変人王子と秘密の座談会
ギルバートは一瞬、ここは何処だろうかと、随分と呆けた事を考えてしまった。
「・・・殿下、そこで何をなさってるんですか?」
「むむぅ・・・!!シー、シーっ!!!」
眼前でギルバートに向かって人差し指を口元にくっつけて必死で
『喋るな!』
と伝えてくるのは、ギルバートの雇い主でありこの国の美貌の第二王子・ジェイドだった。
場所は王族のプライベートスペースと呼ばれる奥の宮の、第二王子の寝所兼書斎に程近い
広大な王宮の庭に面した渡り廊下である。
そして、行く行くはこの国の王ともなれる資格を持つジェイドは、
自らの所有物といっても殆ど間違いのない王宮で
何者からか姿を隠すかのように頑強で巨大な廊下の石の柱の陰に身を潜めていた。
ギルバートは、今から軍部に戻って昼からの巡回に向かう予定だったが、
うっかり見つけてしまったのが運の尽きだった。
とはいえ、おそらく今回も『脱走』したであろう王子を放っておいてまで
軍部に向かうつもりはなかったけれども。
「殿下、なにをこそこそお隠れになっているのですか?早く戻らないと、アンリエッタさんが困るでしょう?」
そう声を掛けた途端、いきなりジェイドはギルバート上着をひっつかんで自分の傍に引き寄せた。
「ちょ・・・殿下っ!」
「今はちょっと黙ってくれ。ちゃんと理由は話す。」
そう低く小さく抑えた声でいってから、
ジェイドは真剣な目をして柱から少し頭を出して廊下のさらに先のほうを見た。
ギルバートは、自分よりも少し低い位置にあるジェイドの頭上越しに同じく廊下の先を見る。
あまり普段は人の通らない陰のような所にある廊下のためか
人は殆どおらず、このときも、その人物以外に人間はいなかった。
ギルバートはようやくジェイドの意図することが判明して溜息を吐いた。
「・・・またアンさんに追っかけられてるんですか・・・?」
「シーっ!!!!」
ジェイドが睨んできた。あほらしい事態なのに当人にとってはかなり緊迫した状況らしい。
ギルバートは呆れながらも先の方を歩くアンリエッタを見た。
貴族出身の女官ということもありアンリエッタの格好は一分の隙もないほど整っている。
顔は、悪く言えば可愛らしさの中にもどこか男受けのする女の子、といった感じで、
彼女の至極真面目で、誠実で、そして頑固、という性格と隔たりを感じさせる。
ギルバートは王子に近付く女官達の楚々とした外面の良さとその腹の中に抱える
一物の黒さを王子付になってから嫌というほど見てきたので
外見がそんな風であっても、中身が真面目一徹というアンリエッタには好感を持っていた。
そしておそらく、それはギルバートだけでなく・・・
「ふー、やっとアンが行ってくれた。いいぞギルバート、見逃してくれ。」
「自分勝手に言わないで下さい。上司が職務放棄してるのを
何故部下が見逃さなくちゃいけないんですか?」
「だってぇー!!」
「だってじゃない!今時の若い娘でもそんなのいいませんよ。」
「ちえっ。ギルバートのおっさん脳め。若者のセリフとは思えないな。」
心底不本意そうにジェイドは呟いた。
ギルバートは常々この変人王子の態度を目の当たりにさせられるにつれ、
王位継承順位の高さには疑問を呈したいほどである。
「殿下、にしてもこんなところで何をなさってるんですか?」
「お、よくぞ聞いてくれた。」
そういってジェイドはいそいそと腰を下げて足下に置いてあるものを取り上げた。
そしてギルバートに満面の笑顔でそれを披露した。
「バスケットの中身は、つまみとグラスとナイフとフォークと、カンテラと、ナプキン。
完璧だろう?」
何が完璧だ、とギルバートは口から出そうになるがこれでも相手は王族だ。
そんな乱雑な言葉遣いをしたら、下手すれば不敬罪で刑務所送りになってもおかしくはない。
そういうことをしない人物だ、ということがわかっていてもギルバートは一瞬躊躇ってから
そのせいで意気をそがれたのかもはや諦めの言葉しか出てこなかった。
「・・・どこかへピクニックへ出かけるんですか?」
「違う、ここの地下へ、だ。」
にっこりとジェイドは何が嬉しいのか微笑んだ。
ギルバートは結局ジェイドに逆らえずあとをついてきてしまっていた。
そこは、奥の宮の地下一階にある、酒蔵として使われている地下室の横に
小さな人一人が通れるか通れないかというほどの扉の向こうにある部屋だった。
そこは入ると長身のギルバートは勿論ジェイドも少し屈まねばならないほど天井が低い。
その上、地下で石造りの壁や床で囲まれていて尚且つ日の光なんて全く届かないところなので、
もうそろそろ初夏も近いのに少し肌寒い。
「ここはその昔の牢獄だった場所だ。
天井が低いのは、それだけで人間に威圧感を与える、心理的な効果も狙ってたわけだよ。」
カンテラを抱えながらジェイドがそう説明した。
