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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
エピローグ 巡り巡ったあとの軌跡
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そもそも、なぜカリナがエーリフなんかにいるのかというと。

――それは、ギルバートがエーリフに赴任して3カ月が経った頃、もうすぐ晩秋になろうかと言う、

丁度今から1年前のことだった。


その日もいつものように、大したこともないのに巡回だけはきっちりとルーティンワークとしておこなっていた。

『自己満足、かもしれないけど、これがいつかの備えになるかもしれないと思えば、たぶん』

都にいれば当たり前、義務として課されていたことが、どうしてだかこの地では任意、どうぞご勝手に、に変わってしまう。

確かになんにも事件が起こらなさそうな土地で、都のようにいちいち見回りをしているくらいなら、もっと別のこと…といってもこの地では酪農ぐらいしかやることがないのだが…

そういった生産性のあることをやった方がいいという意見があるのは承知していた。

第一ここは国軍の中でも随一の『左遷先』である。

御多分にもれずギルバートも左遷された身の上だ。みんなやさぐれたくなって、軍のために働くなんて意識を持ちたくないのかもしれない。

しかし、曲がりなりにも現在エーリフは王家の天領である。

エーリフの防衛は王家の支配力をも試される。なにかあってはならない場所であることには間違いない。

なのに、みんな『なにもない』と思うらしいのだ。

もしかしたら今日だってなにか大事件が起こるかもしれない。

牛の脱走が大事件のこの土地で、大砲を持って誰かが攻めてくるなど天変地異といっても過言ではないレベルの大大事件だが、100%有り得ないとはいいきれない。

そのためだけに備えているわけではないけれど、

「現実的でない」といわれると、どちらをとればいいのかなんともいえない気分になる。

ギルバートは、ド田舎警備に頭を悩ませる日々を送っていた。

そんなときに、大事件は起こってしまうのである。


「フェルディゴール、ただいま帰着しました。」

「おーーう、お帰り。相変わらず真面目だなー。手ぇ、抜いてもいいんだぞ?」

相変わらず司令官室ではなく、ヒラ隊員が詰める執務室の暖炉の前で、チェンバーは書類を読みふけっていた。

管理職ともなれば、毎日が書類のにらめっこで、刺激に乏しいのはわかるが、だからといって部下たちと気軽に談笑するのもどうかと思う。

そしてそれに応じる部下たちも部下たちである。

そもそも、なぜギルバートの直属の部下が、巡回についてこずに司令官の会話の相手になっているのか。

甚だ不愉快なことばかりだったが、それも『左遷』の一言の前には虚しく散って行く。

ギルバートはすでに赴任4カ月にしてこの地で起こる大半のことで諦めの境地に至っていたので、

諫言も最早殆ど意味をなさない。とはいえ、一応は言うのだけれども。

しかし、今日はチェンバーの周りにいつもはわらわらとたかる部下どもがいない。

大変珍しい。

「…司令官、他の者たちはどこに?」

「んー?あ、そうそう。来客があったんだよ。それでそっちのほうにかかりっきりらしくてな。」

「来客?どこからか派遣で監督にきたんですか?なら、司令官御自ら応対されたほうがいいのでは?」

このエーリフにどこぞから来客があることなど殆どない。第一に、誰かが転入してくること自体珍しい。

そして、その転入者はもれなく『左遷』されているのだ。

とはいえ、一応は監督部署からこちらの視察に誰かが来る可能性がある。

そのときに粗相があってはならない。ただでさえ色々問題ありなのだから。

なのに、この駐屯地の代表者であるチェンバーがひとり残って書類を読んでいるのは礼儀を失しているといわれても仕方ないことだ。

