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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
とある夫婦の5年にも渡る喧嘩の元凶
5/76

―――ドアの隙間から除き見えるその人は、小さくて可憐な野花を圧倒するように

一輪だけ庭の真ん中で根を張る大輪の薔薇のように咲き誇っていた。

深紅のドレスに身を包み、猫足のソファに気だるげに寝そべるその人は、

胸元が零れるように大きく開き、体のラインが見事に分かるような

普通の貴婦人なら絶対に避ける薄もののドレスを着ていても

なお闇の中ボウッと浮き上がるように、それ自身が光っているように、美しい。

更に、紅く塗られた形のいい爪が、琥珀色に光るワイングラスをふわりと持ち上げる様は

それだけで一枚の絵になっているかのようだった。

その光景をドアの影からこっそりと覗き見ていた男は、

その甘美で濃密な光景に密かにゴクリと喉を鳴らした。

しかし、その微かな音が闇に響いてしまっていたのか、途端ハッと部屋の主はドアを振り向いて

そしてその正体を認めた途端眉を思いっきりしかめ不機嫌そうな声で文句を言った。

「・・・そこで勝手に長い間人のことを眺めくさって、一体何が面白いの、リチャード。」

「ははは、バレていたかい?」

リチャード、と呼ばれた男は、今まで隠れていたドアを勢い良く開けて、

無駄にさわやかな笑顔をあちこちに振りまきながら暗い室内に入っていった。

長身でスラッとした細身に、質のいい外套を着込んでいる上、

優しげな茶の瞳を細めて万人に好意を寄せられそうな表情で微笑んでいるため、

その部屋の主とはある意味対極の雰囲気をかもし出していた。

「今更そんな颯爽と現れたって無駄よ・・・ただのストーカーが。」

リチャードは最後のほうの侮蔑がありったけこもった言葉に内心グサリと傷つきつつ

それでもめげずに、顔はあくまで笑顔を保ちながら・・・・・・華麗に話題を逸らした。

「それで、今日珍しく僕を呼び出したのは何かあったのかい?

君に何かあったとは・・・一見して思えないのだけれども?」

ちらりとソファの主を見やる。

相変わらず不機嫌そうな一国一城の女王様はイラつきながら赤ワインを流し込んだ。

「ええ・・・少し。ギリーのことで話があるの。」

「ギルバートがどうかしたのか?」

部屋の主――メディフィス夫人ことコンスタンスはソファの上で寝そべりながら

突然子どもの話題に移って驚くリチャードを一瞥する事も無く、

器用に寝そべりながら新たなワインボトルをあけ、グラスに注いでからようやく口を開いた。

「あの子、今度結婚する事になったから。」

「ギルバートが?一体誰と?」

「ハイライド侯爵のカリナお嬢さんとよ。そうそう、今度侯爵位を告ぐ予定の女の子よ。」

「・・・ハイライド家ってあの、王位継承権内の?」

「ええ、そう。カリナちゃんも確か継承権は5位ぐらいにあるはずよ。」

リチャードはあまりの継承順位の高さに一瞬ふぅっと気が遠くなった。

新興貴族と呼ばれる部類のフェルディゴール家がまず付き合うことすら出来ない家格ので

更にハイライド家は侯爵位ではあるものの、国内では公爵家さえも圧倒する屈指の血筋である。

特に、先代に下賜されたばかりの初心者伯爵位のフェルディゴールにとっては

こちらから話しかけることすら出来ないほどに程遠い。

リチャードは頭がくらくらしてきたのでやんわりと片手で額を押さえた。

「待ってくれ、どうして君が僕抜きにその話を進めたんだ?

