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政略結婚のススメ  作者: プラスティック
愛ある修羅場
38/76

誰もかれもが浮かれて歓楽街に向かってしまったせいか、住宅である長屋の密集地には人気が殆どない。

歓楽街に行かない者は、もうすでに眠りについてしまっているのだろう。時刻はもう夜半を遠く過ぎている。

そこから更に、奥まったところに繋がる裏路地には、人の棲む気配すら疑わしいほどの静けさだ。

そんなところにカリナは一人降り立っていた。十分不審である。

しかし、眼前にはもう一人、カリナと同じような不審な行動をとる人間がいた。

『あれは・・・プレストンソン男爵?』

街灯もなく、長屋からは光も零れないこの裏路地の薄暗闇は、人を紛らわせる。

けれど、プレストンソン男爵はなぜかはっきりとカリナにはわかった。

闇に紛れる薄暗い色合いのコートを羽織り、いかにも身を市井の人間にやつしています、と言わんばかりだが、

そこから立ち上る清潔すぎる匂いはカリナですら見て取れるほど明らかだ。

加えて、ギルバートよりも身長が高い男性など、ほとんど見かけたことが無い。

そして、極めつけに言えばついこの間、身体が密着し合うほどの距離でお互いを見つめあったのだ。

そのときのことを未だに生々しく覚えている。だからこそ今、目の前に男爵がいるのを判別できた。

しかし。

『何の目的でこんな所にいるのかしら?ここに住んでるってわけないわよね?あんなに大金持ちの人が・・・』

プレストンソン男爵は鉄鋼業でひと山当てたいわゆる成金の息子だ。

元は市井育ちらしいが、既に爵位を得た身でこんなところをうろついてはあまり良い噂にはならないだろう。

むしろ、こんな場所に近付くのは自分の身を貶めるのと一緒だ。

カリナよりもずっと、こんな場所を避けて通らなければならないはずの男爵が、

何故か供をつけることなく、一人でこんな薄暗い路地でうろついている。

『ものすごく、不審ね…』

自分のことを棚に上げて、カリナはじっと建物の陰からプレストンソン男爵の様子を覗いてみた。

男爵はうろうろと、長屋に続く角あたりで居留まっている。その先へ行こうか行くまいか悩んでいるようだ。

暫くそうしていたところ、突然、男爵ははっと何かに気付いたように顔を上げて角を曲って行った。

『…何かが起こったんだわ…!』

カリナは素早く移動して、身を厳重にコートでくるんだまま、さきほどまで男爵がいた角に身を潜め、さりげなく顔を出して男爵が曲って行った方向に視線をやる。

そこは、今までカリナがいたところとそう変わらず薄暗く、そして狭い道だった。

しかし、一つだけ違う点があった。

男爵以外にも人がいたのだ。

『あれは・・・誰なの?』

男爵が駆け寄って行った相手を視界にとらえる。暗いためはっきりは見えないが、その人物も割合背が高いようだった。

何事かを二人で話し合っている。静まり返っているとはいえ、その会話は聞こえない。

一切話が拾えないまま、二人の会話は終わった。そのとき男爵がくるっと視線をこちらに向けた。

『ぎゃっ!』

心の中で焦って叫ぶ。カリナはつい、会話を聞きとるために身を乗り出しかけていたのに今さらに気付いて

さっと身体を角に立っている建物に隠す。

そして心の中で5つ数えた後、息を大きく吸ってそうっと再び男爵たちがいるほうに視線を向けた。

しかし、さっきまでいたところに男爵はいなかった。

『あれ?いつの間に消えたのかしら?』

しかし、すぐに消えたわけではないことが追々わかった。二人は道の真ん中でしゃがみこんでいたのだ。

『何をしているのかしら、一体。』

暗闇の中を注視していると、二人は何かを抱えようとしている様子がみえた。

一方が【何か】の先を持って、もう一方が【何か】の反対側を持っている。

重いものなのか、二人とも抱え上げても中腰のままだった。酷く、運ぶのに難儀しているように見える。

『あれは、何?』

暗闇の中で、二人が運ぼうとしているものは今もってもわからない。目を凝らしてもやはり見えないのだ。

