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『まったく、あの軍医は…!!!どう考えても、自分が会いたいがためだろ!!!』
誰に構うことなく、ぶりぶり怒りながら、ギルバートは軍用地を闊歩していた。
この軍敷地内には、もちろん隊員の居住スペースがある。
しかも、エーリフは土地だけは山ほど余っているので、王都のような狭苦しい寮ではなく、各隊員用に小さなコテージが振り分けられているほどだった。
ギルバートが都にいる時代、寮に届く荷物を管理したり、出入りの確認をしたり、部屋の維持管理をしたり、様々な雑用を担う人がいたが、ここではそういう人がいない。
代わりといってはなんだが、居住スペースに行く入り口のところには、雑貨屋がぽつねんと存在している。
そこは、軍関係者、そして隣の行政支所関係者専用のもので、このあたり唯一の商店なので取り扱うものは多岐にわたる。
野菜などの食べ物は勿論、日用品や文房具類、衣類に郵便などだ。
加えて、ここでは郵便の受取も行っている。
隊員各戸に配布するよりは、ここにまとめて置いておいて、各自に取りに来てもらう、という寸法だ。
なので、隊員は自動的に毎日この雑貨屋をおとなうことになり、自動的に自分たちの生活になくてはならない役を担ってくれることになってしまっていた。
ギルバートはぶりぶりと怒っていた気を静めて、店主の気も恰幅もいいおばさんに声をかける。
「こんにちは、おばさん。今日はなにか来てたかな?」
「ああ、フェルディゴールさんだね、おかえりなさい。
都の方から定期便が一通来てるよ。そら。」
ずしりと重い紙の束が入った封筒が渡される。厳重に封がされていて、長旅にも耐えうる仕様だ。
「ありがとう」
分厚い手紙の差出人は、あの、第二王子付きのメイド・アンリエッタだった。
店を出て、帰ってから読もう、と家へ向かう。
ちらり、と封筒に押された消印は、丁度20日前だった。
懐かしい思い出が、さっと脳裏でよみがえる。
『アンリエッタさん、変わらず元気でやってるみたいだな』
王都を出るとき、ギルバートは何もかもを振り切って出て行くつもりだった。
実家は、母であるメディフィス夫人が元王族殺しを自供したことで相当風あたりが冷たくなり、家業の方にも支障が出ていた。
家業を継いだ兄は、信用を失い、傾きかけた事業の立て直しを図り、
父親であるフェルディゴール伯爵は火消しに奔走する一方で誰もかれもが必死だった。
だから、今連絡を取っても迷惑だろうという思いと、
一度別の家の婿に行った息子が出戻った風に頼りたくなかった。
次に、アンリエッタの上司であり、うっかり縁ができてしまったジェイド第二王子だが、彼はこの国の要人である。
よりにもよって、元王族殺しを身内に抱えるギルバートが関わっていい相手ではない。
ジェイドのような奇想天外な人ならば、まったく気にしていないとのたまうにきまっているが、それでも、もし万一ジェイド王子のことを快く思っていない人間に、
非常識な付き合いが知れたらと思うとギルバートは背筋がぞぞぞと凍ったものだった。
なので、彼と接触したくとも、できなかったのだった。
あと、王都で縁があるといえば……ハイライド家であるが、こちらは王子相手以上に論外だ。
ハイライドの女帝・ニムレッドを殺害したと言ったのは他ならぬギルバートの母だ。
接触することなど他の選択肢を勘案した中でも、一番有り得なかった。
想定をしてみた中で、ギルバートは誰とも縁が持てない、ならば過去のものだったと思って、
すべてを振り切るしかない、と想像が働いたのだった。
…だが、女々しくも未練を断ち切ることができなかった。
だから、最後にどうしても、と頼ったのが、第二王子付きで耳目の広いアンリエッタその人だった。
別れのあいさつをしに行った後、どうしても未練がましくアンリエッタの下を訪ねた時、
ジェイド相手に常なら鬼の形相なのに、ギルバートに対して聖母のような微笑みで応対してくれたことを思い出す。
『あら、文通の相手、ですか?私でよろしいんでしょうか?