いや、そのまえによくギルバートがそれを了承したね。どうやって?」

「一応まだ了承したわけじゃないわ、あの子。

でも先方の事もあるから了承せざるを得ないだろうって本人も言ってるから大丈夫よ。

ふふ、あの子もやっと結婚してくれるのよ。兄弟で一番最後なのよ。

やっとわたくしたちはこれで重荷がなくなったわ。」

「だからって・・・いや、君は本当に誰と縁があるのか分からないぐらい人脈を持っている。

・・・時々、君が隠遁している身だとはどうしても思えなくなるよ・・・」

「あら、リチャードまで人の事を隠居だと思ってるの!ギリー共々、うちの男どもって酷いわね。」

怒る点はそこなのか?と、

既にハイライド家とコンスタンスの繋がりを聞き出す事を諦めたリチャードは途方に暮れた。

コンスタンスは夜の街を生きていた女だ。

その頃に築いたパイプが何本も数多ある貴族へと繋がっていても別段不思議ではない。

そんなコンスタンスにはリチャードと以外の男性との間に子どもはいない。けれど

末のギルバートが生まれてからも彼女は数年間男相手の商売をしていたし、

リチャード以外の男性との間に本当に子どもはいないという断言もしにくい。

リチャードは現役時代の事について言及するのは悔しかったのであまり話題にもしたくなかった。

「君はその見た目の若さとは反対に4人子どもがいて、孫も既に3人いる。

でも、こうやって若い頃に君臨していた首都から抜け出して、

誰も知り合いのいないはずのこのハイライド領に一人で住んでいたら

誰だって皆が君は世間を疎んじている隠居だと思うに決まっているだろう?」

「ということは、リチャードもわたくしのこと、そう思ってるわけね?」

「・・・え?」

コンスタンスは珍しく拗ねた様に言った。

彼女はいつも年相応に見られたがったので昔から幼い振る舞いは苦手だった。

リチャードはその思わぬ反撃に瞬間言葉が出なかった。

コンスタンスは相変わらずリチャードを一顧だにせず、

そのかわりぷんすかと唇を尖らせるようにして文句を垂れた。

「わたくしは別に世間を疎んじているわけじゃないのよ?

ただ、もう年も年だし、夜の世界で生きるには限界が来たと思ったからよ。

人がたくさんいて、煩わしいことに惑わされる事も無く

田舎でのんびりと余生が送れればいいと思ってここに住み始めたの。

だからって、わたくしはあなたや子どもとの連絡を怠っていたわけでもないし、

首都の動向だって、これでも逐一入るようにしているのよ?」

そういいながら、ソファの傍に置かれていたテーブルに

優美な動作でワイングラスを置いてコンスタンスはゆっくりと立ち上がった。

静かな音の無い室内で衣擦れの音だけが微かに響いた。

自分たち二人以外に誰もいないのだ、という紛うことない甘美な事実が

リチャードの心にゆっくりと染み渡る。

そんなリチャードの心境もつゆ知らず、コンスタンスは誰とも無く呟いた。

「でもそろそろ潮時なのかもしれないわねえ・・・」

薄闇の中に、深紅に艶めく柔らかな唇が浮かび上がる。

目の前に現れた妖艶なコンスタンスにリチャードは再び喉を鳴らした。

露骨な反応にまたしてもコンスタンスは不機嫌に陥った。

「あなたね、一応向こうでは『孤高の伯爵』とか『氷の貴公子』とか言われてるんでしょ?

