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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
記念日は祝うべきか、祝わざるべきか 
46/76

『さすがにこのまま寝るのはまずいわよね…』

大欠伸が次から次へと出てきて、まったく留まる気配を知らないようだ。

夜もとっぷり更けていて、部屋の中の数本の蝋燭の灯りだけが光源だ…とカリナは思いたかったが、

未だに宴会は主役であるカリナを抜きにしても続いているらしく、

窓の向こうから煌々と篝火やらなんやらの明るさが奥まったところにまで届いている。

その様子に思わずため息をついて、カリナは再び今まで読んでいた本に目を落とした。

『…よくもこんな時間までわいわいがやがやできるわね。私は無理。さっさと寝てしまいたいぐらい!』

しかし悲しいかな、几帳面なカリナは何かあったらと思うと、睡魔が脳裏をぐらぐら揺さぶっていても

ベッドに入る気が起こらない。

せめて目を覚ませるようにと、小難しい学術書を手にとって、カウチソファで普段ならだらしないからといってやらない

膝を立てた格好でのっかって、肘かけを背もたれにして座っていた。

ぺらぺらと機械的にページをめくるものの、頭にまったくといっていいほど内容は入ってこない。

全部がすーっとどこかに溶けて消えてしまうようだ。

それもこれも、ひとつのことに捉われているからということは、渋々ながらカリナもわかっていた。

『多分、期待してるのよね、これって。万が一、突発的な何かが起こったりして、ギルバートが来てくれる、って。』

部屋への帰り際、途中で会場を辞すことをプレストンソン男爵に告げにいったとき、

何もそんな話題には触れてもいなかったのに、にっこりと彼は

『もし、このあとにギルバートさんがここにいらっしゃったら、カリナさんがいないことを告げておきますよ』

とお節介を発揮してくれた。

だから、もしもプレストンソン男爵が会場にまだ残っていて、そしてギルバートが運良く彼に見つかっていたら

カリナの不在を知ることができるだろう。

そしてさらに余計なお節介を男爵が発揮してくれていたら、もしかして、もしかしたら…

『ここに、来る、かもしれない。』

ごくり、とカリナはその言葉を飲み込む。

男爵は硬派というほどではないけれど、一見他人とべたついた関係は嫌うような性格に見えがちだが、

あの兄を耽溺する一面を持っているくらいだ、実妹であるカリナのことも血縁ということで

想像以上に可愛がってくれているんだろうという気がしている。

そんな彼が、これまた想像以上のお節介を発揮してくれている可能性も、たぶん、高い。

なら、ば…

そう、とりとめもないことばかり思案していたとき。

ゴトッとテラスと部屋とを閉め切っているガラスが揺れた。

「な、なに…?」

薄いカーテンで閉めているだけのそれに視線を向けると人影が部屋に向かって伸びているのが見える。

誰かが、テラスにいつの間にか降り立っていたのだ。

カリナは正体不明の恐怖に駆られるが、なんとか悲鳴を上げることは堪える。

本当は声をあげて、部屋の少し先で寝ずの番をしている使用人をよぶべきなのだとは、理性ではわかっていた。

でも、ほんのすこしの期待が、もしかしたらという言葉一つで悲鳴を押えてしまうほどに膨らんでいたのだ。

カリナは、おそるおそるソファから降り立って、窓辺へと向かう。

足の不自由さは関係なく、そこまでの距離が酷く細く長く見えた。

「…だれ、なの?今、そこにいるのは、だれなの?」

カーテンとガラスごしに誰何する。

普通ではやってはいけないことを冒してしまっていることの躊躇いを乗り越える。

ただ、焦がれていたものが真実であるかどうかを確かめる、そのためだけに。

「…ひ、姫ですか?…こんな夜分に、しかもこんなところから…ほんとうに、申し訳ない。」

ああ、とその一声を聞いただけでカリナはなにもかもがはじけ飛んだ。

「ギルバート、ギルバートなのね…?」


ギルバートには、一瞬、何が起きたのかぱっとわからなかった。

しかし、確実に今わかるのは、胸に飛び込んできた柔らかいなにかが、

まさしく今までに何度も夢の中では腕に抱いてきたカリナだということだった。

柔らかい感触とともに、ぎゅっと背中を掴む細い手に、目に飛び込んでくるるのは、まばゆいばかりの金色の豊かな髪のうねり。

どれも、確かに夢の中で何度も見た光景だけれど、はっきりとした質感は比べるべくもなかった。

おそるおそる、手を彼女の背に回そうとするが…

「あ、ご、ごめんなさい…一瞬なにがなんだかよくわからなくて。」

慌てた様子でカリナは離れていく。本当に混乱しているらしくて、額に手をついている始末だ。

ギルバート自身もめくるめく事態をいまいち把握しきれずオーバーヒート気味で、

「そ、そうですね。わからないですよね。」

と意味のわからない返事をしてしまったが、混乱しているカリナは特に気をとめた様子はなかった。

そして、そのままギルバートに背を向けて、ソファ近くにあるサイドテーブルの上に置いてある水差しから

グラスに水を注いで一息に飲み干した後、少し緩慢な動作を見せながらも優美な姿勢でソファに座った。

「…それで、どうしてそこから入ってきたの?ふつう、ドアから入るわよね?」

打って変わった少し冷たい声音にぎくりとする。なんだか、さっきの喜びようが嘘のようだ。

急な態度の変化に思考が付いていけないギルバートは、叱られる子供のように顔を打つ向けながら弁明した。

「ここに向かうには、人の目が多すぎて、正攻法ではきっと部屋の中まで通してもらえるわけがないと思って…」

「そもそもどうして私がここにいると知ってたの?誰にもあなたにそれを伝えるように私は言った覚えがないのに。」

「そ、それはですね…会場でプレストンソン男爵が来場していて、偶然出くわしたときにあなたが既に

会場から退かれて御休みになっていると聞き及んで…」

「つまりは、私が休んでいるって言うことを知ってここへ来た、ということで間違いないのね?」

「…そ、そうです。」

これ以上何も弁解することがない、ただありのままのことを喋ったギルバートは正直に答える。

てっきり、ここへ来たことに対する動機やら理由が聞きたかったのだろうと解釈する。

しかし、カリナは思いもかけないところを攻めて来た。

「ねえ、常識としてあなたはなにも思わなかったの?