だが、どうもそうではないらしいことをチェンバーは匂わせた。

「いやいや、そっちじゃない。そういう人じゃない。

なんか私的な用事でこちらにいらしたそうだけど、あいつらが我先にと来客室に案内しちまって、

具体的な用件は把握してない。

まぁ、あれだけの別嬪だから、うちの中の人間の誰かに用があるとは、たまさか思わんのだけ…ああ。」

ひとりでしゃべって一人で納得したらしいチェンバーはすっとギルバートを見た。

「うん、大尉に用件があるんだと思う。間違いないな。」

「え?どういう意味ですか?」

「今来てるお客さんだけども、えれー美人なんだよ。

特に用件は言ってなかったが、どうも首都から来てて、この駐屯地の人間に用があるらしいとはいってたんだが、

俺が詮索する前に、こんなむさ苦しいところじゃ申し訳ないとか言って、あいつらがどうぞどうぞつって来客室に追い込んだんだよ。

…この来客、大尉を追っかけて来たんじゃないのか?」

えれー美人という形容。

都にいる時分に、そういう形容の当てはまる人たちはたくさん御目にかかってきた。

しかし、そのどれもと今は縁が切れている。二度と会えない人たちだ。

なのに、自分に会うためにわざわざ来ている人がいるという。

誰か、と考えることを拒否したい。できれば、知りたくない。

無駄に期待したくない。

けれども、口から言葉が出ることを押えられなかった。

「その方は…女性でしたか?」

「ああ、そうそう。金髪碧眼の顔の小さな人形みたいな女性だったぞ。

ただ、若いのに足が悪いのか杖を使ってたなぁ…って、大尉?あれー?」

杖を使う、の言葉を聞いてしまえばあとは堪らなくなってその場から駆けだしていた。

司令官に何も言わずに部屋を飛び出した、とか、具体的にどういう縁がその人とあるのかも話さないまま、だとか

いろいろ常ならばやらなかっただろうことをいくつもおかしてしまったが、今は背に腹を変えられなかった。


「失礼します!」

ものすごい勢いで駆けこんで来客室の扉を開ける。

机の周りの椅子に座って、男くさい職場ににつかわしくない、かわいらしい焼き菓子を各々つまみながら話していたらしい部下たちが、

滅多にない上官の焦った様子に、ぽかーん、として眺めている。

しかし、その状況に驚くことなく、むしろ予想していたかのような態度で、カリナは目を細めて笑っていた。

「元気そうでなによりね。」

「…どうしてこんなところに、供もつけずに…!」

「会って開口一番に文句なんて嫌な人ね。ねぇ、皆さん?」

「そうですよそうですよ、大尉!」

「ほんとに、カリナさんのいうとおりですよ!!!」

「うん!そうだそうだ!」

部下たちは、どうもほんの短い間にいつの間にカリナのファンクラブ会員に加盟したようである。

どこにでもカリナの会員は発生するのか、と遠い目をしそうになったが、今はそれどころではなかった。

「だから!なんでこんな場所にいるんですか!?あなたはこんなところにいていいはずの人じゃない!

何をしに来たんですか…!」

仁王立ちして大声を放つギルバートに向かって、カリナは鬱陶しそうな視線を向ける。

「そんなにガミガミ言わなくてもこの距離なら言いたいことは全部聞こえるわよ。

ねぇ、困るわよねーこの人。

都にいた時もこの調子で、私を捨ててったのよ。ほんと嫌な人よ。」

「大尉、カリナさんを捨てたんですか…!」

「こんな綺麗で可憐な方を自分から切って捨てるなんて、信じられない…!」

「大尉ひどーーーい!!」

最後のはなんだよ、と思いつつも、劣勢の状態の中一応ギルバートは反論した。

「あなたは、都に残って、御兄上と家の再建をする重要な役割があるのに、こんな寒村に来たら、丸々1ヵ月は都を離れることになる。

その1ヵ月だけでも、あなたにとってもあなたの家にとっても重要な期間だ。なのに…!」

「あなたがいなくなったあとの、私の都での生活、知ってるのかしら?

