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「クラウスが拐された…あれだけ逃げて隠れてたのに?どうして?」
苛立ちを隠さずにジェイドが男爵に尋ねる。
色んな魔の手から逃げるために、自らカリナをたった一人その魔の手の元に残して逃げたクラウスだというのにまんまと引っ掛かったのが腹立つようだ。
長年の逃亡生活を無に帰すような結果が不本意で仕方ないといいたいのがありありとわかる。
男爵は、その態度を見たうえで仕方がなかったんです、とぽつりと零した。
「もう、見つかってしまってましたから…クラウスはある時期からずっと監視されていました。
けれど、私に迷惑をかけたくないといって私の前からも姿を消して逃亡する覚悟までしていたようですが、
なんとか宥め賺せてうちの家にまで連れて行ったんです。
一人で放っておくよりも、私の目が行き届くところで下町なんかに比べたらよほど安全な場所でしたから。」
「でも、連れ去られた。何故だ?」
「…あの人が私の言うことを聞く人だとお思いですか?
一人でなんでもかんでも決めて、ニムレッド夫人の監視の目を擦りぬけてハイライド家から出奔したような人ですよ、あの人は。」
「た、確かに、そうだが…」
思い当たる節があるらしい王子を目にして、ギルバートは一度だけ会ったクラウスのことを思い出してみるが、
そのときの印象はやはり見た目が強烈すぎてあまり性格について思い出せない。
ジェイド王子のようにすぐに本性を出してくれるのなら話は別だが。
ただ、ほんの少しだけ垣間見た男爵との会話から、どうも男爵を尻に敷いている様子が窺えたので一人で何でも決めると言うのはあながち嘘ではないような気はした。
「だが、自分が狙われていることをわかっているなら、どうして連れ去られるような状況に陥ったんだ?
クラウスは慎重なヤツだ。まんまと敵の罠にかかるようなおめでたい性格じゃないのに何故?」
「…あの人は閉じ込められるのが嫌だったんですよ。
私がどれほどきつく家の中にいるように命じても、目を離した瞬間に庭に出ている。
あのときも、知らないうちに欲しい薬草が手に入ったからといって出て行ったんです…止めたんですが、言って聞くような人ではないものですから…」
「自業自得だな、はっきりいって。」
はー、っとほんとうに面倒くさそうに王子がため息をついた。ここまで破天荒な人物だと知ってしまうとギルバートもカリナの時ほどの衝撃は感じられなくなっていた。
しかし、この誘拐はクラウスには責はない。どころか、カリナを含め彼らは今までにも十分に被害者であって、更に被害の上塗りがされたわけである。
皆が一丸となって、彼らを救わなければならないという気持ちになっていることには変わりなかった。
ギルバートは先手を切って顔見知りだと言う勝手な気安さもあって尋ねた。
「プレストンソン男爵、クラウスさんがいなくなったとき誰か傍にいたりとか、目撃者がいたりはしたんですか?」
「生憎、それがわからなくて…時間帯は昨日の夕方頃だったという目星はついてるんですが、それ以外にあの人を見たという情報は、うちの使用人のそれも敷地内で見たというものしかなくて…」
「ならばどこかにクラウスが行く途中で攫われたのは確実だな。
しかし男爵、あなたが住んでるところは所謂高級住宅街と言うやつだろう?
そんなところで誘拐なんぞあったらたちどころに知れてしまうんじゃないのか?」
「確かに、そうかもしれないですね…」
王子の言うことは一理ある。けれど、目撃情報が殆どないということは腑に落ちない。
クラウスならば常にそういうリスクが頭にあったはずだ。
自分の力ではどうすることも出来ずに誘拐されるとなったら、誰かにその事実が伝わるよう暴れたり証拠を残したりするぐらいのことはするぐらいの周到さはあってしかるべきだ。
特に、既に誰かにつけられているとわかっていたぐらいなのだから。
「もしかして…ハイライド大臣が人質としてさらわれていることで、なにか脅しをかけられたとか、じゃないですか?」
今までずっと黙って会話の成り行きを見守っていたアンリエッタが急に口を開いた。
思わずその場にいた全員で注目すると、アンリエッタは少し気恥ずかしそうに続けた。
「いえ、もし間違っていたらと思うと申し訳ないのですが…」
「いや、アン続けてくれ。どういう理由だと思ったんだ?」
「えっと…おそらくハイライド大臣を拐した人間とクラウスさんを拐した人間は同じじゃないんでしょうか?
お二方は御兄妹ですし、ほぼ同時期にさらわれたのですからそうと考えてもよろしいですよね?
