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初夏のカラリと乾燥した晴天の下。両家の結婚承諾から僅か1ヶ月後のとある吉日、
ハイライド侯爵家長姫のカリナ=ウェルシュ・ハイライドと
フェルディゴール伯爵家次男のギルバート・フェルディゴールの結婚式が行われようとしていた。
花嫁である次代侯爵を担うカリナは数日前に15歳になったばかりの初々しさが残るままで、
花婿であるギルバートも若干17歳で軍で任官2年目で結婚には早すぎるかという声もあった。
しかし、二人の結婚は・・・政略。
そこに恋愛だの人間らしい感情の二文字は紛れてもいない。
そして二人の結婚はお互いの家系の分家にすら知らされない極秘結婚。
理由はギルバートが現在所属している情報部が国家機密を扱う部署であるがゆえ
万が一被害が及んだ時それ以上波及しないようにするため・・・というのは表の理由で、
その実、将校の末端であるギルバートと文官の最高位である大臣職を拝命する予定のカリナとで
生まれながらでどうにもならない血統だけでなく社会的地位も雲泥の差となる。
仕事で支障が出てはたまらない・・・というギルバートの泣き言が一番の理由である。
ともかく、その日は、両家にとって『洋国』でも例を見ない
超格差婚が成立する事になっていた・・・
「ギルバートさん・・・でしたっけ?カリナ御嬢様の御夫君となられる。」
「・・・ええ。」
「カリナ御嬢様の御支度が整ったとの事ですので、ご覧に行かれますか?」
ギルバートは花婿用の控え室で慇懃無礼なハイライド家の側近の物言いを聞いていた。
家督を担う者の夫の名前すら徹底されていないというのにギルバートは軽く怒りを覚えたが
この極秘結婚ではむしろそちらのほうが好都合なのは言うまでもない。
ギルバートは無駄に白く、そして糊が利きすぎた
着心地のかなり悪いタキシードのネクタイを緩めたくて仕方が無かったが
傍にいたフェルディゴールの家人に目で止めろと促されたので首元から渋々手を離した。
そしてハイライドの側近に返事した。
「・・・ああ。花嫁の一世一代の衣装だ。見に行かせてもらうよ。」
そういって椅子から立ち上がった。
―――田舎なハイライド領にある最も大きな教会はそれなりに大きかった。
首都にあるような大聖堂と比べると差は一目瞭然だが、それでも
この教会も結構な敷地があった。
ギルバートは教会の聖堂とはまた別の敷地にある岩で出来た頑丈な館に案内され、
そこで着付けをされていた。
しかし、ギルバートが主役ではなく、当たり前だが結婚式は花嫁のカリナが主役である。
当然あちら側に大量の針子が動員されてギルバートの控え室は閑散としていた。
約2週間前に会ったきりのギルバートは奥様が、ギルバートの控え室の何倍もあるような
おそらく教会で一番の部屋へ通されて早朝から支度に忙しかったと聞いていた。
ギルバートは一人、人工物とは違う自然な冷たさに囲まれた廊下を歩いていた。
そして、一際大きな樫の扉が目前に現れた。
一瞬、ノックをするかどうかここに来て躊躇ったが、思いなおして
軽く、2,3度扉を叩いた。
「・・・はい」
くぐもった声がドア内から聞こえた。
おそらく、新郎がやってくると向こう側には既に伝えられて室内は人払いが済んでいるのだろう
それがカリナの声だとギルバートはわかった。
「失礼します。」
そういって、ゆっくりとドアノブを回して室内に入った。
その部屋は、ギルバートの部屋とは違って、頑強な岩で囲まれて入るものの、暖色のカーペットや
ふんだんに明かりが灯されているからか、とても温かだと感じた。
部屋の壁には大きな鏡がいくつもずらりと並んでおり、
これで全身をくまなくチェックをしていたのだろうと思われた。
・・・そしてギルバートは決心して、その鏡の前に大人しく座っている白い布に囲まれた人物を見た。
