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ニムレッド=トリニード・クレンシア・ハイライド。
今は亡き先王と血を分けた唯一の実姉であり、現在でも王位継承権4位という
おそらく数多いる貴族社会の貴婦人の中でも最上位に君臨する女性である。
18歳の時にハイライド侯爵のもとに嫁いできて二人の子どもに恵まれた。
ただ、40歳となり、ようやく子どもたちがひとり立ちできるようになり隠居を考えるようになった
直後、夫であったハイライド侯爵が急性の病で亡くなりったうえに不幸は重なり、
次期侯爵であった長男が喪に服している間突然出奔して行方不明になってしまったのである。
後に残されたのは、11歳の頃に大怪我を負って以来ハイライド領で長年療養している長女と
やたらに喧しい家督を狙う分家の者達のみ。
ニムレッドはこれみよがしに溜息をついた。
「私って、どうしてこんなにも不幸なのかしら・・・」
はーっと、息をつく。が、その途端バターンと勢いよくリビングのドアが開いた。
ニムレッドは胡乱な目で騒音の元凶を眺め見た。
「あら・・・カリナ。お帰りなさい、どちらまで行っていたの?遅かったじゃない。」
「お母様・・・聞きましたよ、メディフィス夫人から。」
ズカズカとカリナはリビングを突き進む。
あまり豪奢にしたくないという亡き当主の意向によって、
調度品は全て落ちついた木目調のもので統一されており、たまに置いてある価値のありそうなものも
殆どそのただ中で埋没しているといえた。
ただ、普段は人が少ないからといって殆どが落とされている照明は
ニムレッドがやってきてからというものの、全てに貴重な脂が注がれ火が灯されている。
全く、昼も夜も無い明るさである。
―――二人がいるのは、ハイライド領にあるハイライド家の本邸・フォンディーヌ城だった。
普段は王都にある別邸に住んでいるニムレッドは、長年ハイライド領で療養し続けている
長女とこれからのことについて話し合う・・・否、
命令する為にわざわざ普段は近寄りもしない田舎にやってきていた。
それを端的に表すように、この城にやってきて開口一番、
『なんなの、この陰気くさい城は。よくカリナは5年近くも住めますわね。』
などとのたまったのである。
王家出身であるがゆえに金銭感覚、美的感覚が一般人とはかけ離れている。
カリナも貴族社会では上流中の上流である侯爵家で育ってはいるものの
一番多感な時期に田舎の領地にに引っ込んで生活していたため
この母の言い分には文句のひとつも言いたくなったものだった。
けれど、この筋金入りの箱入り娘には殆ど一切常識は通じない。
あくまで、彼女が王宮内と貴族社会で培った価値観が全てを決めていた。
「あなた・・・メディフィスのところに行ったの!?」
「ええ。何か不都合な事でもありましたか?」
「カリナ・・・!貴族の子女たる者が娼館街を出入りするとは家名に泥を塗る行為。
あなた存じてないの?首都ではあなたの兄が出奔したせいで
我が家の評価は地に落ちかけているますのよ。更にそれを底へとつき落とすつもりですの!?」
「・・・お母様。ここから首都までどれだけの距離がおありだと?
わたしの行動一つを追う者なんて、そうそういやしません。」
「カリナ、あなたは次期侯爵位を継ぐのですよ?この格式高きハイライド家を
地の底に落とすような行為はわたしは一切認めませんからね!」
ニムレッドは貴婦人とは思えないほど目を凄ませてカリナの言質を遮った。
カリナの紺碧の瞳とプラチナブランドはまさしく母譲りのものだった。
自分と同じ大振りの瞳と怒りでゆがんだ眉がカリナの目に焼き移る。
『どうして私は温厚だったお父様に似なかったのかしら・・・?』
カリナは嫌な所をまたひとつ発見して溜息をついた。
ニムレッドは説教を垂れている事に退屈さを感じて吐いた溜息だと感じて
怒りを燃やしたようで更に一気にまくしたてた。
「カリナ!わたしは常々あなたに対して思っていたのですけれど、
どうしてそんなにも貴族であることを疎んじるのです?
あなたはこれから人民の頂点に立ち、そして導く者となるのです。
そんな者が、下賎な者達に馴れ合い、自らを地に落とすようなことをするのは
あってはならないのですよ!?」
さすがにこれにはカリナもカチンときた。
椅子に座ったまま口すっぱく文句を言うばかりな母親を、見下ろした。
「では、お母様、わたしは大怪我を追って瀕死の状態を誰に助けられたとお思いですか?
あなたがそうやって毛嫌いする下賤なものとやらのメディフィス夫人にですよ?
わたしはメディフィス夫人がいなければきっと命を落としていたでしょう、
夫人は私の命の恩人なのです。
そんな方を貶めるようなことを言うことは、お母様、
そんな方に助けられたわたしのことをも貶めていると捉えても差し支えありませんね?」
一瞬ニムレッドは虚を突かれたかのように黙ったもののすぐさま反撃した。
「親に口答えをするとは、カリナ、あなたももうすこし大人になりなさい。
わたしがあなたぐらいの年のころはもうすでにあなたのお父様との縁談もまとまっていて
分別ある常識を兼ね備えておりましたわ。
あなたももうすぐ結婚するのですからそれぐらいの常識をもちなさい。
でなければあなたが恥を見るのですよ。」
カリナはもう貴き血統こそ全てと豪語する母と貴賎云々に関して話す気力を失っていたので
話を別のものにすり変えた。
「ではお母様、お聞きしますが、何故メディフィス夫人の子息と私の縁談をお進めに?