なら、ハイライド大臣のほうが先に攫われていて、それをすでに耳になさっていたクラウスさんに
脅しをかけたんではないのですか、
『ハイライド大臣を助けたかったら、あなたが人質になれ』
とでもなんとでもいって。」
「でも、クラウスでもそう易々と人質になるか?確かにカリナが囚われているのを助けられるのなら自分の身を差し出すぐらいのことはするだろうが
だからといって本当にカリナが帰ってくる保証もされないまま、黙って自分一人で行くと思うか?」
「…それも、そうですね…」
うーん、と再び皆で推理が暗礁に乗り上げた。少なすぎる情報の中で、やれることがあまりにもなかった。
そのとき、うーんとひと際唸っていたジェイド王子が、仕方ない、とぽつりとつぶやいた。
「伝家の宝刀を抜くか。」
「…どういう意味ですか?」
「ニーゼット公に直接掛け合ってくる。たぶん、彼がこの件に絡んでるのは十中八九あたりだろう。
本人が直接関わってなくても、彼の係累が執拗にカリナを狙っていたことはすでに明らかだしな。
今回も何らかの事情を知っているだろう。」
夏の一件のことだ。あのときはギルバートがえらく酷い目に遭わされたのだ。
しかし、今までずっと王子は相手方の出方を窺うばかりで直接行動に出ることは無かった。
なのに今回ばかりは動くと言う。
「いいんですか、殿下、あれだけ様子見してた相手に特攻かけるようなものじゃないんですか?」
素直に懸念を表したギルバートに美貌の王子はこんな状況にありながらにこりと鮮やかな笑みを浮かべた。
「まあ相当厳しいな…相手は国務大臣だ。今回の件について口を滑らせる上に、失墜させられるような手札は俺には殆どない。
辛うじて夏にギルバートやカリナが被った被害について落とし前をつけさせることがせいぜいだが…
この際はもう後戻りはできないから、やるしかないだろう。
アン、午後イチでニーゼット公に緊急の面会の申し込みをしてくれ。だいたい時間は1時間前後で。」
「わかりました。でもよいのですか、殿下…相手は公爵家の方ですよ?
何か下手なことを仰れば…」
「ああ、俺の方が引きずり落とされるだろうな。」
そう、事もなげに王子は言った。
ニムレッドは猫足のソファにだらけるようにして寝そべっていた。
昼なのに分厚いカーテンは閉めたままで、広い室内も薄暗い。
燭台にともされた蝋燭の灯りだけがその部屋の中の光だった。
ここ数日のあいだこんな生活をニムレッドは続けて来た。外に出ることも、誰かと会話に興じることも、なにもせずに、
ただ気だるげにワインを飲むか、黙ってじっと天井を見つめる日々。
食事などはすべて部屋に持ち込ませて、使用人以外と接触することもない。
まるで、隠遁生活を送るかのようなものだった。
そのとき、がやがやと部屋の外が騒がしくなる。
「一体なんなの……!?」
癇癪持ちで、使用人にも腫れものを触るような接し方をされているニムレッドの周りはいつも静寂に保たれている。
いつどんな些細なことで怒りだすか想像もできないからだ。
それなのに今静寂が破られようとしている。
「誰、誰が騒がしいの!今すぐここへ入ってきなさい!」
今まで退屈そうな光しか宿っていなかったニムレッドの目に精気が戻る。人の弱みを糾弾せずにはいられない、陰鬱な光だ。
暫く騒がしかったドアの向こうだったが、勢いよくばたりと開けられたドアの音で一瞬それは止んだ。
そしてそこに現れた人物は…
「お久しぶりですわね、奥様。かれこれ5年ぶりかしら。そちらのお嬢様とうちの愚息の結婚以来だわ。」
「またなのか、メディフィス…どうしてちょろちょろとわたしの周りをうろつく。」
「ふふ、因果なものだから、仕方ないじゃありませんの?それとわたくしはもうメディフィスじゃなく、フェルディゴールになりましたのよ。」
「それがどうした。メディフィスはメディフィスだろう。」
苦虫を噛み潰したようなニムレッドと対照的なのは、頬笑みをたたえたギルバートの実母のメディフィス夫人だった。
娼妓出身の彼女は、若いころから長年『メディフィス夫人』といってその成熟した美貌を持て囃されてきた人物だったが、
25歳を過ぎたあたりで娼妓を引退し、約10年前には完全に夜の世界から足を洗ってしまっている。
そして極めつけには長年内縁関係にあったとされるギルバートの実父、フェルディゴール伯爵と5年前に結婚して、正式にはフェルディゴール伯爵夫人と呼ばれる立場となった。
しかし、未だに娼妓の世界では頂点に立っていたメディフィス夫人と言う名のほうが世には知れ渡っていて本人もそれを認めている。
