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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
無言の別離
49/76

それから、カリナは再び目隠しをされ(猿轡を噛まされることはなかったが)て四肢を拘束されたままで閉じ込められていた。

2,3時間起きに用便のための狭い個室に連れていかれて、そこでだけは目隠しも四肢の拘束も解かれたが、

個室は硬い壁に囲まれていて脱出方法なんてありもしない。

身体チェックされているお陰で、服以外に身に着けていた細々としたアクセサリー類は一切なかったので

本当に何もできないのだ。

仮病を使って大声を出しても、肩足が不自由な身では脱出なんて到底無理だ。

最終手段としてカリナの脳裏にちらっと『自殺』も思い浮かんだが、それはほんとうに最後の手段として敢えて考えないことにした。

そうして再び四肢を拘束され目隠しをされる。

時たま、口元に硬い黒パンや臭いがきつい安物のチーズ、そして独特の風味がする山羊のミルクが運ばれて、無理矢理咀嚼させられる以外に

これといった動きを男が見せることは無かった。

ただし、喋ることは許されているらしく、ぺらぺらとカリナは謎の男相手に話しかけ続けてはいた。

「ねえ、それで私はどうなるの?

あなたたちの意図は知らないけれど、せめて五体満足でいさせてくれるか、そのうち草葉の陰であなたたちを恨むことになるのかぐらいは知らせてくれてもいいんじゃないの?」

「それに関しては俺の一存からは言いかねるな。」

さきほどからずっとそうやってはぐらかされてきていた。

いつまでたっても、自分の状況が分からないいらだちもあって、カリナはつい語気を強めていた。

「…てことは、あなたは主犯、じゃないってことね。誰かがあなたに対して命令を下して動いてる。

いいように使われる手駒にされてるのね。」

挑発の意思を込める。少し気が逸っていたのかもしれない。しかし、カリナの予想に反して男は至極冷静だった。

「まあ、そんなところだな。あんたがいうとおり、俺は上の命令を聞いて唯々諾々と従うしかないしがない下僕だ。

だからあんたをどうにかする権限はないし、たとえ今後どうなるかを知っていても言う権利はない。」

「……そうなの。わかったわ。」

あんまりにも素直に言ってくるものだから、鵜呑みにするしかなかった。

なにかそこに意図があったとしても、四肢を拘束されて身動きの取れないカリナにはどうしようもないのだから。

そうなると、なにもかもがどうでもよくなっていた。

たぶん、ここに閉じ込められている限り、何らかの事態が起きない限り、ほんとうに何もないのだ。

そういう考えがぐるりと頭の中を駆け巡ってくると、あとはなにも思考が残らなかった。

急に戦意が失せたように静かになったカリナを訝しくおもったのか、唐突に男は尋ねて来た。

「なあ…あんた、恋人とか、許婚とか、そんなのはいたりするのか?」

「…え?」

「いや、さっき、『王子様が助けに来るのを待つ』とか言ってたぐらいなんだから、そういうのがいるってことだろ?

あんたほどの別嬪が、そういうやつがいたとしても不思議じゃねえとは思うが…」

「…そんなこと聞いてどうするの?もしいなかったらいなかったで、純情で初心な娘が可哀相にって思うだろうし、

いたらいたで、なんだお手付きか、ってことで終わるでしょ?

