表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
政略結婚のススメ  作者: プラスティック
引き裂かれた二人
25/76

暗く湿気の多い牢屋はそこにいるだけで体力を奪われるような効果をもたらしている。

浅い眠りと浅い覚醒を幾度となく繰り返すだけの時間は一向に体力を回復させてはくれない。

軍人なのでもともと体力の有り余っていたギルバートですら、その体力はギリギリまで削られていた。

拘留されてまだ半日程度のはずなのだが、鞭打ちで一気に痛めつけられたうえに

傷の処置も満足にされず鎖に繋がれた為か、傷が熱を持ってしまっている。

このまま放っておいたら二度と起き上がれなくなる。

そんな、最悪の予感すら脳裏を過るほどだった。

『せめてカリナ姫だけでもと思ったけれど・・・自分がこのザマだと見届けるのはあの世になりそうだな・・・』

考えることまでもが底抜けの暗さになってくると、いよいよ終わりが近いような気分になってくる。

兜というか仮面のようなものを被っている看守は、ときどきこの最奥まで見まわって鉄格子越しに様子をうかがうだけで

傷の手当てやら食べ物の差し入れやらをしようという意志はまったくないらしい。

以前警備部の仕事で首都にある罪人の刑務所のほうがまだそのへんがきっちりしていて、

いっそのことあっちに移りたいと、思えるほどだった。

『王族から命令された潜入の任務なので、本当のところ罪を被る必要はないのに

いっそのこと罪人になってもいいと考えるのは相当なところまで来てるな・・・』

壁に背を預けてゆっくりと腹から息を吐いた。

声を出して笑いたかったが、笑うと傷に響く。

刃物傷ではないのでそんなに深くはないのだけれど、腹に何度も鞭を打たれたところが一番ひどい傷になっていた。

もしかしたらこの衛生環境で放置され続けたら化膿しそうですらある。

絶望的な状況と言うと、こういうことを指すのだな、とギルバートは顔を仰向かせて思った。

そのとき、コツコツと靴底が床に当たって響く音が聞こえてきた。

『看守か・・・?』

看守は武装しているためか軍靴を履いていてその音は重い。

コツコツとした軽やかな音は女ものの、ちょっと踵が高めの靴によくある音だった。

『姫だったら杖もついているから靴音と混じって杖を突く音も混じるはず。これはいったい誰だ・・・?』

他に来るとしたら使用人連中か、あの御曹司か。

特に御曹司にはギルバートは顔を合わせたくなかった。

こんな状況に押し込んだ人物に手を出すことすらできずに鉄格子越しに相対するなんて、憤死しかねない。

誰が来るだろうと状況を測りかねているとき、足音はすぐそばの角を曲ってこちらに向かう直線を歩いてきたのが見えた。

既に栄養不足で視界が朦朧としているギルバートにはそれが誰かはすぐにはわからなかった。

その人物が鉄格子の前で止まったとき、口を開いた。

その声は聞き覚えのある人物だった。

「お食事をお持ちしました。冷めないうちにどうぞ、お食べになって。」

そう言って鉄格子の下部にある丁度トレイが入るぐらい小窓の鍵を開けて食事のトレイを差し入れてきた。

トレイの上には二つのパンと大ぶりの器に入ったスープと少量の野菜炒め、そして透明な液体の入った小瓶が乗っていた。

ギルバートはその人物を見上げて言った。

「あなたも・・・なんだかんだいってあの御曹司を支持する側なんですね?」

フリルのヘッドドレスを着けたおばちゃん使用人は困惑気な声音で答えた。

「私はあくまでここの使用人の立場です。それ以上はなんとも。」

歯痒い返答だった。だれを支持するかは、はっきりと明確にはなっていない。

しかし、使用人の立場である限りはこの状況を常識的判断を持って見れたとしても

―御曹司の行動が常軌を逸しているとわかっていても―御曹司を裏切れないという姿勢は変わりないということだけは伝わった。

望みの薄かったことだったが、最後の期待も裏切られたような気分だった。

ギルバートは一息ついた。

「では・・・哀れな収容者の最後の希望だと思って聞いてください。

ハイライド侯爵だけは助けてくれ。彼女だけはここから無事に解放してくれ。お願いだ・・・!」

「・・・私にはその権限はありませんわ。申し訳ないですけれど。」

ギルバートの懇願はむなしく遮られた。

わかっていたことだったがいらつかずには居られなかった。

「あんたたちは悪逆非道な御曹司についていくつもりなのか・・・!?

