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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
とある夫婦の5年にも渡る喧嘩の元凶
4/76

―――カリナが窮地に陥いる直前、ギルバートはあてどなくふらふらと歩いていた。

『誰かいないもんかな・・・さすがに日がこんなにあがってちゃ商売成りたたないか』

相変わらず街角に人の影一つ見当たらない娼館街。

恐らく、昨夜の客を見送った後の、ようやくやってきた就寝の時間なのだろう。

月が沈み太陽があがる頃に、健全に過ごす人々とは逆に寝入る。

そうやって娼婦らは一日のサイクルを普通の人とは逆に過ごしているのだ。

ギルバートは夜を待ってみるかと悠長な事を考えていると、

かなり前方のほうだったが茶色い大きな物体が道を闊歩しているのが見えた。

「あれは・・・なんだ?」

目を凝らしてみるとどうやら大きな物体は―――馬、のようだった。

馬の太陽の光を反射してキラキラと照り映えている栗毛は上質そのもの。

足や腹の筋肉の付き方も、迅速に動け走り抜ける実戦を意識したもので、

それはかなりよく調教されているように見えた。

『あれは相当な駿馬だろう。陸軍でもあのクラスの騎馬はそうそうお目にかかれない』

しかしこんな繁華街のど真ん中に栗毛の駿馬が歩いている?

散歩しているのか、まさか馬が勝手に?

いくらなんでもよく調教されてようが、あるわけないだろう・・・

ギルバートは様々な疑問符を脳裏に浮かべる。それは泡の様にはじけてはまた浮かび上がった。

意識を栗毛の駿馬に飛ばしすぎていた為か、その後、ようやく馬の横に小さな人影が見えた。

控えめにとぼとぼと歩いている人影は・・・どうやら遠目から見た限り、少女のようだった。

ギルバートは驚いた。

『あの少女が馬を飼っているのか?まさか!』

遠い所から徐々に焦点をあわせてくるように近付いてくる少女の容貌は

まさに夢物語で語られるような『お姫様』そのものだった。

頭の高い位置に結われていて、ゆらゆらと揺れるしっぽのような髪は

なんの混じり気のない純粋な金髪で、白磁のように白い肌に朝日の下映えて、眩しいほどだ。

きっと、もっと近付いて見ればその精緻な人形のような美しさは白日の下にさらされるだろう。

そんな少女がこの国でも最高品質の馬を所有し飼い慣らしいて、

もしかすると自らの手で調教すらしているかもしれない。

ギルバートは当初の目的を忘れて

『陸軍でもお目にかかれない駿馬を飼う御嬢様』

という好奇心のためにもっと近付きたい欲求に駆られた。

しかし、少女はギルバートのもとに向かってくる前に、立ち止まった。

―――大きな男の影が、馬を剣で斬った事によって。


「御嬢様、そちらで何をなさっておいでで・・・?

・・・おや、随分と人相の悪い方たちがいらっしゃるではないですか!

こんなものたちを見ていたら御嬢様の目はたちまちに腐ってしまいましょう、

早くお行きください。この場はわたしにお任せを。」

ギルバートは自分の口からスラスラと敬語が出てくることに驚いていた。

普段、荒っぽい男達ばかりに囲まれている為、

だいたいは、か弱い温室育ちの貴族の女性には聞かせられないような言葉遣いをしている。

けれど、なんとなくこの御嬢様に対してそれは出てこなかった。

今までに無い事である上に、あまりに不気味な事だった。

「・・・お前誰だぁ?この女の従者、とかいうんじゃねえだろうなあ、

たかだかこんな田舎のノースブルの娼婦がそんなもん雇うはずねーもんなあ。」

剣が顎のすぐ下の皮一枚を隔てた所まで差し込まれているカリナに視線を戻して、

ゴロツキ達は下品な低い声で嘲け笑う。

カリナはそれすらも屈辱的に感じてグッと唇を噛み締めた。瞬間血の味が舌の上に広がった。

ギルバートはそんなカリナの様子を無表情にちらと眺めて再びゴロツキ達に向き直った。

「まったく、お前たちの目は節穴か?

おまえたちはどうせ刑務所とシャバをいったりきたりしてるごろつきなんだろ?

そんなやつが女を見分けられないとは、なんと、情けないことだな。

この御嬢様がどうして娼婦に見える?

何故娼婦が栗毛の駿馬を飼い慣らす?

