第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 2
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防具越しの狭い視界から見えているのは、同じく剣道の防具を身につけた男子。
口元に笑みを浮かべながら俺のことを睨んできているそいつは、同じ高校一年だけど、確か次期剣道部主将と噂されてる奴のはずだ。
地下のプールを含めて四階建ての体育館。二階までが屋内スポーツ用で天井が低いと言っても、まだ午前中のいま、広すぎてまともにエアコンも効かない二階の武道室は、裸足でいるにはかじかむほどに寒い。
今日の一時間目と二時間目の授業は体育。それも選択というよりくじ引きで決まった剣道。
面倒臭がりの体育教師が基本を教えた後は姿を見せないために、生徒が勝手に決めてトーナメント形式の試合をすることになってしまっていた。
――面倒臭いな。
現役剣道部らしく、機敏な動きと鋭い気合いの声を上げ、竹刀を上段に構えている次期主将は、たぶん俺のことを舐めきっている。
消臭してても臭いのキツい体育の授業用の防具にやる気が失せていて、俺は背筋すら少し丸めて、だらりと中段に構えた竹刀をゆるゆると動かして牽制しているだけだ。
――あー。この構え、かったるいな。
どうも俺にとって剣道の構えはやりづらい。
授業くらいでしか習ってないから慣れていないのもあるが、ルールの堅苦しさが臭いとともに俺のやる気を削いでいた。元々、体育の授業なんていつも面倒臭くて真面目にやっていないが。
外野のはやし立てる声に応えて先に動いたのは、次期主将。
視線から面狙いとわかる剣筋を大きめに後ろに下がって避ける。
空振った竹刀を戻して小手でも狙ってくるかと思ったが、遊びでやっているんだろう、次期主将はそのまま突っ込んできた。
「うぐっ」
身長は同じくらいでも体重は三割は違いそうな奴の突進を受け止められるはずもなく、さらに下がって衝撃を弱めても、俺は尻餅を着く形で倒されていた。
「面!」
倒れた俺に必要以上に強い打撃を降らせる次期主将。
それで良いのかと思うが、教師のいない武道室での判定は一本。立ち上がった俺はぴょこんと礼をして、数が足りない防具と竹刀を所定の位置に戻し、試合待ちをしている男子連中から少し離れた場所に座り込んだ。
「痛てててて」
金属で守られていた顔の前面じゃなく、厚いにしろ布地だけの頭頂部に受けた打撃は、触ってみるともううっすらとコブになっていた。
「真面目にやっていなかっただろう、和輝」
隣からかかってきた声は、エル。
真面目な奴がやっているように制服姿で正座をしているエルは、男子の中に女子がひとりという凄い状況なのに、気配を消しているために存在を知っている俺以外には誰にも気づかれていない。
碧い瞳に睨まれて、俺はそっぽを向いてやり過ごす。
「授業だし、剣道はあんまり得意じゃないし」
「ジュギョウ、と言うのは修練のことだろう。何故真面目にやらない。不得意だからこそ修練し、克服しようとしない」
「授業はそういうものじゃないし……」
「貴方に比べれば、よほど対戦相手の方が真面目であったろう。和輝もあれくらい気合いを入れてやっていればよかったのではないか?」
「……やなこった」
うるさい言葉に聞こえないよう文句の言葉を呟いたが、聞こえたらしいエルは碧い瞳を細めてさらに鋭い視線を向けてきていた。
「どこに行く、和輝。まだジュギョウというのは終わっていないのだろう?」
「俺の試合は終わったからもうやることないし、叩かれたところが痛いから冷やしてくる。見ていたかったら見ていていいぞ」
立ち上がったところで掛けられた問いにそう答えると、エルもまた立ち上がって武道室から出る俺に着いてきた。真剣勝負ではないにしろ、剣道と聞いて目を輝かせていたのに、なんでまた俺に着いてくるのか。
「意外と腫れているな」
並んでいる蛇口のひとつを捻ってフェイスタオルを濡らしていたとき、エルは細い指を伸ばして前屈みになった俺の髪をかき分け、コブの様子を見てくれる。
エルが触れた指の感触から、さっきよりも熱を持ち大きくなってるのがわかる。
それよりも、背伸びをして立つエルの、清楚な感じの制服越しでも存在をしっかり主張している胸が、顔のすぐ横にあるのが気になって仕方がない。顔に当たりそうになってるのに気づいていない彼女の無防備さを、俺の方がどうしていいのかわからなくなっていた。
「治癒の術でも使うか? 和輝」
「そう思えばそんなものも使えたんだったな、エルは」
少し離れて割と心配してくれているらしい色合いの瞳で見つめてくるエルは、戦乙女として戦う技術などだけでなく、人を癒す治癒の術なども使うことができる。
神に与えられたその力を本当に使えるのかどうかは疑問なところもあるが、隠形の術と同じように、たぶん使えるんだろう。
「なぁ、一年。ちょっといいか?」
「ん?」
