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うかうかしている間に、カリナの誕生日当日を迎えていた。
ギルバートは行儀悪いと思いながらも、苛々と小刻みに貧乏ゆすりをしつつ
薄暗闇に支配されゆく自室で、カリナから送られて来た招待状とにらめっこしていた。
「どう考えても無理だよな…くそっ…」
つい1週間ほど前に届いたそれは、簡素な封筒にカリナの直筆のサイン入の便せん。
是非来て下さい、という直截すぎて素っ気ない文面ではあるものの、
カリナの人となりを知るギルバートにとっては、手紙を出してくれたと言う事実ひとつすらもいとおしく感じられる。
だから、行きたいのは山々だったのだ。
だったのだが…
「どうして今日に限って夜勤が入るんだよ!」
ぶつくさと独り言をするのは、独り身も極まったものだ、と世間では言うらしいがギルバートはそれでもせずにはおれなかった。
結婚をしてあと1ヶ月ほどで丸5年を迎えるものの、お互いの仕事や、政略結婚という間柄に憚れて
一度も互いの誕生日を祝ったことがなかったのだ。
それが、どうにかギルバートの異動と、思いがけず縮まった二人の距離でようやく宿願果たされるところまできたというのに
この仕打ち。
「ああ…どうすればいいどうすれば…母さんか誰かに人伝に渡すか…いや、それをしたら申し訳なさすぎる…
だからといって勤務の途中に抜け出したのが万が一バレたら、上どころか他の隊員にも何を言われるかわからない…
ああ!やっぱり人伝か、配達を頼むしかないのか…!」
部屋の中をぐるぐるぐるぐる回りながら、とり止めようのない思考もまたぐるぐると回し続ける。
一番いいのは自分自身で会いに行くことだ。
しかし、生憎と夜勤は夜の8時頃から朝の4時までの8時間。警邏として宮城の巡回を仰せつかっている。
恐らく滅多なことではないと思われるが、王族が住まう場所での警備だ、手薄は許されない。
それに、ギルバートは本部に異動になってから一個小隊を任される立場になった。
現場責任者としての責務は非常に重い。お陰で、ますます抜け駆けできない位置だ。
「…ファンクラブの人間にバレたら俺はどうなるのか…体育館裏呼び出しか…?
あ、ありえる…やつらならやりかねん…!五体満足で生き帰れるんだろうか…!?」
ぶつくさと、誰も聞いているわけないと言う気もあってとりとめもないことばかりを呟く。
そうでもしないとやってられなかったのだ。
だが、誰も聞いているわけがないと言う予断は、間違っていた。
「おーい、ギルバートー。何独り言でぶつくさぶつくさ言ってんだおまえー。」
「へっ…はっ!?ドルフ!?」
突然、ドアから男の声が聞こえて来たと思ったら次の瞬間にバーン!と威勢よく開け放たれた。
「お前さっきから独り言やってるけど、聞こえてないと思ったら大間違いだぜ?
うちの寮の築年数と安普請っぷりは、王宮内外にも知れ渡るほど有名だっつのによ。」
突如として現れたのは、ギルバートの隣部屋で未だに独身寮暮らしを満喫しているルドルフだった。
貴族出身でないにもかかわらず、奥の宮の警護も業務に含まれる軍の花形部隊・近衛隊に配属されている男で、
その目鼻立ちや容姿はずば抜けていい。
しかし、一応は軍人なのに、いつもそこここで女をひっかけては夜歩きしたり、今も容姿端麗が代名詞の近衛のくせにだらしなく胸元を開けて軍服を着崩している。
業務中はさすがにこんな怠慢なことはやっていないとギルバートは信じているが、実際のところはよくは知らない。
近衛隊と警備隊の仲は、それはもうとんでもなく悪いからである。
基本的に近衛の人間は貴族出身だったり、商家の出身だったりで、お金持ちのボンボンが多い。
王族や貴族たちと相まみえることがあるので、実のところ、武力よりも礼儀礼節、そして容姿端麗が求められる。
そして、うってかわって警備隊の人間は、近衛隊と対照的な実働部隊だ。
本部詰めともなれば生え抜きの精鋭が揃っている。
中には貴族出身で厳しい入隊試験をクリアせずに幹部で収まっている人間もいるにはいるが、ほとんどが力自慢の猛者ばかりである。
そういうわけで、見目はあまり麗しくない。
なにもかも対照的なふたつが、どうして反目せずにいられるだろうか。
だから、いくら寮で仲が好かろうとも業務中に近衛の人間と警備隊の人間は近付くことはないのだ。
しかし、ギルバートが入寮してからずっと一緒だったドルフはその垣根もないにひとしい。
独り寝が寂しいと言ってドルフが酒を持ってギルバートの部屋に突撃するのはしょっちゅうだし、
逆にギルバートがドルフに溜めこんだ愚痴をこぼすこともしばしばだ。
そういうわけだから、何の前触れもなくドルフがやってくることは珍しいことではなかった。
「ああ…わかってるけど、ここのフロアはお前と俺しかいないじゃないか。
漏れて聞こえても、第一何の話かわからないだろうし。」
「んでも俺にはしかとわかったぞ。このあいだ言ってた女の話だろ?