あなたにそれを聞いてなにかメリットでもあるの?なにもないじゃない。」

「でも、あんたは今は囚われの身だ。逆らって何か益でもあるのか?」

「…」

そのときまでこれといった『監禁者』としての強権を振りかざしてこなかった男が、殆ど初めて自分が上位であるということを盾にとった発言を行った。

それまでなんのかんのいっても自由に発言を繰り返せていたカリナだったが、ようやく自分が監禁されている身という実感がじわじわ湧いたと同時に、緊張感が身をつつむ。

どうせ、カリナを捕捉した人間にはきっと知られているはずだ、と予想がついていたので、観念して口を開いた。

「…恋人とか許婚どころか、結婚してる。あなたは知らないかもしれないけれど、きっとあなたの上の人間は知ってると思う。

だから、どうか、彼にだけは手を出さないで欲しい。私一人の身で、十分でしょ?」

「そういうことがしたくて聞いたわけじゃない。ただ、俺の純粋な興味だ。」

「…そう。」

男の一言にカリナはほっと安堵する。

しかし、色々と発言が変わるこの男に対して、どうにも掴みどころがない、と感じていた。

視覚情報が遮断されて、会話だけが頼みという状況も多分にあるのだろうが。

「で、その男はあんたから見てどんなやつだ?」

これまた予想もしなかった質問だった。カリナは小さくため息をついた。

「それも、私が応えなかったら私の益にはならないっていうんでしょ?応えてどうなるの?」

「時間を持て余してる人間同士、これくらいの軽口は必要なんじゃないのか?」

どうにも、監禁者にしては軽い性質のようだ。普通、こんな状態で人質と話をする犯人はいない。

が、不思議とこの男の軽さというか、強気に口答えするカリナに対してもそうそう声を荒らげることもなく許容してしまうがゆえに、

ツルッと言葉が咽喉から出そうになるのだ。

いささか流されそうになっていることを自覚していたので、カリナは慎重に言葉を選んだ。

「私から見て、彼はいい人。きっと、私が拐かされたのが自分にも責任の一端があると思ってずっと悔やんでるはず。」

「そんな殊勝なやつなのか?」

「そうよ、気にしいな男なのよ。いつもかっこつけたがってるけど、色んなことが気になるらしいの。

私と結婚したことだってずっと気にしてるし、世間的に自分たち夫婦があべこべにみえてるんじゃないかって気にしてるし、

もう何年にもなる付き合いなのに、無駄なんじゃないかって思うほど私を気にしてる。」

「…女々しいやつだな。自分の嫁相手に手こまねいてるってことか?」

「仕方ないもの。彼、長年自分の母親と仲が良いもの。」

「へえ、マザコンか。それじゃあ嫁を相手にしにくいってか。」

たいがいな言われようだ。見も知らぬ男にギルバートのことを馬鹿にされてるような感じがしたので、

カリナは人質であるにもかかわらず、強めに主張した。

「ええ、そうかもしれないわ。でも、そろそろ彼も母親っ子を卒業してくれないと困るわ。

だからって私が彼の母親になるのは勘弁だけれど、でも、私は彼の家族で、妻で、恋人でありたいの。

もっと私に彼の大事なものとして見て欲しいものなのだけれど。」

「欲求不満の奥方ってか。そそるな」

ひひひ、と男は下卑た笑い声が漏れ聞こえる。さげすまれているとまでは行かないけれど、小馬鹿にされている笑みだ。

むっとして、布で覆われて見えない目でもってして睨みつける。

「人のこと馬鹿にしないで。」

「おうおう、勇ましい別嬪さんだ。あんた、はねっかえりとか言われたこと無いか?」

「ないわ。あなた以外にそんなこと言うひと周りにいないもの。」

「相当あんたの旦那はヤキが回ってるらしいな。

羨ましい限りさ、ほほえましい関係性ってやつはなあ…」

しみじみと男が呟く。

人を誘拐するやつなんて冷酷無慈悲で暴力的だと相場は決まっているものだとカリナは思っていたのに、妙に人間臭さが強い。

そのかわり親しみやすく人を油断させておいて、あとで報復に出たりするんだろうか、とも考える。

どちらにせよ、そのまま容易く流されないように気を引き締めていかなければならない気を新たにする。

―――けれど、追々、そんなカリナの決意も虚しく粉々にさせる結末が待っていた。


正気を吹っ飛ばすようなカリナの失踪の一報が入ってから早2日が過ぎようとしていた。

徐々にカリナが拐された状況が鮮明になってくるものの、その足取りは杳として知れない。

ジェイド王子が抱えている隠密部隊も、その落ち度からカリナをみすみす奪われたと言う失点からかなりの力を注いで捜索に当たってくれてはいるが、

なにしろ行方不明になったのが警備が厳重なはずである『王宮』の中でのことである。

厳重であるとされている中で起こされた誘拐劇は、逆にその手厚い警備が盲点となった結果だった。

一警備担当の武官としてギルバートの身にもつまされる問題だったが、すでに起きてしまったことにたいしてただ猛省しているだけではなにも始まらないことはわかっていた。

『だからって、どうすればいいんだ…!』

今すぐにでも駈け出したい気持ちでいっぱいだった。カリナの母親が関わっているのは十中八九明らかだ。

馬を早駆けして、ハイライド所有の別宅で悠々自適に策謀を練り上げているニムレッドに対して首根を締め上げてでも全て吐かせたい気持ちでいっぱいだった。

しかし、証拠がない。

誰がやったか、誰が命じたか、明らかではない。

ただ、ニムレッドが関わっているだろう、という実しやかな情報があるのみ。

証拠が不安定なままに、闇雲に相手に仕掛けに行ったところでむしろこちらの分が悪くなる一方なのはわかりきっていた。

そういうことを至極冷静にジェイドは諭したが、半ば狂乱状態に近かったギルバートには呑み込みがたかった。

よって、このままではギルバートが暴走すると判断したジェイドは、自らの私室にギルバートを閉じ込め、部屋から出さないようアンリエッタに命じた。

そのため、ギルバートはこの2日あまり、情報だけは入ってくるものの自らの足でカリナの残した痕跡を辿ることは適わない状態にある。

おそらく、アンリエッタ一人ならギルバートにはなんでもない。

だが、自分がこんな状態にまで陥ったという自戒と、さんざん今までにも世話になってきたアンリエッタや王子に対してこれ以上迷惑かけてはならないと言う気持ちが混ざり合って実力行使に出られないでいた。