どうして、この燦燦と照り注ぐ朝陽の下を歩く少女が、夜を蠢く女に見える?」

ギルバートは一気に問い詰めるようにしてまくし立てた。

鋭く、どんなものをも威圧するようなゾッとする恐れすら感じる声だった。

カリナも、直接自分に向けられているわけではないのに恐れを感じた。

ゴロツキたちはぽっと出の男に純然たる事実を突きつけられて暫し返答に窮す。

しかし、それに焦れたのか突然カリナに向けていた剣をギルバートに向き直した。

「お前・・・俺らをバカにしてんのかぁ!?えぇ!?」

「ああ、勿論そのつもりだ。」

「ふざけんなっ・・・!ゲイジー、やれ!!」

ゲイジーと呼ばれた一言も言葉を発していなかったもう一人の男が、

命令に反応して腰にはいていた剣を勢いよく引き抜く。

と、同時にギルバートに最初に剣を向けていた男もまた剣を横に一閃した。

二人がかりで、しかもギルバートよりも圧倒的に体格が大きい。

剣も長くて相当な重量があって、刀に今までお目にかかったことがないぐらい厚みがある。

変わって、突然カリナの前に現れたギルバートの刀はサーベルのように細身で、

簡単にたわんで折れそうですらある。

カリナには勝機がないように思えていた。

「あぶないっ・・・!!!」

カリナは立ち上がれないままにそれを見ていて悲鳴のような声をあげた。

剣が打ち合わさった音が聞こえた瞬間、ギルバートが男達に切られてしまった錯覚に陥った。

しかし、カリナがもう一度目線をくれた時、

ドスンという何か大きいものが倒れる音とガチャンという石畳に剣の落ちる音、

そして低くうめく大男の声が地面から発せられた。

「・・・え・・・?」

カリナは目を点にした。目の前でギルバートに剣を向き直した男が

剣を持っていたほうの手の腱と腹を押さえながら倒れ臥していた。

男はどうやら、相当深かったのか立ち上がる気力すら浮かばないらしい。

というより、痛みには存外弱かったのかもしれないが。

しかしそんなことよりもカリナだけでなく、先ほどゲイジーと呼ばれたもう一人の男も

一瞬でカタを付けられてしまった事に驚いたのは同じだったようで、

見えない剣戟の凄まじさに声も無く放心していた。

ギルバートは僅かに細身のサーベルを優美な動作で持ち直して、

付着していた血脂を地面に倒れ付した男の薄汚れたコートで軽くふき取った。

そして鞘に入れ直してすぐ、突っ立ったまま放心しているゲイジーに低く厳しい声音で告げた。

「早く此処から去れ。でないと、もっと痛い目を見ると思え。」

「ぐぅぅぅぅ・・・・!!」

ゲイジーはうめくような声をあげて、すぐさま地面に転がっている相方の男を拾い上げて

一目散にどこかへと消え去っていった。

カリナはそんな一連の出来事が目の前で繰り広げられていたにも拘らず、ずっと放心していた。

『まさか、見ず知らずの男が偶然にも自分を助けてくれてしかも一瞬で倒す、だなんて。』

カリナは遥か高みにいるギルバートを見上げていった。

「あなたは、誰・・・?」

つい、思ってもいなかった事をいってしまっていた。

問われた張本人であるギルバートはゴロツキどもが去っていた方向を見つめていたが、

すぐさま地面で腰を抜かしているカリナに視線を戻して手を差し伸べながら

先ほどのゴロツキに対する口調とは打って変わって微笑みすら浮かべて答えた。

「誰、と聞かれても、あなたに答えられる名は持ち合わせていません。」

カリナは予想していなかった答えに戸惑いながらも

巷だったら

『なんて今時聞かないようなクサイ台詞を言う男なんだろう』

と思われること請け合いである怪しいギルバートに素直に礼を言った。

「・・・あ、あの・・・ありがとう。あなたのお陰で九死に一生を得たわ。」

「礼を言われるほどの事はしていません。それより・・・あなたのその栗毛の馬、

酷い怪我を負わされていますね。」

「・・・ええ、そうなの・・・」

カリナはあらためて愛馬のメルシーをみる。

足が痛いのかピクピクと動いてる腹と痛みをこらえるように目をキュッと瞑っている。

カリナはその痛ましさに心を痛めながら、悔しさを交えて言った。

「この子は私の大事な馬よ・・・

とても賢くて、いい子なの。草原を風のように速く走って、それでいて

・・・人間思いの、優しい馬なの・・・

メルシーがいないと私、これからどうすればいいのか・・・」

「大丈夫です。このくらいの傷ならすこし完治までには時間が掛かるかもしれませんが

必ず、治ります。」

「え?」

カリナが疑問を浮かべた時、ギルバートは馬の傷口の具合を

ベロリと剥けた皮をめくりながら眺めている。

あんまりにも大胆な行動でカリナは面食らう。

「少々深いですが・・・腱は傷ついていない。筋肉まで達していますが