すると、二人は長屋の一室のドアの前にたどりついたとき、荷物を一端下ろした上で、一方が鍵を開けて中に入っていた。

もう一方は扉の前で抱え上げていた荷物を壁によりかけさせてから、見張るようにして立っている。

暫くして、今まで何も明かりのなかった路地に光が零れ落ちた。

中に入っていた者――そのときには、男爵の話相手だとわかったが――が中の灯りをつけたらしい。

その光は、扉の外にまで漏れ、たちまちに男爵と、男爵が見張る荷物を照らし出した。

扉のすぐ横にもたれかかるようにして座っているのは、人間だった。

光が零れていると言っても未だ薄暗い中、仔細な状況はわからなかったが、カリナにはそれでもう十分だった。

『どうして・・・、どうしてここにギルバートがいるの!?』


ぐらりと反動をつけるようにして身体が持ち上がるのがわかる。肩と手とを持って運ばれているらしい。

そして、無造作に部屋の隅に転がされ、背中に誰かが馬乗りになった。

後ろ手にぐるぐると縄が巻きつけられ、両足首にも太い縄が結えつけられた。

手だれているらしく、ぎゅうぎゅうと堅く結ばれている。素人が結んだ縄ならすぐにほどける自信があったが、

こういうことには慣れているらしい、ギルバートは抜け出すのは無理だと判断した。

ただ、猿ぐつわもひょっとしたら咬まされるかと思ったが、そこまでする気はないらしい。

そうして一通り拘束した背中に乗った人物はさっと離れて行った。

それからすぐ、近くなようで遠いところから会話がぼんやりと耳に入ってきた。

「これからどうする…ずっとここに置いとくわけには…」

「…吐かせるまで・・・息がかかってる、こんなに匂いがするのは初めてだ…」

「手に剣だこがある…玄人だ、もしかしたら…」

「ああ、わかってる…潮時だ…」

とぎれとぎれだが、何を話し合っているのかは十分予想はついた。

どうやらギルバートを拘束したのはクリスと、例のストーカーらしい。結局二人はグルだった。

そして、二人はギルバートを何者かがしむけた間者だと疑いにかかっている。

ギルバートが意識を失い昏倒する直前にクリスに吐かれた言葉からもそれはわかった。

どうやら、店に入った瞬間から疑われていたらしい。

そのおかげで、最後に出されたハーブティーに何かが仕込まれたらしい。

その薬物は遅効性だったらしく、薬効があらわれるまでの時間稼ぎでここまで連れてこられたようだった。

しかし、幸いにしてギルバートは薬物に関してはかなりの種類に耐性がついていた。

情報部に配属になってからは、身体を色んな薬物で慣らさせる訓練をした。

本来的には、万が一自白剤を使われた際に耐えうる体質を養うための訓練なのだが、

他のかなりの薬物に対しても耐性がついてしまったらしい。

効いてきたときには意識を失ってしまったが、おかげで運ばれる時の衝撃ですぐに回復してしまった。

ただ、相手は未だギルバートが意識を回復していることを知らない。それを見す見す知らせたら今度こそ何をされるかわからない。

彼らの動向を見極めて、ついでに二人が何者なのかも判断しなければならなかった。

「…逃げ回ってばかりでどうにか…」

「やってみなきゃわからない…乗り切れるはず…」

「…失うのは耐えられない…俺には…」

「くじくようなこと…折る気なのか…」

意識は回復したが、なんの弾みか、耳がよく聞こえない。鼓膜がピンと張ったようで全部くぐもって聞こえる。

そもそも、小さな声量で彼らが会話しているのもあって、もし耳が聞こえていても断片的にしか内容はわからなかっただろう。

そのとき、鼓膜が張って聞こえにくい耳にも衝撃を与えるような、バンバンバンと、扉を殴る様な音が聞こえてきた。

瞬間、二人の会話が止む。

思いがけない来客らしい。二人がすぐ応対に出ない様子からそれはわかった。

こんな状況を見かけられでもしたら、たちまち大騒ぎになる。

二人は甘い脇を狙われてしまったらしい。ギルバートはほんの少し希望が持てた。

『皮一枚のところで助かるかもしれない…俺ってもしかして悪運が強いのかも…』

扉をたたく音は止むことがない。むしろ一層増しているようにさえ感じる。