それってもしや手紙か?ははーん…振られたんだろ?」
「ちっ、違う!滅多なこと言うなよ!」
急に痛いところをゴリッと削ってきたのでギルバートは慌てふためく。その様子に満足したのか目を細めてドルフは続けた。
「しっかし、変われば変わるもんだなお前も…一人の女にそんなに入れ込むなんてな。
前なんか、二股かけてるときに一方の女がやたら付きまとってきて困るっつって、
それはもう心も凍るような別れ言葉を浴びせかけたお前がなあ…」
「あれは若気の至りで…!」
「それが女の手紙ひとつでぐるぐる悩むとはなあ。その姿を今までの女たちに見られたら刺されるぞ?
本気で夜道は気をつけろよ。」
「わ、わかったよ」
余計な御忠告まで進言される。しかし、色々と身に覚えありすぎるギルバートには心痛くてたまらなかった。
そんなギルバートの様子を見透かすようにルドルフは告げた。
「なんにしても、今の女がそんなに大事なら決して手放そうと思うんじゃないことだな。
男女の仲なんて、俺はわりと軟なもんだと思ってるんだが…今のお前を見てると、
そうもなりふり構わずにいられるものなのかってな。」
「彼女は…本当に、引く手数多なんだ。俺がそうそう片手間に繋ぎとめられる相手じゃない…」
「んでも手紙のやりとりしてるってことはそれなりに相手に認められてるってことじゃねえの?」
「これは単なる形式的な誘いだよ。彼女が近々家に招いてくれるらしいんだ。」
本当は今日のことだが、王宮の事情に通じる近衛のルドルフにありのままに話してしまえば、
もれなく彼女=カリナだとばれてしまいかねない。
あと、どんなに形式的な質素な手紙だろうと、カリナが特定の男に直筆で招待状を書くのはおそらく滅多にない事態である。
その意味はギルバートには重々わかっていたが、これも心の中で自分だけが知っていればいいこととして黙っておいた。
なんとかポーカーフェイスを装い、様々なことを隠しだてするギルバートのことを知ってか知らずか、
ルドルフは
「そっか。まあ一歩前進するよう祈っておくぜ。ただ、もし彼女がお前の過去の悪行を知りたいつったら
是非とも俺の前に連れてくるよう言ってくれよな。」
「誰が言うか!!」
とおちょくってきたのでギルバートはすかさずつっこみを入れた。
「んじゃまあ俺はこれからひと眠りして明日の早朝勤務に控えるとするわ。お前このあと仕事?」
「ああ。夜勤なんだ。寝ずの番だよ。」
「ほー、そうか。今日は王宮も静かだろうに、暇だろうな。」
「どういうことだ?」
戸口に背を凭れるルドルフがのっそりと身体を向き直す。
そしてにぃっと口角をあげておもしろげな表情を浮かべた。
「あれだよあれ、ハイライド侯爵が自邸で盛大に誕生日パーティーやるんだとさ。
あの堅物で有名な大臣が大々的にやるなんて多分初めてなんじゃねえか?
