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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
あなたとさよなら
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軍法会議の結果、ギルバート・フェルディゴールに対して所謂左遷の内示が出た。

つい2日ほど前に、ギルバートの母・メディフィス夫人が自ら首を絞めたと自供したからだった。

軍法会議とは、「会議」とは名ばかりの、軍の規律に違反した隊員の処遇を判断する一種の裁判に他ならない。

実の親が元王族を殺したといったのだから、王族を護衛する義務を持つ国軍の隊員たる資格を詮議されるのは当然のことだった。

そういうわけで、辛くも懲戒その他の懲罰処分は免れたが、1階級昇進とは言えども僻地の寒村への異動が決定されてしまった。

入隊してからこの方、地方回りをしたことはあっても、あくまで所属は首都の本部だった。

エリートコースを歩んできたギルバートにとって、初めての大きな挫折ともいうべき異動だった。

「そう、か…ギルバート…俺は何にも出来なかった。すまない。」

珍しくしゅん、と項垂れるジェイドを前に慌てて首を振った。

「いえ殿下!…あなたでも軍部に口出しするのは難しいでしょう。

だから、そう思っていただいたお気持ちだけでもありがたく存じます。」

「でも、お前はなんにも悪いことはしてないし、むしろお前の母親であるメディフィス夫人もほんとうに犯人かどうかわからないんだろう?まだ自白しただけで…」

それがそうなのである。

ほんの二日ほど前に、ギルバートの目の前で実母であるメディフィス夫人がハイライドの前侯爵夫人・ニムレッド殺害を自供したのだ。

それから本格的な取り調べが始まったため、身内であるギルバートは立ち入り禁止をくらい、なにもできないまま自身はと言うと軍法会議にかけられた次第である。

一方、もう一人の容疑者と目されていたニムレッドの息子のクラウスのほうは、事件当時の記憶を失っており、現在も目ぼしい証言は得られていない。

もし、このままメディフィス夫人が犯人だ、といっても、ニムレッドの首に残った指の跡以外に事件を裏付ける物的証拠は一切見つかっていないし、

その指の跡も、元々クラウスが小柄なので手の作りもそれほど大きくなく、監禁されていたことで発見時には自身で立ち上がることも出来ないほど大幅に体力が落ちていた状況下で、

女性であるメディフィス夫人が渾身の力を込めた場合とそう変わらないほどの力しかなかったようなので、

証拠としての力は弱い。

本当にどちらが犯人かを決するのは非常に難しかった。

だから、メディフィス夫人の自供は、今のところどちらが犯人であるかを決めるのに一番重要視されるポイントだった。

これから、うっかりクラウスの記憶が元に戻って自分が犯人だとでもいいださない限り、メディフィス夫人殺害説が覆ることはない。

そもそも、王族殺害の現場に居合わせたというだけでも、息子であるギルバートが服務規程違反の一環で会議にかけられるレベルの事案である。

だから、素直にこの辞令は受け取るよりほかなかった。

「なぁ…?カリナになんていうんだ?左遷で、少なく見積もってもあと十何年かはこっちになんて戻ってこれないって。」

これからジェイドの下にも参内できないということを言いに彼の執務室に来ただけだったのに、やはりこの王子は痛いところをついてくる。

ギルバートは苦し紛れにいった。

「…彼女とはもう別れて法的には何の関係もないんです。だから、このままそっと離れてしまおうかと。」

「何言ってんだお前!!」

ジェイドは端正な美貌にはまったく不似合いなぐらい眦を釣り上げて、これまたらしくない大声を出した。

「仮にもお前が婚姻記録もみ消してでも守ろうとしたカリナに対して、そんなことしていいと思ってるのか!?