これが赦されることだと思っているわけじゃないだろう!?

なのに、どうしてここにいることを選べるんだ!?」

完全なやつあたりだったが、それに頓着はしておらず

それどころかヘッドドレスの使用人は、堅い声音で至極真面目に返答した

「私達の居場所は今ここです。ここにいる限りは私達に与えられた仕事を全うするのみです。

それに関して若様の姿勢は関係ありません。」

機械的な答えともいえた。しかしギルバートはそれが不自然に思えた。

あれだけフレンドリーでこの家のゴシップと噂好きなおばちゃんだというのに

どうも違和感が否めない。

しかし答えが出る間もなく使用人は少々強い口調で説明を始めた。

「この小瓶にはアルコールの度数が高いお酒が入ってます。傷口に振りかけて殺菌してください。

一時的ですが化膿ぐらいは避けられるでしょう。

あと、この食事ですが・・・

残さずに、食べてくださいね?」

なんとか傷の手当てができそうなのは助かったが、

残さずに食べろとは、どっかの子持ちの主婦じゃいざしらず、この場にあってはなんとも不思議な注意である。

しかしギルバートはおばちゃん使用人の迫力に負けて頷いていた。



ノートニア湖がどの部屋からでも一望できるという二ーゼット公爵の別荘の門前で馬車から下ろされたカリナは

こじんまりとした、しかし丁寧に庭師の手が入れられている庭を緊張した面持ちで通り抜けて

別荘の中に入った。

一緒に家令もついてきたが、テレーバーは使用人室で待機しているよう彼に命令していた。

前を歩むテレーバーは淀みない足運びで、ずんずんと進んでいる。

全く、これから、自ら大言壮語を吐いた上でカリナやジェイド第二王子が内密に調査を進めてきた

この国を揺るがしかねない暗部を暴露しようというのにその緊張感は全く感じられない。

そしてテレーバーは、漆喰で塗り固められたこじんまりとした別荘の1階部分の突き当たりにある、

チョコレート色のドアの前で立ち止った。

「どうぞ、こちらへ。」

そういってカリナを部屋の中へ通した。

南向きで温かな春の日差しが、大きな窓から降り注いでいる。

そしてきちんと管理されていることがわかるように、ところどころに春の生花が活けられている。

部屋はリビングのようで、ソファが真ん中に置かれていたが、ところどころ傷みの目立つもので、

更にはそれ以外の物が少なく、本邸のリビングよりもずっと狭い、貴族の所有する屋敷というよりは

中流家庭の団らんの場所にふさわしいような雰囲気を持っていた。

ハイライド家もいくつか別荘を所有しているが、どこも荘厳だったり、一見するとどこにでもありそうな

風合いの家具でもきちんとした審美眼を持つ人間なら、必ずわかるような意匠の凝らされたものばかりを置いている。

貴族というイメージを覆すものだった。

カリナの驚きは顔にまで出ていたのか、彼女の顔を見たテレーバーはくすっと笑った。

「意外でしょう?貴族の中でも筆頭の5公爵家でもある二ーゼット家がこんなにこじんまりとしていて。

しかも、それほどうちの家は金に困っているわけでもないし・・・」

カリナが正に考えていたことを読んだ発言だった。カリナは渋々頷いた。

「いくら、特権階級にある人間だからといって派手や華美ばかりを好むとは限らないでしょう?

