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目の前が真っ暗だ。
比喩ではなく、目が何かで覆われていて全く光すら射してこない。
手を動かしてみようとしても、後ろ手に柱か何かを抱え込むようにして拘束されているし、足も足首ががっちり結わえられているらしく
まったくといっていいほど身動きが取れない。
ついでにもがふがと声も言葉にならない。猿轡をかまされているようだ。
『…どう考えても、逮捕誘拐監禁、って感じね。』
ただ、今までに色々と巻き込まれ人生を送ってきたカリナにとって、まだ冷静さを失うほどの事態ではなかった。
どこにいるかわからないし、身動きが取れないことは確かに怖いが、誰かに無体をされた感じは全くしないし、
暴力を受けたような痛みもない。
安定的なところにいるようだから、そう遠いところには移されずに済んでいるようだ。
多くの人に囲まれているわけでもなさそうだから、今すぐ酷い目に遭うということもなさそうだ。
…ただ、解放させてもらえそうな見込みはまったくもってないところはいただけなかったが。
「目が…覚めたか。」
突然、上の方から男の声が降り注いできた。
相手との位置関係がそれくらいしかわからなかったから、単純にカリナは顔を仰のけて頷いた。
「ぎゃあぎゃあと暴れないということは、今自分の置かされている境遇がわかっているんだろう。
賢明な判断だと言わせてもらう。」
聞き覚えのない声音だ。ただ、張りのある若々しい声質から、どうも若い男だということはわかる。
「今、あんたを監禁している理由は、たぶん自分自身わかってるだろう。
あんたが色々と引っ掻きまわし過ぎたせいで、収拾がつかなくなっている。
だから、一時あんたの身柄を預からせてもらったんだ。」
身柄を預かるにしては、強引すぎる手段よ、とカリナは憎々しく思った。
――事の発端は、いつものように王宮に出仕していたときのことだった。
カリナは高官といえど、受け持った仕事は自分の責任でちゃんとやるのがポリシーだったので、
残業をして月が中天に高く昇る頃まで王宮に居残っていたのだ。
女性の身で残業など危ないのでは、という批判が少なからず聞こえるが、王宮はいたるところに衛兵が配置されているし、
馬車を使っての通勤なので危険が入り込む余地はよっぽど自宅より少ないぐらいだ、
とカリナは思っているほどだ。
だから、その慢心が今回の件に繋がってしまったのだろう、と今更反省するには遅すぎた。
いつものように、帰宅の途につこうと高官しか通らない廊下を幾人もの衛兵と擦れ違っていたところ
急に背後から襲われて腹を一発殴られて気を失ってしまったのだ。
勿論、誰がやったのかはわからない。
しかし、あれだけの厳重な警備体制の中、貴人を狙えるほど中枢に敵対する人間の息がかかった間者が送り込まれていたとは
未だもって信じられない。
それから暫く意識を失っていて、いましがた目を覚ましたらこの有様だったのだ。
本当に吃驚するほどの急展開である。
――そう、つらつらと回想しているところ、いきなり頬に手が伸ばされる。
びくり、と身構えたカリナだったが、存外優しげにその手は動いて、丁寧に目を覆っていた布がはがされ、
噛まされていた猿轡もとられる。
ゆっくりと目を開けると、目の前にいた男は、まったく見た覚えのない人間だった。
「…さすがの別嬪だな。これじゃあ、今までこういう目にはいくらか遭ってきただろう。」
部屋は四方八方が閉ざされている。夜闇ほどではないが、薄く差しこんでくるドアらしき部分からの僅かな光だけが明かりだった。
殆ど暗がりで男の表情が見えないが、おおよそ人を監禁している人間が言うセリフではない。カリナは皮肉げに口をゆがめた。
「あなたに言われたくないわね。…つまんないこと喋ってもいいの?」
「俺はあんたの監視を任されてるだけで、なにもあんたを支配しようとしたり統制しようとしてるわけじゃない。
ただし、あんたがこっちの不利益を誘うような行動を見せた場合は、実力行使もやむなしだがな。」
「そう。じゃああなたにとって損失が発生しない雑談はいいわけね。じゃあ聞くけれど、私が解放される見込みは?」
ストレートな質問に、どうやら男は面食らったようで、笑ったらしい感じがした。
「…またえらく直球な質問だな。別嬪さんよ、さすがにこれは雑談の範疇じゃないだろう?」
「でも、これを聞いても私は明日解放されるなら、ああじゃあ一日大人しくしてればいいんだって思うし、
向こう何十年は解放されないと思ったら、むしろ絶望を被るわ。
期限がわかるメリットがあるだけで、私の行動を左右するような損得はないわよ。
だからあなたにはなんの影響もない。」
「それで、向こう何十年は解放しないって言ったら、あんたは絶望するだけで反抗はしないのか?
