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「やだもー、カリナ嬢ってば可愛すぎるわ!!
ああもうわたくし、あんまり可愛すぎるから眩暈がしちゃうわ・・・」
「・・・夫人・・・」
「あ、カリナ嬢、私のほうを見ないで動かないで!・・・そう、そのままそのまま。
ほらほら、にこって笑って。そしたらもっと可愛いわ!」
「・・・こ、こう?」
「・・・そうそう・・・はぁーっ・・・可愛い。
わたくしがカリナ嬢のお婿さんだったらどれほどよかったことかしら・・・
ほんっと、わたくしの息子ったら運がよすぎるわ。」
「・・・ふっ、夫人・・・!い、いい加減にしてよ!!」
カリナはこめかみに青筋を走らせて怒鳴る。
けれどもすぐさま針子たちに押さえつけられてもとの位置に戻るしかない。
カリナは夫人が感激と歓喜の入り混じる眼差しで見てくることにいい加減疲れて
頭を抱えながら言った。
「・・・夫人だってもうすぐ結婚するんでしょう?
わたしなんかの仮縫いに立ち会ってなんかいないで自分の式のはどうするの?」
「いーのいーの、わたくし自分の式にはノータッチだから。
きっとリチャードがどうでもいいところにお金掛けまくるといって譲らないだろうから
わたくしは端から首を突っ込まない事にしたのよ。どうせ言い合いになるものね。
その分、わたくしの不肖の息子と結婚してくれるカリナ嬢の結婚式には
精一杯喰らいつかせていただきますわ。」
「・・・なんだか、リチャード氏が可哀想な気も・・・」
「あら、カリナ嬢、リチャードなんかに気があるの?
これからも気にしないほうがいいわよ、リチャードなんて。
一応カリナ嬢にとって義父ってことになっちゃうけれどほんと、
ぜんっぜん気を遣わなくてもよくてよ?」
「・・・はぁ・・・」
カリナはメディフィス夫人の夫となるリチャードには会ったことが無いが、
メディフィス夫人の言い分から、随分長い間メディフィス夫人に入れ込み続けている
可哀想な男性であると考え続けていた。
しかし、時折耳にする王都からの情報によれば、リチャード・フェルディゴール伯爵といえば
『氷の貴公子』とか『鉄壁の君』とか、とにかく美丈夫で更には硬派な人物として通っているようだ。
そういう事情もあり、カリナにとってリチャードの人物像は想像しがたいものだった。
が、余計な事を考えていたカリナは、はたと現実に戻る。
―――突然既にまとまってしまっている縁談を聞かされてから早3週間。
既に結婚式の準備が着々と進められていた。
軍本部の情報部に所属しているという相手方の事情もあり、
あまり結婚をおおっぴらに出来ないとの事で分家にもこの結婚は内密に進められている。
同じ都合により王都で結婚式をあげることができないので、
結婚式はそのままハイライド領の小さな教会で行う事に決まった。
そんな事情もあり、カリナは夫人によって有無すら言うこともできないまま
当日着る予定のウェディングドレスの衣装合わせをさせられていた。
カリナの自宅であるフォンディーヌ城にあるカリナ専用の衣裳部屋で
たくさんの針子がカリナの細っこい身体にシルクの布を当てては待ち針で印をつけては
また布を当てて・・・を繰り返している。一体いつ終わるのか分からない気の遠い作業だ。
そうやって、周りだけは目まぐるしく変化していく中で
『あと2週後にはメディフィス夫人の次男と結婚する。』
という事実は未だに脳味噌の中に溶け込む気配を見せない。
未来の旦那に会っていないというのが一番の要因ではある。
そもそも、カリナは、自分が誰かの人妻となって王都に向かう話が出ていることを
ほんの1ヶ月前には全く想像もしていなかった。
・・・そうしてる間に、夫人に表情の翳りを見て取られてしまっていたのか不意に問われていた。
「・・・カリナ嬢、やっぱり結婚はいやなの?」
「え?」
「・・・わたくしが強引に進めてしまったから、
あなたはただ呑む事しかできなかったのかもしれない・・・わたくし、最近思ってしまったのよ。」
「はあ。」
できれば、さっさと気付いて欲しかったんだけど・・・といいたい言葉を
カリナはひとまずぐっと飲み込んだ。
「だから、わたくし、今日息子をここへ呼んだのよ。
だって、まだカリナ嬢は息子の事一度も見たこと無いものね。そんな状態で