この馬はまだまだ若い。治癒力の高い1歳前後でしょう?なら大丈夫だ。」

そういいながら、いきなり背負っていた袋からシーツのような布を取り出して

びりびりと勢い良く裂き始め、それを傷の患部に巻いてきつく締めている。

ギュッと締め付けられるたびにメルシーは呻いた。

みるみるうちに布が血にまみれていくがお構いないようだ。

「な、何をしているの!?」

「出血が多いようだから止血をしています。

早めに獣医を呼んで縫合をしてもらう必要がいりますね。

あ、そうそう、そこに、知り合いの女性が住んでいるのですがきっと顔の広い彼女なら

俺はこれから用があるからついていてはあげられないけれど

獣医の一人や二人、何とかしてくれるでしょう。

カリナはギルバートの親切心に心がじんとした。

見ず知らずなのに助けてもらった上に、馬の応急手当までしてもらった。

さきほどメディフィス夫人に聞かされた知らぬ間に

四方八方を外堀で埋められていた縁談のせいで誰も彼も信じられなくなっていたカリナには、

突然差し出された優しくて知識のあるそして力強い男の善意に深く心打たれていた。

―――そのせいで、事実に気付くのに大幅に遅れてしまったとは気付かずに―――

「何から何まで・・・ありがとう。あなたはわたしの命の恩人よ。

本当に、どうお礼すればいいか・・・」

「どうって・・・ここのままでまったくもって結構です。」

「え?」

予想外なことが立て続けに起こっていたからか、男の台詞の不可解さにさしたる返事もできず

随分と高いところにあったはずの精悍な男の顔が、

突然地べたに座り込んでいるカリナの目の前に現れたことにも咄嗟に対応しきれなかった。

―――カリナの腰に手が回り、無理矢理立ち上がらされていた。

ギルバートの、砂糖をたっぷり含んだチョコレートのように柔らかい色味の茶の髪と瞳が、

逆光によって目の前で真っ黒に染め上がっていた。

まるで、そこに存在しているだけで悪魔のようにすら見えるメディフィス夫人のような

混じり気一つ無い、深淵の黒が広がっていた。

・・・そんな、本当はもっと別のことを考えるべきはずだった次の瞬間には、

少しかさついた男の唇がカリナの唇を掠めていった。

ほんの一瞬の、予期せぬ出来事だった。

「・・・・・・」

「それでは」

ギルバートはそういい残して颯爽と去っていた。まるで何事も無かったかのようである。

カリナは思っても見なかった出来事に一瞬思考がフリーズしていた。

その間にギルバートは文字通り消え去っていた。

暫くして事態をじっくりゆっくり飲み込んだあと、みるみるうちに怒りがわきおこってきた。

そういえばここは、娼館街だ。ここに来る男達の目的は勿論・・・

「あの男、結局私の体目当てに近付いてきたさっきの下賤な男どもと

まったくもって、同じだったって事?!」

メルシーがひひんと『もしかして僕の事忘れちゃってる!?』とでも言いたげにいなないた。

いけないいけないとこんなこと考えてる場合じゃないと思いなおして、

カリナは獣医を求めて一番頼りになるメディフィス夫人の家に舞い戻った。

―――その、命の恩人である男に頼りにすればいいと示された女性の家が

実は、メディフィス夫人その人の屋敷だったということを

すっかり烈火の如き怒りによって忘れ去っていたカリナには

先ほどの男の正体が実は政略結婚の相手だという考えには

全く思い至ることすらなかった・・・


『あの子、初心、っぽかったよな』

心の中でギルバートは一人ごちる。

いいカモを目の前にしたゴロツキとあまりその思考の方向性は変わらない感想である。

そんなギルバートは娼婦街は夜を迎えない事には始まらない場所だと思いなおして

そのまま、大人しく宿屋に戻ってもう一眠りしようと考えていた。

しかし、眠りは未だ訪れず、ゴロゴロとベッドの上に寝そべっていた。

考える事はただ一つ。先ほどのことだけだった。

『しかし、俺の奥様になる貴族のお嬢さまってのは一体どんなのだろうか・・・?』

貴族の御嬢様が、ふっと脳裏に浮かび上がった。

そこに先ほど助けた馬を愛する少女が、不意に重なった。

大粒の宝石がたくさんちりばめられた精緻な人形の如く比類なく美しいのに、

馬で野を翔ることが好きで大の男に歯向かうっていけるほど気が強い。

そして、世間の御嬢様像からどこかズレている。

けれど、それは悪鬼巣窟の貴婦人連中と比べると明らかに微笑ましいものだった。

―――ギルバート本人はその時点では全く自覚は無かったのだが、

『未来の奥様』が誰なのか、心のどこかでは気付ていたのかもしれなかった・・・


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