あなたが、特権を得ているにもかかわらず特権を嫌うのと似てるでしょう?」

なんとなく鼻につく言い方でカリナは眉間を寄せて睨みつけたが、

全くテレーバーは堪えていないらしく相変わらず微笑んだままだった。

「立ったままで話すのもなんですから、そちらにお座りください。」

ソファへの着席を勧めてきた。カリナは無駄な動作はせず、おとなしくそれに従った。

テレーバーはその様子を見てからカリナの真向かいに腰を下ろした。

カリナの位置からは窓越しにノートニア湖の光る湖面が見えた。

きらきらと眩しいそれは、この部屋の雰囲気に悔しいほどよく合っていた。

「・・・あなたは、あなたの兄上を長年お探しですね?突然の出奔の理由も併せて。」

ズバリ核心を突く問いだった。

カリナは神妙に、テレーバーの発言の意図を探りながら頷いた。

「ええ。私の兄は、・・・実妹である私が言うのもなんですが、

ハイライドの継嗣として申し分のない人でした。

何か事情があったとしか考えられない。でも、その理由は未だに私には見つけられない・・・」

「そしてそれは彼自身が隠していたわけではなく、周りの者が隠ぺいに関わっているとあなたは見たわけだ。

違いますか?」

「そうよ。はっきりいってくれてもいい。私の母が大いに関わってる、と。」

「せっかちですね。」

テレーバーは苦笑した。カリナばかりが余裕がないような状況に押し込められているようだった。

「そうです、彼の出奔にはあなたのお母上が関わっておられる。

さらに言えば世間で噂されているように、あなたの兄上はあなた方の母上・・・ニムレッド様から

逃げる切るために出奔したと言ってもいい。」

「・・・うちの母から逃げ切る・・・?それは、どういうことなんですか!?」

思わずカリナは身を乗り出して机に手をついた衝撃で、机の上にあったソーサーがガタリと揺れてカップの紅茶が溢れ出た。

その勢いを見てテレーバーは再び苦笑して

「気を落ち着けてください。まだ話は始まったところですから。」

といって宥めた。

カリナはソファに腰を再度落ちつけるも、やはり気が落ち着かず置き場に困った末、膝の上の両手を据えて強く握りしめた。

「うちの母が、兄にさせようとしたことですか?

・・・確かに母は兄に侯爵位を継がせようとはしていました。でも

うちの兄が父のあとに侯爵位を継ぐことは、それこそ兄が生まれたその時点で決められていたことです。

当時、兄は20歳でしたから、その20年の間に十分侯爵となる準備は進められてきましたし、

本人にもその自覚はちゃんとあった。

そうでなければ、社交界であんなにも名が知れたりなんかしません。

なのに、どうして継ぐ直前で逃げなければならなくなったんですか?

それとも、爵位を継ぐことと併せて母が何かをさせようとしたのですか?」

「そうですね、それはニムレッド様も20年かけて準備なさっていたことだといえばいいでしょうか?