なかなか二人がその闖入者に対して対応しない。本当に予期せぬことだったようだ。

――もしかしたら、千載一遇のチャンスとはこういうものなのかもしれない。

『もし警邏の人間の夜回りだったら、気付いてくれてなんとかここから出られるかもしれない…!』

ドンドンドンとドアを叩く音が増していくにつれ、ようやくクリスたちはどうかしないと更に危ぶまれると思ったのだろう、

ギルバートはコロコロと床の上を転がされて移動させられた。

そして移動させられた先は、真っ暗で何も光を感じなかった。

今まで、目を開けるところを見られては困るため、瞼を持ち上げることはしなかったが、ようやっとここで目を開ける。

どうやら何か家具のようなものの下らしく、木の匂いが辺りに充満している。

天井は低く、ギルバートが横になって倒れているだけでも、かなりギリギリである。

そして、どうも彼らがいる方向、つまり玄関の扉の方には背を向けているらしく、後ろの方から声が再び聞こえてきた。

「さて、どうする?」

「ここまで引っ張ったら、かなり怪しまれてる…」

さきほどからのドアを連打する音は止んでいない。来客者が粘っているようだ。二人は困惑気味である。

「こんなところを誰が尋ねてくるのか…」

「全然アテがない…」

大分聴力も回復してきて、かなり聞き取れるようになってきた。本当にクリスたちにとって想定外の来客らしかった。

「…出て見るよ、それで追い返す。隠れてて。」

「わかった。」

クリスに言われてもう一人の協力者は身を隠したようだ。ごそごそっという音も一緒に聞こえてきた。

それを見計らう時間を設けた後、クリスはようやく扉を開けた。

「どちら様かしら、こんな夜も更けた頃合に。」

できるだけ優しい、和らいだ口調だが、内容は真夜中に大きな音で人家のドアを叩くと言う、常識外の行動を咎める厳しいものだ。

しかし、質問の本質はそこにはない。

本当に尋ねていることは、来客者が何の用を持っているか、だ。

ギルバートが連れ去られるシーンを偶然見ていた者が助けに来てくれたのなら願ってもないことである。けれど

本当にただの近所のちょっとした知り合いだと、隠されたギルバートを見つけてくれる可能性はほぼゼロだ。

更には、もしも彼らの仲間、それか本当に敵対する者だったとしたら、いずれの場合も万事休す。

ギルバートは一人で何人もの相手をしなくてはならなくなる。

その前に、まだ完全には薬が抜けきっていないので身体はフラフラだし、やたら頑丈にしめられた手足の縄はほどける気配が無い。

『ここで、死ぬのかな…?』

ついこのあいだもそんなことを述懐したばかりだ。あれからまだ2カ月も経っていない。

何が原因でこんなツキばかり回ってくるのだろう。己の運の悪さに暗い想像が浮かんできそうになったそのとき、

天の采配が訪れた。

「さっき、ここに昏倒した男性を連れ込んでいましたよね?私はその人物と関わりのあるものです。

何か彼があなたにご迷惑をおかけしたというのなら、謝罪しますが、

その前に、彼を、返していただけませんか?」

…その声は、何度も何度もギルバートの心に希望の明かりをともしてくれた光だ。

一声聞いただけで、心から安堵し、くすぶっていた不安をぐずぐずに溶かして消してくれる。

その声の主は、この世でたった一人の、仮初めの永遠なるギルバートの半身だった。

『カリナ姫が、助けに来てくれた…』


昏倒したギルバートが、何ものかによって連れ去られてしまった。

目の前で、そんなショッキングな光景を見てしまったカリナはショックに青ざめた。

『どうしよう…!どうすればいいの?!』

どう対処すればいいか全く想像もつかない。

それ以前に、今までに得ているいくつかの断片的な情報を掛け合わせても不可解なことが多すぎた。

『美人局かしら…?でも、それなら彼は対処できたはずよ。

彼の武術の心得からいって、相手を叩きのめすぐらい訳ないもの…

というより、普通美人局ならお金を取って身ぐるみをはがしたらさっさと逃げ去るはず。

でも彼らはギルバートの身柄を拘束するようなリスクをわざわざ冒している。