はい結婚しましょうか、だなんて非情なことわたくし言えないもの。
息子を見て、話して、気にいらないところがあったら、
すぐにこの話を破談にしてくれてもいいわ。わたくしもリチャードも全く構わないわよ。」
「・・・え、嘘?」
「本当よ。あ、そうねえ、もうそろそろ来る時間よ・・・」
そういってメディフィス夫人は時計を見た。衣装合わせを始めてから3時間。
真昼を過ぎて暫く経っている。
カリナは突然自分に襲った緊張を確かに感じていた。
今までの覚悟が全て無に帰す可能性を孕んだ緊張がしびしびと感ぜられる。
そんな動揺に夫人を筆頭に誰も気付く事無く、メイドがノックする音が聞こえた。
「失礼致します、御嬢様。」
「なにかしら?」
「ギルバート・フェルディゴール氏が御到着になられました。
今、客間でお待ちいただいておりますが、・・・いかがなされます?」
「・・今行くわ。」
カリナはようやく会う覚悟を決めた。
どんな男性でもいい、ただ、
自分の目で見て、決めればいいだけのことだ、と。
衣裳部屋から出てカリナは客間に向かう。
フォンディーヌ城の長い廊下を、ここ数日痛みが増している左足の膝を庇いつつ、
ゆっくり杖をつきながら考えた。
『・・・どんな人だろう?』
カリナは、あの夫人の息子なのだからまさか性格が悪いとは考えていなかった。
夫人曰く、
『確かにわたくしは子どもたちを手元で育てなかったわ。
リチャードのお母様が厳格な御方でわたくしのことをお許しにならなかったのよ。
でもギリーは家督に関係の無い末の男の子だったからよくわたくしのもとに遊びに来てたものよ。
多分、4人の子どものうちで一番わたくしといる時間が長かったと思うわ。』
といっていた。
夫人は、見ず知らずのカリナを瀕死の重傷から救ってくれた、いわば、命の恩人である。
そして夫人は夜の女として今までカリナのような貴族の子女には
全く想像も付かない苦労を背負って生きてきた人である。
リチャード氏と今の今まで結婚できなかったのもそれによる理由が大きい。
だからこそ、そんな母親を一番長く見て育ったギルバートという息子が
一体悪い人間であろうか?という疑念がカリナには湧いていた。
けれどあってみなければそれもわからない。
全ては自分の目、次第。
カリナは運命の扉を押し開くようにして客間のドアを開けた―――
「お待たせいたしました、ギルバート・フェルディゴールさん。
わたしがカリナ=フェイト・ハイライドです。お初にお目にかかります。」
部屋に入ってすぐにカリナは相手の姿を探した。
すぐにその人は見つかった。
客間の真ん中にある大きな窓から外を向いて光を浴びるようにして立っていた。
カリナが挨拶を告げた途端、すぐに振り向いた。
すっと抜けるような長身が颯爽とした身のこなしでカリナのほうを向く。
逆光で顔は見えない。ただ、南中の日差しで黄金色に光る髪の色が、カリナには一瞬、
いつか見た『何か』に被った。
「こちらこそ、お初にお目にかかります、カリナ姫。
突然の来訪をお許しください。」
特別低くも高くも無い、均整の取れた音程。
けれど、きっと人で溢れかえる所でもこの声はよく通るだろうと思うほどはっきりとしていた。
・・・そして、どこかで聞いた『何か』でもあった。
カリナは、その疑問を素直にぶつけてしまう。
「・・・わたしたち・・・以前、どこかでお会いしませんでした?」
「・・・わたしも、そんな気が確かにありますが・・・」
そう承知してからギルバートは徐々にカリナに歩み寄ってきた。
ソファとソファを間にしてカリナは向かい合う形をとる。
ようやく、日の光から抜け出たギルバートはカリナの瞳を食い入って観察するように見た。
「もしかして・・・あのときの、馬が好きな女の子?」
「・・・もしかしなくても・・・あのときの、破廉恥男?!」
カリナは事実に気付いた途端、『きゃあ』と悲鳴をあげた。
「あ、あなたって、もしかしてもしかしなくても、あのときの!?」
「・・・失礼な言い方ですね、『破廉恥男』とは・・・」
むすっ、とギルバートは声音に不満を滲ませた。しかし、カリナはお構いなかった。
「な、なんであなたがここにいるのよ!っていうか、
あなたがまさか、メディフィス夫人とフェルディゴール伯爵の息子?