カリナが知ったらなんて思うか…!」

「なんて思うかわかるから、言いたくないんです。

…それに、元夫とはいえ、自分の母親を殺した女の息子と会うなんて、知れたらどうなるか。

だから、会わないんです。会えないんです。」

「だからってな、ギルバート…!!」

「すいません…お取り込み中申し訳ないのですが、殿下、会議の時間が迫ってるので…

ほんとうにすいません、ギルバートさん…」

「いえ、殿下が忙しいところに来たのが悪かったんです。こちらこそ申し訳なかった。」

まだジェイドはなにか反論したがっているようだが、アンリエッタによる中断でなんとかその追及から逃れられそうなのはよかった。

そんな、これ幸いにと部屋からそそくさと出て行くギルバートを二人はじっと見つめ続けていた。



寮の部屋に戻ってきた。

内示が出た直後にあらかた荷物を運び出してしまったので、部屋にあるのは中身は全て搬出された備え付けの家具類と、現地に持って行く時の最低限の荷物の入った鞄と、

あとはこの本部で働く最後の1週間分の着替えのみだ。

新人隊員が多く住む独身寮の個室で、常から寂しさにまみれている部屋だったが、今回ばかりはこれからの自分の独りを想像させるような寒々しさを思わせられる。

なんだかたまらなくなって、灯りも灯さず、ギシギシ軋む床を踏んで、

南向きの木枠の小さな窓辺に近付いて外を見上げた。

煌々と夜も灯りがともり続ける首都は、地方に比べてはるかに明るくて、上空の光る存在をかき消してしまう。

なのに、今日ばかりはどの星もまばゆいばかりに見えて、どうしてだか郷愁を覚えさせられた。

「外ばかり見て、何か楽しいの?そんなに、一人がいいの?」

突然、部屋から女性の声が聞こえた。

聞きなれた澄んだ声に条件反射のようにすぐにうしろを振り返った。

「カリナ…姫。」

「その姫っていうのいい加減やめてくれないかしら?

確かにあなたにとって妻だった頃の私は御姫様のような存在だったかもしれないわね。

いつまでもずっと守られていたもの…

でも、もうあなたと私は、『他人』なんでしょう?

だから、金輪際そういう呼び方はやめてもらえないかしら?」

部屋の隅と隅(といってもそんなに部屋は広くないのだが)で離れて立っているのにもかかわらず、

びしびしと感じる眼光の鋭さと、相変わらずの自信ありげな様子に、ああ、いつもの姫だ、と思った。

なんのためらいもなく元夫の部屋にやってきて、説教じみた注文をつける。

一見したら、なんて五月蠅くて我の強い女のだろうと思うのだけれど、

それはポーズの話であって、注文はどれも他愛のないことばかりだ。

ほんとうにどうにかしてほしいと思ったら、そのときはもっとずっと下手に出る。

そんなカリナのてれ隠しのような一面が、いつも気になっていた。

「どうして…ここに、来たんですか?

いま、俺はあなたの母親を殺害した女の息子なんですよ。あらぬうわさを立てられたらどうなるか…!」

相変わらず豪奢な金髪をこれでもかと言うほど揺らして、見るもの全てを引き摺りこむ深海の瞳に、ほっそりとした身を鮮やかなグリーンのドレスで包んだカリナは、男溜まりの中では目立って目立ってしょうがない。

なのに、前の時もそうだったが、特に気にすることなくやりたいことをやる、という具合にこの部屋にやってきてしまう。

カリナは、どうでもいいことばかり突っ込むことに焦れたらしく、さらに語調を強めた。

「なにが理由か、なんて言わなくったって当然わかってるでしょ?!

あなた、辞令が出たんですってね?……殿下は、完全な懲罰人事だっていってたわ…

なんで、なんであなたがそんなことになるの…?!」

激しい憤りで、薄い暗闇の中でも肌が紅潮しているのがわかるカリナをよそに、

ギルバートは微笑みを向けた。

「懲罰人事ではないんです。一応1階級昇進するんですよ。いわゆる栄転です。」

「どこが栄転なのよ!