もっと相応しい御相手がいらっしゃいましょう?まぁまぁ…どうしましょう。』
文通しなくてはいけないことに困った、という風ではなく、
自分が文通の相手でよいのか?というのがよくわかる困惑っぷりである。
ギルバートは、もうひと押しすれば受け入れてくれると思って、
あくまで真摯な態度でたのんだ。
『…他には頼めないんです。アンリエッタさん以外には、どうしても。
でも、すべてを捨てていけるほど、自分はできた人間じゃない。
女々しい、と笑ってくださってもいいです。』
そういうと、アンリエッタは馬鹿にせずににこりと笑った。
『女々しいと思う訳ないじゃないですか。
私も王宮に出仕するときは家族に言われましたもの。
田舎のことはすべて忘れて、仕事に精進しなさい、と。
ギルバートさんのようなお辛い目に遭ったからではないので、単純に比べるなんてできませんけどね。
でも、私も全部忘れるなんて出来ません。
お仲の良いご家族なら、なお一層、そうだと思いますわ。
私ごときで、どこまで情報をお教えできるかわかりませんけれど、
出来る限りのことはさせていただきますわ。
ギルバートさんも、私の知らない土地に行かれますし、色んなお話を書いてくださいな。
お仕事の愚痴でもいいです。
私だって、きっと殿下の愚痴を書かずにはいられないと思いますもの。』
ほほほほほ、と最後のセリフは背筋がぞぞぞ、と凍りそうになる笑みだったが、
ギルバートもははは、と苦笑いだけしておいた。
『でも…ギルバートさんお気になりますものね。
…できるかぎり、カリナ大臣のことも、お伝えできるよう善処いたしますわ。』
『え…?』
一度も、はっきりとアンリエッタに対してカリナと関係があると言った覚えはなかったが、やはり見破られていたらしかった。
『御存じ、でしたか。』
『なんとなくですけれどね。殿下からきちんと伺ったことはありませんけれど、お二人の仲がよろしかったじゃないですか。
こんな大変なことになりましたけど…微力でも、お二人のためになれば。』
『でも、彼女とはほんとうに、もう縁がなくなったんです。
もう、二度と相見えることもないと思っています。
これ以上彼女に迷惑をかけるつもりもありませんし…
なにより、彼女が幸せになってくれるのなら、それでいいと思っています。』
『そう…なんですの。』
『…ほんとうに、御負担をおかけするかと思いますが、手紙の件よろしくお願いします。
ありがとうございました。』
これ以上追及されると言いたくないことまで口を衝いて出そうだった。
ギルバートはそのとき、逃げるようにして困惑気味な表情を浮かべたアンリエッタの前から去った。
『あれから1年か…アンリエッタさんには、本当に感謝してもしきれない。
一度謝りに行きたいぐらいだな…』
そうひとりごちながらギルバートは自宅のコテージ前に着く。
丸木を高床に組んだコテージは、雪が多く降り積もるエーリフならではである。
屋根の傾斜が大きく、雪おろしの手間を幾分か省かれている。至極実用的な設計だ。
初めは、こうした造りの家に住みなれていなかったからか、なんとなく引けを感じていた部分もあったが、ひと冬を越えると、むしろこの家でないと生活できないことが実感されて
愛着まで湧いてくるほどだ。
玄関の階段を登って、雪対策の重厚な樫のドアを開けた。
「ただいま。」
ひとりで何もかもを振り切って赴任した当初、誰に対しても言えなかったことを口にする。
だけれども、今は言う相手がいた。
「おかえりなさい。今日は早かったのね。もうすぐ夕飯ができるから、もう暫く待ってもらえないかしら?」
にっこりと微笑みを浮かべながら、エプロンを着つけた女性が備え付けの台所からひょっこりと顔を出した。