あなたの嫌う、メディフィス夫人の子息ですよ?
もしもこの縁談がまとまれば、彼女の御子息はあなたの義理の息子になるのです。
それなのに貴賎にこだわる矛盾、説明していただけませんか?」
「・・・彼女の息子とはいえ、メディフィスの子どもは皆フェルディゴールの直系。
父親はこの国有数の商売人で将官のあの息子ならばあなたの夫となりえても差し支えないとわたしが判断したまで。
メディフィスのもとにあなたが勝手に交流を交わすのとは訳が違います。」
カリナは正直、母の無理矢理の理論にカリナは疲れ始めていた。
どうせなにをいったとしても、母は自分の都合の言いように解釈してカリナの言い分を認めようとしない。
常々、この親子間にあるのは意味が無い会話だった。
それでも、一つ聞かなければいけないことが残っていた。
「お母様、なら、最後にひとつだけ聞かせてください。
何故、今、わたしの縁談をお進めに?もっと、時期はあったはずではなかったのですか?」
それに関してニムレッドは一瞬表情を固まらせたが、すぐにいつもの強めの語気でこたえた。
「あなたがもうすぐ王都にゆくことになるとき、
わたしでは悪鬼の巣窟ともいえる貴族の者達のなかにあなたひとりを置かせてはいられない。
そう判断したのみ、よ。」
カリナはきっとこの手の質問は全てこれで返されるだろうと考えてこれ以上追求するのはやめた。
母はいつもそうだった。
都合の悪い事は、何もかも、強気という名の世迷いごとで隠し通せると思っているのだ。
「・・・失礼します」
カリナが諦めて部屋を出るも、ニムレッドはそれを見ることは無かった。
「失礼致しますわ、奥様。御長女様との荒々しい会話が廊下まで聞こえてましたわよ?」
「・・・勝手に人の家に乗り込むなんて、さすがなことよ、メディフィス。」
リビングに華やいだ香りを纏わせる女性が入ってきてもニムレッドは全く反応一つしなかった。
変わりに華やいだ女性は颯爽とした身のこなしで、
そっぽを向いたままのニムレッドの真向かいに陣取って、
ワインレッドのドレスの裾をさばいて優雅な笑顔を保ったまま座った。
「ごきげんよう、奥様。久方ぶりですわね。」
「わたしはお前の顔は見たくないと、何度もいった。」
「あら、あなたの御嬢さんとわたくしの愚息との縁談ですのよ?
そうやって意地を張っていたら結局は何も進まないのでは?」
にっこりとワインレッドの女性・・・メディフィス夫人は微笑みかけるが
目は、全く笑っていない。
ニムレッドはようやく、ちらりとメディフィス夫人を見て言った。
「メディフィス、何故、わたしのまえに現れた?・・・お前がいなければ
あの子を結婚させるつもりも無かった上、どこの者とも知れぬ新興貴族の血を
我が家に引き入れようとは思いもしなかった。」
「・・・あなたがお望みのことでひとつ、御助力したかった。それだけですわ。」
「・・・わたしの望み?何だ、それは。」
「わたくしが言ってしまうよりも・・・あなたが先におっしゃったほうが
ずっと気が楽じゃありません事?」
迫るような口調にニムレッドは口をすぼめる。
メディフィスはあくまでシラを切り通すつもりのニムレッドを見つめて
口を開いた。
「あなたが心底大嫌いなわたくしと接触してまで愚息との縁談を進めたがる理由。
・・・あなた、『花園』を、手に入れるおつもりかしら?」
途端、ニムレッドの表情が険しく固まる。これ幸いにメディフィスは笑顔で畳み掛けた。
「わたくし、あなたと初めて会ったときからずっと思っておりましたの・・・
あなたのその澄んだ紺碧の瞳の奥にある強い意志、それが何なのか。
・・・今回の事で積年の疑問がようやくはっきりとわかりましたわ。」
「・・・では、百歩譲ってそうであるとする・・・ならば、どうしてお前はそれにわざわざ乗るようなことをする?」
ふふふ、とメディフィスは企みごとをしているがごとく笑った。
「わたくし、『花園』なんて、全く興味なんてありませんわ。
見たことの無い花ばかりのところへなんて、それこそ冥土に行ったときで十分ですわ。
今生では縁すらなくていいところ。
でも、あなたがそれほどまでに渇望するなんて、滅多にあることではない・・・
だから、わたくしはすこし便乗してみたくなっただけですの。」
「・・・興味本位、といいたいのか?」
「つまりはそう、ですわね。」
ニムレッドは突然話を切り上げるかのように立ち上がって、
まるで親の敵が眼前にでもいるような強い視線でメディフィスをにらみつけた。
「わたしは、お前が大嫌いだ。同じ息を吸うているだけでも、大変な苦痛よ。
・・・・・・わたしはお前を利用しているだけでそれ以外の何ものでもない。
だから、お前もわたしには必要以上に干渉するな・・・!!」
そういってドタバタと足音を立ててニムレッドは乱暴に部屋を出て行く。
メディフィスは組んだ足に頬杖をつきながら、ばたりと締められたドアを見た。
「・・・わたくしたちってば、30年経っても、変わらないわね・・・」