信頼に足る人物から得た情報で既に休んでいるだろうとわかっている人間のもとに、

いくら使用人に見つかれば難しいことが起きるから仕方がなかったとはいえ、

なんの話も通さず、しかもこんな夜更けにやってくるだなんて、普通あることじゃないわよね?」

ぎくりとする。招かれざる者として認識されていただなんて思ってもみなかったことだ。

しかし、よくよく考えると、これが当たり前の反応なのだということはすとんと胃に落ちて来た。

何しろ、非常識な訪問をされてもいいとカリナが思ってくれている保証なんて、そもそもどこにもないのだから。

「…そうですね、色んなことに捉われすぎて考えが及びませんでした。

俺が、勝手に都合よく動いた結果がこれだっただけで、あなたにはただ迷惑でしかなかった。

ほんとうに、申し訳ありませんでした。今すぐ、ここから去ります。失礼します。」

カリナの指摘は手痛かったが、どう考えてもギルバートの方が分が悪い。

なにしろ、恋に捉われて盲目的に突っ走った哀れな男が、

冷静で分別のある理知的な女をつけまわして喜ばれるわけがないのは、火を見ても明らかだ。

矢継ぎ早に繰り出されたカリナの言葉の刃が、ぐさぐさと心に突き刺さる。

淡い期待が、溶けだして消えてしまいそうだった。

全部が流れ出ないうちに、早くここから出ていかねばと言う思いで、

せっかく使用人にばれないようにと用心して入ってきたテラスには目もくれず、

ドアから出て行こうとカリナのソファの前を通り過ぎた時。

突如伸びて来たカリナの手が、ギルバートの服の裾を掴んだ。

「…だれも、出て行けなんて行ってないわ。早とちりしないで。」

「え…?」

「だから…!出てか無くていいって言ってるの!早く私の隣に座って!じゃなきゃ落ち着くことも落ち着かないわ…」

早口で怒り気味にまくしたてられたが、ようはとりあえずは大目にみると言った具合だった。

心底ほっとしてギルバートは、カリナの隣に腰を下ろす。

若干距離は空けたままだが、カリナの気分を害するよりはましだ。そう言い聞かせた。

それから大人しく座ったままだったが、間を開けた二人の沈黙は長く、耐えきれなかったギルバートはついに口火を切った。

「…すみません、勝手なことをして…」

「…わかったならそれでいいのよ。いいたかったのは、それだけ、だし。」

二人とも会話がぎこちないが、これからどうすればいいのか、不器用な二人には見当もつかなかった。

それでも、ギルバートは手探りで糸口を見つけようと会話を続けるため、適当な話題につなげた。

「それで、宴会のほうはどうだったんですか?…やっぱり、苦手、なんですね?」

「…そうよ。つまんないわ。使用人たちが開いてほしいっていうから、開いたの。本当は嫌だったんだけれど、

年嵩の執事に言われたのよね、『自分の誕生日を盛大に知らしめることも高貴なる者の務め』だとかって。

正直、誕生日で貴賎を拘る必要性は感じないし、そもそも、この宴って結局同類のいわゆる高貴なる者だけを

招待してやるわけだから、完全に内輪の閉じきった世界じゃない。

気に食わなかったけれど、普段こういうことを滅多にやらないから、

さすがにうちの母からもクレームが来てるらしくてね、

使用人たちを母のクレーム処理に付き合わせるのは可哀そうだから渋々応じたのよ…」

「そうだったんですか…」

未だ持ってカリナの母の権勢は衰えていないらしい。相当にカリナ自身も憎々しげに語っている。

ギルバートもその仕方のなさは、今までに骨身に知らされて来たことだったから、十分に理解できた。

カリナは大きくため息をついた。

「でもいいわよね、これくらいで。お母様の機嫌取りには十分なったと思うから、私逃げてきたの。

あとはすっきり嫌なことを忘れて寝ようと思ってたところに…あなたが、やってきた。」

急に矛先がギルバートに向かう。