伯爵夫人としてフォーマルな服装が求められるところへも、他の人よりも数段派手な色合いやデザインのドレスを身にまとっていくし、
既に孫がいるにも関わらず零れ落ちんばかりの胸元をあられもなく晒すような女傑だ。
その姿は往年の娼婦時代を思い出させるらしく、人妻となった今でさえ、メディフィス夫人の男性への人気は衰えないと言う。
このときも、目の覚めるような群青色の襟ぐりの大きく開いたドレスを身にまとって、悪魔のような黒髪をきゅっと高く結いあげていた。
一方で、ニムレッドの王族を離脱していなかった頃は天使のようだと持て囃された美貌は、既に上の子どもが25歳を超えた今は精彩を欠いている。
ついでに、日陰に留まり、家の中に閉じこもる生活を送ってきた彼女の肌のつやは不健康そのものである。
生き方から、容貌からなにから対照的な二人だった。
「…どうしてここへ来た、メディフィス。何が用だ。」
はっきりとした怒りをもってニムレッドは問う。睨みつける視線は今にも火を噴きそうなまでに熱い。
しかし、メディフィス夫人は軽やかに笑ってそれをかわした。
「何が用、と仰いましたわね?てっきりわたくしは御存じだと思っていたのだけれど…
奥様にはきっと心当たりがあるはずですわ、わたくしがここを訪ねる理由について。」
「…さっぱりわからんな。お前の事情についてなど与り知らぬわ。」
ニムレッドはさもわからないといったふうにふるまう。しかし、その口調は苛立たしげだ。
勿論お互いの腹の黒さはどちらも承知の上だった。
しかし、ニムレッドは頑として口を割ろうとしない。山の頂よりも高いプライドは誰にも折れさせることはできなかった。
メディフィス夫人はそっとため息をついた。
「そこまで仰りたくないのなら、観念して言わせていただきますけれど…
奥様の大事な御息女が、今現在行方不明なのはさすがに御存じでございましょう?
もうかれこれ4日か5日かそれ以上、王宮の内部で姿が見られなくなった以降さっぱり行方が知れないらしくて、うちの愚息がそれはもう心配しているんですの。
…でも、はっきりいわせていただくと、御息女の行方を奥様は存じてらっしゃるはずだわ。
今どこにカリナ嬢を閉じ込めているのか、お教えいただけませんこと?」
真剣にメディフィス夫人は尋ねたが、ニムレッドはまともに取り合う顔をしなかった。
「は?カリナの居所だと?…そんなものは知らん。知る訳ないだろう。
あの子とは殆ど交流もない。顔もここ数年見てはおらん。あんな親不孝娘がどうなっているか、わたしには興味もないわ。」
あまりの言質にさすがに夫人は語気を強めた。
「御自分のお腹を痛めて産んだ御息女が行方知れずですのに、なんて冷たいことを仰るの?それでも、奥様は人の親ですの?」
そう言った瞬間、パン!と嫌な音を立ててワイングラスが床の上に落ちて割れた。赤黒いシミが白く毛羽立った絨毯に浸みこんでいく。
怒りに目を見開いたニムレッドが、手に持っていたグラスを床にたたきつけていた。
「なぜお前に説教をされねばならない!?…我が家のことに口を出すなメディフィス…!!
いくら娘婿の親とはいえ、お前は他家の人間!それも、生まれは娼館街で、長年娼妓で生計を立てていたときた…!
そんな者がわたしと口を利けることだけでも滅多にないことなのに、なぜおまえは気付かない!?」
「奥様、本心でそう思ってらっしゃるの?…貴賤で人を分けてはなりませんわ。」
「うるさい、たかが娼婦崩れが何をえらそうなことを言う…!」
「ならば、奥様が仰るように、生まれで私たちを分けるのならば、奥様は重大な事実を今省いていらしゃったんじゃなくって?
…わたくしの育ちは娼館街で、15年ほど娼婦として生計を立てておりましたわ。
対して奥様は、生まれは王宮で、御成婚なさるまで王族として何不自由ない生活を送ってらっしゃった。
確かにわたくしたちを生まれと育ちで分けるなら、わたくしはあなたに何も言える立場ではないかもしれませんわね。
でも、奥様、わたくしたちには繋がりがありますわ。そう……生まれる前から結ばれた縁が。」
「うるさい、うるさいうるさい…!!!!」
いやいやするようにニムレッドが耳をふさぐ。どうあっても聞きたくないようなフリをしている。
けれど、そんなニムレッドに向かって夫人は残酷な事実を告げた。
「わたくしと奥様は、姉妹ですのよ?…なのに、どうして、わたくしが家族である奥様と生まれと育ちが違うからといって口すら利けないのです?」