私には縁談がいっぱい舞い込んだのよ。

今まででもしてくる人はいたけれど、今度ばかりは遠巻きに見ていた人たちすら私に殺到したわ。

中には、普通なら断れないような相手方のものもあったわ。

このままずっと都にいたら、私、結婚する羽目になってたのよ。

だから、私が断れなくて困っていた時に兄様に言ったら、エーリフに行けばいいって仰って下さったの。

逃げて来たのよ。

ふふ…あなたと同じね。」

そういってにっこりと、表面上は極上の笑みだったが、その瞳の中に

『これ以上、うだうだ文句なんて言わせないわよ』

という脅しのようなものをギルバートは見てとった。

その気配を感じたのか、部下たちもこれ以上この二人に関わっていたら更なる修羅場をみそうだと思ったのか、

「あ、それじゃあ…おふたりで、なんなりと。司令官にはうまくいっておきます…」

と怖気づいて皆逃げ出した。

そうして来客室に残された二人は、売り言葉に買い言葉でかなり気まずい雰囲気になってしまった。

『ああ、どうしてこういうときに喧嘩腰になってしまったんだろう…!』

沈黙でギルバートが頭を抱えたくなりそうな時に、黙って座っていたカリナがぽつりといった。

「私、手っ取り早く誰かと結婚しようかと思ったわ。あなたに捨てられちゃったし。

でも、兄様がいうのよ。

自分がハイライドに戻ってきたのは、今まで私を侯爵位に縛り付けていた贖罪のためだから、

あとは私の好きにしてほしいって。

でも、兄様のほうはね…男爵とはもう二度と会わないって決めたそうなの。

そして、絶対に誰とも結婚もしないって。

私、いろんな犠牲を払って我慢なさる兄様が可哀相で堪らないの。

でも、私ではどうにもしてあげられない。なんにもできない。

兄様は自分に厳しくていらっしゃるから、私がなにかしてあげようと思ってもきっと拒まれるわ。

ただ…

ひとつだけ、兄様に拒まれることなく助けられることがある、って気付いたの。」

「ひとつ、だけ?」

カリナは、今ままでの険を含んだ視線を柔らかなものに変えて、微笑んだ。

「兄様がこれから立て直すハイライドを、後世へもずっと繋いでいく子どもを産んで育てること。

私が兄様にできることと言えばそれしかないから、誰かと結婚するわ、っていったら、

兄様は笑っていったのよ。

できるなら、ギルバート君の子どもがいいな、って。

きっと、本当は、プレストンソン男爵の子どもが見たいんだろうけど、

兄様は二度と会わないって決めてるし…

それに、なにより彼が他の誰かと結婚するところを見たくないのかもしれないわ。

だから、…うちの家の黒いところを知っても、私を守ってくれたあなたと男爵を重ね合わせたんでしょう。

私と兄様って外見はよく似てるでしょ?

だから、自分が女だったら、たぶん私みたいなのだったんだろうっていつも思うんですって…

そしたら、きっと、あなたみたいな人の元で子どもを産んでたんだろうな、って…」

「そう、だったんですか…」

「もちろん、私のことを思って言ってくれてたんだと思うんだろうけれどね。

…あなたは、どう思う?」

そういうことをする人ではない、と思いながらも、カリナが単純に都から逃げるようにしてこのエーリフにやってきたと考えていた。

しかし、カリナの言は、クラウスも含め、相当の覚悟の上でここまでやってきてくれたことを窺わされる。

ギルバートは、自分がハイライドの先代侯爵夫人を殺した女の子どもであることや、このままカリナが無名の軍人のもとにいることで

本来名のある家と縁を持てるはずだったこととか、このままだと最低10年は田舎暮らしにつき合わせてしまうかもしれない、

そしてなにより、ハイライドの家名を汚すことになるかもしれない、と

様々な懸案事項が頭に浮かびあがったが、それらは最早カリナもわかっていることで、その上で自分の目の前にいてくれるということが、不安に勝った。

「…クラウスさんには、なにをおいても感謝しきれない、そう、思います。」

そうギルバートがいいきると、カリナは突然立ち上がって、一瞬よろけるようなしぐさを見せた。

「姫…!」

咄嗟に駆け寄って向かい合う形で身体を支える。が、カリナはしがみついたようにして離れない。

「ど、どうされましたか…?もしかして、長旅で、足の具合があんまりよくないとか…?」

「ううん、そうじゃない…こうでもしないと、あなた、私に触れてもくれなさそうだと思ったの…

ふふ、案の定こうしてきてくれた。」

腕の中で、カリナがにこりと笑っている。久々に見た満面の笑みだった。

つられて、ギルバートも笑ってしまった。なんだか、ほっとするような思いだった。

「…こうなることは、わかってたんですね…」

「さあね…でも、あなたはきっと私を見捨てない人だもの。

簡単に人の意思を無視して自分だけ逃げちゃうけれど、見捨てはしない…

これでも、あなたと5年も妻をやってきたのよ?」

自然と、カリナの表情が泣き笑いになっている。ギルバートも、自然と、嬉しさで胸にこみ上げるものがあった。

「これからは…紙の上でなく、ちゃんとした、夫婦になりましょう。ちゃんとしたっていうのも…おかしいけど」

「…まずは、あなたは敬語をやめてくれないと、困るわ。あと、姫なんて恥ずかしいから呼ばないで。」

二人でずるずると床にへたり込んで、額をくっつけ合う。

化粧っけもなく、なにも着飾っていない旅装のカリナは、しかし、水底のような瞳が濡れてどこまでも綺麗で、出会ったころのようにみずみずしかった。

なんだか、随分と遠回りをしたが、ようやく、10代のとがっていたころの初々しさを思い出した気分だった。

「…なるべく、善処します。」


それから二人は、チェンバー夫妻を仲人にして、僅かながらの人数で結婚式を挙げた。

たがいにとって、生涯で2度目の結婚だった。

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