どう考えてもあんたの性格なら大人しく泣き寝入るとは思えないんだが。」
「ふざけるな、とは思うけれど、実際私があなたに反抗してどうにかなる見込みは無いもの。
これでも一応深窓の御令嬢生活送ってる人間だし、片足はまともに動かないしで、
あなたのような監視を任される程度に荒事に慣れてる人に刃向うような根性は持ち合わせてないわ。」
「そういう口のきき方ができる時点で十分あんたの根性は御墨付きだと思うんだが…
自称深窓のご令嬢さんとやらよ、つまりあんたはその立場に甘んじてここにいる、ってことか?」
「そうね。それでいつか茨の道を掻き分けて、魔物をぐっさぐっさと倒して
敵陣のど真ん中で捉われの身になってる姫を助けに来る王子様を待つのよ。
それぐらいは期待させてちょうだい。」
「…なかなか言うこと言うな、別嬪さんや。」
呆れ交じりの、けれど、本心からそう思っているらしい声だった。
カリナはいうほどこの男に嫌悪感を感じていない自分に気づいていた。
「カリナが、行方、不明…」
いきなりもたらされた最悪の情報にギルバートは膝からぐたりと力が抜けそうになる。
「ギルバート、まだ、はっきりとしたことはわかってないんだ。
彼女自身の意思による失踪かもしれない。現段階ではまだ何も分かってないんだ。」
「でも殿下、そうは仰いますけれど、正直なところ侯爵閣下はそういう御性分の方じゃありませんでしょう?
確かにあの御方の御兄上は、数年前に失踪を遂げられていらっしゃるようだけれども、
余計そういう前例があるからこそ、そんなことを簡単になさるとは思えませんわ。」
リリーが真剣な顔で念押しした。わかりきってることとはいえ、他人からもやはりそういわれると、ギルバートは心が痛くなった。
「それに状況的には明らかに御自身の意思ではないということがわかってますもの。
2日前の深夜、いつもの通りに残業を終えられた侯爵閣下が御自身の部署を出て行かれたのを
部下の方々がご覧になってる情報は掴めてますもの。
ただ、それ以降の足取りがまったくわかってませんの。
御自宅に戻られてはいらっしゃらないし、そもそも、出仕の足として使っていらっしゃった
御自身所有の馬車にも乗られていないと御者が言ってましたし。
大概閣下はお仕事を終えられたら他に寄り道することなく馬車に乗られて帰宅なさるということだから、
そこに着くまでの間、この王宮内で何らかのこと…まあはっきりいえば、誘拐された模様ですわ。」
「王宮内…じゃあ、出仕してる人間の誰かが姫に害意を持って…!?」
「そうですわね。特に、ニーゼット公あたりとこの夏色々ございましたでしょ?
