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実弟と関係を持っていたという、驚愕の告白をあっさりとしてのけたニムレッドに夫人は目を瞠った。
世間に知られれば、政局をたちまち混乱の渦にたたき込めるほどのことだ。
しかし、いつものように特別意に介していないらしいニムレッドは、言葉をつづけた。
「弟は…ネイトは私の1つ下で、先々王と母との間にできた子どもだった。
二人の間に愛はなくとも、母上には王の男の子どもを成さねばならない義務が課せられていたから、それは仕方のないことだった。
王家の側近中の側近は私が父親違いだということを知っていたから、あからさまにネイトと私を差別して育てた。
勿論、王太子として生まれたネイトには特別の教育を施さねばならないから、扱いに差をもうけるのは当然であろう。
しかし、私を先々王や母にネイトに寄せ付けさえしなくなったり、宮中での催しでは慣習として側室であれ、王太子を産んでいる時点で母は国母としての扱いを受ける、だから表向き先々王との娘である私も母の下に列席する身分だった。
しかし、私はその他側室の姫と同格に列せられた。それも、年齢順だからと言って実質的に最下位だった。」
その当時を思い出したのか、憎々しげな声音だった。
「なにごとも私は一番下だった。
慣習とは違っていたが、過去にも他の側室との軋轢を生まないためにこういった措置はとられていたそうだから、仕方のない部分でもある。
しかし、それは母が私の後ろ盾をきちんとしてくれていたならばの話だ。
母は、私になぞ見向きもしなかった…側近が私を近づけさせなかったのもあるが、母自身ネイトにばかりを寵愛し、私など初めからいなかったかのようにふるまい続けた。
だから私は親が何たるものなのかは知らない。
母と同じようなふるまいをカリナにしてしまうのは、そりれゆえのような気もする。因果なものだ。」
「…しかしなぜ、接触すえさせてもらえなかったというのに奥様は弟君と仲よろしくなるきっかけを得たのです?」
「あの子は優しい子だった。いつも。いつも。」
明朗で直裁な答えばかりを切り返すニムレッドがこの時ばかりは、感情を溢れさせていた。
さきほどから、弟にかかわることを語るときだけいつもとは違うニムレッドの様子に、
今までのニムレッドの人となりを知る夫人は先ほどから驚くばかりだった。
「【花園】に足を踏み入れることができなかったあの日…典礼官から、王族たる資格がないと言われて、最早王宮には居場所がいないと思った私は、当時開かれていた後宮の庭の片隅に造園された小さな森のようなものがあって、
そこの木に縄をかけて死のうと思った。」
「自殺、ですか?」
「ああ。親に見放され、天意からも見放され、居場所もないところで生きて行くことは耐えられなかった。
だが…たまたま、教師たちから逃げ出して庭に隠れていたネイトに見つかった。
当時ネイトは母と一緒に後宮に寝所をもうけていたからな…
ネイトと私は母の見た目をそのまま受け継いでいたから、父親違いと言えどよく似ていた。
殆ど顔を合わせたことがなったが、向こうも私が姉だということはすぐにわかったらしく、
『なんで姉上はこんな夜中に1人で散歩しているの?もしかして僕と一緒で先生から逃げて来たの?』
と無邪気に話しかけてきおった。
私が首をくくろうとしているなんて、夢にも思っていない表情だった。
自分と1つしか歳が違わないのに、大事に大事に育てられていたから、まっすぐでとてもいとけなかった。
その時ばかりは涙があふれた…なぜ、自分はこうなれなかったんだろうと。」
夜の世界で長年生きて来たお陰か、血など些少な問題のように思っている王の血を引く夫人は、
こうも血に振り回されたニムレッドの人生を聞き及ぶにつれ、彼女が血に執着している理由をようやく知ることができた。
つまりは、執着しなければ、自身が失墜させられるかもしれない瀬戸際に追い込まれることをニムレッドは身を持って良く知っていたということだった。
「それから間もなくして母が婦人病で亡くなり、きちんとした後ろ盾もないまま、ますます私の立場は弱くなりそうになった。