懸命に目を逸らして視線をやらないように堪えるギルバートに向かってカリナは言葉を継いだ。

「誰も、知らない人が招待されたところで、愛想だけ振りまくのって、相当に疲れるってわかったわ。

その昔、兄が、疲れた顔も見せずにやっていたのが素直にすごいと思えるわ。

でもね、やっぱり知ってる人が来てくれたら、愛想じゃない、ほんとの顔ができるってこともわかったのよ。

始めの方にね、アンさんがいらしたのよ。余計なお荷物付きだったけれど。

来てくれる見込みは持ってなかったんだけれど、なんとか時間を見つくろってきてくれたのよ。

あんなに素晴らしい人が、私の誕生日を祝うためだけに来てくれるだなんて、喜びを通り越して感激したわ。

その次には、プレストンソン男爵が。

彼の前だと、私、色々と話せるのね。兄が心を許せる人だっておもうと、ペラペラ言ってる自分がいるの。

そして、すっきりするのね。彼には本当に迷惑かもしれないけれど、私はありがたい。

それで、最後に…あなたがきた。

苦痛なことも多かったけれど、アンさんと男爵が来てくださって、それなりによかったと思えるところに、よ。

もうすぐ寝ようとしているような時間に、非常識な訪問の形で。」

「それは、もう、本当に申し訳なかったとしか…」

「そうじゃない…ほんとは、よかった。絶対に、来てくれないと思ってたから。」

「え…?」

思わず顔を挙げると、まっすぐに、それこそ射抜くようにギルバートを見つめるカリナの視線とかちあった。

「…そんなつもりはなかったけれど、きっと、多分、男爵が言ったように、私はあなたを待ってたんだと思う。

眠いならベッドで寝ればよかったけれど、私は起きてた。

もしかしたら、不審者で、私を襲いに来た人間かもしれないけれど、不用心にテラスに現れた人影に近付いていった。」

「どういうことですか…?」

「あなたを、待ってた。ずっと。…ここで、ずっと、自分を持て余してた…」

消え入るような言葉尻のまま、カリナは口を閉ざした。

澱のような沈黙に満ちるかと思われたそのとき、ギルバートの両手がカリナの頬を包み込んだ。まったくの意識しての行動ではなかった。

突然伸びてきた腕に驚いたカリナが、どんな水底よりも深い色合いをした紺碧の瞳をまん丸くさせているのに気付きながらも

まるで強引にねじ伏せる様に顔を近づける。

「あ……」惑ったカリナの反応にほんの一瞬の躊躇いを見せたあと、すん、と鼻と鼻を突き合わせてから

彼女の柔らかい艶やかな唇にギルバートは自らのそれを優しく合わせた。

丹念に吸い上げるとともに、片方の手を彼女の腰に、もういっぽうを後頭部にまわして、あわいを深くする。

更に深くなる接触の気配に一瞬怯えた彼女のすきを狙って、ギルバートは歯列を超えて舌を差し入れた。

「ん…っ…」

鼻から抜けるような音がしてきた頃、ようやくギルバートはカリナから顔を離した。

はぁはぁと息乱れたままのカリナを腕に拘束していたが、彼女は未だ一応逃げる気配はない。

今がチャンスと思ったギルバートは、ゆっくりと、真摯に目を見つめながら告げた。

「…これが、俺の気持ちです。…最初の、結婚の時の約束を、あなたの俺への信頼を、崩しているかもしれません。

謝っても、どうにもならないことだという自覚は、あります。でも、後悔は、してない。」

力強く言い切ると、カリナは濡れた瞳で怯んだように眉根を寄せた。

目まぐるしい展開についていけないのだろう。それは、当のギルバートも同じだった。

「今日はほんとうに、申し訳ありませんでした。…これで失礼します。…おやすみなさい。」

立ち上がり、そのままドアには向かわずテラスから脱出した。

ずっと脱力していたカリナが、ようやくソファからギルバートを探して立ち上がった時には、

人の気配はすでにそこからはなくなっていた。


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