そこにいたのは、まぎれもなく、カリナその人だった。
煌々と薪が燃える暖炉の前に置いたダイニングテーブルで、カリナと差し向かいで彼女お手製の食事をする。
こんな日がくること自体、ギルバートには想像の出来なかったことだった。
「それでね、チェンバーさんの奥様の計らいで、畑を持っていらっしゃる方を紹介していただいたのよ。
これで来年から作付をしてうちでも野菜が作れるわよ。
楽しみだわ。ふふふふふ。」
「カリナさんは…ほんとに、こっちの生活によく馴染んでるな…羨ましいくらいだよ。」
「だって、念願の田舎暮らしなんですもの。満喫しないでどうしろって言うのよ。」
そういって頬をふくらますカリナがかわいらしく見える。
怒った顔も、ギルバートにとってはこの上なく素敵に見えた。惚れた欲目だとは自覚しているが。
こちらにきてから、着飾る必要はもはやなし、と思ったカリナは、
すぐさま、腰のあたりまであった金髪をばっさりと肩辺りまで切り落とし、
ふだんは地味目とはいえ、ドレスばかり着ていた生活をあっさりと捨てて、今は野良着を着る機会の方が多いくらいらしい。
それでも、カリナは都会の生活を捨ててほんとうによかった、と何度も口にする。
しかも、決して、ギルバートに遠慮しているわけではなさそうなのだ。
だから、いつもギルバートはこれが夢なのかと、思わざるを得ないのだ。
「そういえば、アンリエッタさんからの手紙が来てたんだけど、見る?」
「ええ!勿論!!」
カリナは、食事中だが、待ちきれないと言った様子でギルバートがとりだした手紙をもぎ取って便箋に目を通している。
「なになに…相変わらず殿下は毎朝簀巻きにされても懲りずに寝坊をしております、か。
本当に進歩が無いわね、殿下は…」
そこには、辺境のギルバートとカリナには決して知りようもない王都のことが書かれていた。
とはいえ、アンリエッタは基本的には第二王子相手に獅子奮迅の戦いをする毎日を送っているので、王子に対する愚痴が5分の2を占める。
そして、我に返ってようやく他のことについて触れ始めるのが毎回のお決まりである。
今回の手紙には、簀巻き王子の話題と、ニーゼット公爵家についてのこと、そしてハイライド侯爵家のことについて触れてあった。
「兄様が、社交界に復帰されて、話題をさらっている、と。ふむふむ。
相変わらず顔と愛想だけはいいから、モテるのよね。
でもアンリエッタさん曰く、プレストンソン男爵と会われているのを目撃されてはいない、か…」
「どちらも遠慮なさったままなんだろうか?」
「たぶん、特に男爵の方が身を引いてるのかもしれないわ…
前にいってらっしゃったもの。
兄様と万が一会っているところを見られて、少しでも以前の関係をかぎ取られてしまったら、
せっかく侯爵家復興の威信をかけてるところに水を差すどころか爆弾を投げつけることになる。
兄様と会うことよりも、兄様がこのまま失墜して不幸を味わうことの方が自分にとっては耐えられない、って…」
「どうにもならないのかな?」
カリナは、ここへ来てから、この話題の時だけは必ずどうしようもなくやるせない顔を見せていた。
「たぶん、二人が意地を張り続けてる間はダメ。
男爵はそんな具合だし、兄様だって、まだまだ再婚の望みのある男爵に迷惑かけたくないって思ってるんですもの。
どっちもどっちのこと想い合って身を引いてるなら、私たちが出て行っても頑なになるだけだわ。
…今はどうにもならないわ。」
「いつか、どうにかなればいいだろうけど…」
「そう、よね…」
自分たちがなんとかなっても、まだまだどうしようもないことがいくらでもある。
それを思うと、自分たちがなんて幸せだったのだろう、とギルバートは切ない気持になった。