そしてバスケットを元牢獄を2部屋繋げているという部屋の中央に
ぽつんと置かれている小さな机の上に置き、これまた小さな椅子に二人は座った。
木製の椅子がギシッと軋んだ音を立てた。ジェイドは気にせずに言った。
「ささ、食べろ食べろ。」
「・・・殿下、そういえばさっきはバスケットに入ってなかったものが増えてますね・・・」
「ん?これか?」
そういって片手に抱えているのは、黒っぽい瓶に詰まっている・・・おそらく、ワイン。
ジェイドは屈託のない笑顔で言った。
「くすねてきたんだよ、隣から。」
「・・・そのラベル・・・何年ものですか・・・?」
「うーん、ざっと50年くらい?といっても、古ければ古いほどいいって訳じゃないだろう。」
「あのですねえ・・・」
ギルバートは反論する事を辞めた。
おそらく、ジェイドは何でもない風に言うけれど、この城で何十年も保管されているという事は
それだけ価値があるものだからということにほかならない。
とはいっても、結局所有権はジェイドにあるので本人が持ち出したって問いただす権利はないのだが。
そんなことを考えているギルバートの心配など露知らず、
バスケットから取り出してきた塊のチーズを小さく切って
フルーツと一緒にクラッカーの上に乗せてむぐむぐと王子は食べ始めた。
口の中の物を嚥下する前に、ボトルのコルクを勢いよく開けてトクトクとグラスに注いだ赤ワインを
グビーと水のように飲み込んだ。おかげで頬がシマリスのように食べ物で膨れている。
細面で色白く、男性なのに『綺麗』という形容詞が似合う王子は跡形もなく消え去っていた。
ぷっと、思わずギルバートは笑っていた。
「な、なんだ。」
「殿下は非常に子どもっぽい方だなと思って。」
「・・・何の根拠があってそういうんだ?」
シマリス顔で真面目くさって聞いてくるので、笑いが収まらないうちにギルバートは言った。
「そうやって勝手に酒蔵から盗んでくる所とか、
そもそも女官の目を盗んでこんな秘密基地みたいなところに自分でバスケットと中身を用意して
やってくる辺りが非常に子どもっぽいんです。
あと、そうやって食べ物を惜しげもなく口の中に一気に詰め込むところとかも。」
「・・・口をいっぱいにしてないと、食べたって気がしないからだ・・・」
モゴモゴと言い訳がましくジェイドが反論したので一層ギルバートは笑ってしまった。
ジェイドはむすっとしてグラスを突き出した。
「君も飲め!いいな、王族の人間の命令には逆らってはいけないんだぞ!?」
「はいはい、そうですね。」
最近ギルバートも、アンリエッタのようにジェイドの子どもっぽい行動を
適当にあしらう癖がつき始めた。
アンリエッタが、
『殿下は、御幼少の時代から、いつも自分よりも年上の方をお相手にしてきてらして、
その上御両親が御多忙な方でしたから・・・ずっと、飢えてらっしゃるんです。
だから、私達のように、殿下の本質を知っていて、甘やかしてくれる相手がいるから
ああやって、私達の困る事を平気でなさるんですわ。
まあ、だからといって私達がいちいちそれを許容するのがそもそもいけないんですけれどね。』
と言っていたことをギルバートは思い出していた。
確かに、アンリエッタの言っている事は一理あると、感じている。
けれど、ギルバートには未だ、ジェイドの『本質』がなんなのか、わからない。
子どもっぽい一面も、ジェイドの『本質』だろう。けれど、
時と場合に応じて瞬時に為政者としての顔に変わるジェイドもまた『本質』だ。
・・・いや、他にも『本質』はもっといっぱい隠れているのだろうし、もしかしたら
今自分が『本質』だと感じているのも、本当のところはそうでないのかもしれない。
それぐらいギルバートにとってジェイドとは未知なる人間だった。
ギルバートはそんなジェイドが切り分けてくれたチーズを受け取って口に放り込んだ。
柔らかいチーズが、舌の上で溶けていく。そしてグラスに注がれたワインを流し込んだ。
年数の経ったもの相応の、まろやかな舌触りに、
なんだか、こんなジェイドの奇行もどうでもよくなるようにすら思えていた、その時だった。
「ギルバート・・・君は最近、カリナと会ってる・・・?」
いきなり爆弾を一個落とされたような事を言われてギルバートは固まった。
「な、なんですか、いきなり。」
「そのまんま質問に答えて欲しい。」
「あ・・・会ってませんよ。あなたがそういうことは一番御存知でしょう?」
「んー、まあね。」
そういってジェイドはまた水のようにがぶりとワインを流し込んだ。
そして底が尽きたのかくすねてきていた別の新しいワインに手を伸ばしている。
最早ギルバートは注意する気力も失せていたので、目線をジェイドに戻した。
「しかし、どうしてそういうことをお聞きになるんですか?