女性に全くなびかないことで有名のくせしてわたくしにベタ惚れって・・・

まったく、どうしようもなく気持ち悪い男ねえ。」

またしてもリチャードはぐさりと心を刺されたように胸が痛んだ。

その様子に全くお構いなくコンスタンスは愚痴を続ける。

「まったく、あなたにご執心の貴婦人方に言ってやりたいくらいだわ、

たったの11歳で花街にやってきて、まだまだ青臭かったくせに厚かましくも

伯爵家の御曹司という社会的地位を乱用してわたくしを見初めてから

ずっとわたくしに実家の大金横領しながら入れ込みまくって

そして御曹司にはありがちな事故みたいにして13の時にわたくしと子どもを作って

それから4人も子どもできてようやくわたくしにプロポーズできた時には

逃げられてたって言う可哀想な話をね!」

リチャードは事実をザックリと列挙されて言い返せるところはまず何も無かった。

逃げられた、というのがやはり事実だということもこっそりねじ込まれていて痛かった。

ただ、それ以前に自分が25年以上入れ込みなおも心引かれ続けている

最愛の女性の言質を、声を、途中で遮る事はそもそもヘタレなリチャードには出来なかった。

「まったく、あなたが他の女性にはこぞって好かれているという事態が

わたくしには甚だ恐ろしいわ。世も末ね。」

「す、すまない・・・」

「別にわたくしに謝らなくてもいいのよ。謝るべきは夢見る貴婦人方へよ。」

ぴしゃりと跳ねつけられてリチャードは縮こまった。

それを見てコンスタンスは仕方ないな、と呟いてリチャードに近付いた。

久しぶりに間近に寄ってきたコンスタンスにリチャードは戸惑っていた。

この妖艶で優美な女王様は、リチャードにたいしてはいつも不機嫌なのだ。

理由ははっきりとはわからないが、きっと彼女の意地なのだろう。

いつも強がりで、弱みを決して見せてはならないと固く閉じこもっているがゆえの。

それが珍しい事に自分からあっさりと『不機嫌』の境界線を踏み越えようとしている。

何を言われるのだろうかとリチャードは不測の事態に備えて身構えた。

コンスタンスは、そんな思惑も知らずにじぃとリチャードの瞳を見据えて言った。

「・・・それでさっきの話に戻るけど、ギリーとは交換条件を出したのよ。

ギリーはあなたが何十年も独身でい続けるのはわたくしのせいだって言ったから

わたくしがあなたと結婚したらギリーも結婚して頂戴、っていったの。」

「・・・え?」

「ギリーも一応は結婚するつもりになってくれたみたいだから

約束どおり、わたくしたちも籍でもいれてみるってことでどうかしら?

じゃないとあの子、『契約不履行で訴えてやる!』とでもいいかねないわ。」

「・・・・」

ちょっとそこの市場まで買い物いってみない?え、当然あなたは荷物持ちよ、

とでも言われたような気軽さだった。

しかしその言葉は25年、ギルバートがずっと待ち焦がれていたものだった。

11歳の時に図らずとも出会ってから、何十年と追いかけてきた女性がやっと振り向いた。

リチャードは歓喜の頂点へと躍り出ていた。

「・・・あら、やだ、もうっ!何ボロボロ泣いてるのよ!

あなたもう40近いんでしょう?男の癖にまったく、気持ち悪すぎるわよ!?

あなたのその情けない面、貴婦人方に見せてまわりたいくらいだわ!」

指摘どおり、ギルバートは情けない事にポロポロと涙を零していた。

無意識に出てくる感動と歓喜の涙は、止まりそうにない。

コンスタンスは呆れながらもレースのハンカチを取り出してリチャードの頬を伝う涙を拭いた。

口では相手の心に傷を作るような暴言を吐きながら最後の最後までは放っておけない。

本人はそれを『弱み』だと考えているらしいが、

リチャードはきっとずっと惚れこんできたところはそこだったのだと思っている。

泣きながらもリチャードは泣きながらはにかんだ。

「コンスタンス・・・本当に、本当に、僕と結婚してくれるのか?」

「・・・女に二言は無いわ。」

そういうのは男じゃないのか?という訂正を入れることもせず

リチャードは相変わらず泣きっ面を作ったままだった。

「・・・そうか。そうか・・・うん、うん・・・」

「あのねえ、涙流しながら首振り人形にならないで、

ほんっとあなたのお嬢様方からの株、本気でガタ落ちになるわよ?