そうやって日がな一日、ぐるぐると何が悪かったのか、何が原因なのか、嫌と言うほど考えることはいっぱいあった。

逆にいえば、考えることしかないという状態は、身体が資質の武人にとっては甚だ無意味なことだ。

ゲスト用とはいえども、国賓級を迎えられるようなサイズの柔らかなベッドに寝っ転がって、満足に動けないままの自分を持て余し続けていた。

動くことなくぼうっとしていたとき、コンコンと部屋のドアがノックされる。

「どうぞ」

ギルバートが気の無い返事をしたあとに入ってきた相手はジェイドだった。

疲れているらしく、頬が2日前に見たときと比べて少し削げている。

その疲労具合を隠そうともせず、鬱陶しそうに長い目の前髪を掻きあげながら、ようやく寝転がっていたギルバートが腰を上げるのを見て苦言を呈した。

「不貞腐れてるのか、ギルバート。そろそろ落ち着いてきたならいいが。」

「ここに拘束してるのは殿下御自身でしょう…

不貞腐れてるんじゃなくて、やることがなさすぎて呆けるしかないんです。」

「そうか…ぼちぼち君をカリナ捜索の前線にやってもいいとは思ってたが、呆けることしかできないんなら使い物にならんな。」

捜索、の二文字で目に見えてギルバートの目に輝きが戻る。今まで不貞腐れていた人間と同一人物とは思えないな、とジェイドは一人ごちた。

「いいんですか、参加しても…!?」

「一人向こう見ずなことをして突っ走らなければいいが…いいのか、また、あんな風に混乱した状態に陥るんだったらとてもじゃないが

何も任せられないぞ。」

あんな状態、とは悔しさのあまり壁を殴りつけ、とうとう手を腫らして血がにじんでも止めなかった一件のことである。

さすがにまずいと思ったゆえに、ギルバートはとじこめられたと言う顛末だった。

「大丈夫です。…今までの無為な時間を早く取り戻させてください。お願いします。」

そういって、ギルバートはベッドから降りて土下座までしてみせた。

この男にしては珍しいなりふり構わない動作だった。

ジェイドははあーとため息をついて

「言っとくが、俺は土下座の一つや二つが心に響かない人間だから、そういうのは無意味だ。

だから顔を挙げろ。」

言われてギルバートはすぐさまに顔を挙げる。ジェイドは、たぶんこいつも土下座一つで何かが減るもんじゃなし、と思ってるんだろうとその表情から読み取って言った。

「しかし、ギルバートがカリナ一人に対してここまでするようなタイプの人間には思えなかったが、月日の成せる技か?」

「…アンリエッタさんが同じ目に遭った時のことを想像していただければ、おそらくおわかりになるでしょう。」

急に矛先を向けられたジェイドは、いつもなら苦い顔をしたはずだったが、この時ばかりは、真面目に頷いた。

「そういわれてみればそうかもな。俺も、かれこれ4年前はこんなんじゃなかったんだ…」

「それで、何か新しい情報でも入りましたか?…この二日の間に。」

「…申し訳ないがこれといった続報はない。カリナが拐されたときの状況がより鮮明になっただけだ。

どこに誰が警備として配置されていたか、カリナが直前まで仕事していた局の人員はどうだったか、カリナの母親であるニムレッドが別荘で何していたか、

ニーゼット公の動きはどうだったか…どれもこれも、疑わしいところは無かった。

ただ、上手いことカリナが連れ去られた廊下は、貴賓専用なこともあって入り口出口の警備は手厚いのに対してその廊下の中自体の警備が手薄だったことぐらいか、わかったことは…」

「そう、ですか。」

一気にしぼんだ雰囲気になる。仕方ないことだったが、2日経って足取りすら掴めないのは苦痛だった。

二人押し黙っていた時、急にそういえば、とジェイドは思い出したように言った。

「そういえば、あと10分くらい経ったらプレストンソン男爵が私に重要な相談とかなんとかで、内密に私室まで来る予定があるんだ。

おそらく、カリナに関することで何かしらの情報を掴んだのだろうとは思うが、聞いてみないことにはわからないな…」

そう、最後には一人呟くように言った直後、ドンドン、と強く拳でドアが叩かれた。

「殿下!プレストンソン男爵がお見えになりました!早くいらしてくださいませ!」

滅多にないアンリエッタの動揺した様子だ。おかしい、と二人で顔を見合す。

急いで二人で部屋を出て、ジェイド専用の私用書斎で、塞ぎこむように座っている尋常な様子でないプレストンソンが目に映った。

この時点で、何があったのか既にわかりきったようなものだった。

ジェイドは、躊躇いがちに、しかしはっきりと男爵に問いかける。

「まさか、ではないだろうが…クラウスまで拐された、か?」

「御明察です、殿下…」

そういってますます深く項垂れる男爵を前に、ギルバートは更なる様相の悪化にしばし茫然とせざるを得なかった。



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