治癒の術を使ってもらおうかどうか迷っていたとき、背後から掛けられたのは野太い声だった。
一番広い体育室がある三階の階段から下りてやってきたのは、男が三人。首に引っかけているだけの緑のネクタイの色から、二年の先輩だった。
割とレベルが高くて進学校なのに、上履きの踵を履きつぶしていたり、息するごとに微かにタバコの臭いをさせるこいつらは、校内でも要注意人物と目されている不良三人組だ。
三十代と言われても信じてしまいそうなガタイのいいリーダー格らしい奴が、近づいてきて言う。
「ちょっと財布を落としちまってさぁ、携帯も持ってないし、金を貸して欲しんだよ」
ベタベタな台詞を吐くリーダーのにじり寄りを避けて後退りつつ、俺は周囲の状況を確認する。
武道室に続く廊下には不良その二が立ち塞がり、階段には不良三が通せんぼしている。俺の逃げ道は更衣室に続く廊下しかない。廊下にある時計を見ると、授業終了まではあと二〇分もあって、時間稼ぎでどうにかなりそうもない。
「いやぁ、あの……。いまは持ってなくて……」
愛想笑いを浮かべながら、俺はそう弁解する。
敵を睨みつけるような鋭さでリーダーのことを見つめているエルは、いまのところ気配を消したままで、手を出してくる様子はなく、不良たちから見えないように手で合図すると、俺の後ろに隠れるように下がってくれた。
「ロッカーの中にはあんだろ? ちょっとでいいから貸してくれよ」
「現金は持ってないんで……」
「だったら携帯貸してくれよ。認証とか全部外してさ。俺たち本当に困っててよぉ」
「いや、まだ授業中なので、戻らないと……」
逃げ場のない廊下に俺が踏み込んだからか、三人並んで迫ってくる不良たち。
買い物があれば携帯端末で決済するから、普段は現金なんて持ち歩かないし、携帯端末の決済認証をフリーになんてしたら、銀行の中身がすっからかんになるまで使われるのはわかりきっている。武器になりそうなものはフェイスタオルのみ。
適当に誤魔化して逃げ出す方法を考えているとき、聞こえてきたのは昨晩も聞いた金属がこすれる音。
ダメだ、と声を掛ける暇もなく、長剣だけを喚び出したエルが鞘から抜き放ち、リーダーの眼前に突きつけていた。
「い、いつの間に……」
「なんなんだ?! て、てめぇ」
「金髪? すげぇ」
それぞれ別のことを口にする不良たちを、隠形の術を解いたエルは睨みつける。
「なんなんだ? この剣は。――あぁ、このオタク野郎の知り合いなら、その髪も剣もコスプレ道具かなんかなんだろ?」
細い睫毛も眉毛も金色をしてるんだから気づけよ、と思うが、鼻先に触れるほどに突きつけられている剣を怖がっている様子のないリーダー。
――勘弁してくれ。
そう思うのに声を出せないうちに、エルが三人に向かって言う。
「これ以上盗賊のようなことをするならば、例え和輝と同じ学舎に通う者だとしても、容赦はしない。その腐った性根、叩き直されたいか?」
張り上げてもいないのに涼やかな声が廊下に響いた。
「何言ってんだ? てめぇは。んなことよりこんなモヤシよりも俺たちと遊ぼうぜ。いいとこ連れてってやるからよ」
いったいいつの時代の不良だと思うほど古風な台詞を吐くリーダーを目を細めて睨みつけたエルは、やめろと言う暇もなく、剣を閃かせた。
「あ?」
何をされたのかわからなかったらしいリーダーは疑問の声を上げるが、それを無視してエルは剣を鞘に納める。
顔に手を当てて俺がため息を漏らした瞬間、ばさりと何かが落ちる音がした。
指の隙間から見ると、思った通り三人のズボンが床にずり落ちていた。
「おぅ、おおーーぉぅ!」
悲鳴、というより驚愕の声を上げ、ベルトごと斬られたズボンを落ちないよう手で押さえながら、三人は階段を下りて逃げていった。
「何故あのような者たちと立ち向かおうとしないのだ、和輝。貴方の細腕では勝てる見込みは少なかろうが、あの手の輩は威勢ばかりなのだから、下手に出なければ決して相手にできない者たちではない。性根を叩き直さなければならない程度の威勢しか持ち合わせていない」
「それはまぁ、わかってるんだけどね……」
確かにあの手の不良は失うものがあって、それが大切なものだと認識している間は事を荒立てることを嫌う。退学にはなりたくないであろう彼らは、ちょっと大きな声で怯まずに対応すればどうにかなったりするものだろう。
でも俺は、その手のことは苦手だ。
大きな声を出すことはもちろん、千夜とかお袋、いつも身近にいたように感じるエルならともかく、人と話すこと自体が得意じゃなかった。
「できれば学校では騒ぎを起こさないでくれ」
「ふんっ。性根を叩き直した方がいいのは、奴らだけではなく、和輝ものようだな」
剣を消し、上着にボリュームをつけている胸の下で腕を組んだエルは、俺のことを睨みつけながらため息を漏らす。
「……お手柔らかに」
物語の主人公である以上、ある程度熱血であるのは俺もわかっていたことだったが、予想以上にお節介焼きっぽいエルに、俺もまた彼女とは別の意味でため息を漏らしていた。