あなたの兄上・・・クラウス様が望みにかなう人物になり得るように、それこそ

細心の注意を払ってニムレッド様はご準備なさりました。

それに向けた大いなる『第一歩』を踏み出す前に、クラウス様がご自分で逃げられましたが。」

途中でテレーバーがクラウスに様という敬称を付け始めた。

テレーバーは次期侯爵なのだから、公爵家よりも格下の侯爵家の、更には廃嫡のクラウスを上位に見るのはあり得ないことだ。

カリナはようやくこの暗部の大きさにうすら寒さを感じ始めていた。

「・・・母は何を望んでいたのですか?」

「ここまで言えば、聡明なあなたにはもうわかるでしょう?」

テレーバーは笑みを浮かべた。

多分、今までで一番心の底から嬉しがっている、そして一番不穏な笑みだった。

「ニムレッド様はクラウス様を『洋国』の国王とすることが願いであらせられる。

そしてそれを御存じになったクラウス様は逃げたのですよ。」

一瞬、カリナは、国王、の二文字が脳裏で変換できなかった。

現国王は女王だ。

ニムレッドの血縁上の姪にあたるセレナがその大役を担っている。

そして、セレナには二人の王子がいる。

どちらもセレナの血を引き、若干こじれた理由があるものの、王位継承権を得ている。

20年前の大戦の際、多くの王族が殺害されたため、クラウスもカリナも王位継承順位は高くなっているが、

おそらく二人の王子を差し置いて継承することは不可能と言われている。

なぜなら、王子たちのそれぞれの父達の地位が強すぎるが故だった。

第一王子の父親は先の大戦での敵国『和国』の現皇帝である。

彼が皇太子だった時代に、セレナは後宮に入り彼の第一子として第一王子を産んだ。

現在『和国』とは冷戦状態にあるといっても過言ではない。

そんな中で第一王子はこの二国間のキーパーソンとなっている。

そして第二王子の父親は五公爵家の中でも更に筆頭格に当たるセシリア家の最後の末裔である。

有能な文官を排出することでも知られるセシリア家は、その歴史を紐解けば下手すると王家よりも

古くから連綿と続いてきたと言われ、王家とも何度も縁談を組んでいるため、

王位の継承者の血が正当なものか怪しい場合はセシリアの者と結婚させろといわれるほど

その身元はしっかりしている。

もし、この国の王族が滅んだ時次に指導者になるのはセシリア家だと言う者もいるくらいだ。

そういったことが王子たちを追い越して

一侯爵家の継嗣でしかないクラウスが王位を継承することなど殆ど不可能であると言われる所以である。

それを敢えてニムレッドが突き崩そうとする意図が、全くカリナにはわからなかった。

「・・・兄はただの侯爵家の嫡男でした。

仮にセシリア家の血でも引いていれば、それくらいの大それた望みを抱くかもしれません。

でも、現実的には全くあり得ないでしょう!?」

「はっきり申し上げると、クラウス様は侯爵家の血を引いておられない。それが一番の理由ですよ。」

またしてもの爆弾発言だった。

ずっとカリナが探し求めていた答えがあっさり敵から引き出された。

カリナは急激な展開の早さに、視界がくらくらと歪むようなめまいを覚えた。

「・・・嘘でしょ・・・?兄はお父様の息子じゃないの・・・?」

「本当です。ニムレッド様がそう仰っています。

現に、あなたのお父上である前侯爵と長年婚約関係にはあらせられたが、

結局ご成婚されるまでの一度も二人は会ったことがなかった。

いや顔をまみえる程度のことはあったかもしれないが、二人だけで会うということは一切なかった。

なのに、ニムレッド様のご懐妊は、結婚前のことだった。」

生々しく残酷な事実だった。カリナは実母の不貞を聞いて気分が悪くなっていた。

自分の兄もこれを知ってさぞや気分が悪かっただろうとカリナは想像した。

「じゃあ、兄の本当の父親は誰?母の弟である前国王の近従だった、あなたの父である、二ーゼット公でしょう?」

「・・・それは違う。残念ですが、うちの父じゃない。

はぐらかしたいわけではないんですが・・・クラウス様のお父上が誰であるか、それは私も知らない。

ニムレッド様は一度もそのことについては仰ったことが無い。

ただ、我々はそれとなく『彼』であると、予想はするんですけれどね。」

「『彼』って誰?私でも知っている人物なの?」

カリナは余裕が無くなっていて、話し相手は敵だというのに手当たり次第に質問をしていた。

そんな彼女に対して、テレーバーは優越ともとれる様な笑みを浮かべた。

「それは自分で考えてください。そこまで私が教える必要はないでしょう・・・

あなたのお母上が犯した数多ある中でも、最悪の『罪』をいとも簡単に暴かせてあげるほど

私は優しくないんですよ。」

テレーバーの意味深な発言の中でも、特に『罪』という言葉がずしりとカリナに重くのしかかった。

カリナですら特権階級にしがみ付いているニムレッドの非道さは知っている。

そんなニムレッドの犯した中でも一番の罪。

それは、国を揺るがすほどのクラウスの出生の秘密。

カリナには、他のニムレッドの犯してきたことに比べて、クラウスの父親が誰なのかなどという

内輪なことであるはずの自分の身内の問題が、それほど大きなものだとは信じ難かった。

「・・・ならどうしてあなたは私の母と兄についていこうとしているの?関係ないんじゃ・・・」

「簡単ですよ。ニムレッド様は現王家の転覆を狙っている。

王家の転覆は次の指導者候補が出てくることを意味する。そしてその指導者候補によって、国内で衝突が発生する。

私達・・・いえ、はっきりいいましょう。

反王家派はそれを狙っているのですよ。」

反王家派とは、一般に、敵国『和国』皇帝と過去婚姻関係にあったセレナ女王と、

皇帝の血筋を引く第一王子に反対する勢力のことである。

昔は第二王子推進派も場合によっては反王家派と分類されることがあったが

第二王子が現在王位継承問題について静観しているため、殆どそれは意味をなさなくなっている。

そのため、テレーバーが言う反王家派は保守勢力と殆ど相違ない貴族たちのことを指す。

カリナは思わぬ貴族間派閥にまで話が及んでいることを知り、どんどん問題の闇が深いところに堕ちていっている気がした。

一度見てしまってからはもう引き返せないような、底なしの暗さだ。

「二ーゼットが、反王家派の急先鋒だとはまさか私も思っていなかったわ・・・

でも思い当たる節があるわね。

二ーゼット領は大戦が終わってからここ十数年ほどで急速に製鉄技術が飛躍的に向上した。

衛生面の整備も急ピッチで進み、この城は要塞化した。

そして今この家を取り囲む殆ど無口の傭兵軍団・・・

あなた、戦争が狙いね?」

よくできましたといわんばかりにテレーバーは頷いた。

「ご明察です。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