あなたが他人の夫婦関係に首突っ込んでも何もいいことなんておきませんよ?」
「そういう意味で聞いたんじゃないよ。
ギルバート、君は、カリナに会えなくて、寂しくないか?」
ぎゅっと、ギルバートは心の根っこを鷲掴みにされたような気がした。
「どうしてまた・・・いきなり、そういうことを言うんですか?」
「君達は所謂仮面夫婦だ。でも、寂しくないのかなって思うんだよ。
家族がいてもいなくても大丈夫っていう人間も中にはいるだろうけれど
君達二人は、お互い認め合ってるし、助け合いもしている。
俺の目から見て、十分それは家族の形だと思う。
君達が夫婦としての形を成しているかどうかはまた、別問題だけれどね。」
「つまり、家族として一緒にいれなくて寂しいか、とお聞きになってるんですか?」
「そう受け取りたかったら、そう受け取ってくれても構わないよ。」
意味深なことをジェイドは呟いた。それを期に、二人の間に暫く沈黙が落ちた。
相変わらずむぐむぐと、ジェイドはチーズとフルーツを食べてはワインを流し込んでいる。
なんだかワインが可哀想な飲み方にも思える。
ギルバートは、一応職務中でもあるので、無意味にくるくるとワイングラスを回す。
余計に空気が入ったかな、と思っているところで、ようやくジェイドは口を開けた。
「・・・俺はずっとわからないんだ。寂しいっていうことが、どうなのか。
でも、最近初めて、会えないことが辛い、っていうことはわかった。
アンリエッタもそうだし、君もそうだけれど、
二人とも、時間が来たら帰って行くただの『職員』なんだ。
どんなに親交を深めたとしても、君達にとってあくまで俺は王子であることに変わりないし、
逆に王子である俺には職員である君達の私生活に踏み込める権限もない。
だから、君達が上辺だけで付き合ってるわけじゃないとわかっていても、何処かそういう辛さがあるんだ。
今までにこういうことはなかったんだが・・・」
ジェイドは独白した。ギルバートは白い頬が少し赤みがかって俯き加減のジェイドを見据えていった。
「それが、やっぱり、寂しいって事なんでしょう。あなたにとっての。」
「ギルバートには、違う寂しいがあるのか?」
少年のようなあどけなさでジェイドは聞いてくるので思わずギルバートは微笑んだ。
「ありますね・・・あなたのとは、少し違う。
辛いんじゃない。離したくなくなるんです、行って欲しくなくて。
辛いのは、別れることが嫌なんですけれど、でもそれを受け止めようとしている反動です。
でも、俺の場合はそれすらも嫌なんです。受け止めるのが嫌なんだ。
相手にとっては迷惑極まりないだろうけれど、それでも、離れて欲しくないんです。
自分の手の届かない所に行ってしまってからじゃ、遅い。
それを食い止めたいと、思ってしまう。」
「・・・それって、カリナのこと?」
「ご想像にお任せします。」
きっぱりいってギルバートはワインを流し込んだ。ざらりとした渋みがほんの少しだけ舌の上に残った。
ジェイドはあらぬ方を見ながらぼそりと呟いた。
「俺も・・・アンに、もう少しだけ傍にいて欲しいと思うときがある。
君にも、行って欲しくないと、思う、けど・・・」
「殿下、今朝、蔵酒点検があったので、管理の者から報告が上がってきたのですが・・・
どうやら、年代モノのワインが何者かによって15本持ち出されていたのが判明したのですが。」
「そ、そうか。」
「それがですねえ、酒蔵の横の現在は使用されていない酒蔵の方から・・・
何故だか空瓶が出てきたのですが・・・お心当たりは御座いませんか?」
にっこりと、満面の笑みでジェイド付の女官、アンリエッタは自らの上司にスラスラと報告を上げている。
朝の奥の宮。
今日も今日とてジェイドの執務室で作業をしていたギルバートは、
共犯者であるため巻き込まれないように遠くから聞くだけにしているが
いつも強気なジェイドからは既に冷静さが失われているのが見なくてもわかっていた。
常にないほど早口のアンは、ダンッと大きな音を立てて、その報告書を机に叩きつけた。
「殿下、さっさと白状なさいまし。あそこの被害額はおそらく・・・これぐらいとのことですよ。」
そういって指を3本つきたてた。
思わず見上げたギルバートでもそのあとに続く0は・・・6ケタあるだろうとわかっていた。
美貌の金髪の王子様は、ぎこちない微笑を浮かべ額から冷や汗をダラダラとたらしていた。
「えっと、・・・あの・・・ギ、ギルバートも、い、一緒だったんだ・・・」
その一言でむわっと部屋全体の空気の流れが変わった気がした。
ギルバートの背からもダラリと冷や汗が垂れた。
本能というべきか、やられる、と脳裏で閃いた。
「ギーールーーバーートさぁーーーん?何故あなたがついていながらこんな過ちを・・・?」
――――そのあとのことは、誰も知らなかったという――――