商売人が自分のお株を下げまくったら悪影響でるんでしょう?知らないわよ、わたくし。」

リチャードは何事かを言いまくっているコンスタンスにお構いなく、

そっとそのほっそりとした体を抱きしめた。

夜の女だから、肉感的で妖艶なようにグラマラスな服のお陰で一見は見えるけれど、

本当は、昔っからいくら食べても食べても太らない体質で困っていたことを知っている。

それまでずっとわめいていたコンスタンスもいきなりのリチャードの行動に

一瞬身を竦ませたが、おずおずとリチャードの背に手を回した。

本当に珍しい出来事が幾重にも重なっているお陰で、

リチャードは久しぶりに訪れた充足感に心から安堵して、誰とも無く感謝した。

「君がこの腕にいること、何度想像したよ・・・」

「・・・勝手に人の事想像してにや下がってるあなたがわたくしも想像できるわ・・・」

「ずっと、君とであったあの日の夜から君が傍にいてくれるとずっと信じてたけど、

随分と時間が掛かったよ・・・」

「あなたって甲斐性ないもの。仕方ないわ、このくらい。」

「君と出合ったときには想像も出来なかったよ、4人も君との間に子どもができたり、

こうやって結婚するだけで25年も掛かるだなんてね・・・」

「わたくしもあなたのせいで大分人生狂ったのよ・・・責任取るのは当たり前ね。」

「・・・それに、もう、母上はいない。これで君の脅威は全部摘み取られたんだ。」

・・・最後の言葉に今まで捻くれた返事をしていたコンスタンスは急に口をつぐんだ。

そして、フルフルと肩が小刻みに震えだした。

リチャードはようやくコンスタンスが完全に自ら作り上げた境界線を踏み越えて

自分自身の殻から出てきたことに喜んだ。

そして、コンスタンスの背中を幼子をあやすようにゆっくりと上下に撫でた。

「君は長い間、本当に一人でよく頑張ったよ・・・

僕は、非力だったから、君を陰からただ見守る事しか出来なかった。

・・・ずっとこんなバカな男のせいで申し訳なかった。」

コンスタンスは抱きすくめられている腕の中、ふるふると首を振った。

「あなたに・・・謝られる筋合いは無いわ。あなたは悪くないもの。

それに、あなただって・・・よくわたくしみたいな気ままな女に今までついて来れたわね。

普通なら、自分以外の男とも関係を持ってるような娼婦をただ一人の正妻にするなんて考えないわよ。」

「だって、天使のように美しい君が11歳の少年だった僕の目の前にいたからだよ。」

コンスタンスは思わず噴き出した。目の色によって、いつも

『悪魔のような女』だとか『魔女』だと言われ続けてきたせいか、

こうやって面と向かって天使という言葉で賞賛してくれるリチャードに内心喜びつつも

口には出さずに呆れたような物言いで返事をする。

「よく言うわ・・・あなたに似合いのお嫁さんになりそうな人なんて、この30年間たくさんいたでしょう?

いいえ、今だって、選び放題だわ・・・

そのくせ、わざわざわたくしみたいなおばさんを選ぶなんてよっぽど頭がおかしいわ。」

「僕は頭がおかしいんだよ、つまりは。」

「じゃあわたくしも頭がおかしいのね。娼婦だっていうのに年下の男の子にずっと入れ込んで子どもを4人も作って、

それからずーっと、あなたに追いかけられる人生を送るなんて・・・

わたくしのほうがよっぽどどうかしてるのよ。」

コンスタンスはそう言ってリチャードの目を覗き込んだ。

日に焼けたせいか色が抜けかけて光の当り具合によっては黄金色に光る茶髪が、

優しげなチョコレート色の瞳が、そこにはあった。

もう、何十年と変わらないそれが、今もそこに確かにあるという事実に心打たれた。

リチャードも腕の中にいる『天使』の黒い瞳の奥を覗き込もうとした。

・・・けれど、吸い込まれるばかりで、埒が明かない。

二人は暫く見詰め合って、そして豪快に笑いあった。

「わたくしたちって、結婚するのよね、ほんとに。」

「ああ。女に二言はない?」

「ええ、そうよ、女には、うそはあっても、二言は無いのよ。」

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