…だが、たまたま出くわして以来、王宮内について見聞を広めたネイトが、私のことを姉としてきちんと遇してくれるようになった。
それまで母や先々王も含めて、誰も見向きもしなかった私の窮状をネイトは救ってくれた。
あの子は、私の唯一の救いの神だった。」
「そこから、始まったのですか、あなたと、弟君との関係は…」
「ああ。ネイトの周りには多くの女がいたが、いつも夜会のダンスの一番最初の相手は私だった。
ある時、どうしてそんなことをするのかと理由を聞いたら、顔をカッと赤くして、
『姉上以上に素敵な相手が見当たらない』
と言ってくれた。私は暫く若さゆえの妄言だと言って取り合わなかったが…
だが私も心の中ではあの子以上に私のことを見てくれる者などいないと思っていた。
しかし、直にネイトは王太子としての役目を果たすため、生まれた頃から取りきめられていた婚約者と15で結婚式を挙げて、間もなく二人に子どもが生まれた。
二人の幸せそうな顔を見たら…私は堪らなくそれが欲しくなった。
だからネイトに願った。嫌いでないなら、私のことも愛してほしいと。
あの子は本当に優しかった…だから、私のねがいを叶えてくれた。」
「その結果生まれたのが…クラウスさんだったのですか。」
何を思い出したのか、くっとニムレッドは笑った。
「そういうことになる。私が18の頃だったか。
王宮内がパニックになったものよ。未婚の王族子女が、婚姻を契る前に父親不明の子を妊娠したなど、醜聞もいいところだ。
中には私がネイトと仲がいいことを知っていて、もしやと思っていた者もおったようだがな…
なんにせよ、未婚のまま子を産ませることだけは避けたかったのだろう、私は即座にハイライドに降嫁させられることとなった。
さすがに降嫁した後は最早私はハイライドの人間でしかなかった。
私が結婚してすぐ、元々その当時容体が悪かった先々王が亡くなり、ネイトは王として即位、あの子は遥か遠い存在になった。
生まれたクラウスがネイトとそっくりで、ひっそりとその面影を重ねることしかできなかった。
…しかしあの事件が起きた。」
「先王陛下御一家がお亡くなりになった事件ですね。
あの当時は本当に…首都が荒れましたから、わたくしも忘れようと思っても忘れられません。」
22年前、先王一家がその侍従に手引きされた隣国の間者によって殺された件だ。
王家の皆殺しとして、『洋国』は未曾有の危機に陥った。
戦争も勃発し、一気に何もかもが疲弊し、瓦解する直前のところまで行った。
メディフィス夫人も丁度子育てをしていた時期で、いつ自分とその子供が戦火に巻き込まれるか恐れながら暮らしていたことは今も忘れられない。
「戦争の混乱だけでなく、王家が壊滅する危機も同時に発生して政情不安までも生まれていた。
あれを収めるには、次代の王が現れねばならなかった。
私はクラウスの出自は隠していた上、王位までも得られるとは思っていなかったが、そのとき初めてクラウスを王位につけるべきだと確信した。
亡きネイトの血を引くのは最早クラウスしかいなかった。
クラウスは【花園】の奥深くまで踏み込めて、私に王族の資格がないと言った典礼官ですら認めざるを得ない正当なる血を引いている。
その当時、ネイト一家が殺されたことで王家には男児がいなかった。
だから、クラウスが、ネイトの跡を継ぐのは決定事項だった。
…なのに、なのにあの女が…!!!」
「あなたがお嫌いなセレナ女王が御帰還された。あの方は、先々王の直系の血筋でいらっしゃいますから…」
ほぼ人身御供のような形で隣国の皇帝のもとに傅かさせられていたセレナが、自国の未曾有の事態に離縁して帰って来たのだった。
隣国の傀儡だと言う声もあったが、セレナがほとんど身売りのような形で隣国に強制的に嫁がされていたことは誰もが知っていたため、あからさまに非難する声は少なく、
そのまま女王として君臨することになった。
王位の継承権は男子優先であるが、その男子がいない場合は正室系列の長子から順に継承順位は付与される。
先々王と正室の間にできた一人娘を母にもつセレナは、順位でいえば一番上だった。
しかし。
「クラウスはあの女より明らかに継承順位は高い!