お陰で貴族どもがこぞって襲来してるらしいぜ、彼女の家に。」
「な、なに…!?」
「うちの部隊の野郎もな、ファンクラブつうんだっけ?あれに参加してるやつがこぞって休暇申請しやがってな…
おかげでローテーション組むのがしんどいわしんどいわ。」
「嘘だろ…」
「ってなに?お前意中の人間いるのに、まさかハイライド侯爵に懸想か?本気で?」
「え?は?あ?」
思わず変な返事をしてしまったギルバートに不審の目が向けられる。明らかに疑いにかかってる。
なんとか誤解を解くために必死に言い訳を考える。
「あ、あはは、俺んとこも、同じだっていう意味だよ。部下で熱心な信奉者がいて、そいつらも同じ、休暇申請してるから
だから俺がこうやって駆り出されてるわけで…」
「ふぅ~ん、そうか。そうかそうか…」
明らかに納得していない表情だがルドルフが戸口から身を引き離して顔だけドアから出して言った。
「まあ、そういうことにしておいてやるよ、ギルバート。仕事がんばってこいよ。
で、夜勤のあとは、彼女の家か?」
「な…!」
「んじゃおやすみ。」
反論をねじ伏せるようにバタンとドアが閉まる。
あとにのこったのは、思わず椅子から立ち上がって呆然としつくしたギルバートと、もしかしたらと心の底に凝るルドルフへの『ばれたかもしれない』とい思いだった。
まばゆい光が溢れ零れ落ちんばかりに降り注ぐ。
日が落ちて暮れ時になりかけているにもかかわらず、その邸は活況の只中にあった。
とはいえ、この邸にとってひじょーーーに珍しい事態といっても過言でなかったが。
そんな非日常の只中にある邸の一室、木製のなんの装飾もない椅子と机がちょこんと置かれているだけのこじんまりとした控室とも言うべきところで、
着飾った客たちを密かに見渡すことができる、小さな嵌めこみ窓を眺めながら、世にも美しい金髪の美女と、その使用人と言った風な女が互いにぶつくさ言い合っていた。
「なんなのこの人ゴミ…やってらんないわよ、もう。」
「御屋形様…そのような御言葉は皆さまの前では重々つつしまれますようおねがいもうしあ…」
「わかってるわよ、まったくもう。嫌になるわ。」
はぁっとこれみよがしなため息をつくのはこの屋敷の主であるカリナ=フェイト・ハイライドである。
それを横から彼女付きの貫録たっぷりの女使用人が諌めた。
カリナは父亡き後、失踪した兄に代わってハイライドの当主について以来、女だてらに御屋形様と呼ばれている。
しかし、この御屋形様は非常に華美を嫌う貴族としても珍しい部類の人間だった。
この屋敷がある界隈は高級住宅街の中でも、特にトップクラス、例えば5公爵家の持ち家辺りが連なるあたりで、ハイライドの屋敷も他に比較ならないほどに堅牢で荘厳だ。
だが、先代侯爵が亡くなってから久しく宴が開かれることはなくなっていたため、いつも静まり返っていた。
使用人たちは皆、若いのに自ら人と出会う機会を閉ざしているような真似をする御屋形様を常々心配していた。
カリナを信奉する人間は数えきれない。毎日、カリナあてに何かしらの贈り物があるくらいなのだ。
とはいえ、カリナが恋人を作りたがらない理由を使用人たちは心ひそかに察していた。
対外的には知られてはいないが、カリナは過去にジェイド王子との婚約の内定を解消すると言う憂き目にあっている。
そのことがカリナを憶病にさせているのだと使用人たちは信じてやまない。
実は既にカリナがある男と既に婚姻状態にあるというのを知っているのは、この邸にはほとんどいない。
ハイライド領のフォンディーヌ城から連れて来た古参の使用人が若干名知っている程度である。
だから、カリナの使用人たちはこの宴が開かれたことを、誰もが心嬉しく感じていた。
「御屋形様、今日はまたとない機会ですよ!どうか、なるべくしおらしくつつましくいらしてください。
ほら、殿方が皆見ていらっしゃいますよ。」
「って、私はいつもしおらしくてつつましいわよ!」
相変わらず捻くれた返答である。
しかし今日のカリナは腕によりをかけた使用人たちの汗と努力の結晶のたまものである、化粧にドレスに身を包んでいた。
いつもは質素を信条に掲げているため、ほぼどんな場合でも落ち着いた色味で首元までひっつめたドレスを着ているのだが、
今日ばかりは自身がホスト役のため、薔薇色で、肩が出るぐらいに露出が多めのものに身を包んでいた。
とはいえ、縫いとめられた造花やレースが出来る限り派手にならないよう努めて作られていたため
おおよそ招待客の方がカリナより派手だったりするのはいつものことだ。
「御屋形様はお美しゅうていらっしゃいますから…どんなにみすぼらしい服を着ていらっしゃったり、
ひとつも宝石をつけなくても、十分にお映えになりますもの。」
豊かにうねる純金の髪と、深海から引き揚げた宝石をそのまま嵌めこんだような瞳は、
この世に又とない宝物だと詩人に言わしめるカリナである。
しかし、生身を無機物に喩えないでくれと真顔で返すほど、自身の要望に関してカリナには興味がなかった。
「それはそれは麗句をありがとう。で、そろそろ時間かしら。」
「そうですね。…御屋形様、重々申し上げておりますが、決してお客様の前で粗相はなさりませぬよう…」
「わかってるわかってるって。なんでもうそんなに言うかな…」
思わず耳をふさぎたくなるが、カリナが滅多にこういう場に出ないために、使用人たちの緊迫感はわかる。
彼女たちにとってカリナの信用が自らの立場にも関わるのだ。
いくらいっても心配を取り除くのは無理だろうから、と思い直してカリナはそのままさっさとドアに向かった。
『今日は色んな人がくる…さて、どうなるかしら。』
これから起こることは、まだ、カリナは勿論、他の誰にもわかっていなかった。