正絹で織られたドレスは眩い光沢を放ち、裾には細かいレースの刺繍がなされている。
キラキラとドレスが光っているのは小さなダイヤモンドが幾つも散りばめられているようである。
薄布の向こうでうっすら化粧をしているお人形のようなカリナの
そこだけは正真正銘の生身の人間だと伝える意志の強い瞳がギルバートを見据えていた。
ギルバートは思わず息を呑んだ。
「カリナ姫・・・」
「・・・どうかしら、あなたの、花嫁は。」
まるで他人事のような気軽さでカリナはギルバートに評価をたずねた。
ギルバートは見たことの無い花嫁の美しさに呆けながらもポツポツと言葉を呟いた。
「綺麗です・・・この上なく。」
「そう。なら良かったわ。あなたも花嫁が不細工だったら後悔してたでしょ?」
「いや、見た目が不細工でも中身が良ければ何も問題ないですね。」
「・・・私の中身がおかしいとでもいいたいの?」
「そういう意味でいったつもりはありませんが?」
ギルバートがじっと見ると、それに耐えかねたのかぷいっとカリナはそっぽを向いた。
「あなた、花嫁によくそんな態度とれるわね。そのうち罰が当るわ。」
「例えばどんな?」
「そうね・・・世界中の女の子に嫌われちゃうとか?」
「それは大変ですね。女の子に嫌われてしまったらもう御婦人方にしか好かれなくなる。」
「・・・ふてぶてしいわね。」
「よくいわれますよ。」
カリナははぁっとこれみよがしに溜息をついた。
全く、幸せに満ち溢れる象徴の花嫁なはずなのに一番相応しくない行為である。
軽くギルバートは幻滅させられた気がしたのでつい冗談交じりに窘めた。
「麗しの姫、そんなに溜息を吐いてたら幸せが逃げていってしまいます。
それに、花嫁が溜息なんて似合わない。」
「・・・じゃあ反対に聞くわ。あなた、私の幸せって何だと思ってるわけ?」
「は?」
ギルバートはいきなり話ががらりと変わって質問されたのでつい気の抜けた返事をしてしまう。
それに気を悪くしたのかカリナは睨みつけるようにしてギルバートを見てきた。
「だから、あなたが思う私の幸せって何よ?って聞いてるの。
ずっと考えていたのだけれど、あなたにと私の関係といったら
なんだか一般人の婚前前の男女に比べて随分とげとげしいのよね。
そんな人と一緒になっていざ幸せになれるだなんて、私全然思えないの。
でもあなたは『幸せが逃げていきます』だなんて言ってくれちゃうんだもの。
まるで私には『幸せ』があるみたいな言い方。
その根拠、教えていただけない?」
カリナはとても挑戦的な目をしてギルバートを見ていた。
まるで、何かと戦う戦士のようなぎらついて貪欲に戦闘意識に燃える目、だった。
本物の人と人とで戦う戦士であるギルバートはその視線がむしろ心地よく感じられた。
「姫は確かにこれから幸せじゃなくなるかもしれない。
これから悪鬼の巣窟に乗り込んで、女一人で渡り歩かなくちゃならない。
でも、俺はだからといって幸せを失って欲しいわけじゃないんです。
せめて、あなたが幸せだと思う一つ一つの事を、ないがしろにして欲しくないだけです。」
「そう・・・じゃあ、あなたの考える私の幸せって、何?」
白い正絹のドレスに身を包んだ小柄な列強の戦士は、
単純で複雑な問題をギルバートに呈示した。
ギルバートは、視線を思わずカリナから外して、部屋をうろちょろと動き回りながら
言葉を選んだ。
「例えば・・・そう、例えば、あなたが、何かを見たとする。
そうしたら、何故かほっとする、と感じる。
あと、お茶を飲む、そうしたら、心が落ち着いた。
本を読む時は、色んなややこしいことを忘れられる。
・・・そんな小さなことが積み重なって、幸せなんじゃないんでしょうか?」
それを聞いたカリナはおおよそらしくないほど豪快に笑った。
「アハハハハ、なんてロマンチストなの!うわっ笑える。」
「姫、これでも俺は真面目に言ったつもりですが。」