王位継承権は男子優先、先王であるネイトの息子のクラウスは王位を認められるべきなのに、それを認められない…!」
「でも、クラウスさんは、実際はハイライド侯爵の息子ということになっています。世間は決して先王陛下とのお子様だとは御思いになりませんよ?」
「ならば、なぜ、私には王位継承権がない?私は世間でいえば先々王の娘だ。実弟は先王だ。
なのに、【花園】を見ることが叶わないからと継承権を剥奪されている。
その逆を言えば、クラウスは王位継承権があるということになる。
もしそうでないというなら、矛盾するではないか!
つまりメディフィス、私が今まで生きてきた半生をも否定するのか…!?」
暗がりの中でもわかるほど、かっと目を見開き、おそらく血走った目をしているだろうニムレッドは、さきほど浮かべていた柔和の笑みはどこへやらというほどの
恐ろしい形相で皮肉たっぷりに笑っていた。
「所詮、そういうものだ、この世の痴れ者どもは!
ある時は、私を王の娘だからとちやほやとする、なのにある時には、私には王位継承権がないと言って王族どころか、王宮内にいるのも汚らわしいといった目で見る!
なにも、それは赤の他人だけではない。
いつかカリナが私に向かって、私が王家の血に濃淡に固執し過ぎているといってきおったことがある。
…それは明らかな間違いだ。
王家の血に固執しすぎねば、私は生きていけない!
なにしろ、私は王家の血筋なぞ引いておらぬのに王家の人間だと偽らされているのだから!」
「だから、奥様は…わたくしの息子とお嬢様をお引き合わせになったのですね。
あの子の父親はたかだか成金上がりの伯爵でしかないというのに。」
「そうだ。…カリナは一時、セレナの倅との婚約話が持ち上がっておった。
だがそれは、セシリアの末裔との息子の方ではなく、忌まわしき第一王子とのものだった!!
異国の血を引いた、それも、限りなく王位に就けば政争が起きるのは間違いないと言われる第一王子の妃に収まったとなれば、
カリナなぞあっという間にそれに巻き込まれてあってないような者となってしまう。
私の娘がそのような扱いに甘んじるなど甚だ不愉快極まりない。
だから、縁談を壊してやったまでよ。」
そこではた、と夫人はひっかかりを覚えた。
カリナの縁談が壊れたのは、カリナが馬車に轢かれて重傷を負ったからだ。
今もなお、左足が不自由となる後遺症を抱えているほどのもので、当時カリナは5年近く田舎で療養していた。
王族の妃は、なにがなんでも後継ぎの子どもを産むことが重要な資質だ。
足が動かないカリナが果たして子どもを産むに足りる資質かどうかと思われたのも無理はない。
5年ものあいだ、社交界から遠ざかっていたことも、何かと表に出る機会の多い貴族像には当てはまりにくい部分もあるのかもしれなかった。
だから、縁談は受動的に壊れたはずだった。
しかし、ニムレッドの言い分は、『壊した』という…
「…奥様、まさか、カリナ嬢を轢いたのは…!」
「今気付いたのか、メディフィス。お前ならとっくの昔に気づいているものと思っていたが…
そうよ、あの子を轢いたのは私の命令で動いたもの。第一王子の婚約者など、あってはならぬ。」
「しかし、そうだといって、自分の娘を馬車で轢くなど…!!
お腹を痛めた子どもが死んでもかまわないような扱いをなさるのですね、奥様は。」
厳しくなった夫人の声音に、ニムレッドはふっ、とようやくいつものような不遜な笑みを浮かべた。
「最初から殺すつもりなぞなかった。ただ、縁談が壊れるような事態が望ましかっただけよ。
ただ、あの子には必ず結婚はしてもらわねばならなかったから、子どもが産めそうにない身体になるだの、他の男と関係があるだの、頭が悪いだの、病気がちで精神を患っているだの、そういったあの子の品性・資質自体を疑わせるような噂を流すのだけは避けねばならなかった。
そのために足だけを狙って、1,2年は社交界に出てこられないようにとった手段だった。
まあ…少々重傷化しすぎたのはこちらの落ち度だったが。
しかし、あの子も田舎で暮らせて、お前と言う人間にも出会えてよかったと言っているから結果的に良かったではないか。」
メディフィス夫人はこのとき、ニムレッドの感性が狂っている、と感じていた。
娘の片足を一生使えなくしていてこの言様は、はっきりいって狂人と変わりない。
夫人は、狂っていると思いつつも彼女から語られることは重要だったので、妨げになるようなことばは喉もとで飲み下すにとどめた。