ありえないわ、あーりーえーなーいー!!」
カリナは頭を抱えた。この男が自分の旦那!?
朝っぱらから娼館街を歩き回り、
初対面の純情可憐な乙女の唇を易々と奪っていく男が旦那になるとは、
未来は絶望一色しかないじゃないの!!
と心の中でぐるぐると不安が渦巻いた。
「何がどうありえないのかしら、カリナ嬢?」
後から応接室へとやってきたメディフィス夫人が二人の傍まで歩み寄り、
大声を張り上げたカリナに向かっていった。
「夫人、こ、この人が夫人の息子なの?!」
「ええそうよ、ギルバート・フェルディゴール。わたくしの不肖の息子よ。
えっと・・・たしか、今年で17だったわよね?」
「・・・母さん・・・息子の年をそうしょっちゅう忘れないでくれ。」
「あら?わたくしそんなにあなたの年忘れてたかしら?そんなつもりないのだけれど・・・」
あれーあれーとメディフィス夫人が言っている。
しかしカリナはそんな二人のやりとりを打ち破るようにしていった。
「そんなことはどうでもいいわ!
夫人、この人とわたし、会ったことがあるわ。」
「あら、ほんと、そうなの!じゃあよかったわ、それなら手っ取り早いわね。
単刀直入に言うわ。この子の印象ってどう?」
本当に単刀直入すぎる、とそのときギルバートもカリナも心の中で思ったが
カリナは彼の印象を慎重に選びながら言葉にした。
「・・・第一印象は最高かつ最悪。」
「あら・・・まあ」
夫人は気の抜けた返事をした。
カリナは事のあらましを拳を握り締めて力説した。
「この人はね・・・わたしが見知らぬ男に襲われそうになってる所を助けてくれた。
本当、それに関しては恩を感じてる。一瞬どこの小説の王子様かと思ったもの。
でーもーね!!!
わたしが『お礼するわ』って言ったら、この人なんていったと思う?」
カリナはギルバートににじりよって、
自身より高い位置にある顔に向かって真っ直ぐ指差しながら
ギルバートに言い聞かせるように大声ではっきりと言った。
「『そのままで結構です。』とかなんとかいっちゃって
人の唇をう、う、奪ったのよ・・・!!!!!」
カリナは自分の言った言葉で頬を、耳を真っ赤に染めた。
第一印象最悪といわれたギルバートは、一瞬にして茹ったカリナをちらりと見た。
「・・・正当報酬だったと思いますが。」
しれっとギルバートが言う。カリナはますます、腹立たしく感じた。
「ふざけたこといわないで。
何でこんな人が私の夫になるのかしら・・・」はあとカリナはこれみよがしともいえるほど大きく溜息を吐いた。
「あらあらカリナ嬢・・・どうしたの、よっぽどこの子が気持ち悪かった?」
と、メディフィス夫人はギルバートにぐさりと来る一言をわざと大きい声で言った。
『気持ち悪い』はメディフィス夫人のリチャードに対する常套句だ。
ギルバートは確実にあてこすっている、と思った。自らの父親と同じように。
「ごめんなさいね、この子、悪気は無いと思うのよ・・・ただ、
この子の父親と同じで、ちょっと変というか気持ち悪い所があるのよ・・・」
「・・・母さん、あのな・・・」
「カリナちゃん、私に遠慮しないでいいのよ、こんな男と結婚したくない、って言っても。」
メディフィス夫人が、決定的な一言を言った。
ギルバートは、まさかそんなことを吹き込むだろうとは想像もしていなかったので固まってしまう。