転任地はエーリフだって聞いたわ!…あそこ、代々の王族直轄地で歴史だけは古いけど、周りは巨大岩壁に囲まれた高地で、国境線もないし、周りの領地はどれも親王族派ばかりだから、

小競り合いも滅多に起こらない、

農業を生業とする住民ばかりで、生活様式は何十年も変わっていないっていうわ。

あなたみたいな、ずっと本部に属していたエリートの人間が、

突然そういうところに回されて行って、後悔しないの?そのまま唯々諾々と従っていいの?!」

「姫…いや、ハイライド侯爵、あなたはわかっていないでしょうが、軍人は統率あってこそ。

上の命令に従わないで独断行動をすれば、それはつまはじきにされて当然だ。

その上、俺は今のところ…いや、これからも軍人じゃない自分が想像できないんです。

あなたみたいに貴族の人間として生きる道もないわけじゃなかったが…

残念ながらうちの母のお陰でそれも無理そうだ。

クラウスさんのような美形でもないし、商売するにしても13の頃からずっと軍にいたから

金の勘定なんてしたこともない。

こんな人間にはもう別の道は残されてないんです。

だから、あなたの心配もわかることはわかりますが、どうしようもないんです。」

「なら、どうして私と離婚なんかしたのよ…!

どうして、他人なんかになっちゃうのよ…!

