女の子一人を追い回すとは。何があった? 何でこんなことになっている?
と、犬耳少女は俺の背後から飛び出すと、金髪の軍人の前に立って叫んだ。
「私はアイツと何にも関係ないのっ! それなのになんでこんな……お願いします。もう、いい加減放っておいて下さい!」
「黙れっ! 混血種の分際で我等に指図するかっ!」
金髪はそう言って少女を張り倒し、剣に手をかけた。
ーーちょっと待て。
何があったかは知らない。何故軍人が少女を捕らえようとしているのかも。もしかしたら知らない方がいい事なのかも知れない。
でも、あんなか細い女の子が男に殴り倒されるのを見て傍観できるほど俺は冷めてない。
気が付いたら女の子と金髪の間に割り、剣を抜こうとしている金髪の腕を掴んでいた。
「……なんのつもりだ貴様」
「ちょっとやりすぎじゃありませんか」
「……なに?」
俺の言葉に、金髪の軍人は声を低くして凄む。だが、どうにも迫力が足りない。
「無抵抗の女の子相手に刀を抜くことは無いでしょう? この娘が何をしたって言うんです?」
「軍務である。平民風情に話す必要はない。それに、こやつは獣の分際で俺の前に立ち、俺に指図したのだ……本来なら即斬り捨てられても文句は言えん。それを殴るだけで済ませてやったんだ」
「……っ!」
こんのクソ餓鬼……俺は金髪の偉そうな鼻っ柱をぶん殴りたい衝動に駆られ、それを押さえるために男の腕を握る手に力を込めた。
「……手を離して下がれ、下郎」
金髪は俺の腕を振り払おうとするが、びくともしない。俺は本気で握ってるんだ。そう簡単に動かせやしない。毎日の薪割りは伊達じゃないぜ。
「貴様っ! 無礼だぞっ! この方をどなたと心得る!」
傍らにいた軍人が酷く慌てた様子で叫んだ。時代劇で定番の台詞だな……まさか御紋のついた印籠でも出てくるのか?
「帝国護衛隊一番隊隊長にして、ウラハ公ゲラルト閣下の長子、ハンス=フォン=ウラハ様であるぞ!」
「貴様、我々に歯向かうかっ!」
金髪の軍人ーーハンスの両脇を固める軍人二人がサーベルに手を掛けて俺を囲んだ。
こいつ……貴族、しかも公爵の息子か。これは流石にヤバイかな。問題になったとき爺さんに迷惑がかかる。
それに、酒場の前はいつの間にか野次馬で人だかりになっている。これ以上騒ぎを大きくすれば『蒼き牡鹿亭』にも迷惑だ。
俺は心の中で舌打ちをすると、ハンスの腕を握る手の力を緩めた。
「よい。下下には私の顔を知らぬ者も居るだろう……多少の無礼は赦そう。しかし、次はない。分かったら下がれ」
ハンスはわざとらしくゆっくりとした口調で言いながら、俺の腕を引き剥がす。
……くっそ。公爵の息子だか何だか知らないが偉そうにしやがって。
「しかしお前、その身なりはただの平民ではないな。どこの家の者だ」
「……大賢者メアリム様に仕える者です」
薄笑いを浮かべて値踏みするように俺を見るハンス。俺が抑え気味に答えると、彼は口の端を歪めて笑った。
「メアリム? はっ! 亜人狂いの老いぼれか。主人が亜人狂いなら、下僕も亜人好みか」
あからさまな嘲笑。
メアリム家の住人は森妖精と狼人と異世界人だ。確かに端から見たら珍しいかもしれないが、だからなんだ。
少なくともコイツに嘲笑われる謂れはない。
「あんたは……っ!」
「ハンス様っ!」
俺が言い返そうと口を開いたとき、取り巻きの軍人が慌てた様子で割り込んできた。
「なんだ、騒がしい」
苛立たしげに軍人を睨み付けるハンスに、彼は恐る恐る告げる。
「はっ……その、娘が消えました。少し目を離した隙に……」
え? 逃げたって? マジで?
辺りを見回すと、確かにさっきまでハンスに殴られて倒れていた少女の姿がない……結果的に彼女をコイツらから逃がしたのか。俺は。
そんなつもりは無かったけど、まあ、いいか。
しかし、俺が割って入って、軍人達の目が俺に向いた一瞬の隙を突いて居なくなるなんて……何て言うか凄いな。
「馬鹿者が。何をしていた? さっさと捕らえぬから逃げられるのだ。探せっ!」
「はっ!」
ハンスの叱責に、軍人達は遠巻きに様子を窺う野次馬を押し退けるようにして散っていく。
残ったのは俺と、ハンスと彼の取り巻き4人。ハンスは強く舌打ちをすると、忌々しげに俺を睨んだ。
「貴様、我等の邪魔をしたな? ただで済むと思うな」
「……何の事ですか」
「ふざけるな。この責任は取ってもらう。おい! こいつを連行しろ!」
ハンスが唸るように命じると、取り巻きの軍人が俺に飛びかかる。たちまち腕を捻り上げられ、俺は地面に押さえ付けられた。
「くっ……! 何をっ?!」
いきなり何しやがるっ! 連行って、俺をどうするつもりだ?