「その『姫』って呼び方からしてあなた随分ロマンチストだと思うわ。
夢を見すぎね。軍みたいなシビアな社会を生き抜いてきた割に凄く可愛らしいこと言うのね。」
『姫』と呼ぶことにとくに抵抗を示されなかった事に
密かにギルバートは安堵しつつまたしても嫌味っぽい言葉を返す。
「女の子に可愛らしいと何度も言ってきたけれど逆に言われたのは初めてですね。」
「・・・ということは、私、あなたの『初めて』になるのかしら?」
「・・・まあ、姫は俺にとって沢山の『初めて』を既にいっぱいくれてますけどね。」
わざとらしく二人で言い合って、そして二人して笑い合った。
「なんかあなたとは気が合うのか合わないのかわからない。
いっぱい振り回されて、私も仕返しで振り回してそれで、
また振り回される。なんだか、会ったときからずっとずっとその繰り返しみたい。」
「きっと、俺も姫にこれから沢山振り回される。」
この時点、二人において夫婦という関係性はどこか彼方へと消えてしまっていた。
ひとしきり間が開いた後、ギルバートは思い出したように告げた。
一番伝えたかった、式で神の御前で誓う嘘の愛の誓文よりずっと大切なことだった。
「姫・・・結局、俺は人並みの結婚生活を与えられない。
どころか、女性としての幸せを奪うやもしれません。けれど一つだけ約束します。
・・・姫が、不幸にならないように、全力で守ります。
それだけは、何があっても、信じてください。」
「・・・ここで永遠の愛を誓ってくれない代わりに、私の騎士になる。
・・・そう。それが私への誓い?」
「そう、受け取ってもらっても結構です。」
「じゃあ、騎士の誓い、みせていただけないかしら?」
「え?」
いきなりだったので、ギルバートはまたしても気の抜けた返事をしてしまった。
今度はさきほどよりもずっと陽気に笑いながらカリナは言った。
「よくあるじゃない、物語とかで、主人に忠誠を誓う騎士の図。
私の幸せ、あなたに守って貰う為にそれをしていただけないかしら?
わたし、案外あれって憧れだったのよ」
にっこりとカリナは言った。笑って、ギルバートを試すような目をしている。
まるで、本当に主人のような風格を15の少女は漂わせていた。
それに気付きながらギルバートは、カリナの前で肩膝を折り、
ほっそりとした手袋で覆われた手を壊れ物のように受け取った。
恭しく、まるで本当の何かの儀式のような空気が二人の間に満ちた。ギルバートは厳かに言葉を呟いた。
「ギルバート・フェルディゴールの身と魂の
我が姫の盾たらんこと、剣たらんことを此処にお誓い申し上げる。」
軽く手の甲に軽い接吻を送る。
まるで、どこかの荘厳な城で女主人に叙勲を受けた純白の騎士のように、
その姿は一枚絵のごとく鏡に映っていた。
ようやく口を開いたカリナの口調はどこかいたずらっぽいものの、
熱に浮かされたような目は、真剣そのものだった。
「これで私達はこのあと嘘の夫婦の誓いをするのね。まるで共犯者みたい。」
「・・・それはいい言葉ですね。」
ギルバートがそう、言葉を返した時、控えめにノックの音が部屋内に響いた。
そしてぬぅとドアから顔を出した壮齢の神父が二人に静かに告げた。
「御両名方・・・そろそろお時間でございます。」
その後、カリナとギルバートの結婚式はつつがなく終了した。
政略結婚なのとごく身内だけの小さな式だったこともあるが、
貴族の結婚式であったにも関わらず、その式は『祝い』というイメージとは少しズレていた。
それでも二人は神の前で永遠の愛とその一生を添い遂げる事を誓い合った
正真正銘の夫婦、となったのである。
その後、二人はフォンディーヌ城にて初夜を迎える事となっていたのだが、
ハイライド家の強硬な意見によって、その次の日の早朝
カリナは首都へ、新たな『ハイライド侯爵』となるため旅立った。
ある、カリナが15歳、ギルバートが17歳の日のことだった。