しかも、初めから結婚をなかったことにしてしまうなんて…」

「それは…仕方のなかったことです。

もし、仮に結婚したままの状態であの会議に臨んでいたら、あなたと俺の結婚は必ず彼らにバレていました。

あなたはもしかしたら俺がハイライドと繋がりがあるおかげで、説明しやすい犯行のインセンティブが生まれて俺に対して有利なほうに働くとでも思ってたのかもしれないが…

現実はそうも行かないんです。

あなたと俺と言う接点が増える以上、今まで以上にあなたや、ニムレッド夫人、そして俺の母が窮地に陥る。

特にハイライド侯爵という立場に対しては、どうしてこんな不可思議な結婚状態を5年も続けていたのかという核心に迫られることになる。

おそらく、俺の母親がニムレッド夫人の死に関わっている時点でこの点が争点なのは重々わかりますが…

これは俺の母とあなたの母であるニムレッド夫人の間での秘密裏の問題で、一方は既に亡くなってる。

たぶん、二人にとっては表舞台に出したいようなことではなかったはずです。

それ以上に、このことはあなたと俺にとってはすでにあってないような問題になっている。

だから、あなたがこんなことで無用に振り回されないように、接点をもみ消した。

それの、どこが悪いんですか?」

「だからって、あなただけが泥をかぶって、私に何の助けもさせてくれないなんて…おかしいわ、全部間違ってる…!」

そういって、カリナは力尽きたようにその場に崩れ落ちるようにへたりこんだ。

「カリナひ……ハイライド侯爵!」

突然の態度の変容に、思わず近寄っていって、顔を覆って啜り泣いているカリナに手を伸ばそうとするが、

あくまで彼女は他人なのだ、と発する脳内の警告で咄嗟に手を引っ込める。

カリナは近寄ってきた気配を感じてか、それまで覆っていた手を外して今までと違って弱弱しく呟いた。

「そうやって、うだうだ御託を並べてあなたはひとりで抱え込もうとする…

殿下に、私には会わずに行くって言ったそうね。なんにもいわずに。

自分だけ左遷されて一生本部に帰ってこれないかもしれない憂き目に遭っても、

私の名前は最後まで出さないでおくなんて…

それにもとはと言えば、この結婚自体、うちの母があなたを巻き込む形で成したことだったのに、

それで人生を棒振るようなことをするなんて…

――別にいいのよ、ここは誰もいないから本当のこと言っても、私しか聞いてない。

あなたはただ、巻き込まれただけの人間。なのに、どうして、ここまでしてくれるの?」

じっと濡れた瞳が中腰でカリナを見るギルバートを覗きこむ。

純真でどんな汚れからも縁遠いそれが、実は生まれてからずっと、

権力闘争と言う汚泥の中で浮き沈みしていたことを知ったときから、

どれだけ尊いものなのか初めて理解したときのことを急に思い出した。

「この5年…あなたはやっぱりずっと遠いところにいる人だと言う思いはなくなりませんでした。

今も、こうして近くにいるけど、どうやっても手が届かないと思ってる。

たぶん、一生あなたのことは高嶺の花のままだと思っています。

でも、あなたが色んな事件に巻き込まれるたびに、助けたり助けられていると、

たとえ手に届かなくても…このまま、二人だけの世界にいけたら良かったと、何度も考えました。

あなたを助ける行動原理は、こういうよこしまな考え、です。」

「二人だけ…?なら、今、二人だけじゃないの?」

カリナは、涙に濡れた顔を隠すこともせずに、にっこりと久しぶりの笑みを見せた。

長雨が止んだ後に一斉に花開く夏の花のようだった。

「いわれてみれば……でも、もう、俺達はなにも関係な…っ!?」

みなまでいわせぬかのように、カリナが我慢ならないと言った性急さでギルバートに抱きついた。

カリナの重みがかかって思わず中腰だったバランスを崩し、ギルバートはどっかり床に尻もちついた。

気を良くしたのか、それに乗じてカリナはギルバートの腹の上を跨ぐようにして乗っかって、

顔を覗きこんで見下ろしてきた。

「あなたと結婚してた時なんにも夫婦らしいことがなかったのに、

離婚した途端こういうチャンスに恵まれるって私たちって不思議よね。」

「チャンスって…!どうして、こんな破天荒な…」

「本当、いちいち文句言いなのね!」

もうっ!と言わんばかりに怒ったカリナは、

帰宅してから、暑苦しくていくつか上のボタンをくつろげておいたシャツの襟に手を伸ばし

そこにしがみつくようにして素肌の胸に横顔を寄せた。

この5年間で最もダイレクトに身体に密着してくるカリナの柔らかさと重みに、ギルバートは猛烈に焦った。

「カ、カカカカカカリナ姫…!!なななにしてるんですか…!?!?」

「こういう体勢を取ったらすごく近くで心臓の音が聞こえるのね…

ねえ、どうして私たちもっと早くに近付き合えなかったの…?

これでなにもかも終わりなんて……」

「……」

このままいけば、カリナは母亡きあとのハイライドの侯爵としての立て直しを図る仕事が待っている。

それに、長年出奔を続けていた才気あふれるクラウスが発見されたことから、

おそらくこれからの侯爵家はさらなる発展が待っているだろう。

一方でギルバートの方と言えば、実母がニムレッド殺害の罪で審判にかけられるし、その実母を嫁に迎えた

実家のフェルディゴール家がどうなっていくかは今の時点では皆目わからないし、

ギルバート自身はおそらく少なくとも十年以上は本部には帰ってこれない左遷の身の上になってしまった。

今まで以上に、いやそれどころか二人の接点は完全になくなってしまう状態が目に見えていた。

カリナがこれで終わり、と思うのも無理はなかった。

ギルバートは嘆息して、上に乗っかって頬を自分の胸板にくっつけているカリナの長い豊かな金髪をゆっくり梳いてやる。

「…もう、完全な他人なんですよ、俺達…

いいんですか?俺と違って、あなたはこれからいくらでも…」

うだうだぐじぐじ最後の最後まで文句を言おうとしたギルバートの口を、突然柔らかい何かが塞いだ。

あれ、と思った瞬間にはそれが離れ、気がついた時には先ほどまで胸に押し付けられていたはずのカリナの顔が今までで一番近くにまで迫っていた。

「なにその唖然とした顔。びっくりしすぎ……」

そういいながら、もう一回カリナの顔がすぐそこにまで近づいてくる。

奪われる、と思ったそのとき、ギルバートは無理矢理カリナの肩を両手で押さえて身体から引き剥がした。

何が起こったのか分からない、といったふうに目をぱちくりさせ、

逆に唖然とさせられた様子のカリナは、何があったのかわかった次の瞬間には沸騰したように憤然とした。

「な、なによ!!!女に迫らせておいてどこまで意気地なしなのよ!!!!」

信じられない、この大馬鹿者!!と捨て台詞を残して、ついには泣き喚きはじめたカリナを宥めるように首の後ろにギルバートは手をあてがう。

頬にももう一方の片手を添えて、丹念に伝っている涙を親指で優しく辿っていると

「いまさら!いまさらなんだから!!」

「すいません…いまさらで。……覚悟決まらないとどうもだめみたいなんで。」

ギルバートはそれこそ奪うような気持でカリナの唇を自分のそれで食むように辿って行った。

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