俺も必死に抵抗するが、二人がかりで押さえ込まれては敵わない。素早く縄を掛けられ、縛られようとしたその時、鋭い声が飛ぶ。
「貴様ら! 何をしている!」
首を捻って声の方を見ると、黒い詰襟の軍服を身に付けた3人の男達が野次馬を掻き分けて近付いて来ていた。
一人は肩まで伸びた癖のない金髪と切れ長で涼しげな深い緑の瞳が印象的な、色白で背の高いモデルみたいな男。
もう一人は黒髪を短く刈り上げ、赤銅色に日焼けした顔に太い眉と鳶色の瞳、大きめの鷲鼻がくっついた、筋骨逞しい体をした偉丈夫。
二人の顔はよく覚えている。確か、ラファエルとロベルトと言ったか。俺がこの世界に来たときに拷問ーーいや、尋問をした男達だ。
3人目は初めて見る顔だ。明るい琥珀色の癖っ髪と青い瞳を持った、人の良さそうな若者。身長は3人の中では一番低い。
「ちっ……騎士団か」
俺を取り押さえている軍人の一人が舌打ちをして吐き捨てた。
騎士団……? 彼等護衛隊とは別の部隊なのか。にしては仲間という雰囲気ではないな。
「護衛隊がここで何をしている? 市街地は護衛隊が来るところじゃないだろ?」
腕を組み、組み敷かれている俺を顎で指して問う琥珀色の髪の若者。ハンスは鼻で笑うと素っ気ない態度で言った。
「……軍務だ。貴様らに話す必要はない」
「ほう? 貴方にとっての軍務とは、軍人の横暴を諌めた市民を取り押さえ、私刑を加えることですか? ウラハ公爵閣下の御子息、ハンス様」
前髪を弄りながら皮肉げに笑うラファエル……あんたら、この騒ぎを治めに来たんじゃないのか? 煽ってどうするよ。
……ってか、もう俺関係ないんじゃないか? いい加減拘束を解いてくれ。腕が痛い。
「貴様っ! たかが騎士の分際でハンス様に対して無礼であろう!」
ラファエルの挑発に、護衛隊の一人が激高して詰め寄るが、その前にロベルトが立ち塞がった。
「卿らが誰の命令で動いているかは知らん。だが、騎士団に無断で好き勝手をするのは控えてもらおうか」
「我ら護衛隊は選良である。貴様ら騎士団の指図は受けぬわ」
別の護衛隊が言い放った台詞に、琥珀色の髪の若者が苦笑いを浮かべて呆れたように肩を竦める。
「選良ねぇ……自分で言っちゃ世話ないや。弱いなんとかほどよく吠えるっていうけど本当だな」
「貴様っ! 言わせておけば!」
「お? やるかい」
護衛隊4人がサーベルの柄に手を掛け、ロベルト達3人も応じるようにサーベルに手を掛けた。
……高まる緊張感。今にも斬り合いが始まってしまいそうだ。俺を真ん中にして。
おいおい、同じ軍だろ? 何でそんなに仲が悪いのさ。喧嘩するなら他所でやってくれ。
「双方とも見苦しいぞ! やめないか!」
一触即発の雰囲気を引き裂くような一喝。声の主は……さっきから沈黙して様子を窺っていた公爵の長男坊。
護衛隊は戸惑いながらもサーベルから手を離し、騎士団側も合わせるように手を引く。
「護衛隊は選良である。騎士どもの安い挑発に乗り街中で剣を抜いたとなれば、彼らと同じ粗暴者の謗りを免れまい。控えよ」
「はっ……申し訳ございません」
ハンスの言葉に、護衛隊は恐縮したように頭を垂れた。仰々しく言っているが、中身はただの負け惜しみだ。
「それと、大賢者の下僕」
「カズマ=アジムだ。それに下僕じゃない」
言い返してやると、ハンスは苛立たしげに舌打ちをした。
「……今日のところは見逃してやる。だが、次にその顔を見たときは容赦はせぬ。忘れるな、カズマ=アジム」
そう捨て台詞を吐くと、ハンスは踵を返し、護衛隊が掻き分けた野次馬の中に消えていく。
行ったか……やれやれ、面倒なのに名前を覚えられたな。まあ、相手は公爵の息子。二度と会うこともないだろう。
ない……よな?