可能性としては特に高いと私は踏んでますけど…」
「リリー、決めつけは良くない。まだニーゼットの仕業だと決まったわけじゃない。」
「それはそうですけれども、殿下、閣下が置かれている状況を考えたらまず筆頭に上ってくる名前じゃないですか。
今更文句仰っても…」
「ちょっと待って下さい、御二方。さっき仰ってたこととそのニーゼット公とのことは関連があるのですか?」
今まで静観していたアンリエッタが口を挟む。
「さっき、殿下は仰りましたよね?『何らかの問題が起こる』情報を手に入れた、と。
そしてその問題を起こす側の偵察が難しいから今度はその問題を起こされる側のほうの偵察をしていた…つまり、ハイライド大臣のことですよね、それは。
そしてその間に大臣の行方が分からなくなった。
なら、それはその『何らかの問題』を起こす方が関与していると見るのが筋じゃないのですか?
なのにどうして誰がやったのかわからないだのなんだので間誤付いてらっしゃるんです?」
確かにそうだ。疑わしい情報のリークがあったのに、それを信用できないみたいな口ぶりである。
アンリエッタの指摘を受けた王子は少し渋い表情を浮かべながら言った。
「確かにそう考えるのもありといえばありだが…俺にはカリナを誘拐することでその人物が得るメリットがわからないんだ。」
「メリット?どういうことですか?」
「…その何らかの問題を起こす側は、カリナの母親――ニムロッド・クレンシア=ハイライドのことだ。
彼女はカリナが、兄であるクラウスと接触を計っていることを知ってしまったんだ。
彼女はクラウスに固執している。今でも、ずっと昔と変わらない情熱をもって。
だから、彼女は実の娘であるカリナに密偵をつけて出仕中の行動を確認するだけじゃなく、
カリナが書いた手紙の内容、もらった手紙すべてを改めたりするほど。
…彼女は異常だ。自分がやっている行動の意味をわかっていない。さも、そうするのが当たり前だというようにやってるんだ。
実の娘に対してそこまでの行動を冒すなら、確かにカリナを誘拐することも彼女には訳ないとは思う。
しかし、冷静に考えたところで、ハイライドは既に一度継嗣が文字通り失踪する醜聞で傷が既についている。
それをもう一度冒すようなことを、いくら彼女の一存とはいえ周りの人間がやらせるとは思えない。
いくらクラウスに執着する彼女であっても、後生のように大事にする家格とやらを傷つけるようなリスクを敢えておかすことはしないと思うんだが…」
「そん、な…」
予想外の話だった。まさか、そこまでいくほどに、ニムロッドがクラウスに対して執着しているとも思っていなかったし、
そしてカリナに対して冷酷になれるとも思っていなかったからだ。
リリーも深刻な表情で続けた。
「とある御方から、未だに王位に執着なさるニムロッド夫人が
そういった行動をなさっているとのリークをいただいたこともあって、わたしたちは偵察をしてたのですが…
あの方の御傍には容易に近付けません。
私のような品位のない人間は一瞬でそれを嗅ぎ取られてしまいます。それだけあの方は傍に寄せる人間に注意深い。
それをクリアした人間であっても、夫人の抑止力には到底なりえない。
それだけ夫人は意思が固く、力が強い。
だから、せめてもと思って、御令嬢であるハイライド閣下を御守りすべく偵察してたのですが…
まさか、執務をなさってる王宮のほうで事が起こるとは思いませんでした。
私たち偵察や何人もの衛兵がいる中で、忽然と姿を消されるとは…」
「…すべては、後の祭りってやつですね…くそっ!」
苛立ってギルバートは壁を殴った。堅い壁に阻まれた手は、赤くなる。
無駄なことをしていると思っていても、そうせざるをえなかった。
「ギルバート、苛立つ気持ちはわかる。でも、いざとなったときに手が使えない状態で、カリナを助けられるとは思えないぞ。」
王子の冷静な忠告が飛ぶ。正論がぐつぐつ煮える脳内に浸みこむようにして痛みを引き起こす。
「じゃあどうすればいいんですか!?…こうしてる間に姫が、どうなっているか…!」
「そこは地道に探すしかない。色んな可能性を頭に詰め込んで。
だから、冷静になるしかないんだ。今、俺らが怒りを向けるべきは、自分たちの失敗や後悔じゃなく、
カリナを貶めた相手に、だ。」