そしてそれにはプレストンソン男爵が関わってるだなんて、一体何がなんだか…』

強盗目的ではなく、あくまでギルバートの身体的拘束が目的だ、とすると。

それは美人局ではない。というよりも、最近似たような事例に二人は巻き込まれたところだ。つまり…

『もしかして、二ーゼット公爵家の差し金?!そんな…!』

それは十分考え得ることだった。

二ーゼット公爵家であったことは、カリナが接触をしようとして逆に嵌められてしまった一件である。

彼らは国家転覆を狙っていた。そしてそれは、いつ起きてもおかしくない状態にまで陥っている。

ギルバートが巻き込まれてしまったのだとしたら、十分にあり得る事態だった。

『いやだ!!どうしよう!?応援を呼ぶべきよね…でも、どうしよう…!』

現役武官のギルバートを昏倒させるほどの相手だ、よほど慣れているのかもしれない。

そんな人間に一人で立ち向かえる力はカリナにはない。むしろ、カリナはいつも誰かに守ってもらう側だ。

そう、庇護されることが当たり前で今までのうのうと生きてきて、つい先ごろそれを痛切に思い知らされる目に遭ったばかりではないか。

『ギルバートは私を庇って重傷を負ったばかりじゃない…

今回は彼の自業自得の部分もあるかもしれないけど、私だって自業自得でこのあいだは彼を巻き込んだんだもの。

このまま私が応援を呼んでる間に、もっと酷い状態になってるかもしれない…!

助けに行かなくちゃ、私が!』

そう、心を奮い立たせてカリナはギルバートが連れ込まれたと思しき部屋の前に立つ。

「ごめんください、ここを開けてくれませんか!?」

勢いよく拳を振り下ろして扉を叩く。割合薄い材質のそれはよく響くが、一向に中の人間が出てくる気配はない。

横の窓から光は洩れこぼれてくるというのに。

「ごめんください!!開けてください!!」

ガンガンと深夜には相応しくない音の大きさで扉を叩く。カリナの細い手は赤く腫れ上がりかけている。

けれど気にしなかった。こんな傷とギルバートが流した血の量とでは全く比較にもならない。

『早く、早く出てきて!!』

そんな切なる祈りが伝わったのか、ようやく扉は空いた。

明かりを背にして逆行で顔が真っ暗の、その人物は女性のシルエットをしていたが、カリナより幾分か身長が高く、

上から覗きこまれる形になった。

「どちら様かしら、こんな夜も更けた頃合に。」

今目の前で相対しているのは確かに女性なのに身を思わず竦めそうになるほど鋭い口調だった。

尋問するかのような切り出し方だ。カリナは予想以上の緊張感の中、息を大きく吸ってから言った。

「さっき、ここに昏倒した男性を連れ込んでいましたよね?私はその人物と関わりのあるものです。

何か彼があなたにご迷惑をおかけしたというのなら、謝罪しますが、

その前に、彼を、返していただけませんか?」

「…どういうことかしら。あなたがお尋ねの方は、こんなところにはいないわよ。」

「いえ、いるはず。この目で見たもの。」

「さっさとおかえりになったらどうかしら?どうやらあなた、若い娘さんのようだけど、ここは街外れでそこそこに治安が悪いわ。

長居すればするほど危険は増すわよ。」

「でも、おかしいですね。治安が悪いはずなのにここには貴族の方が一人いらっしゃったんじゃないでしょうか?

そこにいるんでしょう、プレストンソン男爵。あなたがここに入って行くのを私は見たわよ。」

家の中に向かってカリナは大声を張り上げた。暫くして、観念したようにのっそりとプレストンソン男爵は姿を現した。

相変わらず清潔そうな身なりをしていたが、今は貴族的な綺麗さが薄らいで感じられた。彼は、入口に控えていた女性をのけてカリナの前に厳しい表情で立った。

「どうしてあなたのような人がここにいる?」

「…あなたたちがこの中に連れ去ったのは私の知り合いよ。彼を引き渡して。」

何の気なしに言ったことだった。けれどそれに弾かれたように二人は顔を見合わせた。

そのときだった。

「カリナ姫…!!!」

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