が、思わぬ闖入者がそれを一刀両断した。
「・・・メディフィス夫人、この結婚は既に了承されたもの。
あなたでさえ覆せるものではないわ。だからカリナにそんなことを吹き込まないで。」
突如、可憐な少女をも思わせる声がその場で響いた。
サッと皆が振り返るとそこには、カリナと容貌がそっくりの小柄な女性が
不機嫌な視線を皆にくべながら立っていた。
メディフィス夫人はすぐにカリナの傍から離れて居直る。
小柄な女性はメディフィス夫人に目も暮れず、ゆったりとした歩みでカリナに近寄る。
まるで、その場の空気を一気に換えてしまう『女主人』ともいえる風格を漂わせていた。
ギルバートにとって、自分の強烈な母親の気配すらも消し飛ばしてしまうほどの人間に
このとき初めてであった。
「・・・カリナ。わたしは昨日も言ったでしょう、
この結婚はもう決まり。あなたがなんと喚こうが、決定を覆す事は出来ない、と。」
「お母様、お言葉ですがっ・・・」
「カリナ、下らない言葉遊びをするつもりはないの。
そもそも、あなたがわたしに口出しできるほどの権力を、いつ持ったのかしら?」
不遜というよりも、絶対的に逆らえないような傲慢さをその女性はカリナに振り翳した。
ギルバートは、容姿があまりにも似通っているのに
ここまで性格が、言動が、気配が正反対な『親子』は見たことがなかった。
「あなたとここにいるメディフィスの息子との結婚は、政略よ。
フェルディゴール家と、我がハイライド家双方にとって打算的で合理的な政略の理由よ。
家格からいってもそうだし、経済的にも。
それ以上結婚ごときに、あなたは理由がいるの?」
「・・・ありません。」
悔しさを振り絞るようなカリナの肯定だった。
けれど、小柄な女性はその肯定にそれほどこだわりがなかったらしく
『わかったなら、それでいいわ』と言い残し部屋を出て行こうとした。
最初から最後まで、メディフィス夫人とギルバートを全く顧みる事無く。
しかし、そこでカリナが細い声を張り上げた。
「でもっ、お母様・・・!わたしはまだ答えを聞いていません。
それでもどうして、あなたが突然この時期にこの縁談を持ち出したのか
その理由ぐらい、わたしに聞かせていただいてもいいでしょう!?」
ギルバートにもそれは不審だった。
いくら合理的な政略結婚だといっても、
おそらく同じく合理的に結婚できる条件を持つ家は他にもごまんとあるはずだ。
それらを蹴ってあえて、新興貴族のフェルディゴールの更には次男を婿に取るとは
誰が聞いても俄かには信じられないだろう。
それに、大事な侯爵位継承の儀式も間近に控えているカリナに、あえて同じ時期に
結婚をぶつける意図も理解しがたかった。
結婚適齢期であるとはいえ、
どちらかというと侯爵位継承後に舞い込む縁談のほうが確実に数が多いはず。
その可能性すら棒に振っているのだ。
カリナの疑心もそこにあるのだろう、ギルバートもそれが聞きたかった。
だが、この母性と愛想の欠片もない女性は一言、
実の娘であるカリナを打ちのめす一言を醜くも吐き捨てた。
「・・・あなたのような、王家とも縁を持てぬ子には
丁度いい縁談だと思ったまでよ。」
バタリと応接室のドアが閉じられた。
その瞬間、傍で立っているカリナの頬に一筋涙が伝ったのが、ギルバートには見えた。